第74話 繰り返される悲しみの乗り越え方




 藤崎はその後、暫く動物を引き取ることができなかった。


 楓はそれを「誰もが経験する、仕方のない事」だと言った。これを乗り越えないと、次の子は引き取れないのだと。「藤崎さんがその気になるまで何もしない」と、楓はそう言って、無理に励まそうとはしなかった。時間だけがそれを解決してくれる……。そう繰り返すだけだった。


 それでも藤崎はレンコントに顔を出していた。毎日のように墓参りを終え、帰り道の途中の駅で電車を降りると、レンコントに立ち寄っていた。


「楓さんは……泣かないんだね……」

「え?」


 藤崎は俺と一緒に、五階で動物の世話をしていた。世話をしながら、ふと、そんなことを言った。


「とし子さんのお別れ会のときも、火葬のときも、納骨のときも、楓さんは泣かなかった……。ああならなくちゃいけないって……強くならなくちゃいけないって、思ったよ……」

「泣いてたぞ?」

「え……?」

「楓はいつも泣いてる」

 俺の中の楓はそうだ。

「……でも、いつも悲しそうな顔をするけれど、泣いたりは……」

「する。楓はいつも泣いている……むしろ、誰よりも泣いていると思う」

「……そうなの?」

「ああ。……ってこれ、言っても良いのかな?」

「教えたく……ない事?」

「いや……まぁ良いか……。楓には言うなよ? 気にしてると思うから」

「うん……」


「楓は泣くよ。誰よりも泣く。ただ、それを俺以外に見せようとはしない。それは自分を強く見せたいからなのか、飼い主さんに悟られたくないだけなのか、それは分からない……。でもな、我慢をする場所と、しない場所を分けている。俺にはそう見える」

「そうなんだ……。てっきり、もう慣れちゃったのかと……強いんだと、そう思ってた……」

「いや、そんなに簡単には割り切れん。動物が好きで、動物を救いたくて、この仕事を始めたんだ……誰よりも、人一倍動物が好きな筈だ……。なら、どんなに繰り返しても、その思いは変わらないさ……」

「そっか……」

「ああ。それに藤崎」

「え?」

「お前、楓みたいになりたいと言ったよな?」

「うん……なれるものなら、なりたいと思ってるよ」

「それなら、その思いを隠そうとするな。動物が好きだというその思いを、隠さずにさらけ出してみろ。そして……泣きたい時は泣け、泣きわめけ。悔やみたい時は悔め、死ぬほど悔やみ、後悔しろ……でもな……」

 俺は動物の世話をする手を止め、藤崎を見た。


「それを続けるな」


「…………」

「次の日には嘘みたいにケロッとしてろ。もう忘れましたと言ってみろ。泣かなかったり、悔やまなかったりするのが強さじゃない。それを引きずらない事の方が強さだ」

「楓さんには……それが出来るの?」

「見ての通り、お前が見ているのはその後だ」

 俺は動物の世話を続けた。

「その、後?」

「ああ。お前からとし子さんが死んだと電話をもらった後、俺は楓に電話した。楓はその瞬間、大泣きした。そんなもの、止められる訳がない……。楓はそのまま電話を切った。その後はお前が知ってる通りだ。挨拶をしたら電話をくれ。そう言ったんだよな?」

「うん……」

「楓はその直後、家の電話から俺に電話してきた。泣くために、泣きたくて俺に電話してきたんだ……。電話を取ると、楓はただ泣いていた……。一言も喋らずに、ただ電話口で泣いていた……。そして電話の向こうで楓のスマホが着信すると、『またかける』と言って、すぐに電話を切った」

「そう、なんだ……」

「ああ。そしてまた電話がかかってきた。楓は『ちゃんと我慢したから泣かせろ』と、そう言った。そのまま三十分くらい泣いてたかな……」

「……会いたいって。今すぐ会いたいって言われなかったの?」

「言われた。その時ほど車の免許を取っていなかったことを後悔したことはない……」

「あ、それで急に免許を……」

「ああ。それで教習所に通いだした。何しろ『今からそっちに行っていい?』と言われたからな……。俺も会いたかったが、危なすぎて、楓が事故りそうで……とても来て良いとは言えなかった……。しかも俺には会いに行ってやる手段がなかった……。全く情けない話だ……」

 俺は作業の手を止め、宙を見た。

 免許があれば家の車で駆けつけてやることだって出来た。もちろん親に運転してもらうという手もあったのだが、何分夜遅くのことで、とても頼めるような時間ではなかったのだ。

「情けなくないよ」

「そうか?」

 藤崎を見た。

「うん……。楓さんは、そうやって少しずつ、少しずつ、櫻井くんと距離を縮めているんだと思う……信頼されているって、言うのかな……」

「縮まっているのか広がっているのか、それは良くわからん」

 俺は作業を続けた。

「またまたー。照れちゃって……」

「いや、別に照れてなんか……。あ、それでだ」

「ん?」

「話を戻すが、楓のようになりたいって思うなら」

「思うなら?」


「我慢をするな。素直になれ」


「……それが、一番難しいんだよね……」

「ああ。だから、楓になりたいなんて思わなくていい。お前はお前のままでいい……違うか?」

「いいのかな……」

「ダメな理由、無くないか?」

「うーん……」

「田辺は今のお前が好きだ。違うか?」

「……そう、なのかなぁ……」

「違うと思うのか?」

 俺は藤崎を見た。

「わからないよ……。正直、どうして私なんか……って思うもん……」

 ふむ……。

「それ、俺も思ってたぞ」

「え?」

「あ……」

 ふと思い出した。

「なに?」

「俺、お前から貰った誕生日プレゼント……これのお返し、まだしてないな……」

 俺はスマホを取り出し、ストラップを見せた。

「あ……まだそれ、使ってくれてるの?」

「ああ、お気に入りだからな。……何がいいか……。何かほしいものとか、あるか?」

 俺は両手を組んで考えると、藤崎を見た。

「それはもういいよ……」

「え、良くないだろ?」

「それよりさ」

「ん?」

「何を……思っていたの?」

「は?」

「いや、は? じゃなくて。さっき『俺も思っていた』って言ったでしょ。何を思っていたの?」

「……ああ、それか……」

「そっちの方が聞きたい」

「それ……聞かないほうが良くないか?」

「どうして? 聞きたい……。ね、聞かせて?」

 藤崎は俺の方に来て隣にしゃがんだ。

「うーん……」

「ほら、小さい声でいいからさ……」

 藤崎は俺に耳を寄せた。

「わかった……言うから、少し離れろ。楓が来たら誤解するだろ……」

「あ、そっか……。はい、どうぞ」

 藤崎は俺から離れ、元の場所へ戻った。

「藤崎は……どうして俺なんかが、俺のどこが好きなんだろう……? って思ったって事だ」

「知ってたの?」

「そう思ったってだけで、知っていたとかそう言うんじゃない……。ただ、そうなんだろうな……とは思ってた」

「そっか……伝わってたんだ……」

「そういう事だ」

「じゃ、私……振られたんだ……」

「おまっ! そういうのズルくないか!?」

「あはは……うそうそ。でもね……」


「私は、櫻井くんが好き」


「は……?」

「え!?」


 俺と同時に驚いたもう一人の声に振り返ると、思った通り、楓が立っていた。

「やっぱり……」

 俺は目を伏せた。


 楓然り、空さん然り。この建物の中でそういう話をすると、必ずと言っていい程この二人のがやってくる。最近は特にそれを強く感じる。それはこの建物の呪い、創設者の二人の強い思いなのか、それともどこかに盗聴器とか隠しカメラが付いていたりして、二人の耳元で警報が鳴ったりするのか……。それは分からないが、何かセンサーのようなものがあるんじゃないか? と思えるほど、必ずと言っていい程に、タイミングやってきてはそういう話を聞かれるのだ。


「ふ……藤崎さん……それって、こ、こここ……」

 楓は立ったままでたじろぎ、焦っていた。


「告白!? しかも、私のフィアンセに!? 両親公認だよ!?」

 楓は連続で、確認と不当告知と自分の優位性、正当性を訴えた。


「あはは、違いますよ。そう言うのじゃありません。そこははっきり言いますけど、私はライクの意味で言ったのであって、ラブの意味で言ったのではありません」

「そ、そっか……はぁ……」

 楓は胸をなでおろした。

「今はちょっと嬉しくなって、からかいたくなっちゃったんです……ごめんなさい」

 藤崎は笑うと頭を下げた。

「よし、許す!」

「あ、でも……」

 藤崎は宙を見た。

「ん?」

「楓さん、櫻井くんのストラップ。私からの誕生日プレゼントだって知ってますよね?」

「ああ、蒼汰のストラップ? うん、知ってるよ」

「良いんですか?」

「良い……? ああ……別の女の子から貰ったプレゼントを身に着けていても良いのかってこと?」

「はい……」

「うぅぅぅぅぅん……。正直、気持ちよくはないんだけどね……。でも、蒼汰が気に入ってるんなら良い……かなぁ……」

「そうなんですか……。私だったら自分から別のストラップをプレゼントして、強制的に変えてもらいますけど……」

「……やっぱり?」

「はい」

「そうしても良いの?」

「え……? そうしたいんですよね?」

「……はい……」

「じゃ、私に聞くまでもないじゃないですか」

「本当に良いの!?」

「いえ、ですから聞くまでもないと……今」

「蒼汰、プレゼントしても良い?」

 楓は俺を見た。

「え……? あ、ああ」

 何故俺に聞く?

「よし、今夜買いに行く!」

 楓はガッツポーズをした。

「こ、今夜!?」

 藤崎は目を丸くした。

「うん。善は急げ!」

「やっぱり、善なんだ……」

 藤崎は苦笑いした。



 藤崎はいつの間にか元通り、元気になった……そう見えた。

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