第109話 もう夢を見続けるのは終わりにしましょうか

 危うく島から転落するところだった私は、ドラゴンの姿になったミュウちゃんにばっちり救出されていた。

 そこでやっと私は正気に戻り、さっきまでの謎のテンションに震え上がる。


 前にもあったけど、自分を異常だと思えない洗脳のような状態だった。

 裸の結奈さんも幻覚だったみたいだし、いったい何だったんだ?

 催眠魔法のようなものをかけられたのか、それともこの空間自体にそういう力があるのか。


 雪ちゃんはよく自分で正気に戻れたなぁ。

 ミュウちゃんなんか最初からかかってなかったみたいだし。

 それに比べて私ときたら情けない。


 浜辺へ戻ってすぐにミュウちゃんは人の姿に戻り、私はがっくりとうなだれた。


「あはは、楽しかったねぇ」

「あはは……」


 そうだね、楽しすぎて飛んじゃったよね。

 こんな調子で大丈夫なのか私たちは。


「とりあえず気を取り直して先を進みましょう」


 雪ちゃんが私を元気づけるように声をかけてくれる。

 やさしい笑顔が心に痛い。

 それでもここでずっと立ち止まっている場合じゃないから先に進まないと。


「そうですね、行きましょう」

 

 私たちは海を離れ、橋から続いていた道に戻る。

 いつの間にか着ていた水着は、正気に戻ってしばらく経ったら元の服になっていた。

 本当によくわからない時間だったなぁ。


 再び歩き始めた道はただまっすぐに伸びていて、その先には円状にお花畑が広がっている広場のような場所が見える。


 さらにそのむこうにはまた橋が架かっているようだった。

 ただそのむこう側がぼやけてよく見えない。

 橋が途中までしかないように見えるのは、ここからだと遠いからだろうか。


 しばらく歩いて円状のお花畑がある道に足を踏み入れると、その真ん中の広場に人が倒れているのを見つけた。

 慌てて駆け寄って抱き起すと、なんとそれは芳乃ちゃんだった。

 さらに隣には杏蜜ちゃんの姿もある。


「なんでふたりがここに……」


 門は雪ちゃんが閉じていたはずだし、そもそもここに来る手段がないはず。

 いったいどうやってここまで来たんだろう。


 もしかして連れてこられた?

 まさか夢魔の女王がまた現れていたとか。

 でもなんでこんなところに倒れているんだろう。


 連れ去っていたら何かに利用するはず。

 だとしたらやっぱり何らかの手段でここにやってきたってことか?


「ふたりとも眠っているだけみたいですね」


 雪ちゃんがふたりの状態を確認し、無事だと判明した。

 とりあえず一安心か。


「でもどうしましょうか、ここに置いていくというのはちょっと心配ですね」

「連れていく方が危険かもしれませんよ。それにふたりを抱えながらでは私たちも動きが遅くなってしまいますし」

「そうですよね……」


 私は置いていくことに不安を感じたけど、確かに意識のないふたりを連れていくのも危険だ。

 ふたりをこんな目に遭わせた相手がこの先にいるかもしれない。


 まだここなら安全かもしれないし、このまま寝かせておく方がいいか。

 私たちはそう判断し、床に倒れていた二人を近くのベンチの上に寝かせてから先へむかう。


 その先には橋があり、遠くから見た時にぼやけていた橋のむこう側は結局存在しなかった。

 橋は途中までしか架かっておらず、そのむこう側は空間が揺らいでいる。

 また別の空間へとつながっているのか。


 覚悟を決めて、むこう側へと踏み込むことにした。

 一瞬光のせいで目の前が見えなくなり、目を開けるとそこには見慣れた世界が広がっていた。

 それは私たちの現実世界だ。


 ただ空は例の不気味なピンク色に染まっていて、辺りには人の気配がしない。

 場所はちょうど雫さんの住む家の近くくらいだ。


 なんであそこがこんなところに繋がってるんだろう。

 しかもミュウちゃんが普通にこの世界で存在できている。

 もしかして似せているだけでここも夢の世界なのだろうか。


 何もわからず三人で立ち尽くしていると、すっと私たちの前に一人の女性が姿を現した。

 夢魔かと思って武器を構えたけど、それは結乃さんだった。


「結乃さん? なんでこんなところに……」


 私の声が届いていないのか、結乃さんは何の反応もなく私たちのことを見つめていた。

 ただいつものような笑顔はなく、少し悲しそうな表情をしている。

 そしてゆっくりと口を開き、小さな声で語り始めた。


「夢魔の世界も夢の楽園も、どちらも夢の中。これから人は現実の世界を失い、夢の中だけで生きる存在になる」

「え?」


 ということは、やはりここは現実の世界で、ついに結界を越えて浸食が始まってしまったということか?


「でもそれは決して不幸なことではないと思います。夢の中なら願いは叶いやすいし、つらいことから逃げることも簡単ですから」


 それはそうかもしれない。

 だから私は夢の世界に来た時、すごく楽しかった。


 つらい現実を忘れ、楽園のような場所で幸せな時間を過ごすことができた。

 こんな時間が続くなら現実を捨てることなんて大したことじゃないと、あの時は本気で思っていたんだ。


 でも楽園のような世界で心が癒えていくにつれて、私が本当に求めていた幸せの形がわかった。

 だから私はこの世界を、現実の世界を救いたい。


「この世界を渡してしまえば夢魔たちとの境界もはっきりして、お互いに干渉することを避けることだってできるかもしれない」


 いや、違う。

 きっとそれじゃダメなんだ。

 夢を見ているだけじゃ本当に幸せにはなれない。


 夢の世界がどんなに幸せでも、夢である以上は夢魔から逃げることはできないから。

 境界や干渉ということではない。


 現実だけが唯一本物になれるんだ。

 この世界を夢魔に渡すわけにはいかない。


「結乃さん、私は現実世界で生きていきます」


 私は結乃さんにはっきりと自分の意思を伝える。

 これが私の出した最後の答えだ。


「そうですか……」


 結乃さんはそれを聞いて少し寂しそうに笑った。


「もう夢を見続けるのは終わりにしましょうか」


 続けてそう言った結乃さんの表情は、今まで見たことないようなもので、私は少し後悔してしまいそうになる。

 でももう終わりにしないといけない。


 夢はどこまでも理想を追い求められる。

 だからいつまでも終わりを見つけることができない。


 幸せを追い求めるのは悪いことではないけど、自分がすでに持っている幸せに気付くことが大事だと思うから。


「ごめんなさい、結乃さん」

「いいんですよ、私ももう疲れちゃいましたから。今度こそうまくいったと思ったんですけどね……」


 確かに夢の世界はうまくいっていたような気がする。

 夢魔の存在さえ入り込んでこなければ、幸せに暮らしていける素晴らしい世界だったはず。


 やはり夢はずっと夢のままじゃいけないのかもしれない。

 夢は現実になって本当の幸せになる。


 でもいつからこの世界は夢を見ていたんだろう。

 世界が夢から覚めた時、そこに私は存在するのだろうか。

 もしかしたらずっとずっと昔から世界は夢の中にあったなんてことがあるかもしれない。


 そんなことになったら私は何のために頑張ってきたのか。

 きっとそんなことにはならないと信じるしかないよね。

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