初夜編 夢魅る少女じゃいられない07

  彼は、この世に生を受けた瞬間より、役割を果たすことを義務付けられていた。


  トリトン村の栄光は土の聖剣がこの村を愛した事。

  トリトン村の汚点は獣の聖剣がこの村を憎んだ事。


 土の聖剣の物語 獣の聖剣の物語。両方に登場するコトウ。そして、影ながらコトウ一家を支えていたのがヘーグである。

 村唯一の医者として、彼の生涯は、村の“生”と“知”に全てを捧げる事であった。貧しき者には施しを。病める者には癒しを。寂しき者には労わりを。常に村人と向き合い、献身に献身を重ねた。この温かな功績により、彼は、賢人として、村の歴史に名を残している。


 エイドは、ヘーグ直系の子孫である。彼も、両親から先祖代々伝わるヘーグの功績を聞かされていた。

 ヘーグの名を穢さぬよう、医者として一生をトリトン村に捧げるべし。

 これは、ヘーグ以降の先祖が代々子孫に向けて残した教えである。彼も、幼き頃より、伝え聞かされ、この教えを胸に刻み、疑うことをせず、過ごしていた。そして、自分はきっと、ヘーグのような医者になれると信じて止まなかった。

 だが、彼の運命に転機が訪れる。

 彼は、周囲の期待に沿い、優秀な成績で医者となった。

 また、命の剣士団より、研修として王都で研鑽を深めるよう直々命が下ったのである。村人は、命の剣士団という単語に眉をひそめた。だが、王都へ留学するよう要請が来た事実を大いに喜んだ。両親亡き後、コンラッドはエイドの後見人として彼を王都へ送るのである。


 スナイル国の中心である王都。

 学者と呼ばれる人々は、エイドの想像を超える深く広い学術を有していた。

 エイドが初歩的ないし、奇抜だと思う意見ですら、彼らは「革新的だ」と言って、必ず耳を傾ける。

 エイドが疑問を持ち、批判を呈すると、彼らは「新たなる視点だ」と言って、彼の意見を深めた。

 まさに、自由闊達な土壌。人々の意見一つで、エイドの灰色のシナプスはバチバチと音を立て、鮮やかな桃色へ変貌する。

 生まれ変わる自分。彼は、シナプスが色を取り戻すたび、そう感じていた。そして、シナプスは彼の固定観念にも波及する。


(果たして、トリトン村に戻ることは今の自分にとって良いことなのだろうか)


 自由闊達な学術世界。エイドはもっともっと知見を深めたいと渇望した。その一方で、彼には掟が課されている。彼は、トリトン村に戻らなければならない。トリトン村に戻り、村のため、知性を活用することが義務とされている。

 エイドは学術に悩むのではなく、理想と現実に悩むようになった。明確な境界線の上に立ち、あちらでもない。こちらでもない。とフラフラ足を泳がせ、時間を漫然と過ごすようになる。

 意識は漫ろとなり、弁法の舌は鈍る。思考の葦は萎える。王都の先進的な学術知見。勉学意識が漫ろとなる者を待つことはせず、知見は先へ先へと進んでいく。気づけば、彼は王都の学術世界についていくことが出来ず、消去法でトリトン村に戻ることを決めるのだ。


 トリトン村は、エイドの帰還をいたく喜んだ。村に戻ってきた医者。病に怯えることなく、過ごすことができる。その喜びで一杯だった。事実、エイドの学んできた医療は、今までの医者とは比べものにならない程効率的である。1週間と時間を要するところが3日で治療終了。というのはよくある話だ。村人は、成長した若者に目尻に涙を浮かべる。

 一方、彼らはエイドの真新しい知見に激しい拒否反応をみせた。元来、彼らはひどく閉鎖的で、変化を拒む。些細な言動一つで揚げ足を取るのだ。彼らに接し、エイドは一つの疑問に至る。


(果たして、トリトン村に戻った事は、今の自分にとって良いことだったのだろうか)


 エイドの医療以外の発言は全て切り伏せられた。

 伝統に反することを口にすれば、村人は「コトウの呪いが酷くなる」「獣の聖剣が目を覚ます」など、狂乱の形相で彼を叱責した。


(私はトリトン村がよくなればと思い言っているだけなのだ。少しでも楽に。と思っているのに。どうしてここまで言われるのだろう。どうして、悲観的に物事を捉えるのだろう。ここまで言われるのならば、もう何も言うまい。何を言っても、この村では同じことなのだ)


 悲しいかな。彼の心は重く閉ざされる。そうして、気づけば、彼自身も村に染まりあがっていた。



 それから、どれだけの年月を経ただろう。村の中では「若い」と云われているが、もう良い年齢である。彼は、トリトンの伝統どおり、“生”と”知”を司る存在となっていた。

 そんなある日、彼よりも年若い夫婦オリヴァとベルがトリトン村へやってきた。

 トリトン村へやってきた理由。二人は口をそろえて「王都から逃げ出した」と言った。


 王都


 たった二文字で、彼は忘れていた思い出が蘇ってきた。

 先進的で闊達な王都。そこは、戻りたくとも戻れない場所。

 憧れの場所。

 光り輝くあの場所を、彼らは簡単に捨てた。その事実に、エイドは許せなかった。


 女が王都を捨てた理由。


 「王都にある実家はひどく閉鎖的。古来の風習を重んじ、自分を束縛する」


 である。エイドは彼女の言い分を笑顔で聞き流し首を何度も縦に振った。


(何言ってるんだ。小娘)


 けれども、内心は憤慨していた。


(そのような理由で捨てれる場所ではないのだよ。王都は。あんなすばらしい場所を、好きなものと結婚したいがために捨てるだなんて理解できない。まだ方法があっただろうに。このような村に来なくとも、多少の知恵と機転があればなんとでもしようがあっただろう)


 彼は、彼女と話せば話すほど、彼女の理由に納得できない。噛み砕くように尋ねても、どの答えも彼の理解を超えている。理解し得ないものは分かり合えない。気づけば、彼女に激しい嫌悪の情を抱くようになった。


 一方、ロサリオについては逆だ。彼も彼女と同じ言い分で、当初は「似たもの同士」と思い鼻で笑った。だが、彼は言った。


「僕は、貴方に興味があります」


 少し困ったように口にした一言。エイドは一瞬、彼が何を言っているか理解できなかった。


(興味? 私に? 誰が? この人が? 私に? 興味?)


 トリトン村に戻って以降、彼は「村唯一の医者エイド」としか認識されていない。

 主は「村唯一の医者」従は「エイド」

 皆、主を重んじ、従を軽んじる。エイドという個は閉鎖的な村において、不要と同視される。誰も、エイドを見ない。誰もエイドに耳を傾けない。そんな中で、オリヴァの一言は、乾いた大地に降り注ぐ雨であった。


「エイドと言います。久しぶりです。自分の名前を他人に告げるなんて」


 エイドはその時、自分がどのような表情をしていたか覚えていない。

 ただ、嬉しかった。

 褒めてもらったわけではない。だが、エイドの存在を認めてくれた。

 好意を口にしていたわけではない。だが、エイドの存在を良しとしてくれた。

 友人となったわけではない。だが、知人にはなれた。


 胸に迫る激しい熱情。彼は、どうしようもなく無性にロサリオの事が知りたくなった。


(私もです。ロサリオさん。私も貴方に興味があります)


 胸にこみ上げる思慕の念。だが、彼の純情を蔑むかのように、絶えず視界に一人の女が映りこむ。


(トラン。あのクソ女め)


 ロサリオを知るためには、トランは煩わしい存在である。村人は、彼女を「愛らしい」と口にするも、彼の目には「死肉にたかるハエ」にしか見えない。

 何とか二人を引き剥がしたい。そう思っていた矢先にやってきたのが「初夜権」である。



「外部の人間が内部の人間となるため、必要な行為だよな」


 執務室の中、ロサリオとトランの処遇をどうするかと話し合っている際、コンラッドの口から出た発言である。初夜権とは口にしていないが、十分に初夜権を示していた。


「そうですね。内部の人間となってもらえれば、きっと私たちは分かり合えるはずです」


 エイドは心の中で拳を握り締める。脳内では駆け落ち女をいたぶるには、これ以上の策は無いと考える。コンラッドに女を引き渡せば、エイドはロサリオを好きに出来る。想像するだけで、エイドの身体の中を走る血液は沸騰し蒸気を上げ駆け回る。

 コンラッドに早く計画を実行するよう、言葉を重ね、彼の尻に火をつける。

 そして、エイドの望みどおり、早々に初夜権は決行された。


(普通の女であれば、駆け落ちまでして、さぁ幸せが目の前に。という時に幸せを打ち崩される。まともな感性をしていれば、号泣し、泣き叫ぶであろう)


 エイドは診療所内で茶を啜り、トランの泣く姿を想像した。


「ンフッ」


 トランを取り戻すために、ロサリオは命をかけて失敗作アヌイを処理する。思い描いた未来予想図はとても美しく綺麗なものであった。

 だが、残念ながら、彼の描いた未来予想図はガラス細工のように無残に砕け散る。

 初夜権で泣き叫ぶ女は普通の女だ。初夜権に組み伏せられた女は、筋金入りの偏屈女。駆け落ちのために、女中のメイド服をひん剥いた。やら、初夜のために、踝から下しか触らせない。そんな女が、初夜を散らせただけで、泣くわけがない。泣き咽ぶところか、自警団員を恫喝し、自由気ままに生活し、領主コンラッドを誑かし、村に秘められた物語「獣の聖剣」まで持ち出そうとしている。

 

(なんという女だ。獣の聖剣についてかぎつけて物語を持ち出そうとする。やはりあの女は、おじ様コンラッド様の言うとおり、王都の女と見て良い)

 

 エイドは誰もいない夜の執務室で何度も爪を噛み、駄々っ子のように地団駄を踏む。


(王都の女め。初夜権の存在とあの剣を王宮に差し出して何をする。何を我々から奪う。そのような事をすれば、静まっているコトウの呪いを呼び起こす気か? 疑心でまた村を覆うつもりか!)


 エイドは髪をかきむしり、その場にいない人間を睨みつける。


「あのクソ女ぁ」


 腹の底から搾り出す声。彼の声に呼応するかのようにコォォォと声が響く。風の音と分かっているが、背筋がゾクリとあわ立つ。闇の中から感じる視線。初夜権で散った睨み絵の視線である。エイドは吐き出したい呪詛を堪え、部屋に背を向ける。階段を一歩 また一歩と上がり、再び髪をかきむしった。


(ロサリオさん。かわいそうな人。あの女に誑かされ。王都の女とも知らずにこの村までやってきた。なんという事か。なんと非道な事か。彼の純粋たる思いも知らず、傍若無人にふるまうあの女。男と村を食い荒らして何をするのか。あぁぁ。許すまじ許すまじ)


 エイドはロサリオの名前を精神安定剤のように呟く。目を閉じれば映りこむロサリオの顔。彼の顔を思い出すだけで、彼の心はポカポカと上質な湯に浸かる心地よさに浸れる。


(待っていてくださいね。ロサリオさん。私は貴方をあの女から救います。そして、教えてください。貴方は私の何に興味を持ったのか。私も、貴方の疑問にはきちんと答えますよ)





 エイドは目を開く。

 一日千秋。今か今かと求めていた女が彼の前に立っている。

 不倶戴天の敵。いやらしそうな表情で、彼女も彼を見つめている。

 彼女をどうするか。その処遇は既に決めていた。


(生きてこの村から出れると思うな)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る