初夜編 棺桶の上で踊るプリマ達03
「ちょっとどいて」
声の後、やや間をおいて、 群衆が左右に揺れ動いた。群集の動きは、収穫を前にした垂れた稲穂が、湿り気のある風に撫でられる様に似ている。稲穂の隙間を、小動物は所狭しと駆け抜けた。自分よりはるかに背の高い者達の肘や太ももと接触したり、頭から唾液交じりの罵声が投げつけられることもあったが、彼女は走りを止めない。その両手は、人の澱みをかきわけ、かきわけた先には、彼女の相棒がいることを信じている。これは、確信だ。
(馬鹿おりんりん。一発殴らせなきゃ、私の気は治まらないんだからね)
ベルは両手で人を掻き分ける。重なり合うじめっとした湿り気の空気が、乾いた空気へ変化する。もう一層。いや、二層か。などと考えると、彼女の眼前に開けた景色が広がった。人を掻き分ける手は、宙をかき、人留めを通り抜け、彼女は人だかりの中央。ぽっかりと穴のあいた舞台に飛び出した。
予想し得なかった人物登場に、コンラッドと自警団員達は、目を丸くし、息を飲み込む。親方も同じように、息を飲んだ。乱入者は一人。だが、人によっては、見ている者は異なる。
緑色のベレー帽に、季節はずれの赤いポンチョ。白いブラウスに黒いパンツ。ボーイッシュな服装だ。親方の娘も愛したコーディネートである。
(トラン。お前……)
親方の足が自然と前に出る。しかし、二歩目は理性と幼き少女達の声で止められた。
「花嫁のお姉ちゃん」
ブラとスタンの一言に、村人は、やはりと彼女を見つめる。いるべき場所に収まらなかった彼女を、村の女達は非難がましく見つめていた。
「愛する夫がいるとよく分かったな。トラン」
「愛する者は
「ほほぅ。その愛する者というのは、私の事かね?」
「やめて下さい。冗談は、その知性と、顔だけで十分ですよ」
ベルの一言に眉を顰める老人たち。
「不敬な」
彼らの声など、彼女の耳には届かない。彼女が捕らえているのは、男達の身体の合間から見える何かに覆いかぶさり、うつぶせに倒れている男の姿のみ。彼に駆け寄ろうと、一歩足を踏み出すと、背後から、にゅっと長い手が彼女の身体に触れる。自分の元へ引き寄せ、細い肩に顎を乗せる。耳たぶを甘噛みするような近さで、囁いた。
「もう、手遅ればい。あんたの夫。アイツは、魔獣の心臓を喰らってもうた。そげなごつしちょるさいね。もう、あんたの夫は、人間じゃなくなるかもしれんばい」
生ったるい声が、彼女の髪を揺らした。多分、それは彼なりの優しさだろう。魔獣の心臓を喰らい、道具のように尻を蹴り上げられる存在に、かける情けは不要。無駄であると伝えたかったに違いない。
「だから?」
だが、その優しさなど、糞で作られた花だ。綺麗なつくりをしているが所詮は大便。えもいえぬ腐臭は唾棄すべきもの。触れることも、感動することすら値しない存在だ。
ベルの手の甲がさっと動く。男の奇妙な声を上げた。そして、彼は自分の鼻を両手で押さえる。鼻頭から後頭部までまっすぐ、一本の線を引くように不快な音と傷みが走った。膝をつき、ベルを見上げると、彼女の重い足は彼の頬を蹴り上げていた。青白いキャンバスに点描が走る。その過程を見つめることなく、彼女は走り出した。
「止めよ」
コンラッドは声と共に、肘から腕を上げる。領主の指示に5人の自警団員達が彼女に襲い掛かる。
自警団員達は、鼻頭と頬骨を壊された男を「マヌケだ」と心の中で笑っていた。「小柄な女性」「護身術を多少齧った程度」と外見から判断する。実戦経験が乏しいのであれば、使う手段は、オーソドックスなものになろう。各々、目配せをし、彼らは散らばった。
ベルはその場で足を止め、周囲を伺う。まず、彼女の視界に入ったのは、前方からやってくる二人の男。そして、背後からもう一人。
(距離的には、真正面。だが、背後も怖い)
そう思っていると、目の前に男が二人、手を広げて彼女を掴もうと襲い掛かる。
(仕方ない。まずは真正面。取り囲むつもりね)
ベルは腰を落とし、真正面からやってきた男に挨拶代わりに、足刀を鳩尾目掛けて放つ。
だが、想定の範囲内のようで、彼女の足はすぐに捕まった。
(でしょうね)
ベルは片足で大地を蹴り上げ、身体を捻り、自分の足を掴んでいる男の米神に、膝蹴りを入れた。
視界に緞帳が下がり、倒れる男。自由になったベルは、着地と同時に、もう一人の男の顎を下から掌底を叩きつける。
彼もまた、脳みそがぐらりと揺れ、その場に倒れこんだ。
彼らの意識が無くなった事は理解している。ベルは驚愕の色を浮かべる背後に立つ男の懐に飛び込んだ。
狙う先は、腹部右上。鋭く、蜂が獲物を刺すように肘をたたきいれると、激痛に背後の男も蹲った。
コンラッド、親方、その場にいた村人全員がベルの動きに驚愕した。
自警団員。彼らは、魔獣を屠った名高き者達に名を連ねる者。力に覚えのある者達が、コンラッド、エイド、親方を頂点にし村の治安維持を旨としている。若気の至りで膝を着かせることは叶わない相手であるはずなのだが、どうしてか、皆、地に伏していた。
剣の卸問屋の娘 が、屈強な男達を力でねじ伏せていた。護身術のレベルではない。彼女は、的確に人間の急所を狙っている。大金持ちの娘が学ぶ代物ではない知識を彼女は有していた。
自警団員達は、浮き足立ち、自分も加勢にと言うも、親方は大声で止める。苦虫をすり潰すような表情を浮かべる親方を見て、団員達は後ずさるしかない。その本意をどこまで理解しているだろう。
彼が浮かべる憤怒の表情は、だらしない団員達に苛立っているものであろうか。それもあるだろう。だが、彼の憤怒は他人ではなく己に向けられている。
(あの場に立つのはあの娘じゃない。俺のはずなんだ)
ベルと対峙する二人の自警団員。もう、彼らは”手を抜く”という考えをかなぐり捨てている。彼女の視界には、彼らはいない。どこだ。と顔を動かすと、群集の中から、弾丸のように大柄の男が現われた。
ベルが「あっ」と声を上げる前に、彼は、彼女の首を掴み上げる。抵抗するよう男の手に爪を立て、首を横に振る。やや開けた視界から、大柄の男に隠れるよう、もう一人の男が顔を真っ赤にしてベルを睨んでいた。
「おいおい。その娘を殺すなよ。その娘には、まだ踏ん張ってもらわんといかんからなぁ」
コンラッドの言葉に大柄な男も村人も声を上げる。
「男の手前だ。足ぐらいなら、もいでもいいぞ」
コンラッドの許可に、大柄の男は舌なめずりをする。そして、主の許可に沿おうと、小柄な男はベルの背後に回った。その時である。
ベルは苦悶の表情を浮かべ、皆が良く見えるよう、天高く中指を立てた。皆が中指を注視すると、すかさず、振り子の要領で足を振り、前後を挟む男の鳩尾に、思いナイフブーツを叩きいれた。
二人の呼吸が一瞬止まる。緩んだ腕を解き、お礼といわんばかりに、小柄な男の顔面をつま先で蹴った。
「私の足をモグだなんて。そんな野蛮な事。トラン、泣いちゃう」
ベルの口調は平坦なままだ。冷ややかな視線を、尻餅を着いている大柄な男に注ぎ、ナッツを踏み潰す要領で、表情一つ変えずに、彼のナッツを踏み抜いた。
男は、股間を手で押さえ、地面をゴロゴロと平らにするのだろうかよく転がる。転がり、地面を整備したところで、彼は次世代に生を与えることは、適わない。
男性達が目を背ける中、ベルは、オリヴァの元へようやくたどり着いた。
夫婦が別れ、たった、2日目の出来事である。
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