殷浩13 阮裕さんは隠者 

世間の阮裕げんゆうさんに対する評価は、

このような感じだ。


「気骨は王羲之おうぎしほどではなく、

 言説は劉惔りゅうたんほどではなく、

 明朗は王濛おうもうほどではなく、

 思索は殷浩いんこうほどではない。


 が、彼らの美点全てを備えている」



ようはべた褒め状態なのだが、

その本人、俗世間が嫌いであった。


謝安しゃあんさまレベルで優れた人物として

広く知られていたが、

仕官を嫌い、会稽かいけいに引き籠っていた。


そこも謝安さまと一緒っすか。


いちど成帝せいていが崩御した時に

葬儀に参列したりはあったが、

時の名士と呼ばれていた

殷浩さんや劉惔のもとにも足を運ばない。

すぐさま地元、会稽に引っ込もうとした。


いやいや阮裕さん、今までもずっと

仕官命令出てるじゃないっすか。

マジでそろそろ出てきてくださいよ。


そんな感じなので、

皆が家に戻ろうとする

阮裕さんのあとを追う。


そうなるであろうことも、

阮裕さん、読んでいた。


だから帰った。全速で。

めっちゃ逃げた。

遂には建康けんこう近くの山、

方山辺りで、見失ってしまう。


ところでこの頃の劉惔、

会稽郡の長官に赴任したい、

と言った要望を出していた。

なので、途方にくれながら、

劉惔がぼやいた。


「私が会稽に行けたとしても、

 わざわざかれに会おうとはすまい。

 謝安のところに泊まって、

 終わりにしておこう。


 どうせ彼に会ったところで、

 こちらを杖でシバいて来るだけだ。

 あぁ、くわばらくわばら」




時人道阮思曠:「骨氣不及右軍,簡秀不如真長,韶潤不如仲祖,思致不如淵源,而兼有諸人之美。」

時の人は阮思曠を道えらく:「骨氣は右軍に及ばず、簡秀なるは真長に如かず、韶潤なるは仲祖に如かず、思致は淵源に如かざるも、諸人の美なるを兼ねて有す」と。(品藻30)


阮光祿赴山陵,至都,不往殷、劉許,過事便還。諸人相與追之,阮亦知時流必當逐己,乃遄疾而去,至方山不相及。劉尹時為會稽,乃歎曰:「我入當泊安石渚下耳。不敢復近思曠傍,伊便能捉杖打人,不易。」

阮光祿は山陵に赴き、都に至れど、殷、劉が許には往かず、事の過ぐるに便ち還ず。諸人は相い與に之を追う。阮は亦た時流の必ずや當に己を逐わんことを知り、乃ち遄疾し去らば、方山に至りて相い及ばず。劉尹は時に會稽為りしが、乃ち歎じて曰く:「我れ入りて當に安石が渚下に泊らんのみ。敢えて復た曠思が傍に近ぜざらん、伊れ便ち杖を捉え人を能く打ちたれば、易からじ」と。

(方正53)




殷浩さんいる意味ねえな。

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