浸食03

「これは……」


 トリトン村より複数の黒煙が確認された。

 村が近寄ると、空気にすすけた匂いと痺れる香りに脳みそが震えだした。

 村に異常が起きているのは確実である。

 予見される異常は、人間だけではなく馬も察知した。耳を後ろ側に伏せ、目を釣り上げている。しきりにブルブルと首を横に振り感じる異常を敵視していた。

 オリヴァは「案ずるな」と声をかけた。オリヴァの声を聞き一度は落ち着くも、彼の馬はまだ震えだした。


「仕方がない。歩くしかないな」


 ニクラスは馬達の様子から判断し、彼も追従した。


「馬はいかがしますか?」


 兵士の問いにニクラスは馬を驚かさぬよう低く小さな声で答えた。


「放いて置けば魔獣のエサとなる。連れていく他あるまい」


 そう言い彼はオリヴァに目くばせをした。つまり、この内容を他の兵士に伝えろ。ということだ。オリヴァは反論せずニクラスの言を伝えるのであった。



 村の門扉は開け放たれており、村の入場は容易であった。

 村へ入ったというのに、皆、村人の声、気配、魔獣の声、気配を感じることはなかった。

 。で有ればよいと淡い期待を抱いていたが、現実は甘くない。

 開かれた村の中心地。

 田畑へ向かう往来のあった場所に、明るく語らう人々の姿はない。家々は壊れ、一部の家は焼け落ちていた。窓ガラスには大きなハケで描かれた一筋の赤い線が見受けられる。

 家の損壊はもちろん、家々の周辺には放置された肉の数々。ヒヒ色の肉だが、それがかつて人間のものであったとは心情的には理解できなかった。

 人の気配がない村の中心地。代わりに我がモノ顔で闊歩する二本足の一匹の毛深い魔獣がいた。

 オリヴァ以外は初めて見る魔獣に息を飲む。そこに存在している。それだけで人の命を潰す威圧感にえもいえぬ恐怖を覚え、自然と腰に下げている剣に手が伸びた。

 その時である。村の中心地に新たな魔獣が一匹現れた。


「ニクラス様」


 二匹目の登場に動揺し、ニクラスに耳打ちする兵士。ニクラスは顔を動かさず、浮足立つ兵士の顔面に肘鉄を入れた。


「気づかぬか、愚か者。我々は魔獣の腹の中にいる。様子を見ろ」


 ニクラスの叱責を理解しようと、彼等はじっと魔獣の様子を伺う。

 二匹の魔獣は目を合わせると、グルグルと周囲を回る。人には解せぬ言葉で語り合うと、いきなり互いの咽喉仏目掛けてくらいついた。

 握りこぶしで相手の頭部 肩部 腰部 臀部。潰す如く殴り、割るように脚部を蹴りつける。二匹の魔獣は相手を殺さんばかりに暴行を加えるのだ。

 流石に、この状況は予想できなかったのだろう。ニクラスは驚いたように目を見開くとすぐさま皆に命を発した。


「これは好機。ここを突破し、領主邸宅へ向かうぞ」


 二クラスは颯爽と馬に跨り手で合図を送る。オリヴァもニクラスの指示に従い馬を走らせる。

 決して好機などではない。反論した気持ちを押し殺し、前を走る背中を睨みつけた。

 時折、視界の端に映る多くの同じような毛深い魔獣の姿を目にした。一匹でいるものはオリヴァ達の姿を見ても攻撃することはない。ボォっと空を見上げ続けている。だが、複数でいる場合は異なる。先程と同じようにくんずほぐれつの取っ組み合いをしていた。

 オリヴァの頭の中では疑問符が多く浮かんでいる。

 まず、魔獣の多さ。報告数と大きく異なっている。

 二つ目 魔獣の性質。彼が知る限り、魔獣は人間に攻撃的である。けれども、彼等はオリヴァ達に反応を示さず同胞である魔獣に敵意をむき出しにした。

 最後に見目形。オリヴァの知る魔獣はアヌイだ。人間の形に近い。しかし、トリトン村にいる魔獣のは聖剣書 コトウの物語にあるような野獣に近い。


「不可解なことばかりだ。この村は」


 反応してくれるであろう肉片アヌイは黙ったままである。


 到着した場所に建物は無い。黒く煤こけた柱がこの場に建物があったことを伝えていた。


「領主邸宅が焼け落とされたのか」


 ニクラスの言葉をオリヴァは白々しいと感じた。焼け跡に散乱する鎧兜 刃を失くした剣等々。兵どもはにしたようだ。


「もし……」


 オリヴァ達の背後から声がかかる。皆、声がする方向を向いた。

 彼らの目の前に現れたのは、煤と土と血にまみれた中年男性。そして、その背後には疲れた顔をした自警団員達がいた。


「お前……」

「あなたは」


 堂々と場に佇む男。トリトン村自警団前団長にして、領主コンラッドを殺害した張本人。親方だ。予想外の人物の再会にオリヴァは安堵した。


「遅い到着でしたな」


 ニクラスは馬から降り親方を睨む。


「ここの領主は?」

「既に殺されております」

「またお前が殺したのか?」

「いいえ。今度は魔獣でございます:


 淡々と報告する親。むろん、背後に立つ自警団の面々も淡々としている。人の評価は、死後に決まる。という言葉がある。この言葉に従うならば、新領主の評価というのは冷たいものなのだろう。王宮に巣食う爺達がほくそ笑む未来も十二分に予見できる。


「そうか。では村の被害状況について詳しく話を聞きたい」

「それは結構。ですが、私とアナタ方がそうこう話しているうちに、被害は広がるばかり。この村の自警団の団長として、早急な魔獣討伐を依頼したいところですな」

「君の意見は理解する。だが、我々の任務は魔獣討伐ではない。この村の状況確認だ。魔獣討伐は後続の騎士団が行う予定だ」

「ではアナタは討伐せぬと」

「王命だからな。刃向かえというのならば、あの領主みたく首を刎ねられたいか? 刎ねられてみるのも経験ではないか?」


 オリヴァはニクラスの表情を目をこらしてじっと見た。彼は笑っている。

 血の酸化する匂い 肉を踏む感触 黒煙が天を突く光景。その光景は彼が愛した戦場と酷似していた。

 彼の仕草、口調が好戦的であるのはに心を震わせているからである。彼の心のふるさとはいつだって戦場なのだ。

 ニクラスは未だ親方の首を刎ねていない。だが、刎ねるのは時間の問題だろう。親方の首を刎ねたことをきっかけに、船上で語ったように生き残った村人の首も刎ねるかもしれない。

 魔獣と村人と親方と。得る情報も得ずに任務を終える事に意味はあるのか、いやない。故に、オリヴァはニクラスに言葉を向けた。


「シュリーマン殿、良いか?」

「なんだ?」


 ニクラスはオリヴァを見る。高揚感に酔わされた男の理性は何処にあるだろう。


「貴殿はこの村の生存者確保を担って欲しい」

「ほぉ、何故だい」

「貴殿は何やら熱病に冒されているようだ。熱を覚ますため、生存者救出に勤しむ方が良いのでは? そういう肉体労働が性に似合っているのであろう」

「何を……。熱病に冒されているようだ。とは、私が、一体、何の病気にかかっているというのだね?」

「おや、お気づきではない。人の命が惜しいこの状況下、人の命の簒奪を目論む狂人が正常でないと。これに気づかないのならば、争いの熱病に冒されている証拠ですね」

「……」

「そのような貴殿が、彼から情報を得られるとでも? 理性なき者が彼の進言を理解できぬのに、何故情報を得られると」

「グッツェー! 物言いに気を付けろ。貴様は――」


 いきり立つニクラスにオリヴァは首にかけていたメダルを突き出した。筆頭侍従の位を示すそのメダルは今の彼の立場を雄弁に語った。


「私はキルク様の筆頭侍従です。私の意見と貴殿の意見。立場による差はないはずです」


 ニクラスは反論しようと試みた。だが、親方も彼の背後に立つ自警団員も冷ややかにニクラスをにらみつけている。

 彼は奥歯を噛みしめ、難しい顔をして自分寄りの兵士を連れて去った。

 彼らの背が見えなくなるまで、自警団員の面々は柄から手を話すことをしなかった。

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