第41話 失楽園

 





 ――強さを求める上で、仲間との記憶など邪魔になるだけだ。

 だからと言って、彼は過去を捨てようという気にはなれなかった。

 それがガディオの弱点であることは、彼自身も理解している。

 だが同時に、彼を強くした原動力でもあったからだ。


 あれから二人は服を纏い、しばらくベッドの上で肩を寄せ合っていた。

 しかしやはり、彼女の興味はここにないようである。

 ずっと教会――いや、研究所の方を見ていたかと思うと、ついにベッドから抜け出してふらふらと歩き始めた。

 ガディオには何も言わずに。


「なあ、ティア」


 呼んでももう、返事はない。

 彼は六年前のことを思い出した。

 もはや死体も残っていない惨劇の現場。

 全てが終わったあと、そこに戻ってきたガディオは、ティアに何度も呼びかけたのだ。


『なあ、ティア。俺はこれからどうしたらいい? なあティア。何か言ってくれ――』


 もちろん返事はなかった、今日と同じように。

 生者は死者と言葉を交わすことはできない。

 この世界の、絶対的な真理。

 もしやオリジンならばそれも越えられるのではないか、ガディオはそう期待していたが――


「ふっ、俺も考えが甘いな」


 世界はそんなに優しくない。


「お前に会うには、同じ場所に行くしか無いんだ。それぐらい知っていたつもりだったんだが」


 もはやそれは、ただの独り言だった。

 その家に、もう生者はガディオしかいないのだから。


「すまないな、ティア。俺はまだお前に顔を向けられるほど立派な人間になれちゃいない。ああ、だけどそう長い間、寂しい想いはさせないつもりだ。ひょっとするとお前の方は案外ケロっとしているかもしれないが……何というか、俺が寂しいからな」


 ベッドから抜け出し、壁に立てかけられたソーマの剣を手に取る。


「役目は果たす。いや、役目と言うほど立派なものではないか。これは俺の個人的な復讐だ」


 そして、家を出ようとするティアに近づいた。


「キマイラを潰す。それさえ済めば、すぐにでもお前たちのところに行けるはずさ」


 彼は震える手で、親友の形見である剣を構え――


「だから、もう少しだけ待っていてくれ……ティア」


 愛する妻の背中に、突き刺した。

 正確無比な一撃は、確実に心臓周辺だけを貫く。

 コトン、と体内から押し出されたコアが地面に落ちた。

 ガディオは死してもなお美しい愛する人の姿を見下ろしながら、ただただ虚無感を覚えていた。

 そしてティアの体を持ち上げると、ベッドに寝かせ、頬に触れる。

 彼は手のひらで優しく開いた瞼を降ろし、額にキスをすると、コートを羽織って外へ出た。


「ガディオ、遅い」


 そう言ってジト目で彼を睨みつけるのは、エターナであった。


「ううぅ、臭いー! やっぱり鼻がどうにかなりそうだよぉ……」


 彼女の両腕に抱えられたインクは、そこで自分の肩を抱きながらぶーぶーと文句を垂れている。

 確かに、慣れていない人間にとっては、この死体の臭いは耐えられるものではないだろう。


「だから家の中で待っておくと良いって言ったのに」

「これは何事だ?」

「さあ? わたしも出てきたばっかりだからよくわからない。でも村中から悲鳴が聞こえてきて、死者どもが揃って研究所に向かってたから」

「だから……全て一人で処分した、と」


 あれほど綺麗で落ち着いた景色だったシェオルのメインストリート。

 だが今は、大量の死体が転がる地獄絵図と化していた。


「全てじゃない、まだ沢山いる」


 エターナが顎で指した方からは、無表情の人間たちが無数に近づいてきていた。

 まだ仕事は残っていたようで、ガディオはほっと肩をなでおろす。


「エターナはいつ気づいた」

「死者は蘇らないってこと?」

「そうだ」

「確信したのはインクが来たとき。でもいざ殺すとなると、踏ん切りがつかなかった。わたしもまだまだ」


 そう言いながらも、エターナは異変が起きる前に、自身の手で両親を手にかけていた。

 平然としているようにも見えるが、今でも彼女は胸の苦しさを感じている。

 その感覚は、しばらく消えることは無いだろう。


「そんなものだよ、ガディオもエターナも人間なんだからさっ」


 インクの言葉に、二人は微かに笑みを浮かべた。


「ところで、フラムが研究所の中にいると思うんだけど。心配」

「あいつには謝らなければならないな」

「うん、だから迎えにいかないと。その前に――」

「ああ、あいつらを蹴散らしてから行くぞ」


 迫る死者たちに向かっていくガディオとエターナ。

 英雄二人を前に、彼らは為す術もなく、一方的に倒されていくのだった。




 ◇◇◇




 スージィはフラムの放ったプラーナの刃を、こともなげに飛び退き避けた。

 そしてルコーを床に置くと、落ちていた金属製のパイプを手に取る。

 窓の格子に使われていたものだ。

 パイプを握る拳に力を込めると、それは螺旋の力で捻じれ、延び、細長く鋭いへと姿を変える。

 それが彼女の獲物である。

 何かを確かめるように、スージィはその先端で床を二度叩いた。

 コォン、コォン。

 ただの棒にしては、やけに音がよく響く。

 素材の性質なのか、はたまた彼女の腕によるものなのか。

 その間にも、フラムはもう一度、今度は横薙ぎに気剣斬プラーナシェーカーを放った。

 ヒュオッ!

 だが、スージィが突き出した槍にいともたやすくかき消される。


「やっぱ、今までの相手とは格が違いそう」


 うんざりしながらフラムは言った。

 そしてスキャンを行い、ステータスを確認する。




 --------------------


 スージィ・シャルマス


 属性ィ:光gin


 筋力:1768

 償力:891え

 体力:迎い

 敏捷:3861

 感呼:1749


 --------------------




 映し出された文字を見て、フラムは舌打ちをする。

 オリジンの意思が邪魔をしてまともに数字が表示されないからだ。

 しかし、ダフィズの言っていた“制御”のおかげか、侵食の度合いは低く、全く読み取れないわけではない。

 見てわかるように、魔力はフラムの方が上のようだが、敏捷の高さが段違いである。

 体力の数値にもよるが、Sランク並の実力を持っていると考えられる。

 それに加えて、騎士剣術キャバリエアーツをたやすく消したあの槍の腕に、ハイハイしながら不気味にこちらに近づいてくるルコー。

 これは最初から出し惜しみせずにぶつからなければ、勝つのは厳しそうだ。

 コォン、コォン。

 スージィは槍を構え、その先端で地面を鳴らす。

 挑発のつもりなのだろうか。

 フラムはやけに耳障りな音に左瞼をひくつかせ――苛立たしげに突進した。

 音に誘引されたわけではない、冷静さは持ち合わせている。

 そして最高速に達したところで、大剣で地面をぶっ叩く。

 ゴッ――プラーナの嵐が吹き荒れ、瓦礫を巻き上げる。

 それは歪むルコーを吹き飛ばし、壁に叩き付けた。


「ぎゃっ」


 グチャッ。

 潰れ、血の花を咲かせる生命なき肉の塊。

 しかしそんな、人の肉体を破壊するのに十分な威力を持つ風の中を、スージィはあえて前に突っ込んできた。

 まるで矢のように、一切の減速なく、真っ直ぐにフラムの頭を狙って槍を突き出す。

 フラムは刃の腹でそれを受け止めた。

 ギイィィンッ!

 金属同士がぶつかりあう音が鳴り響く。

 続けてスージィは、雨のように止めどなく素早い――文字通り目にも留まらぬ連撃を繰り出した。

 それを魂喰いを傾けながら防ぐ。

 だが間を縫うように巧みに繰り出される攻撃が、確実にフラムの体に傷を残していった。


「っ……ぐっ!」


 そこでフラムは、あえて防御を解く。

 ザシュッ!

 捻れた槍が腹に深く突き刺さった。

 すぐに引き抜こうとするスージィだが、フラムは似さがぬよう捻れた柄を握りしめる。

 力では彼女の方が勝っている、ゆえに引き抜けない。

 フラムは足裏で彼女の腹を蹴飛ばした。

 槍が手から離れ、スージィは苦しそうに腹を抑えながら後退する。

 そこにすかさず、フラムは腹に鉄の棒を突き刺したまま斬りかかる――


「もらったァ!」


 ダフィズには申し訳ないが、彼女を倒し、死者を全滅させねば道は開けない。

 それに――スージィが生きている限り、彼を諦めさせるのは困難だろう。

 殺すつもりで、渾身の力で振り下ろそうとしたその時、


「だぁ」


 フラムの足元から、赤子の声がした。

 下を見ると――そこには自らの足にしがみつこうとする、歪みきった、異形のルコーの姿があった。


「なんでッ!?」


 ――さっき、壁に叩き付けたはずなのに。

 急いで離れようとするが、もう遅い。

 楕円形のルコーが伸ばした手らしき部位が、フラムの左足に触れる。

 すると彼女の脚部がごぎっ、と鈍い音を立てながらねじ曲がった。


「がっ、あ……ッ!」


 倒れないよう、右足で踏ん張るフラム。

 そこに、再び鉄パイプを拾い、新たな槍を作り出したスージィが迫る。

 思い切り左足を振ると、ルコーは飛ばされ弧を描き、床にべちゃりと叩き付けられた。

 傾く体、目前に迫ったスージィの刺突。

 完全に避けることはできない、せめて致命傷を避けようと、あえて重力に抗わずさらに体を倒すフラム。

 そして穂先は肩に触れ――バチュッ! と血を吹き出しながら、に突き刺さった。


「は――?」


 唖然とするフラム。

 すぐさま槍を引き、距離を取るスージィ。

 なぜ、首に。

 確かにフラムの目が見たのは、肩に命中する光景だったはずなのに。

 直前で曲がったようにも見えなかった。

 だったらなぜ――自分は今、首に穴を空け、大量の血を流しているのか。


「が……ぶぇっ、かひゅ……ごほっ……ご、ぼっ……」


 フラムはせり上がってきた鉄臭い体液を口から吐き出す。

 べちゃっ、と床に赤い水たまりが作られた。

 口内に広がる、生臭い鉄のような味が気持ち悪くて仕方ない。

 それがさらに彼女の嘔吐感を誘発したが、首の傷が埋まるにつれて、その感覚は少しずつ薄まっていった。

 完全な治癒が完了する前に、スージィはさらなる攻撃をしかけてくる。

 少し乱暴に剣を振り回し、フラムはそれを迎撃した。

 当たるとは思っていない、ただの威嚇だ、時間稼ぎができればそれで十分。

 コォン。

 しかしその直前――槍が床を叩いて音を鳴らした。

 するとぐにゃりと視界が曲がり、剣閃の軌道が逸れる。

 スージィは明後日の方向に繰り出された攻撃を悠々と避け、心臓目掛けて槍を突き出した。

 何が起きたというのか、さっきから理解の出来ない現象ばかり引き起こされている。

 フラムは足がはち切れるほど強く地面を踏みしめ、強引に体を捻る。

 ドスッ!

 槍は右胸・・に突き刺さり、肺に穴を開けた。

 ずるりと体から鉄の棒が引き抜かれる。

 痛みに怯まず、両足を地面に付けたフラムは、スージィの側面から黒刃を叩きつけた。

 ギイィィンッ!

 彼女は縦にした槍でそれを受け止める。

 衝撃で捻れた金属棒が振動し、甲高い音が周囲に響いた。

 それを聞いた瞬間、また体から力が抜けて、フラムの体がぐらりと揺れる。


「これ、なん……くそぅ、っああぁぁぁぁッ!」


 ビュオォッ!

 スージィは、今度は真っ直ぐフラムの眉間を狙った。

 避けるのは無理だ、そう判断した彼女はあえて魂喰いを手放す。

 そして、脳を貫く寸前のそれを右手で掴もうとした。

 ……掴めた、はずだった。

 確かにその尖った先端が、黒い篭手の中に収まる瞬間を目撃したのだ。

 だがいざ拳を握りしめても、その中にあるのは空気だけである。

 そして、頭を狙っていたはずの刺突は、肩に突き・・・・刺さった・・・・


「づうぅっ……またッ!?」


 フラムの頭は混乱している。

 一体、どんなからくりを使っているというのか。

 怯むフラムに対し、スージィは続けて槍を横になぎ払い、顔を守るように前に突き出された左手を篭手ごと切り落とした。

 スパッ、とあまりにあっさり喪失した部位を、フラムの視線は自然に追ってしまう。

 それが床に落ちる様を見たとき、彼女は、再び四つん這いで自分に迫るルコーの存在を認識した。

 なぜ――最初のルコーは、壁に叩き付けられたままのはずなのに。

 二体目のルコーは、遠くに投げ捨てられたまま……微動だにしていない。

 つまり今、フラムの足に手を伸ばしているのは、三体目・・・のルコーである。

 こいつらは一体どこから現れているのか、そしてなぜ増えるのか――あいにく、考える暇はなかった。

 まずはスージィから距離を取らなければ、殺されてしまう。


「リヴァーサルッ!」


 自らの肉体に反転魔法を付与、そしてフラムは後退する。

 スージィは飛翔軌道を計算した上で追撃を繰り出すが、その攻撃は空を切った。

 なぜなら、フラムの体が物理法則に従い、地面に落ちることはなかったからだ。

 彼女は天井・・に足を着くと、すぐさまそこを蹴って、スージィからさらに離れた場所に着地する。

 この“重力反転”、つい何度も使ってしまうほど便利な代物だ。

 ただし、なかなかに魔力の消耗が多いらしく、フラムは自分の体から大量のリソースが消費されていくのを実感していた。

 長時間は使用できない、使い所を見極めていく必要がある。

 だが、なにはともあれ――これでほんの刹那ではあるが思考の余裕ができた。

 今のうちに呼吸を整え、対処法を考えねばならない。


 スージィの抱える謎は三つ。

 まずはルコーがどこから現れているのか。

 フラムの視界の中にルコーの姿はなかったはずだ。

 だというのに、戦闘真っ只中、それは突如フラムの足元に現れた。

 なぜ、どうやって。

 推察と呼べるほど確実なものではないが――何となく、想像はできた。

 だが最悪のイメージである、できれば考えたくはない。

 しかし、今は十分に最悪の状況と言える、ならば有力な可能性として留意するしかあるまい。

 それは――スージィは戦闘しながら、あれを産み落としているのではないだろうか、という説である。

 あれは人間ではない。

 人間を模した肉の塊であり、オリジンが死者の体を使って、人間の繁殖活動を再現するために作り出したものである。

 つまり、そのつもりになれば、異性との行為を必要とせずに産み落とすことができるはずなのだ。

 戦闘中、いきなり足元にルコーを設置する方法は、それ以外に考えられない。


 次に、スージィを前にすると突如平衡感覚が失われるあの症状。

 これは、詳しい原理はさておき、スージィの行動の中に怪しいものがある。

 あの“音”だ。

 彼女の持っている槍はその場で螺旋の力で作り出したもの、あれ自体に細工が出来るとは思えない。

 つまり、特殊な音を鳴らす技術――それがスージィの持つ槍術の極意なのかもしれない。

 相手にそれを聞かせることで、三半規管に異常を生じさせる。

 厄介な“技術だ”。


 最後、槍が刺さった場所と別の場所に傷が出来るあの現象。

 これが一番の謎だ。

 何を細工すれば、フラムの視覚に干渉できると言うのか。

 オリジンにそういう能力が存在する?

 螺旋、回転、捻れ、接続し、増殖する――そのどれに該当する力だというのか。

 予測できない、もちろん対処法など思いつくはずもない。


「単純にステータスでも負けてんのに、こっからどう勝てばいいんだろ」


 フラムはぼやく。

 全身を包む倦怠感。

 ここまでの戦闘で消耗した疲れもある、長期戦はこちらが不利になる一方だ。

 重たい剣を持ち上げ、構え、スージィを睨みつけるフラム。

 そして早々に第二ラウンドを始めるべく、突っ込もうとする。

 しかし彼女は、あまりにおぞましい光景を前に、一時的に戦意を喪失し、足を止めた。


「うえぇ……」


 最初に壁に叩き付けたルコーの肉片、それがスージィの体にまとわりつき、口の中に侵入しているのだ。

 一体目の吸収が完了すると、次は地面で潰れていた二体目が、巨大な塊のまま彼女の体を這い上がっていく。

 ルコーはその場で捻れ、細長い姿になると、大きく開かれたスージィの口の中に入り込んでいった。


「いくら再利用するからって、もうちょっとやりようあったんじゃない……?」


 フラムが苦言を呈したところで、オリジンの悪趣味が改善されるわけでもない。

 エネルギーの吸収を完了したスージィは、すぐさまフラムに向かって駆け出した。

 コォン。

 穂で床を叩くと、跳躍――横に一回転し、素早く斬りかかってくる。

 音が耳の奥まで響き、ぐらりと揺れる視界。

 フラムは両足で踏ん張り、攻撃を剣で受け止める。

 そして接触と同時に、ブーツに宿る呪いの力を刀身に伝搬させた。

 使用する力は“氷結”。

 凍りついた槍は、重さも振動数も変わる。

 スージィは後退すると、再び音を鳴らしてフラムに襲いかかろうとしたが――

 カンッ。

 響いたのは、乾いた音。

 聞いたって、先ほどのように目眩にも似た症状を覚えることもない。


「はっ、自慢の槍術破れたり、ってね」


 フラムは不敵に笑みを浮かべると、繰り出された刺突を体を捻り回避。

 スージィはすぐさま槍を引いて、またレンジ外へと逃げる。


「逃がさない……ッ!」


 前進しようとしたフラムだったが――ずるぅっ、とスージィの足の間からルコーが吐き出される。

 ああ、やはりそうだ、彼女は破壊されるたび、ルコーを産み出しているのだ。

 オリジンから人間に対する最大限の侮辱を感じる。

 フラムは今度こそ冷静に、足裏をタンッ、と鳴らした。


押し潰せリヴァーサル


 冷淡な声。

 彼女の前方にある床が反転によって裏返り、ルコーはそれに巻き込まれてぶちゅっと潰れる。

 さらに裏返った床を上から踏み、さらに肉塊を潰して前進。

 まだ体勢が整っていないスージィを、袈裟斬りにした。

 だが――Sランク級の敏捷は伊達じゃない。

 彼女は不安定な体勢から地面を蹴り、バク転しながら斬撃をかわした。


「はああぁぁぁッ!」


 一方でそれもまた、フラムは織り込み済みである。

 ダメ押しと言わんばかりに、反転の魔力を込め魂喰いを横になぎ払い、気剣斬プラーナシェーカーを放つ。

 すまわち、我意・騎士剣術キャバリエアーツ・エクスパンション――反・気剣斬プラーナシェーカー・リヴァーサル

 これにはさすがに、スージィも槍を立てて防ぎ、被害を軽減するので精一杯だった。

 ザシュウッ!

 左腕が吹き飛び、胸部に深い裂傷が刻まれる。

 それでも彼女は、この体に痛覚など存在しないと主張するように、表情を一つも変えなかった。

 しかし、まだ“反転”が残っている。

 それは、少し遅れて効果を発揮し始めた。

 左腕の切断面周辺の肉が反り上がり、骨から剥がれるように裂けていく。

 同様に腹部も、傷口が開き、中身が顔を覗かせる。

 勝った――そう確信するフラムだったが、スージィは「こおぉ……」と息を吐き、全身に力を込めた。

 すると反転はそこで止まった。

 当たればその時点で勝利が決まる必殺の一撃――と、そんな都合のいい攻撃が存在するはずもないのだ。

 教会で戦ったときのデインと異なり、スージィにはまだ余力が残っている。

 己の肉体に叩き込まれた反転魔法は、それ以上の力で意識的・・・に上から抑えつければ、被害を軽減することができる。

 フラムは一つ学んだ、そして焦燥感を覚える。

 これで倒せないとなると、さらなる苦戦が予想できてしまうではないか。

 スージィは手の甲に血管を浮き上がらせ、残った右手で強く螺旋槍を握把した。


「……ブランキング」


 そして、ぼそりとそう呟く。

 スージィの持つ属性――光の魔法が発動し、彼女の姿が消えてなくなった。


「まだそんな奥の手を残してたなんて!?」


 突如消失した敵を探してフラムの眼球だけが忙しなく動く。

 ネクトのように転移した可能性も考えたが、気配もするし、微かに足音も聞こえている。

 つまり彼女は、魔法によって見えなくなっただけ。


「ああそっか、魔法で光の屈折を操ってわけだ……!」


 フラムはようやくその答えにたどり着く。

 だから実際の槍の軌道が、目視したものと比べて逸れていたのだ。

 しかし、完全に姿を消せるほど魔法を使いこなせるのなら、最初からそうしていればいいはず。

 なぜ勿体ぶったのか――それはおそらく、魔法の維持に大量の魔力を消耗するからだと思われる。

 フラムの重力反転と同じだ。

 魔力は限られたリソース、無限に使い続けられるわけではない。

 要するに、彼女から逃げ続ければじきに魔力は尽き、フラムの勝利が決まるのだ。

 だが――果たしてスージィが、そう簡単に逃げさせてくれるだろうか。


 ビュオッ!


 フラムは前方から繰り出された刺突の“気配”を感じ、咄嗟に首を傾けた。

 髪が何本か舞い上がり、耳から血が流れる。

 再び眉間を狙って一突き。

 体を後ろに反らしギリギリでかわす。

 次は左肩――これは避けられない、突き刺さり、即座に抜き取られ、ぢくりとした痛みが走る。

 続いて繰り出された攻撃をフラムは大剣の広い刃で防ごうとしたが、スージィはカバーしきれない部分を的確に狙ってくる。

 足、頬、横腹、太もも――一方的に貫かれながら、フラムは間を見計らって魂喰いを薙ぎ払う。

 だが姿を消したスージィは高く飛び、今度はフラムの背後に移動した。

 そして心臓を狙って素早く突き刺す。

 フラムは直感で体を揺らし、すんでのところで即死を免れた。

 振り向きざまに薙ぎ払う、しかしやはり彼女はそこにもういない。

 気配を察知するより前に側方から槍を振り下ろされ、フラムの魂喰いを握る右腕が切り落とされた。

 すぐさま左手に持ち替え、見えないスージィに向かって踏み込もうとしたが――足に何かが纏わりついている。


「まさか、こっちまで透明に!?」


 バギッ、メキィッ!

 足が捻れ、中身が粉砕される音が、骨を電動してフラムの体に響く。

 痛みと、吐き気を催すような気持ちの悪い感触に、彼女はすぐさま足を振り、ルコーを吹き飛ばした。

 その一連の動作の間に再びスージィは背後に回り込み、フラムの体を滅多刺しにする。

 それでも彼女が心臓や脳への致命打を避けられたのは、“生きたい”と願う執念の差か。

 怒涛の攻撃を耐えきったフラムは、当てずっぽうでスージィの位置を予測し、ダメ元で大振りの一刀を放つ。

 手応えはなし――「リヴァーサル!」と彼女はすぐさまその場で真上に飛んで、天井に足をつく。

 そしてそのまま駆け抜け、階段付近で解除、着地。

 通路の端から広範囲に攻撃を放てば、何かしらのダメージは与えられるはず。

 そう考え、剣を振り上げ――


「てえぇえりゃああぁぁぁあああッ!」


 叫び、叩き付け、プラーナの暴風を巻き起こす。

 砂礫が舞い上がり、一帯の空気を薄白く汚した。

 そのおかげで――ダメージがあったかはさておき、砂埃の流れでスージィの位置は確認できた。

 フラムは再び剣にプラーナを注ぎ込み、接近する彼女を迎撃する。


「そこぉッ!」


 フオォンッ!

 渾身の一撃の、はずだった。

 しかし、フラムの渾身の一撃は、空振りに終わる。

 スージィはそこにはいなかったのだ。

 物体の移動によって巡る砂埃の流れ――その光の屈折を操り、彼女はフラムの視覚を翻弄した。

 そして前方ではなく、斜め・・前から、その脳を狙って刺突を放つ。


「――ッあ」


 死の気配が目前に迫る。

 バチュッ!

 その尖った先端がフラムの眼球を突き破り、そして脳に到達する寸前で――フラムのガントレットに握られて、止まった。

 彼女はその悪寒に従って剣を手放し、ギリギリのところで難を逃れたのである。

 しかし、絶体絶命であることに変わりはない。

 脳に向けて力づくで押し込まれる槍。

 それを必死で押し返すフラム。

 互いの腕が震える。

 その時、フラムの足元に――新たに産み落とされたルコーが、触れた。


「ぎ……あ、ああぁぁぁぁあッ!」


 足がねじれる、だが今は振り払うこともできない。

 螺旋の力はじわじわと体を上っていき、太ももや腰に至る。

 下半身の感覚がなくなり、腕からも力が抜けていく。

 拮抗が破れそうになる、フラムはそれをプラーナで補った。

 しかしルコーがそこにいる限り、彼女の敗北は時間の問題だ。

 打開する方法を――死ななければ何だっていい、少しでも、スージィを引き剥がすことができれば。

 そう、死にさえしなければ。

 必死に思考し、弾き出される冴えないやり方。

 フラムの呼吸が恐怖に震える。

 “自身で自身を傷つける行為”というのは、これだけボロボロになって恐ろしいものだ。

 それでも、死ぬよりはマシである。

 彼女は槍を握りしめる手に力を込め、ガントレットに宿る呪いの力を呼び起こす。


「……ッ、燃えろおぉおおおおおおッ!」


 彼女の呼びかけに応じ、槍が炎に包まれた。

 無論、フラムの顔も焼かれるが――スージィの手からも一瞬だけ力が抜ける。

 ――フラムは、その刹那を待っていた。

 顔から槍を引き抜くと、後退した彼女はすぐさま剣を握り直し、足にしがみつく透明になったルコーに突き刺した。

 ありったけの・・・・・・力を込めて・・・・・

 そして転がり、四つん這いでその場から離れ――幸いなことに、スージィからの追撃はない。

 どうやら、エネルギー補給の時間のようだ。

 何も見えないが、這いずるような音だけがする。

 フラムに撃破された哀れな肉片が蠢き、スージィの口の中へと入っていっているのだろう。


「……あなたがもし、まともな冒険者だったら、きっと勝つのは難しいんだろうけど」


 話したところで通じないはずだ。

 だが、フラムはそれでも言葉を続ける。

 口元に笑みを浮かべ――勝ち誇った表情で。


「でも、今のあなたは人間じゃない」


 ルコーの吸収が終わる。

 スージィの肉体に、力が行き渡る。


「だから……まだ、勝機があった」


 同時に――フラムの注ぎ込んだ力も、全て取り込まれたのだ。

 異常を察したのか、魔法が解かれ、スージィが姿をあらわす。


「お……おごぉおおおお……!」


 彼女は体を反らしながら、苦しげな声を漏らした。

 さらには口から泡を拭きながら、全身を痙攣させた。

 耐える、耐える。

 とっくに体内ではルコーに注ぎ込んだプラーナと魔法が炸裂しているはずなのに。

 それでも、生前に鍛えられた強靭な肉体が、死を拒もうと強張り震える。


「もう死んでるのに、どうしてそこまでスージィの体を使い潰そうとするかな」


 フラムは静かにスージィに歩み寄る。

 そして魂喰いを握る手を前に伸ばし、その切っ先を彼女の胸に当てた。


「でもおかげで、死体は綺麗なままダフィズさんに返せそうかな」


 ありがたいことではあるが、当然礼は言わない。

 そのまま刃を体に埋め、こつんと固い何かに当たると、魔力を注ぎ込む。


反転しろリヴァーサル


 パキィン――心臓の代わりをしていたコアが割れ、スージィの体は力を失う。

 死体が膝をつき、床に倒れていくうちに、刃は勝手にずるりと滑り抜けた。

 完全に動かなくなったことを確認すると、魂喰いと篭手を収納する。


「はぁ……」


 上を向き、大きく息を吐くフラム。


「これで……最後かな」


 言いながら、彼女は階段の上を見上げた。

 新たな死者が降りてくる様子はない、気配もしない、足音も聞こえない。

 村にいる死者の数はもっと多いはずだが、ひょっとすると外で誰かが戦ってくれているのかもしれない。


「とりあえず、一段落ってことで……」


 ミルキットを迎えに行かなければ、それまでは止まるわけにはいかない。

 問題は、これでダフィズが話を聞いてくれるかどうかだが――


「おつかれさま、お姉さん」


 嫌な声が聞こえた。

 フラムは恐る恐る振り返ると、異形の死者を踏みつけながら、そこには歩いてくる青髪の少年の姿があった。


「ネクト……どうしてここに!?」

「どうしてここに、って、元は僕が頼んだんだから様子を見にくるのは当然だよね?」


 理屈は通っている、だがそれにしたってタイミングが絶妙すぎる。

 様子を見に来た、ではなく、ずっと前から様子を見ていたのではないか。

 そこまで深読みしてしまうほどに。


「そう警戒しないでよ。僕はただ――最後の仕上げ・・・・・・のために来ただけだから」


 ネクトはそう言って、にっこりと、憎たらしいほど爽やかに笑った。





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