第20話 猫 観光列車に乗る
二ヶ月後。
旅行計画は実行に移された。
実際には思いついてから実行するまでに二ヶ月を要した。理由は単に俺の仕事のスケジュールが調整できず、二ヶ月後に予め旅行の予定を入れ、そこに次の仕事を入れないという方法でしか、休みを作ることができなかったのだ。
土曜日。
俺達は朝早くに家を出た。
八時過ぎには家を出て、そのまま新宿へ向かうと特急かいじに乗り込んだ。そのまま大月まで出て、富士急行の富士山ビュー特急に乗り換えると、終点の河口湖駅を目指した。
「あっ、見えた!」
大月を出発して一駅を過ぎた頃、車窓から富士山が見えると楓が指差して言った。
「あ、ホントだ。やっぱり綺麗……あぁ……」
美月がそれを目で追い、富士山を確認して感想を言いかけたところで、すぐに見えなくなっていた。
「すぐに見えなくなっちゃうわね……」
「そうだね……。あ、見えた!」
「え、ホン……あぁ……」
そんな感じで富士山は見えては隠れ、見えては隠れを繰り返した。
「小鉄、見えた?」
いいや。俺は首を振った。
「そうよねぇ……カゴの中だと……」
美月は俺を見た。
まぁ、それは仕方ないだろう。
「あ、すみません!」
「はい。何でしょうか?」
楓が通路を歩いていた制服の女性を呼び止めた。この電車の車掌だ。
「あの、少しだけ、猫を出しちゃダメですか?」
「猫……? ああ、カゴの中の子ですか?」
「はい……小鉄にも、富士山を見せてあげたいんですけど……」
「申し訳ありません。動物は車内ではカゴの中に入れていただく決まりでして……え? 小鉄……?」
「そうなんですか……わかりました」
楓はうつむいた。
「あ、あの……もしかして、あの有名な……猫の小鉄君ですか?」
「はい。ドラマとか、CMに出てる小鉄です」
楓はカゴを傾け、車掌にカゴの中の俺を見せた。
「よっ」
俺は車掌と目が合い、一声鳴いた。
「あれ、なんか猫の声、しなかった?」
「うん、聞こえた……あ、あのカゴじゃない?」
通路を挟んで向こう側の女性二人組が、俺の声に気づいた。
「えっ!? 本当にあの小鉄君!?」
車掌が叫んだ。
「え、小鉄君?」
「小鉄君? 小鉄君が乗ってるの!?」
「なになに、どうしたの?」
「この車両に小鉄君が乗ってるんだって!」
「え、あの小鉄君が!?」
俺達の周囲の客がざわめき始め、俺達の席の周囲からどんどん
「あ、お客様。集まらないで下さい、危ないですから……お客様! あ、あぁぁぁぁ!」
人だかりに押しのけられ、車掌はどんどん遠くなった。
「この中に小鉄くんが入ってるんですか?」
「はい」
「ひと目、一瞬だけでも会わせていただくことは出来ませんか?」
「あ、でも。出しちゃいけない決まりなので……」
楓はそう言うと立ち上がり、遠くなった車掌を見た。
「あ、私も見たい……あ、そうじゃないそうじゃない……お客様! 他のお客様の御迷惑になりますので!」
「車掌さん! 小鉄くんに会いたい! 少しだけ出しちゃダメなの?」
一人の女性客がそう言うと、周囲から「そうだそうだ」と野次が飛び始め、さらに車両全体に
「いえ……あの……。あぁ、どうしたら……。じゃ、じゃぁ本社に問い合わせますので、お客様は全員座席にお戻り下さい! このままでは危険です!」
「はーい……」
俺達の周りに集まった客たちは、ぞろぞろとそれぞれの席に戻っていった。
おぉ、なんと聞き分けの良い……。
「あの、ご迷惑をおかけしました。これから本社に問い合わせますので、まだ出さないで下さい。人が集まりすぎて危険です」
通路が開くと、車掌は戻ってきてそう言った。
「わかりました」
「では」
車掌は車両の後部へ歩いていった。
十分後。
『あー、あー。この車両のお客様に申し上げます。これから申し上げる事項をお守りいただけるなら。そして、こちらの飼い主の方のご了承をいただけるのならという条件で、本社から小鉄君を車内へ出す許可が降りました』
車掌さんはどこからかハンドマイクを持ってきて、車内の人に言った。
「やったー!」
「ナイス車掌さん!」
車内には、ワー、キャーと黄色い声援が飛んでいた。
車掌はそれを両手で抑えてから人差し指を口に当て、鎮めさせた。
『では条件を申し上げます。喋らずに挙手でご返答下さい。この車両の中だけに適用される特別処置です! 一時間後、この列車が終点に到着するまで、この車両に小鉄くんが乗車されていることをSNSなどのインターネットを通じて公表することを禁止します! 写真撮影などにおいては、必ず飼い主の方のご了承を得て撮影して下さい! 全員が一度に集まると大変危険です! 私が順にご案内させていただきますので、必ず私の指示に従って下さい!』
車掌はそう言うと、ハンドマイクを下ろした。
「お客様も、それで宜しいですか?」
車掌は美月に向かって聞いた。
「いいわよね?」
美月は楓に聞いた。
「うん。小鉄を出してもいいなら」
楓は車掌に答えた。
「わかりました。ご協力感謝いたします」
車掌はそう言うと、ハンドマイクを掲げた。
『ここまでの条件に同意される方は挙手をお願いします!』
車掌がそう言うと、車内の全ての人が手を挙げた。
『全員の同意を確認しました! それではこれから私がご案内します! それまでトイレなどの必要な行動以外は謹んでください! ご協力をお願い致します!』
車掌はそう言うと、ハンドマイクを下ろした。
「それでは、先頭のロビーへお願いします」
俺達は車掌に導かれるまま、車両の先頭にあるロビーと呼ばれる場所へ行った。そこには電車によくある座席ではなく、半円形の大きなテーブルがあり、六つの椅子がテーブルを囲んでいた。
「奥へお願いします」
車掌が奥の椅子を指し、美月が一番奥に座ると、その手前にカゴを持った楓が座った。
「紐、リードなどはお持ちですか?」
「はい」
楓は鞄から俺のハーネスとリードを取り出した。
「では、それをつけて、テーブルの上に小鉄くんをお願いします。それから、写真を撮っても大丈夫ですか?」
「はい、大丈夫です。小鉄、おいで」
楓はハーネスとリードを取り出すと、かごの入口を開けた。
俺はゆっくりとカゴの外へ出た。んーっ! やっぱり外は良いな……。俺は大きく伸びをすると、座った。
「あ、本当に小鉄くんだ……」
車掌は目を丸くした。
「信用してなかったんですかね?」
アリシアが言った。
「いや、さっき目があった」
「ですよね……」
アリシアは車掌を見た。
「……あ、ご案内しないと」
車掌はハンドマイクを掲げた。
『それではこれよりご案内を開始します! ゆっくりと行動してください!』
車掌はハンドマイクを床に置くと、一番近くの座席に行った。
「小鉄くんにお会いになりますか?」
「はい、是非!」
「それではゆっくりと、こちらへどうぞ」
車掌に案内され、最初の座席の客が二人、ロビーへ案内されると、楓の隣りに座った。
「うわぁぁぁぁぁ……本当に小鉄くんだ……」
「よっ」
俺は手を挙げた。
「挨拶した!? あ、あの……写真を撮っても」
「はい、どうぞ」
「あ、私と楓の写真は取らないでください!」
楓が撮影にOKを出すと、すかさず美月が自分達を撮らないようにと断った。
「わかりました」
客はスマホを取り出すと、俺の写真を撮り始めた。
「なんかやるか?」
俺は楓を見た。
「ううん。たくさんいるから、疲れないように普通にしてて」
「わかった」
なんか通じた。
「本当に会話できるんですね……」
「ええ、まぁ……そう感じるだけですけど……」
美月が答えた。と言うか、はぐらかした。
俺はそのまま普通に座り続けた。一応、カメラ目線は忘れない。
「触ってもいいですか?」
「うーん……」
美月は俺を見た。
構わんぞ。俺は頷いた。
「ごめんなさい。疲れちゃうから、触るのはちょっと……」
「わかりました。かーわいいなぁ……」
ほう……。俺が頷いたのに、美月は断っていた。たしかにこれだけの人に撫で回されると気疲れしそうだな。ナイス美月。
そのまま次々と、代わる代わる人が呼ばれては、俺の写真を撮っていた。
俺は挨拶されると、返答だけを返し、他には何もせずにカメラ目線だけを維持していた。
そして、車内の全員との面会、撮影会が終わると、車掌はハンドマイクを持ち上げた。
『これにて小鉄くんの撮影会は終了します。この後、小鉄くんのご意向でこのまま外に居るか、カゴの中に入るかを決めていただきます』
「良いんですか!?」
楓は車掌を見た。
「はい。本社からの特別処置です」
車掌は振り返るとそう言って、楓にウインクした。
『皆様に於かれましては、こちらのお客様も当列車のお客様のお一人であるということをご理解いただき、ご迷惑にならない様、お心がけをお願い申し上げます』
車掌はそう言い終わると、深く頭を下げた。
車内から、パチパチと拍手が起こっていた。全員了承してくれたらしい。
「申し訳ございませんが、乗車記念に一枚撮らせていただいても宜しいですか? それから、その写真を、当社の宣伝に使わせていただいても宜しいですか?」
「うーん……宣伝かぁ……」
美月は首を傾げた。
「ダメですか?」
「じゃぁ……写真はOKです。宣伝は……例えば、SNSで『小鉄君が乗りました』とか出す程度のものはOKです。あ、でも公開は三日後以降でお願いします。ポスターやCMの様な、会社の宣伝はNGです」
「承知しました。それではSNSに掲載させていただきますので、三枚お願いします」
「はい。楓」
「うん、小鉄。お仕事モードで」
「おう」
俺は二本足で立ち上がり、くねくね頂戴を披露した。
「わぁー……これが本物……」
車掌さんが目を輝かせ、そうつぶやくと、近くの座席から覗いていた人も同様に感嘆の声をあげた。
「車掌さん、写真写真」
「あぁ、そうでした……撮りますよー。はい……はい……はい」
車掌さんはローアングル、ハイアングル、目高と三枚の写真を撮影していた。なかなか手慣れた車掌だな……ちゃんとスマホを横に構えているし。
「では、何かございましたらお呼びください」
車掌はそう言うと、ハンドマイクを持ち、後部車両へ歩いていった。
「ここに居ていいってさ」
楓は車掌を見送ると、俺を見た。
「おう」
俺は外を見た。大きな富士山が見えていた。こうやって近くで見ると、一際大きく、雄大さを感じるな……。霊峰富士とは良く言ったものだ。
『間もなく、富士急ハイランド。富士急ハイランドに停車いたします。富士急ハイランドをご利用のお客様は、こちらでお降りください。富士急ハイランドを出ますと、終点、河口湖です』
「あぁ……やっとゆっくり出来るのに、もう着いちゃうね」
楓は俺を見た。
「ああ」
だが、これも仕事だ。
「でもさ、楓」
「ん?」
「この人達は、全員私達のお客さんだよ」
「お客さん?」
「うん。この人達が写真集を買ってくれたり、CMを見てくれたり、ドラマを見てくれるから、小鉄はお金をもらえるし、そのお陰で私たちはこうしてここに居られるんだよ」
「あ、そうか……。ありがたや、ありがたや」
楓は車内に向かって両手を合わせ、頭を垂れて目を閉じた。
いや、それもどうかと……。
列車は富士急ハイランド駅に滑り込み、停車した。
半分ほどの客が降り、ホームを走って俺の前に来ると手を振った。
「お、ありがとなー」
俺と楓と美月も手を振った。一つ目のグループが手を振りながら去ると、次のグループがカメラを向けた。
「あっ!」
美月が楓の頭を抑えて隠れた。
それを見たホームの人がカメラを構えるのを止め、両手を合わせていた。
「おい、謝ってるぞ」
俺は振り返って、楓に言った。
「え?」
楓は俺を見た。
「ほら、見てみろ」
俺がホームを指差し、楓はゆっくりと頭を出すと、ホームで手を合わせている人を見た。
「あ、うん! お母さん、謝ってるよ」
楓は椅子に座り直して、手を振った。
「もう、カメラ向けてない?」
「うん」
美月はそれを聞いて、楓同様にゆっくりと頭を出すと、座り直して手を振った。
列車はゆっくりと動き出し、ホームの人たちが見えなくなると、俺達は手を振るのを止めた。
「もう着いちゃうねー」
美月が椅子に持たれてそう言った。
「でも、楽しかったよ。ね?」
楓は美月を見て笑うと、俺を見た。
「ああ。そうだな」
列車は富士山を回り込むように、街の中を走っていた。窓の外には雄大な富士山が見えていた。
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