第57話 城
アラートンは食糧庫の中でソードストールに向き合ったまま、話の先をうながした。
「……白羽の矢とは、己が故郷の島に伝わる、九頭竜という魔物の古いならわしだ」
それは名も知らぬ遠い東方の、小さな国の伝説であった。
その島では、九頭竜という魔物が人家を選んで狙いを定め、白い矢羽の矢をはなつ。
屋根に矢が刺さると、その家は娘を人身御供として、九頭竜へ差し出さねばならない。
「……その発展が聖痕だというのか」
アラートンにも、にわかには信じがたかった。
「しかり。代わりがいる魔王より、さらなる強大な、世界の根幹にかかわるほどの存在が、生贄として選んだ証ということだ」
「もし、そこまで巨大な存在がいるとするなら、生贄を求めるというなら、それは魔物というより……」
……神に近い。
「生贄を求める存在と、生贄の最後については、誰も見ず、聞かず、知らぬ。好奇心を持てば、その者が次の生贄となる。累が及ぶことを恐れた周りの者どもは、生贄を集落から放逐する。その者は魔物を倒す孤独な旅に出ざるをえぬ。これが勇者という、まつろわぬ旅人の始まりだ」
アラートンは、聖痕を持っていた勇者の歴史を思い返した。アキレウスやジークフリート、どちらも聖痕が弱点となって死んだ。
つい先日にアラートンがシュナイへ語ったオイディプス伝説にしてから、魔物に呪われ放逐された勇者の物語だった。テセウス伝説も、自らの意思でとはいえ、魔物の生贄として迷宮に入った勇者の物語だった。
そしてアラートンはケンプのことを思った。それなりの武術こそ備えていたが、学んだことを実践する経験は明らかに欠けていた。勇者の証があるからと、きっと冒険に送り出す建前で放逐されたのだ。型通りの修行だけですまされて。
しかしアラートンは疑問もおぼえた。
具体的に目にしたことと、ソードストールの説明とで、合致しないところがある。
「だが、魔物にも聖痕はあった。そうだ、俺は竜の鱗に印があったのを知っている」
アラートンの問いに、ソードストールは率直に答えた。
「人と人が争うように、魔物と魔物も争う。九頭竜らが求める生贄も、人ばかりとは限らぬ。それだけのこと」
考え込んだアラートンを見つめ、ソードストールは言葉をついだ。
「魔物も人の言葉になぞらえて勇者となり、旅をする。魔物が種族の名を人の言葉から借り受けることと同じく。そして生贄にならずともすむよう、自らの価値を認めさせんがため、人と戦う」
「そうか、聖痕が勇者の証という考えが間違っているわけではない。印と立場、その主客の転倒が誤解ということか。生贄だからこそ、差し出されるまでは強大な力によって守られ、死ににくい。だから奇跡のように激しい戦いでも生き残ることができる。そういうわけなのか」
「あるいは、そうやもしれぬ。そこまでは、知らぬ……」
「しかし、なぜそこまで聖痕のことを知っている。名前も知らなかったというのに」
「その刀にも白羽の矢が刻まれ、よく見知っていたからよ」
あわててアラートンは握りしめていた刀へ目をやった。
刀身を見ると、根元に模様のような文字で銘が彫ってある。
意味を読みとることはできなかったが、その最後に薄っすら浮かぶ印は、たしかにシュナイの喉元にあったものと同じ形をしていた。
「肉体でなくても刻印されるのか……」
アラートンは刀から目を離し、ソードストールを見やった。
「……しかし、そっちもこの印を持っていたとはな」
「己が生贄に選ばれた意味を見きわめんと、旅をしていたにすぎぬ。西方の果てにも印があったと知った時は驚かされたものだ」
「この刀を持っていれば、いつか俺も贄となるわけか」
「恐れるなら、捨てるなり売るなりすればよい。だが、きっと己の旅は刀を其方へ渡すためにあったのだ。今はそう思える」
アラートンはため息をついた。
聖痕とやらに高い価値があると感じてはいなかったし、勇者という称号にも偉大さを感じてはいなかった。
それでも、あまりにも印の価値が無意味にすぎた。物語に残ろうとして命を賭した者達が、さすがに哀れだった。
この話をジョンフォースが知っていれば、あるいは別の道が開けたかもしれない。
だが、何もかもが手遅れだとアラートンは感じていた。ジョンフォース団が無事に戻ってくる可能性は少ない。
「……これほど話したのは、久しくなかった……しかも相手が人とは……」
ソードストールが弱々しい声をもらし、それきり何もいわなくなった。
アラートンは魔物に背を向け、食糧庫を出た。
出入り口の横で、エイダが壁に隠れるように立っていた。
「焼こうか。念のため、食糧庫ごと」
エイダは無言でうなずいた。
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