初夜編 夢魅る少女じゃいられない10
「すばらしい……。これが、トリトン村の歴史」
物語を一通り読み、彼はは、感嘆の声を上げる。願っていた玩具を受け取った子供のように、目をキラキラと輝かせ、抜き身であろうと刀身を頬擦りする。彼の色白の肌に線が刻まれる。線は、一本 また一本と増え、赤い小さな珠を作り上げていく。頬の痛みで我に戻り、刀身の汚れを拭い、鞘に収める。歴史が刻まれた重い剣。彼は愛おしそうに抱き寄せた。
「ようやく。ようやく触れることが出来ました」
彼は、この剣を初めて見た。エイドの両親、コンラッドから存在は聞かされていても、その本体を見ることは叶わなかった。村の歴史が刻まれた剣は、歴代領主が受け継ぐもの。そして、歴代領主が初夜権を戒めるために刻むもの。故に、領主以外、その剣に触れることは禁忌とされていた。だが、禁忌は犯される。
領主しか持ち得ない剣を
秘匿は曝け出してしまったのだ。
「ははは……」
自然と笑いがこみ上げる。領主が持つべきものを己が所持している。領主を定める剣が自分の手の中にある。故に、エイドは錯覚する。自らは、新しいトリトン村の領主として認めたられている。領主を定める剣はエイドを領主であると定めたから彼の手元にある。
村の領主はコンラッド。
だが、今の領主はエイドなのである。
「そうだ。そうだそうだそうだそうだそうだ」
エイドは高笑いを漏らす。階上で眠るコンラッドを覚ますかのような反逆の笑い。エイドは高揚する気持ちを抑えられなくなっていた。紳士的であるべき取引すら馬鹿らしく思えてくる。
(私は、領主なのだ。領主と地べたを這いずり回る盗人。どうして対等に取引をしなければならないのだろうか)
エイドは剣を腰に下げ、傲岸な態度でベルに口を開く。
「トランさん。私からの質問です」
「まって。それは取引と――」
「黙れ。私が領主だ」
ベルは思わず口を閉じる。その糸を知るべく彼の言葉を待った。
「トランさん。ありがとうございます。この剣を。この領主を定める剣を渡してくださって」
「はっ? どういう……」
「えぇ。貴女は知らないでしょう。私も今気づいたのです。この剣の持つ意味を。何故、秘匿され続けなければならないのか。その意味を。領主達が口述だけでコトウの物語を教え続けていた意味を。でもまぁ、貴女には不要です。ただ、この剣は、領主が持つべき剣。それだけを死って入れば良いのです」
エイドは再びベルににじり寄る。
「領主の命令だ。教えろ。お前は王都でどのような地位にある人間だったのだ」
先ほどの一件があったばかりである。ベルの身体は思わず後ずさった。狂気に取り付かれた人間を前にし、本能的に避ける。その姿をエイドは舌なめずりしながらゆったりとした足取りで追い回す。今日の食事と決めた草食動物を、死ぬまで追い掛け回しいたぶる肉食獣のように、彼は、微妙な距離感を保ち彼女を追いつづける。
ベルとエイドの追いかけっこは短時間で終わった。無論、ベルにしてみれば長時間にも思えたことであろう。ベルの背中にコツンと硬いものが当たる。振り返ると、そこには執務机があった。
(最悪)
ベルは自分の状況を確認するべく辺りを見る。彼女が取れる手段は二つ。
一つ。机の上に乗り逃げる。だが、背中を見せるので、その好きに捕まる恐れがある。故に、選択肢となりえない。
二つ。エイドを押しのける。タイミングが悪く、彼は腰に下げていた剣を抜き、切っ先をベルに向けている。故に怪我前提でなければ選択肢となりえない。
結論。時間を待つのみ。自らがはじき出した答えに自然と舌打ちを漏らす。
「トランさん。この村では、どんな理不尽があろうと領主の発言が絶対です。私は、貴女を許さない。尻尾を出した王都の人間を生きて、この村から。いや、この場所から出すことなど、剣を差し出したとしても認めるわけにはいかない。だから、この理不尽も貴女はこの村にいる以上、受け入れなければならない」
エイドは自分の身体をベルに押し付ける。人肌特有の生暖かい温度。柔らかな皮。ベルの身体を逆流するように鳥肌が走り抜ける。嫌悪するベルの表情をあざ笑うようにエイドは耳元で
「教えなさい」
と囁く。
「やっ。やめ……」
ベルの微かな抵抗も、彼の加虐心をそそらせるばかり。エイドはベルの耳元で「ロサリオ」の名前と「教えなさい」を繰り返す。
嫌事が寄せては引く波のようにやってくる。ザァザァと音を立て、サラサラと我慢は消えていき。真っ白になったトランの顔の底から現われたのはベルの顔。
(あぁ。おりんりん。アンタが死んだなら、この村で私は気を張る必要なんて無いさね。どうせ、アンタがいないから失敗って言われるんだ。どーせ。どーせ。それが理由で昇進も出来ずに、図剣館の中堅どまり)
己のプライドであったエリート街道。自分のエリート街道を守るべく、人々の足を引っ張り続けていたが、彼女もようやくその場所に立った。どん詰まりの未来に、ベルのプライドはズタズタに引き裂かれていく。
(自分のせいじゃなくて、他人のせいで失敗かぁ……。それって良く考えたらアホらしくない?)
そう考えると、脳内にプチンと破裂した音が響いた。破裂音は絶望も壊す。
ベルの口角が歪む。目尻を押し上げるように唇を引きつらせた。
彼女の動きは早かった。
まず、エイドが突きつけている剣を肘で払い落とした。途端、がら空きになった胸元。シャツの襟を掴み、身体を自分に寄せる。そして、無防備な足の脛に硬いナイフブーツのつま先で激しく蹴り上げた。
「ヒギアアアアアアアアアアア」
小気味良い音がした。彼の足がどうなったのか、彼女のつま先は教えてくれた。重いナイフブーツだ。そのようなものに躊躇いなく蹴られ無事なわけがない。エイドの足は踏ん張りが利かず、身体が沈んでいく。
沈み
沈み
彼の目が、彼女の目と同じ高さになった時だった。
ベルは身体を捻り、彼の身体を執務机に叩きつけた。その細身 腹の傷からは考えきれない程の力。エイドとベルの位置が反転する。エイドは自分のみに何が起こったか理解できなかった。
「残念。剣を落とせば、領主でもなんでもないですね。エイドせんせぇ」
途端、エイドの顔から喜色 余裕は消え去り、激しい動揺に震えている。
「エイド先生。私が王都の何? どんな存在か。ですって?」
ベルの顔は陰になっていた。彼女の目は何を語っているか彼は確認できない。流暢に動く口元はマトモな人間らしいが、彼の鼻頭を押し上げる中指は、マトモな人間ではなかった。
「存在とかいう簡単なもので女性に尋ねたらいけません。人間は色々な顔を持っているのですよ。そのような中で、どんな人間か。そうですねぇ。私は、『エイド先生、余裕こいて、傲慢を極めるからこんなことになるんでちゅよー』って教えられる人間かな?」
エイドの身体がわなわなと痙攣する。一番聞きたくない一言だ。その一言は、彼が敬愛する恩師から、王都を出るよう差とされた決定的な一言と同じだからである。
彼の鼻頭を押し上げていた中指が暗闇の中に消える。そして、次に現われたのは、柄と刀身が「く」の字に曲がった黒味がかった灰色 平たい刀身。鉈と刀の中間を思わせる 15センチ程のマチェットだ。
薄くも禍々しい存在感に、エイドの身体はすくみ上がる。
「他にも肉便器? ドブネズミ? クソ女? 嫉妬とかもあってよく言われるかなぁ。あぁ。エイド先生はそこらへんを言いたいはず。でっもぉー。ざぁんねぇん。私はね、ただの愛らしい膣土方なんですよぉ」
大きく振りかぶり、振り下ろされるマチェット。その刀身は、彼の肩口に下ろされる。再び男の叫ぶ声が響く。傷みがから逃れるよう、彼の手足はバタバタ激しく動く。だが、時間と共に、その動きはやがて緩慢なものとなり、やがてエイドの時は止まった。
ベルは額にたまった汗を腕で拭うと、マチェットをすぐにブーツナイフに収納した。
そして、戦利品を拾い上げ、もう一度背中に隠した。
忘れものが無いかどうか確認し、規則正しく息を繰り返すエイドに向かい、高々と中指を突きたてた。
「というわけだ。●●●を磨いて出直してきな! この童貞クソ野郎」
それだけ言うと、彼女は執務室を後にするのであった。
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