初夜編 深い眠りから覚めたなら13

 命の剣が、魔獣の背中に刻まれた5つの細長い傷を修復していく。淡い光が傷口を包み込み、若葉のような初々しい皮膚が顔を出す。

 命の剣は、傷、病気の修復。生命・身体に関わること全般を司る剣である。オリヴァが魔獣につけた傷の修復なぞ、命の剣では朝飯前だ。

 痛みに、魔獣はむずがるように体を捻っていた。だが、命の剣により、徐々に引いていく痛みに少しずつ落ち着きを取り戻す。

 痛みが引けば、次に魔獣が取り戻すのは心だ。自分の体の状態。何がどうなっているのかを知るべく、魔獣は、怯えるように自らの鼻に触れる。

 ぐちゃぐちゃにされた鼻骨は、ゆるやかな「く」の字を描いている。鼻の下を拭っても、血液は付着しない。試しに、荒々しく鼻息を鳴らしても、血液は零れ落ちなかった。

 無様に落下した時の顎の傷。

 オリヴァに蹴られた頬の傷。

 どれもこれも、命の剣の力で修復されている。

 魔獣は、自分の手を見つめた。垢や汚れは残っているが、枝や葉で傷つけられたふるい傷が薄く変色している。確かめるように、自分の目の前に落ちているピンク色の鞘を見つめる。


(傷が消えている。もしかして、命の剣?)


 そう思い、もう一度自分の手を見つめる。途端、心がジーンと痺れた。魔獣は実感した。自分の体を貫いているのは、命の剣だと。


(これが剣の力。大いなる意思が創った剣の力なのね)


 魔獣は震えた。大いなる意思の力を直接感じ取れた事に感動した。慈愛に満ちた命の剣。傷を癒し、活力を与える力。

 疲労と空腹が蓄積した体に、剣はポカポカと心地よい光を与える。

 光に導かれるよう、魔獣の体は地へ伏していく。体の緊張が解けていった。


(安心してはいけない。こいつは、私を殺そうとしている。そいつが、何故、私の傷を癒すのだ)


 と責める声が聞こえる。が、魔獣の体は、回復していく心地よさに、流されていく。


(あぁ。わからない。でも、今がとても心地よいのだ)


 そして、そのような状態を上から見下ろしている人間が一名。ニィと赤い三日月を咲かせた。


(そうだ。そのままで良い)


 魔獣が異変に気づかぬよう、彼は命の剣に自らのマナを注ぎ込む。


(所詮は畜生。そのままぬるま湯に浸って死ね)


 だが、次第に彼の表情は変わっていく。咲いていた三日月は散り、今では苦しそうに歪んでいる。額からは汗がツゥと線を描いている。

 それもそうだ。彼がエイドから拝借したのは命の剣。命の剣は、原則、医者のみ所持することが許される。理由は様々あるが。そのうちの一つが他の剣とは違う、複雑なマナの送り方である。

 通常であれば、自分のマナ回路と剣のマナ葉脈を接続させれば、剣の属性を引き出せる。一方、命の剣はm自分のマナ回路と命の剣のマナ葉脈を接続させ、そこから、命の剣を通し、第三者のマナ回路を見つめなければならない。

 そして、マナ回路の走り方は、一人ひとり異なる。


 大人か子どもか

 男か女か

 怪我か病気か


 性別年齢状態によって、マナ回路は姿を変える。即時に状態に応じた対応が求められる。

 また、留意しなければならない事もある。

 命の剣は、マナを通じ、人間、動物など生きとし生けるものの傷や病を治す。傷や病を治すとは、生物が有している自己修復力を増幅させることだ。

 適切にマナを与え、治療すれば、傷は癒え、病も治癒することだろう。

 だが、一歩間違えれば、自己修復力が暴走し、傷や病が一変し、命を落とす危険性がある。

 だから、国は医者のみに命の剣を与えたのだ。

 本来、何の訓練も受けていないオリヴァが命の剣を扱うことは許されない。ましてや、彼はエリート格の役人だ。

 国家の手は清廉であるべし。是を旨とするイヴハップ前王の教えにも反する。

 そのような事も承知で、オリヴァはエイドに命の剣を求めた。


(そうだ。これは、俺の賭けだ)


 オリヴァは自らの乏しいマナ回路を奮い立たせる。命の剣は、淡い光から濃い光へと変化する。

 命の剣が、オリヴァのマナを魔獣の中へ走らせる。彼の頭の中でおぼろげながら、魔獣の体の中が映し出される。

 カシャッ カシャッ とシャッターを切るたび、魔獣の体内の映像が1枚 1枚送り込まれる。


(違う)


 カシャッ

 

(違う)


 カシャッ


(違う違う違う違う違う)


 カシャカシャカシャカシャカシャ


 オリヴァが否定するたび、マナは新たな映像を送る。

 そして、マナが新しい1枚をオリヴァの脳内に届ける。その映像はノイズが激しく、ピントがてんであっていない。ただ、ノイズの中に濃い影が点在している。


(……もっと見せろ)


 オリヴァは、マナの流れを読む。

 一部のマナはアンカーをおろし、その部位の映像を移す。カシャッ と再びシャッターが切られる。頭の中に移る映像は5つの鋭利な影。その正体を、彼はすぐに理解した。


(コレだ)


 オリヴァは一瞬息を飲んだ。けれども、すぐさま自分自身のありったけのマナを患部に送り込む。命の剣が、ドッドドドッドと音を立て、激しく、荒々しく姿を変える。光は、線となり、やがて太い筋となる。筋は、魔獣のマナ回路にもぐりこむ。

 魔獣の中にあるマナ回路が増長し、体内の回復スピードが速くなる。膨らむマナ回路は、回復と共に、すぐに体内にある異物に反応する。体は、異物に拒絶反応を起こす。異物を排出しよう排出しようと、体内が蠢く。その度、異物は、ボコボコと音を立て、傷つけていく。


「ガアアアアアアアアアアアアア」


 生ぬるいまどろみにいた魔獣。突如として体内から傷つけられる痛みに、緋色の目を更に濃くする。体をかきむしるように身もだえ、痛みから逃れるよう、地面に頭を打ち付ける。

 ガンガンと激しい音と共に、魔獣の額の皮は抉れる。地がにじみ出るように浮き上がってきた。だが、修復モードに入った体は額の傷をすぐに癒していく。


(イイイイイイイイイイイ。イノチィィィィ。命の剣ナノニナゼエエエエエエエエ)


 魔獣は血反吐を吐くように唸った。

 魔獣の髪が、小刻みに揺れる。それは、魔獣の上に立つ人物の感情がどういうものかを表していた。

 魔獣は、悔しそうに声を漏らす。自由な手を伸ばし、乾いた大地に爪を立てる。ジャリジャリと爪の中に、小石や砂が詰まっていく。擦れた指先は、短くも焼ける熱さに触れた。

 魔獣は握り拳を作ると、顔を伏せ、動くことは無かった。


ほいほいおいおいほへでくははるなよこれでくだばるなよ。」


 頭上から降りかかる声に、魔獣は反応しない。頬の抉れた声を、魔獣はどれだけ理解しているだろう。一方、オリヴァは魔獣が動かない事をいいことに、魔獣の体内で「治癒」という名の攻撃を与え続ける。


おまへはひょうひひにはなへはお前が、正直に話せばすふにかひほうしへやるほすぐに解放してやるぞこへかはのいたひからなこの痛みからな


 オリヴァの言葉の後、魔獣は顔を上げ、甲高く叫んだ。グルリと白目を剥き、ギャァギャァと煩い声を撒き散らす。激しく動くからだを、オリヴァは髪の手綱で操作する。


「やけるううううううううううう。あああああああああ、やけるううううううううあああああああからだがああああああああああついいいいいいいいいい」

(そうか。そういうことか)


 彼は納得した。だが、彼の顔に笑顔は無い。ただ、痛みに悶える生き物を冷たい視線で見下ろしていた。

 

 彼が魔獣に穿った6本は火の剣の破片である。

 魔獣討伐に赴く前夜、オリヴァはエイドに2つの事を依頼した。

 1つは、命の剣の貸与。

 2つ目。爪の大きさに割られた剣の破片を10本集める事。

 オリヴァの依頼に、エイドはいつもの通り、人当たりのよさそうな笑顔を浮かべ、

「わかりました」

 とだけ応えた。

 そして、出発前。彼は、オリヴァの願いを叶えた。

 ピンク色の鞘に包まれた命の剣と、オリヴァの爪の大きさに割られた剣の破片を渡した。

 ご丁寧にも、破片には指輪の台座が誂えられていた。


「ロサリオさん。こういうことですよね」


 エイドはそう言った。自身ありげな表情はオリヴァが出発するまで張り付いたままだった。


(俺のやりたいことを、見越していたのか)


 命の剣による、剣の破片への拒絶反応。剣の破片は押し出そうとする力と共に、体の内側を傷つける。ガリガリと内側を裂いていく事。

 そして、彼は、そこから先の事も見ていたに違いない。


(火の剣。えげつないな)


 剣の破片がある部位に到達する。それは、魔獣のマナ回路だ。剣の破片でも、マナ葉脈はある。オリヴァが命の剣を通し、送り込むマナと、魔獣の持つ己のマナ。マナ回路とマナ葉脈が接続することで、剣の破片は、剣本来の性質が引き出される。

 彼女の体内に穿たれたのは、火の剣の破片。

 火の剣。火を司る剣が、燃えるのは、ごく当たり前の事。内側から、魔獣の体が燃える。命の剣による修復力が焼けた肉を修復する。再生した可燃物を燃やすべく、火の剣は、肉を燃やす。命の剣が癒す。

 繰り返される痛みと癒し。魔獣は尺取虫のように体を震わせる。


はなふひになったは話す気になったか?」


 オリヴァの声に、魔獣は激しく頭を振る。言葉にならなくとも、意図は伝わるようだ。


いいだほう良いだろう。では、はなひへもらほう話してもらおう


 オリヴァに表情は無い。彼の冷たい眼差しは、かつて、査問会での幹部達と似ている。


あんひんひろ安心しろ。わたひは私はやふほふほまもふおとほだ約束を守る男だ


 オリヴァはこれらか、魔獣と「お話をする」と言っているが、実態は拷問である。彼は、そのような事に気づいていない。小刻みに震える魔獣を見下ろし、響くのは、査問会を受けていた時と同時期に聞いた言葉だ。


―領土の内情を王に伝え出来なければ、お飾りの筆頭侍従だ―


 コルネールの言葉である。オリヴァは、心の中で首を降る。


(違う、俺はそんな筆頭侍従ではない。王都で伝えられなかった魔獣の存在を伝えられる。キルク様にお伝えすることが出来る。トリトン村について伝えることが出来る。魔獣がスナイル国にいた。その事実を伝えられる。だから、俺は、お飾りの筆頭侍従なんかではない。俺は、魔獣を、この目で見て。この手で――)


 自然と剣を握る手が強くなる。オリヴァは心から湧き上がる声をを押し殺し、抑揚の無い声で言った。


まひふよ魔獣よおまへはなにほのだお前は何者だ

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