初夜編 子羊は3度夢を見た
「■■■■■■」
声が十重二十重と響く。まるで、狭い岩室に閉じ込められたようだ。
仮に、紡がれた言葉が一つのであ出会ったとしても、反響し、重なり合う事で、言葉は姿を変える。
何を言っているだろう。と耳を済ませども、絡まり合った糸は簡単に解けぬよう、声の源流も簡単に紐解くことができない。
目の前に解がある。しかも、人間が言っている言葉だ。それなのに、何を言っているのかわからない。途端、投げ出してしまおう。という弱さが生まれた。
オリヴァはそんな許せなかった。意固地になり、必死に耳を傾ける。
苦心する彼の隣に、聞き慣れた声が寄り添う。
「何をしてるんだ?」
「聞いてください。声がするのです」
「声? 俺には何も聞こえないぞ」
短い会話だが、オリヴァの固まりかけていた心が解れていく。彼は、自然と笑いながら、声に答えた。
「我慢強く耳を傾けばわかります」
「俺は、お前ほど我慢強くはない」
オリヴァは声をあげて笑った。声の主は、自分の事を「我慢強くない」と言うが、我慢強くなければ、あの大きな冠を頭に被り続ける事はできない。彼は、自分が思っている以上に、とても我慢強い人間なのだ。
「いいえ、キルク様は、とても我慢強い人間ですよ」
主人の顔を見るべく、オリヴァは顔を上げた。戸惑った主人の顔を期待していた。しかし、得意げな顔に飛び込んできたのは、キルクの顔ではなく……。
「ロサリオさん」
エイドの顔だった。
「あぁ。良かったぁ」
エイドは心底、安堵した様子で、肩から「はぁ」と大きく息を落とす。解れた顔の目尻には、キラリと光るものがある。けれども、オリヴァは、すぐに彼から顔を背けた。視線より、わずかにしたに敷き詰められた大量の畳。背中はゴワゴワと固まっている。鈍い体と視界より、彼は自分の状態を認識した。
口の中はカラカラで、言葉を出そうにも、喉は引っ付き合っている。声を出そうと震わせば、干からびた傷口から布を剥がすよう、バリバリと音を立てる。
「痛いところはないですか?」
体調を気遣うエイドに、彼は答えない。前後不覚な状態に戸惑いつつ、首をゆっくりと動かす。くしゃっと畳に髪が擦れる音が聞こえた。もう一度、首を動かす。広い部屋だ。座卓と食器。座布団が散乱している。人の姿は、オリヴァとエイド以外見受けられない。
最後に、天井を見上げた。天地創造の天井図がある。そこで認識する。今、オリヴァ達がいるのは、宴会場である。
「エ……イドさん」
声を発したオリヴァ自身、驚くほどかすれた声だ。弱々しい声に、エイドは彼の口元に耳を寄せた。
「トランは?」
オリヴァは唾液を飲み込み、喉を潤す。「トラン」という言葉を言えた時、妙な安心感が合った。エイドは覗き込むようにして、オリヴァの顔を見つめた。
「今は無事です」
「あぁ。それは良かった」
「起き上がりますか?」
オリヴァの肩から重荷が降ろされた。任務にたどり着けた事に安堵し、彼は、目を閉じ、首を縦に振る。エイドの肩に捕まり、ゆっくりとした動きだが、上体を起こす。血液の流れの速度の変化か、一瞬、視界のピントが狭くなる。ギュルギュルと頭を締め付けるような痛みがある。普段のクセで、米神に指を伸ばした。すると、激しい痛みが、頭から全身にビリビリと走り出した。まさに、弾けるような痛み。彼は、頭ごと腕で抱え込んだ。
「大丈夫ですか? ロサリオさん」
ー忘れるなー
「患部に触れないでください」
切迫するエイドの声と重なり、オリヴァの内側から声がする。自分の声だ。ぼんやりとした視界。あやふやな記憶。ぐぐ持った声。オリヴァの仮面「ロサリオ」はなんどもオリヴァに「忘れるな」と警告する。何が言いたいかをうちなる自分問うべく、さらに、頭を抱え込んだ。
「ロサリオさん。あんな事をされたのです。生半可なた力が加えられたのではないんですよ」
「あんな事ーー」
オリヴァは何かを確かめるように、痛みのもとに触れる。米神に触れると、疼くような痛みがある。一方、痛みの周辺は、凹凸 外傷を覆う衛生用品の質感は感じられない。と言う事は、オリヴァは外傷を負っていない。と言うことのになる。内側の痛み。そうなれば……。
彼は、一つ 一つを紐解く。絡まった糸も、丁寧にほぐせば1本の糸となる。
「……。ロサリオさん。あなたもしかして」
「いいえ、大丈夫です。覚えていますよ。エイドさん」
オリヴァは抱えていた腕をほどき、エイドを見つめる。彼の中でピースがハマった。目の前にいる「トリトン村」のエイドが許せなくなっていた。
彼の目には燃え盛るような敵意が込められ、遠慮することなく、エイドに敵意をむき出しにした。
「私は、暴漢に襲われましたね」
「はい。覚えていらっしゃるのですね」
「……。私が襲われた時、特段、誰も慌てる様子はありませんでした」
「そうでしょうか」
「はい。慌てる様子と言うより、慌てる必要がない。と言った方が適切です」
「何故です?」
「何故って。私とトランを何が何でも離す必要があるからです。トランは、体調を崩していこう、私から離れる事はない。いえ、日常生活を送る中であれば、私とトランを離す事は出来ますが、それでは不十分です。何かしらの要件を満たさないと、離す事は許されなかったのです」
コンラッドには、イヴハップが禁じた初夜権行使の疑惑がある。もしも、彼が初夜権を行使しているのであれば。彼はオリヴァとベルに結婚式をあげてもらいたい。と願うだろう。いや、何が何でも結婚式をあげてもらいたい。早急に夫婦となってもらいたい。夫婦となった日でなければ、「初夜」ではない。二人は、結婚式をあげ、本日、夫婦となり、今夜が「初夜」である。幸い、ベルはオリヴァとの誓いのキスで失神した。
コンラッドに二人を引き剥がす、千載一遇のチャンスが訪れる。ここぞとばかりに、暴漢に合図を送り、オリヴァを襲わせた。
と言うのが、オリヴァの考えである。
オリヴァの自説に、エイドはうんうんと頷いた。
「あなたの考え、正解と言うつもりはありません」
エイドはにこやかに答えた。
「いい頃合いでしょう。お話をしましょう。私が、コンラッド様に託された任務。あなたに受けてもらいたい試練の話について……」
「私が……試練を受ける?」
彼にとっては予想外の展開だった。困惑する彼を尻目に、エイドの話は進む。
「えぇ。あなたが村人となるために、何故、試練を受けなければならないのかを……。知りたくはないですか?」
エイドはオリヴァの手に自分の手を重ねる。自分は貴方に危害を加えない。その代わり、貴方も私に危害を加えるな。という意思出会った。オリヴァの敵意の眼差しは変わらない。
「この村は、ロサリオさんもご存知の通り、土の聖剣使い、トルダートとコトウさんの物語の村です。この肥沃な土地も、土の聖剣の恩恵によるもの。それを、私たちは今でも信じています」
「それで?」
「世界に散らばる12本の聖剣の恩恵に我々は与る事が出来ました。我々は、その一握りの人間です。ですが、誰かが恩恵を受ければ、自分も欲しいとねだるのが条理でもあります。聖剣の加護に与った村。その話は、瞬く間に国中に広がり、何も知らずに、ただ、聖剣の加護欲しさに、移住を希望する人が多く現れました。しかし、小さな村です。多くの人を受け入れるほどの余裕など、当時の私たちにはありません」
一人前のケーキを、多くのものがとりあえば、取り分は減る。ケーキが美味しいと知れば、ケーキを独占したいのが人の常である。エイドの口調は、「当時の自分たちには余裕がない」で済ませているが、結局のところ、どこにでもある利権の独占だ。王宮でもよく聞く話。王宮で聞く話がこのような辺鄙の村に無い。ということはない。オリヴァは小さく鼻を鳴らした。
「なので、我々は、新たに村人となる者には、等しく、試練を与えてきました。聖剣の加護を我らと共に享受するに値する人間なのかどうかを調べるために」
「待ってください。それでは、私の試練というのは始まったのですか?」
「ロサリオさん。いつからではありません。もう、始まっていることです。過ぎた子事を探っても何もなりません」
「じゃぁ、あの暴行も試練なのですか」
「そうとしか言いようがありませんね。だから言ったでしょう。ロサリオさん。貴方の考えに、正解と言うつもりはないと」
馬鹿らしい。心の中で一蹴した。「暴行」と言う手段を正当化する為に、「試練」を根拠とした。村の立場であれば、「仕方がない」で住むかもしれない。だが、反対の立場の者にとっては、たまったものではない。これから先、「試練」や「教育」にかこつけて、暴行が正当化される事もありうるのだ。
「試練であるから、全て受け入れろ。は暴論ではありませんか? これでは、あまりにもーー」
「良いのですよ。断っても。トランさんはどう思われるかわかりかねますが」
オリヴァはエイドを鋭く睨んだ。
コルネールの設定では、トランはトリトン村の物語に憧れて、二人で駆け落ちをした。ロサリオが試練を断れば、トランの二人でトリトン村で生活する。という夢を壊してしまう。また、オリヴァにしてみても、ベルが成果をあげるまでは、この村に止まり続けたい。ベルの任務が円滑に行われるためにも、彼が自分勝手に村の意向に反する選択を取るのは、適切ではない。
「すいません。少し、熱くなりました」
つまり、オリヴァは折れるしかないのだ。
「別に構いません。それで、試練についてですが。元来、試練は領主が考えます。試練を突破し、村人として生活する者もいますし、命を落とす人がいます。危険度は高いと言えます。それでも、貴方は任務を受けますか? 貴方が聖剣の加護を受ける人間であると証明するために、任務を受諾しますか?」
オリヴァは奥歯をぎりりと噛み締める。あるべき場所へ戻るため、彼は心を決めている。屈辱的な選択。彼は、首を静かに振った。
「よろしい。ではーー」
「その前に、1つ質問をさせてください」
遮るように声を挟んだ。マナー違反であるが、エイドはさして気にする様子も見せない。オリヴァの質問も快く受け入れ、手のひらを差し出した。
「エイドさん。貴方は本気で、今でも、僕はトリトン村から代々伝わる試練というのを受けなければならないと思いますか?」
エイドの笑顔は張り付いたままだ
「気分を害さないで下さい。この村には、若者が少ない。労働という観点で言えば、一人でも若者は欲しいはずです。試練やら、何やらで、選抜する余裕はこの村には無いと思います」
「試練という言葉におじげづきましたか?」
「どう思われようと構いません。ただ、僕はふと疑問に思ったのです。若くして医者になった聡明な貴方は、村の試練につい手の合理性に疑いの余地があると思っていませんか」
オリヴァは最後にエイドの立場も踏まえ、「誰にも言いません」とつける。彼の真面目な顔とは対照的に、エイドの細い目が綺羅星のように輝いた。彼は立ち上がると、拳を握り、振るい上げるようにして口を開く。今までにない荒々しい仕草だ。
「私も、新たな村人を受け入れるのに、試練は必要ないと思います。ただ、新たなものを受け入れる。という事は、変化を許容することになる。変化とはとても痛く、見知らぬ故に恐ろしいものです」
エイドの演説に心当たりはある。人は、痛みの前に臆病だ。だから、痛みのない道を選びただがる。痛みを伴う道を指導者が選択すれば、国民は総じて指導者を批判する。その批判の矛先を王にするのか、別の個人にするのか。それが腕の見せ所。とコルネールがハシムとキルクに熱く語っていたのを思い出す。
コルネールは、二人に痛みを求めた。
トリトン村は、理由をつけて痛みを拒否した。
「どうせ、自分が痛むのならば、他人の痛みを知らなければ、割りに合わない。それが村の総意です。私は、その総意をおかしい、と断罪する事は出来ません。だって、人として当たり前ではないですか」
オリヴァの肩に、手が置かれた。
その手の生易しさをオリヴァは知っている。脳裏に映るのは、オリヴァを失脚させた張本人の顔。
「見せて下さい。ロサリオさん。貴方の覚悟を。私は、貴方に興味があるのです。貴方の決意 生き様全てが! 外部の人間が
オリヴァは、エイドとの会話を放棄した。オリヴァの考えとエイドの考えは離れている。この狂気の前で、彼は唾液を飲み込み、虚勢を張るのが精一杯だ。
「それで? 試練とはなんですか」
「物語の定石。バケモノ退治ですよ」
クラクラと
眩眩とオリヴァの世界が回っていく。
エイドの高らかな笑いに、オリヴァは引きつった笑いしか出ない。魔獣ではなく、バケモノ退治。物語に支配された国は、他人に物語を強要する。
引いたくじは最悪であった。
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