第55話 城
庫内をのぞくと、ソードストールの頭部が暗がりにあった。
深い焦茶色だった笠はしなびており、ほとんど普通の茸にしか見えない。食べる気になれないほど巨大なだけだ。
「完全に死んだかな?」
「……長くはない」
弱々しい声で返事があった。
「見くびってすまぬ。人を信じられなんだのが敗因だ。幼子を人質にするような者ではないと、刀を合わせた時にわかっていた」
アラートンは肩をすくめた。
「俺は別に聖人君子じゃないさ。人質を使えないように思われることこそ、こちらにとっては見くびられた気分だ」
ソードストールが押し殺したような声で笑った。
「いずれにせよ、己が完敗よ。残念だが再戦の機会はなかろう」
「茸の本体は、地中や樹木へ根をはる菌糸だものな。マントを焼いた時点で、やがて首も枯れる運命か」
「この笠から胞子が飛べば、子ができるやもしれん。とどめをさすなら、倉ごと焼くがいい」
「そうさせてもらうよ。……ただ、一つだけ聞いてみたい。マリヤウルフの村に、旅人の女が囚われていないか。もしいたら、その生死について知らないか」
「ジャニスという名か」
「そうだ」
「ともに村を守っていたメリュジーヌのシュナイが、どうやら情を移していた。夜明け前に牢から救い、村を去らんとしていた」
その話にアラートンは驚き、少し安堵した。
「監視していたのか」
「同志には教えておらぬ。見届けてはいないが、おそらく無事であろう」
「……そうか、助かったか」
考えてみると、ジャニスをシュナイが助けることは、しごく当然のことに感じた。
死にかけていたシュナイを運んだ黒い川も、正体はアイアンサンドゴーレムだと推察していた。
ともに戦った魔物として、やはりマリヤウルフの村で身を寄せあったのだ。
ソードストールが興味深げにアラートンを見上げた。
「人魚の血肉で人は不死になると聞く。なるほど
「まあな。俺の卑劣ぶりに幻滅したかい?」
「否……逆鱗を奪いとった其方は、意図ならざるにせよ、呪いを打ち消した。感謝こそすれ、恨みなどせぬ」
アラートンは意味がわからず首を傾げたが、それ以上の追求はしなかった。
とりあえず、先に気になっている用事をすましたかった。
「それでは、全て燃やす前に刀をいただこうか」
食糧庫へ足を踏み入れると、小麦粉と石灰がいりまじった白い埃が巻きあがった。
目を細めたアラートンは、積まれた袋の隙間へ手をのばした。しばらく探って、小麦粉の衣が二重三重にまとわりついた刀を取り出した。幸い、石灰はさほど付着していない。
刃の根元を叩き、表面の乾いた衣を割る。割れた隙間から水がこぼれ落ちた。衣に包まれたまま刃が生み出した露で、はりついた小麦粉が溶けている。
少し力を入れると、あっさり衣から刃が抜けた。水気を吸って固まった粉は、白い鞘のようだった。芯となっている刀を抜いたことで、すぐに鞘は崩れたが。
「銘刀だ。大切にしてほしい」
刀をながめるのもそこそこに、アラートンは油断せずソードストールに向きなおり、苦笑した。
「あれだけ苦労して手に入れたのは刀一本か」
竜の鱗の対価もえられず、竜の血の効果を消費して、命をかけて戦った代償としては、あまりに少なすぎる。
「それに、聖痕の差分も請求できないままだしな」
「……聖痕だと」
つぶやいたソードストールの生首をアラートンは見下ろし、答えた。
「ああ、勇者の証といわれている染みや痣のことだ。刀や鱗よりも価値がある。シュナイの逆鱗にもあっただろうに、何も知らないのか?」
「斬った時に、ジョンフォースが落とした逆鱗は見たが……」
ややあって、ソードストールがふくみ笑いをもらした。
「なるほど、勇者の証か。あれが聖痕か。実に愉快だ」
「何か知っているのか?」
「見たことがあるなら、それが矢羽に似ていると知っていよう」
ソードストールの問いにアラートンは首肯した。
「そうだな、黒い矢羽に見えないこともない」
「それも誤りだ。聖痕なるものは、白羽の矢だ」
ソードストールは白濁した一つ目でアラートンを見上げた。
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