初夜編 夢魅る少女じゃいられない09

「私からトランさんへの要求は一つ。この村について刻まれている剣の返却」


 エイドはベルに視線を送る。ベルは、彼の求めに応じるよう口を開く。


「私の提案は二つです。一つはロサリオの居場所。もう一つはこの部屋から生きて出ること」

「トランさん。それだと、貴女の方が要望が多いのでは?」

「多い? まさか」


 ベルはそう言うと、鼻で笑う。彼女の腹部はまだ紫色に変色している。そして、腹の窪みを強調するように指差す。


「とても、痛いんですよね」


 彼女の言葉どおり、痛みは萌えるように存在する。エイドが口を開き、言葉を吐き出すだけで、ズキズキと疼く様な傷みが内側から主張するのだ。

 ベルはそれ以上何も言わない。要望が多いというエイドの為に、交渉の土台にケガに対する慰謝料を乗せた。数の均等をもって、彼女は彼との交渉の平等性を一旦承認する。しかして、質的平等性については承認するとは言わないのある。


 エイドは肩を上下させ口を開く。


「ロサリオさんの居場所についてですね」


 ベルの怪我の慰謝料は、ロサリオの居場所である。


「ところで、何故今更ロサリオさんについて? 好きではないのでしょう?」

「好きとか嫌いとか、そういう感情とは違います。私はただ、彼の生存を祈っているのです」


 オリヴァと一緒に王都に戻る。コルネールからの任務に含まれたものではない。彼の主人からの命令である。無論、王直々に与えられてはいない。彼女はただなんとなく、オリヴァをキルクの本へ戻さなければならないと思っている。彼の盲目的なキルクへの忠誠。汚れの澱の中、キルクが頼っているのは忠臣の忠義のみ。と言うことは察している。

 オリヴァを亡くし悲しむキルクの顔。

 つき合わされているキルトシアンの横顔。

 いろいろな事を含め、彼と共に王都へ戻らなければ、すわり心地が悪いのだ。


 エイドは一度、間を置き、ベルに答えた。


「彼は、この村にいません。村の外で、魔獣退治をお願いしておりますよ。一人でね」


 ベルの喉がヒュゥと鳴る。それは彼女の予想だにしない答えであった。

 魔獣。その言葉を聞いた直後、ベルはオリヴァの死を察した。

 魔獣。それは、獣の聖剣が生み出した驕り高ぶった人間を屠る存在。人間一人が立ち向かい、退治できるわけがない。ましてや、肉体労働を嫌う彼が挑むなど、無謀にも程がある。

 彼女の脳内の中で様々な人の顔にひびが入る。ひび割れたガラスの中、彼らは一様に絶望した表情を浮かべているのだ。


(馬鹿なおりんりん。なんでそんな事を引き受けたのよ)


 彼女の目尻から意図せず温かい雫がポロポロと零れ落ちる。涙を飲み込むと、ツンと鼻につく酸味としょっぱい塩味が口の中に広がっていく。忸怩たる思いの塊。胸の中をザクザク刺す痛み。心を押しつぶす圧迫感にまた彼女の目尻から温かいものがあふれ出した。


「なんで……。何でそんな事を?」


 震える彼女の声に、エイドは優しくこたえる。


「貴方も知ってのとおり。コトウの事件以降、我々は原則外部の者を信用しません。外部の者が我々と同じ村人になりたい。と申し出た時、必ず試練を受けていきます。我々の先祖が受けた傷。我々が受け継いだ痛み。それを乗り切れるかどうか。この傷と痛みと同等の試練を受けて貰うのです。それが、たまたま今回、魔獣討伐といったところです」

「死ぬことが前提の試練……」


 その後に続く「馬鹿らしい」という言葉を押さえ込む。涙を拭わなければ、彼女の口は村の伝統を罵倒していただろう。


「死ぬことが前提。勿論ですよ」


 エイドの口角が、ありえないぐらいに引きつる。パックリと切り裂かれた傷口のようにエイドの口はタラタラと溶けた感情を吐き出されていく。


「死とは、今生の終着点。愛する者の生と死を、自分の手で決められる。死とは、限りない苦痛の果て。苦痛に足掻き、悶え這い上がる。人間は生きるために。人間は死の恐怖から逃れ、打ち勝とうと、刹那的に輝きます。その姿、とても美しい。愛する者の今際の際を、艶やかな姿で送り出す。その心配りを愛とは言わずに何と言うのでしょう。私は、ロサリオさんを愛しているから美しく送り出してあげようと思ったのです。魔獣を前にし、絶望し、苦痛に喘いで 悶えて。貴女に会おうと必死に生きようと足掻くのですよ。あぁ。想像するだけで美しい。私は、彼になんと美しく彩ったのでしょうか」


 ベルの瞳から最後の涙が流れ落ちる。手の甲でグイグイと拭う。顔を真っ赤にし、背中に隠していた剣を鞘ごとエイドに投げつける。


 剣は絨毯の上で数度、円を描く。クルクルとスピンを繰り返し、彼のつま先に弾かれ動きを止めた。

 エイドは短刀の中身を確認しようと、手を伸ばす。だが、掴み上げることはしなかった。


「もう泣かないのですか?」


 彼は泣きはらした彼女の顔を面白そうに見つめる。


「えぇ。私は生きているから。涙を出しません」

「そんな答え。まるで、私の愛の告白に引いたように見えますよ」

「耽美的な愛は苦手なんですよね」


 エイドはほくそ笑む。もう一度腰を落とし、柄を掴む。下からベルの顔を爬虫類のようにせわしなく舌を見せ、口を開いた。


「本物ですか?コレ」

「確かに、外見からはではわからないでしょう。けれども、私は差し出しました。私の命を掠め取る武器を差し出しました。仮に違えたものであると思えば、貴方はその剣で私を殺せば良いじゃないですか。交渉は決裂したのですから」


 ベルはそう言うと、両手を広げ、その場でクルリと回った。重ねて、羽織っているジャケットもエイドに投げつけた。彼女が着用しているのは身の丈にあわないシャツと、肉が乗りきったショートパンツのみである。


「脂肪の中に剣が隠しているとか?」

「だから、脂肪じゃなくてこれは肉の鎧です。あんまりしつこいと、怒りますよ。私」

「申し訳ありませんね。肉付きがあまりにも良いので」


 鼻で笑うエイドに、ベルは文字通りその場で地団駄を踏む。なんだかんだ良いつつも、はみ出た肉は少女の痛いところなのである。

 エイドはもう一度、ベルの身体を嘗め回すように見る。背中には押し付けられた剣の跡がクッキリと残っている。他に、肉に埋め込まれた剣は見当たらないようである。


「では、中身を確認します」


 そう言うと、彼は立ち上がる。彼は生まれて初めて物語に触れた。 

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