命の唄
「君は面倒ごとに巻き込まれやすい体質なのか?」
その言葉は親方なりの軽口であった。道中オリヴァの心を解きほぐすように声をかけたがどれも空回りであった。
二人の間には見えない透明な隔たりがある。この隔たりを最初に作ったのはオリヴァであり、隔たりに寄りかかったのは親方だ。
致し方ない部分はある。彼がオリヴァに抱いた印象は
だが、蓋を開けてみれば、彼は
「ここで話をしよう」
彼がオリヴァを連れてきたのは診療所だった。
暖簾をくぐる際、親方はオリヴァの表情を伺う。酷く陰鬱な顔である。入り口で待機を命じられた部下たちはオリヴァの表情を見て「親方に手を出す気概がない」と判断し、安心して親方を見送った。
「トランとは上手くやっているか?」
上がりかまちで靴の裏についた汚れを落とし、彼は土足のまま診療所内に入った。
「アレとは仕事上の関係です。王都に戻りすぐに離婚しました」
「じゃじゃ馬は役人でも御せないか」
親方は得物のツーハンドアックスを柱にかけ、背中をボリボリとかきむしった。
「性格の悪さが筋金入りです。私が相手でなくとも誰でも同じです」
「……。彼女の気性は
オリヴァは顔を上げ、親方の真意を図るように表情を伺った。だが、オリヴァを憐れむように目を細める視線がとても痛々しく長い事親方の顔を見ることは出来なかった。
「上がれ。ここには誰もいない」
常識に囚われたオリヴァに伸ばされた手。彼は親方に言われるがまま、おそるおそる土足のまま診療所に踏み込んだ。
親方がいう通り、診療所内には人の気配が全くしない。ギィギィと床板が軋む音が不穏な診療所の気味の悪さをより一層際立たせていた。
「ここならいいな」
そういって着いた場所は診察室である。戸棚にはいくつも乳鉢に乳棒が飾られ、名前のわからぬ干した草木が壁にかかっている。机の上に散乱する小刀は全て命の剣であろう。
オリヴァは机を覗き込むと、表面には人体の内側を模した絵が描かれていた。肉 神経 血管に加え、体内を走る基本マナ回路まで精緻に描かれている。
手作りの診療所にはまだ人のぬくもりが残っていた。
「まぁ座れ」
親方は大きな椅子が自分の所有物であるかのように扱った。その仕草を田舎じみていると思い、オリヴァは遠慮がちに患者用の椅子に腰かけた。だが、開口一番問いただしたのは役人としての威厳である。
「貴方はコンラッド殺害犯としてトリトン村の牢にいると聞いていました」
オリヴァの問いは予想していたのだろう。彼は余裕のある表情で答えた。
「あぁ。俺もコンラッド様のようにすぐに首を刎ねられてると思っていたが、どういうわけか今でも生きている」
親方は「わからない」と言いたそうに顔をすくめ、手のひらを天井に向けた。
一方、オリヴァは新領主側の判断の過程をすぐに察した。
彼らも親方の首をすぐにでも刎ねたかった。だが、この村独自の閉鎖性。村人の気質。何がきっかけとなり村人が暴発しかけない気運。親方の人となりについて彼らは認識していたはずである。軽々に処刑をすれば、自分たちが第二のコンラッドになる。彼等はこの結末を恐れ、親方を延命させていたのだ。
「俺の生活の大半は牢にある。一カ月に一度奉仕活動として村に出て、各戸の便所の汲み取りが許されていた。丁度今日がその日でな。たまたま別の場所にいた」
「それで。貴方が村の異変に気づいたのは?」
「本格的に認識したのは
親方は自分の顎をさすり、当時の状況を口にした。
「刑吏どころか、あの施設にある剣という剣が姿を失くしていた。それもおかしかったが、罪人の俺を呼びに来る時点で何かがおかしいだろう? だが、現実はもっとおかしかった」
親方は響かせるよう、最後の言葉をゆっくりと述べた。
「魔獣達が村にはびこっている。二本足で闊歩する野獣。それが魔獣って教えられてきた。だから、村にいるのは魔獣だって思ったんだ」
「しかし、口伝と現実は違う」
「あぁ。魔獣は驕り高ぶった人を誅するための存在。なのに、人間に目もくえず相手にするのは魔獣のみ」
親方の発言にオリヴァは頷いた。親方の見立てとオリヴァの見立ては同じだ。この魔獣は自分たちが認識しているモノとは違う。彼等はどこからやってきたのか。と問いただそうとした時である。
「ロサリオ、俺はこの村にいる獣は
オリヴァは息を飲み、目を大きく開いていた。思わず立ち上がり「何故」と口を上げそうになる。
親方の発言はオリヴァやニクラス、王都の前提 根幹を大きく揺るがすものだ。いや、事態は「魔獣討伐」として動いている。筆頭侍従の立場をもってしても、止めることは叶わない。「魔獣討伐」には王の名前が掲げられている。「魔獣討伐」に疑を呈するには既に期をい逸している。
「何故……。魔獣ではないと」
オリヴァのこめかみからタラリと糸筋の液体が零れ落ちた。
「魔獣は、驕り高ぶった人間を誅する存在。この村で驕り高ぶった人間がいるとすれば、領主と領主殺しの俺だ。村の人間は関係ない」
親方の主張をオリヴァはあえて肯定しなかった。
「それに、魔獣はいにしえより、獣の聖剣より生まれる。だが、アレは人から生まれたものだ」
「ひと……から?」
親方はゆっくりと首を縦に振った。
「ロサリオ、俺はどうして
「それは……」
魔獣が診療所を襲撃した際に備え。と答えようとしたが、親方は眉をひそめ彼の答えを阻んだ。
「集会場に村人の救出に言った時だ。俺の後ろを歩いていた部下が突然変な声を上げた。振り返ると、ソイツは自分の首を締め、もがき苦しんでいる。何をしているんだ。って近寄ると、アイツの体はバカみたいに膨れだして、顔やら腕やらあらゆるところから針みたいな茶色の毛が雑草みたく生えだした」
親方は言葉をつづけた。
「眉間は離れていき、歯は牙に、爪は剣に。俺が動揺している間にアイツは毛深いあの魔獣に姿を変えちまった」
診察室は閉め切られている。にもかかわらず、オリヴァの背中には冷たい風が一筋吹いた。
「アイツは苦しみながら俺に言った。頼むから、殺してくれ、と」
そして、彼は部下の願いを聞き入れた。
「皆、同じことを言う。相方が突然苦しみだした。父が苦しみだした。母が苦しみだした。妻や夫、子供、友人、部下が、何の前触れもなく苦しみ姿を変えた」
大切な存在が突然バケモノに姿を変えた。日常が切り取り線で切り取られるが如く、非日常へ変化する。準備も用意も何も出来ぬまま悪夢の暴力を受け止めなければならない。オリヴァは首を振り「信じられない」と言葉を漏らした。
すると、親方は片眉を上げおもむろに立ち上がった。
「ついてこい」
そう言うと彼は別の部屋へ案内した。
狭い部屋の中央には布団が敷かれている。オリヴァは座り、覗き込むと幼い少女が眠いっていた。負傷者かと思われたが、すぐに違うことを知る。
少女の目は腫れあがり、顔には無数のひっかき傷があった。赤く染めた頬から下は茶色の針のような毛がびっしりと生えている。
「トランちゃん、すまんな」
親方は布団の中で眠る少女の上唇をめくった。ヒヒ色の歯茎から短いながらも鋭い牙が生えていた。
「彼女は村の集会場近くで見つかった。被害が酷いのは集会場でな。多くの魔獣がひしめき合い、殺しあっている。不幸にもその場に居合わせた人間は逃げることもままならず、巻き込まれるように死んでいった」
「彼女は?」
「彼女は、父親が抱きしめて守っていた。俺たちは、最初は二人とも死んだと思っていたが、彼女だけは呼吸があった」
「父親は?」
オリヴァの問いに親方は一瞬口を閉じた。震える声を絞り、唇を震わせながら言葉を紡いだ。
「おそらく、彼女に殺されたのだろう。魔獣へと変容し狂乱する娘を宥めている最中、殺されたと思う。彼の身体には無数のひっかき傷と刺し傷があった」
そういうと、親方は少女の手をオリヴァに見せる。彼女の鋭く長い爪は数本が欠けていた。
「わかったか?
「それは……」
「もうどれだけの村人が人間であるかはわからん」
診療所の入り口から重い物体が落ちる音がした。一人の人間の命を喪った音である。
親方は目をつぶり思案する。目を開いても物憂げな表情は変わらない。一度部屋から姿を消した。再び戻って来ると、彼の手には抜き身のツーハンドアックスが握られていた。
「彼女は眠っている。だが、いづれは父親殺し、そして自分の姿に気づくことだろう」
オリヴァは制しようと立ち上がる。
親方を止める理由は多くある。彼が行おうとしているのは大人のエゴである。彼女は未だ完全に魔獣に変容していない。父親殺しは理性を失った瞬間、隙間のような出来事だったに違いない。魔獣になったのはその一瞬だけで、これから人間として生きていく可能性がある。
加え、意思のない殺人の咎を負わせる必要はあるのだろうか。自分の関しない、夢の殺しまで本人は責任を負わなければならないのか。
だが、世界は彼女に咎を与える。父親殺しの事実。人の道を外れた咎。この事実を持って無慈悲な罰の道を彼女に歩くよう強要するのか。
果たして、彼女を生かすことは優しさであるのか。
オリヴァは首を横に振り、親方の選択を責めなかった。
「樹の聖剣の下では友人のブラちゃんも待ってるはずだ。また、二人で仲良く遊べば良いな」
親方がツーハンドアックスを振り上げた。
「
オリヴァは奥歯を崩さんばかりに噛みしめ白銀の刃を睨み続ける。
「彼女は罪の無い子であった。だが、罪を与えたのは誰のせいか。おそらく災禍の源は俺。そして、彼女の為に汗を流せなかったお前の力の無さだ」
白銀の刃は彼女の首を胴から切り離した。
室内が赤色に染まっていく。首と胴体が離れようとも彼は斧を振るうことを止めない。
「少女の未来を潰したのは俺の責任だ」
親方の顔に赤が降り注ぐ。少女の肉体は分割され、親でも見分けることが出来なくなっていた。変わりゆく肉をオリヴァは目尻が裂けんばかりに睨む。
「ロサリオ、忘れるな。お前に権料があるならためらうことなく使え。人の、末端の者の幸せを願うなら、その権力を使いこなせ」
親方の言に彼は何も言わない。己が汚れをぬぐうことをせず、絶たれた命に深々と頭を下げた。
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