第50話 奇跡の確率



 数日後。


 空さんは結局、カタログに載っていたグレーのジャージの上着のような白衣を購入した。

 いろいろなジャージを調べてみた所、これよりも高いか似たような値段だったのだそうだ。「これだって別に特殊な素材ってわけじゃないし、本当に何でも良かったんだけどね」と言いながら、デコちゃんに見せに来た。


「どうかな?」

 空さんはデコちゃんのケージの前に立ち、デコちゃんを見た。

「デコちゃん、この人は怖いか?」

「(……怖くない)」

「なになに、何だって?」

 空さんは俺に答えを急かした。

「怖くないそうです」

「よしっ!」

 空さんはガッツポーズを取った。



 二日後。


「蒼汰。明日、朝一番で行きたいところがあるから一緒に来て」

 俺がいつもの様に五階で動物の世話をしていると、楓がやってきて言った。

「ああ、わかった。車か?」

「ううん。明日は電車で行くよ」

「そっか、分かった」


 次の日。


 俺は自宅の最寄り駅のホームで電車を待っていた。

 朝とはいえ、夏の独特な匂いが蒸し暑い風にのって流れ、俺の体にまとわりつくと通り過ぎていった。昨夜も連日の熱帯夜で寝苦しかった。まだその熱気が残り、朝から蒸し暑い日だった。


「今日も暑そうだな……」


 俺が朝日を恨めしそうに眺めていた時、それを遮るようにホームに電車が滑り込み、ゆっくりと停車した。目の前のドアの中からは楓が笑って手を振っている。俺も手を振ると、ドアが開いた。

「お待たせ」

「いや、いま来たとこだ」

「ほら、乗って乗って!」

「おう」

 俺が楓に急かされ電車に乗ると、発車のベルが鳴り、ドアが閉まると電車はゆっくりと動き出した。

「それ、最初のときも言ったね」

「ん?」

「今来たってさ」

「あ、鉄板過ぎたか?」

「ううん。蒼汰は優しいね」

「そうでもない」

 俺が恥ずかしそうに目をそらすと、楓はフフッと笑った。

「それで、こんなに早くからどこに行くんだ?」

「うーんと……私のライフワーク」

「ライフワーク?」

「うん、蒼汰にも知っておいてほしい、ライフワーク」

「俺に知っておいてほしい……?」

 なんだ?

「うん」

 楓は笑った。その笑顔は少しかげって見えた。


 電車はレンコントの最寄り駅を超え、学校のある駅を超え、さらに先へと進んでいった。学校のある駅から三つ目の駅で降りる。駅を降りると駅前の花屋で花束を二つ買った。仏花だった。それを持ったまま十五分ほど歩き、大きなお寺へと入った。


 どこにでもある、普通の寺だった。

 楓は寺の境内を横にそれると、墓地の手前の水道で備え付けの桶に水を入れた。それを俺が持ち、楓の後を追った。楓は墓地の中を抜け、一つの墓の前で立ち止まった。


「ここだよ」

「これって……」

「うん。レンコントで亡くなった動物たちをまつったお墓」


 楓はそう言うと持ってきた花を二つに分け、墓石の前にある花立てに入れると、鞄から線香とライターを取り出した。

「先に洗っちゃって」

「おう」

 俺は持ってきた手桶の中の水を、柄杓ひしゃくを使ってすくい上げると墓石の上からゆっくりとかけた。一般的な墓石と違い、横長の板のような墓石には『安らかに眠れ』とだけ書かれていた。

 俺が水をかけ終えると、楓は線香に火をつけて線香立てに入れ、後ろに下がると手を合わせた。

 俺も楓の後ろに立ち、手を合わせた。


「ここね、うちで亡くなった子を引き取って、火葬して、埋葬までしてくれるの」

「…………」

 俺は黙って聞いていた。

「もちろん、ここに全員の骨が入ってるわけじゃないよ?」

「そうなのか?」

「うん。家で亡くなる子は多すぎて、とてもじゃないけど入り切らないから、火葬の時にぜーんぶ綺麗に灰にしてもらって、ここに埋めるだけ」

「そっか」

「私はずっと、ここに来るのが億劫だった……。最初の頃は特にね」

「そうなのか?」

「うん。ここはね、私にとって大切な場所。亡くなった子達を祀る、大切な場所であり、同時に私が救うことが出来なかった子たちが眠る、後悔の場所でもあるの……」

「……だよな」

「うん……。最初のうちはここに来るのが辛かった……本当に辛かったよ。まだその頃は自分の中の死に向き合えていなかったからね……」

「今は……違うのか?」

「うん。今は違う。自分の中の『死』っていうものが変わったから」

「よかったら……聞かせてくれるか?」

「うん。私の中では、ずーっと死は自分の失敗を意味していたの。また死んだ、また死なせてしまったって……私はどんどん落ち込んでいった。でも空が、空の一言が……その絶望から私を救ってくれた。空はね『動物たちが死ぬこと、それは悲しい。でもそれは生きていたら当たり前の死。誰にでも、何れはかならず来る運命。それなら楓、あなたに託されたのはいたむことじゃなくて、次の子を救うことなんじゃないの?』……ってね」

 楓は俺を見た。

「嬉しかった。自分のそれまでの努力が報われたような、業のようなものが少し軽くなったような、そんな気がして、嬉しかった。それからはもう、悲しむのはやめた」

 楓は笑うと墓を見た。

「悲しんでも、悼んでも、誰の役にも立たないって思ったから。空が、そう思わせてくれたから。それからは悲しまずに済んだ、何度も何度もここに来て泣かなくて済んだ。だから、ここに来るのが楽になったの」

 楓は墓を見つめていた。少し笑っているように見えた。楓の髪が、ふわっと風に舞っていた。

「良かったな」

「うん。それに……ここは、私を蒼汰に会わせてくれた場所でもあるの」

「俺に……? 俺は、ここに来るのは初めてだぞ」

「あ、やっぱりそうなんだ」

「……やっぱり?」

「うん。ほら」

 楓は隣の大きな墓を指差した。

 レンコントの隣には、他とは違う広い敷地の周りを大理石の柵が囲い、五段の高い階段の上に大きな墓石が立っていた。まるで歴史の重要人物の墓のようなその大きな墓石には


『名猫 片桐小鉄』 と書かれていた。


「俺の墓!?」

 レンコントの墓の隣りにあった、その大きな墓は、俺の前世で楓の愛猫、片桐小鉄の墓だったのだ。

「私、暫くは小鉄の霊はここにいるのかもって、思ってた。それでお母さんに無理を言って、何度も何度もここに来た……。……ごめんね、ごめんね……って。気づいて……あげられなくて……何も……して……あげられなくて……って」

 楓の目からは涙が溢れ出していた。

「楓! それは違うぞ! 俺はここにいる、そこには居ない。それに、俺は後悔なんてしていない! お前たちには感謝しかない! それは勘違いだ!」

 俺は楓の両肩を掴み、涙が止まらないその目をじっと見つめた。

「そ、そう……だよね……」

 楓はそう言うと、俺に抱きついた。

「小鉄……」

 楓は久しぶりに、俺をそう呼んだ。


「もう大丈夫か?」

「うん。こんなに幸せなことはないのに、なんだか思い出しちゃった……あはは」

 そう思ってくれているなら、俺も嬉しいぞ。

「なぁ、やっぱりその……泣きじゃくったのか?」

「とっくりと聞かせてあげようか? それについては三日三晩くらいは語り続けられる自信があるよ!?」

「怒ってる……よな?」

「……うーん……確かに怒ってた。悲しくて、怖くて、怒ってた」

「怖い?」

「うん、自分が何をしたのかわからなくって」

「いや、楓は何も悪いことはしてないだろ!?」

「小鉄がそれを言わずに死ぬからでしょ!?」

「あ、そっか……すまん……」

「もう……。まぁ、今こうして戻ってきてくれたから良いけど……。だから、ずっと後悔ばかりしていた。悲しいよりも、後悔ばかりをしていたんだよ……。恥ずかしながら」

 楓は笑った。

「…………」

 俺は黙った。

「大丈夫。もう怒ってないし、後悔もしてないよ。だって、私はこのお墓のお陰で蒼汰に会えたんだから……」

「あ、そう言えばさっき」

「うん。小鉄が死んでから、暫くは毎日来た。その後、一週間毎になり、一ヶ月毎になり、私は自分から小鉄が離れていくのを感じてた。それでもね、ちゃんと毎月来てるんだよ! 偉くない!?」

「今でもか?」

「ううん。今はもっと来てるよ」

「ん……? あ、ここにレンコントの墓を作ったからか」

「うん。このお墓はね、新しい子が入る度に来るの。だから一ヶ月毎になったりはしない」

「そういう事か」

「うん。私はうちで新しい子が亡くなる度にここに来る。言い換えれば、新しい子が亡くならないとここには来ないの。だから、蒼汰に会えたのは奇跡なんだよ」

 楓は俺を見た。

「……あ、そういう事か!」

 やっと繋がった。

「やっと分かった?」

 楓は俺を見て笑った。

「ああ!」


 俺は不思議に思っていた。俺の実家と楓の実家は同じ方向で同じ電車だった。なのに何故、楓は俺が学校に行くのと反対方向から来る電車のホームを歩いていたのだろうかと……。

 そう。楓はここに来る度に、反対方向からレンコントへ行った。つまり、ここに来たときだけ、俺とすれ違う可能性があった。そして、その回数は、多くても週に二度くらいだろう。それにその時間だって決まっていない。俺が覚えていたあの時刻は正確ではないのだ。だとすれば、俺の通学時間と、俺の乗っている車両の位置に合致して、俺達が出会うという確率はかなり低かったと言うことになる。俺は、そんな低い確率で楓とすれ違いを果たし、楓を見つけ、楓に出会い、付き合いだしていた。


 それ程の『奇跡』だったのだ。

 この時ばかりは神様が居たら『ありがとう』と言ってやりたい気分だった。


「言って差し上げては?」

「(いや、お前が『ルシア様は神じゃない』って言ったんだろ)」

「あ、そうでした……あはは」


「ほら、こっちもお参りするよ」

「え……自分の墓にお参りすんの!?」

「そりゃするよ! 私が愛した猫ですから!」

 楓はニッコリと笑っていた。


 なんか妙な気分だ……。




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