初夜編 利己的な爪跡17

「トルダート」


 マルトはトルダートに低く声をかけた。彼は目だけを動かす。トルダートの身体は、黒い砂が貼りついている。それだけではない。眉間から鼻筋に欠けて深い切り傷。肩口や脇腹への深い刺し傷。魔獣から受けた傷ではない。誰かに切りつけられた剣の傷があった。

 トルダートは咳き込むと、顔を背け、黒い砂が混じった唾を吐き出した。


「何があった」


 トルダートは顔をもう一度マルトへ向ける。

 黒い砂の山からもう一度声があがる。とても落胆した声であった。


「コトゥーは?」


 トルダートはマルトの問いに答えず、逆に質問した。団長は腰を挙げ、黒い砂の山へ駆け寄る。秋ほどの落胆した声の意味を知ると、そのまま持ち帰り、トルダートの頭上から声をかけた。


「先ほど、コトウの遺体が発見された」

「どのように? どのように死んでいましたか?」

「首が斬られている。私が見たのは、首だけだが、首だけで人間は生きていけないだろう」


トルダートは深いため息をついた。若い兵士たちはトルダートの反応に疑問を持った。トルダートがトリトン村へ来た理由。逗留した理由の1つは親友コトウの存在。そう本人が言った。友人であるならば、親友の無残な死を耳にし、何を思うだろう。普通の人間ならば、惜別、後悔、焦燥。親友の無念に思いを馳せ、涙するだろう。

 けれども、この男はそのような素振りは全く無い。それどころか、安堵しているように見える。若い兵士は、俄かに信じられない思いでいた


「もう一つ教えてください。コトゥーの近くに、剣はありましたか?」

「コトウの近くは知らんが、こげなもんがあったばい」


 マルトは背後を振り返る。団長が手を上げると、兵士がトルダートの傍らにあの白い包みを置いた。

 兵士は白い包みを開ける。包みの中には、2つに割れた黒い剣身があった。1つは柄についたまま。もう一つは切っ先から中ほどまでが折れている。

 トルダートは包みに手を伸ばした。けれども、その手をすぐに引っ込めた。きつく目をつぶり、文字通り、「何かの」痛みに耐える表情を浮かべる。腹の底から深い溜息を漏らす。

 彼の表情は、痛みから悲しみの表情に変わっていた。


「トルダート、何があった。何を見た。2つの顔を持ったヒヒは――」

「マルト様。これは、獣の聖剣です。そして、2つの顔をもったヒヒ。あれは私達。獣の聖剣の使い手 私とコトゥーなのです」

 

 皆、口を閉ざす。トルダートの言う事が理解できない。マルト達自警団。いや、村全体が魔獣によって恐怖のどん底へ落とされた。

 あの目獣は、トルダート達だと彼は言う。トリトン村の為、土壌改良し、富を与えた聖剣使いが、何も言われ無き村人を、自警団を容赦なく殺した。そして、マルト達も殺されかけた。


「なんで。なんでなん? なんでそげなごつしたん? トルダート」


 誰の声であろう。悲しみに暮れるものの超えにトルダートは目をつぶる。マルトは先を促さずとも、トルダートは自分の口で語り始めた。



 曰く。

 トルダートは、土の聖剣を世界に還した。そして、彼は再び世界に、新たな聖剣を与えるよう願った。土の聖剣使いであった彼は、世界とパイプがある。彼が元々持っていた聖剣を捨て、新たな聖剣を手にしたいと世界に願いを「届ける」事はそう難しいことではない。

 彼が求めたのは獣の聖剣。獣の聖剣は、人が生きられるよう、友として 供物として 。人が驕り高ぶった際、人を破滅に導けるよう引導者として大いな意思に創られた剣だ。

 彼は、憎しみに駆られた友人 コトウを救うため 憎しみの招来 商人を殺すため。二人を圧倒的な力で屠りたいと願い、獣の聖剣を願った。

 そして、彼の願いは世界に届いた。


 けれども、ここで悲劇が起こる。

 もう一人、世界に力を求める者がいた。コトウである。


 コトウはトルダートの惨殺を願った。

 コトウは不幸の原因 トリトン村の崩壊を。

 コトウは諸悪の温床 スナイル国の滅亡を。


 二人の願いは同時に世界に届けられ、認められた。

 そして、世界は二人に獣の聖剣を与えるのだ。

 トルダートには獣の聖剣の鞘を。

 コトウには獣の聖剣の剣を。


 無論、世界は聖剣を与える代わりに、二人に呪いを与えた。

 二人に与えられた呪い。それは、人でなくなる呪い。その結果が、あの2つの顔を持つ魔獣だった。


「トルダート。あの魔獣は聖剣の呪い。呪いに侵されたお前達と言うんか」

「はい」


 トルダートは周囲の視線に耐え切れず、目をつぶった。


「私は、あの日、魔獣になった。魔獣となり、この村に来ていた商人を殺しました」


 トルダートはまず、商人の首に噛み付き、顔を胴体を切り分けた。

 切った首は、机の上に置いた。彼に、自分の肉体がどう壊されていくかよく見背つけるためである。残虐な事をす為、目を背けられる恐れがある。なので、トルダートは商人の瞼を抉り取った。眼球が露出され、目を閉じることは叶わない。

 肉と臓腑が入り混じる様をトルダートは懇切丁寧に説明した。言葉ではわからないかも。と考え、時折、臓腑を手にとって教えてやり、匂いをかがせて、あるいは口をこじ開け、舌で舐めさせた。時間があれば、商人に色々と教えてあげたかったが、村人達が、コトウの家になだれ込んできたために、叶わず、仕方なく商人の首を食べた。

 これが、トルダートの最初の殺人だった。


「殺したのは商人だけやないやろ」

「はい」

「何故、村人まで、手をかけた」


 トルダートは再び口を噤む。言葉を選んでいたようだが、紡がれた言葉は結局ストレートであった。


「この村が憎かったからです

「この村が……」

「厳密には、私が憎んだ。というより、コトゥーが憎んでいました。そして、憎まなければならない理由は、皆さんご存知のはずです」


 トルダートとコトウは魔獣となり、一つの体に二つの過去を有した。身体を通じ、トルダートはコトウの過去を知った。

 父親が居ないことで、迫害されたコトウの幼少期。同年代の子供達のグループには入れず、いつも一歩引いたところで冷めた視線で皆を見つめていた。他の子供達は、大人に認められるのに、コトウは母親以外の親から認められることはなかった。

 青年に成長すれば、領主と同じ榛色の瞳をしている。コトウは領主マルトの不義の子などと揶揄されるようになった。彼は、母に噂を問いただしたが、マルトと母はそういう仲になるわけはない。と笑い飛ばした。そうだろう。もしも、マルトが領主の子であれば、彼を腫れ物に触るように接したはず。決して、邪険には扱わない。理解できたが、納得はしなかった。

 言葉を発すれば、揚げ足を取られ、行動すれば、後ろ指を差される。彼は、自分と母が傷つくことを恐れ、周囲と距離を置いた。静かに生活すれば、無駄に傷つかなくてすむと思ったからである。

 けれども、今度は、村ではなく、病が二人を傷つけた。母は、難病 ナレプシー症に罹患した。

「難病」「不治の病」「自分達に伝染する」そのような妄想は伝染し、トリトン村を飲み込んだ。村は、誰一人としてコトウ達に手を差し伸べなかった。最低限生きていけるように、田畑を与え、村の街医者ヘーグを使いにやるのみ。それ以上の事はせず、コトウの母が早く死ぬことを願った。

 言葉に言わずとも、伝わる感情。幼き頃より汚染された憎しみの土壌は限界に達した。


「トリトン村なんて滅んでしまえ。だから、コトゥーは村人を襲いました。私も理解できるので、彼を手伝いました」


 トルダートの言葉に団長の眉が動く。マルトは表情を変えず、「そうか」のみ堪えた。

 マルトはトルダートの話を聞き、コトウに謝罪するつもりは一切無い。そのような事、マルトにとって「知ったことではない」むしろ、マルトと同じ目をした者がいる事が彼の妻に知れれば、三本目の足が切り落されていたはずだ。

 

「マルト様」

「なんだ」

「コトゥーは死んでいませんよ」

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