第49話 城

 エイダは反射的に杖をかかげようとしたが、指がゆるんで取り落としてしまった。

 右手の甲から指先にかけて生じている水疱が激痛をもたらした。グローリーが最期の瞬間に与えた傷だ。


 エイダの唇が薄っすらと開く。

 しかし詠唱の言葉は間に合わない。

 口が縦に裂け、顔面に小さな赤い逆十字を作った。

 いっぱいに伸ばした刀の切っ先が、のけぞるエイダの顔へとどいたのだ。

「……浅い」

 つぶやいたソードストールは崩れて低くなっている城壁へ降り立った。マントがふわりと広がり、焦げた臭気がただよう。

 ソードストールはすぐさま中庭へ跳躍し、エイダの喉笛を刺し貫いた。

 女僧侶の表情が驚愕に変わり、すぐに眉をひそめた。今にも泣きだしそうな表情だった。

 エイダは両手を天へ伸ばすように広げ、そのまま倒れて後頭部を地面に打ちつけた。


 動きを止めたエイダの喉から、ソードストールは刺した刀をねじりながら引き抜き、かまえをとった。

 マントのような菌糸が風でめくれあがる。細身の体が水分を失い、枯れ木のようになっていた。焦げた臭いは黒ずんだ足首から発せられていた。

 ソードストールは降ってきた一本の矢を立ち止まったまま刀で払った。矢は両断され足元に落ちたが、昨夕よりソードストールの動きは緩慢で、走って避けることもしなかった。

 弩をかまえたアラートンが、見張り台から中庭へ発射しながら、叫んだ。

「南の城壁から離れろ、投石が来る!」

 直後、城壁を打つ鈍い響きがして、細かな煉瓦の欠片が中庭へ降ってきた。

 崖下にいるアイアンサンドゴーレムが、昨日の小川で見せた技を応用して、山裾に転がる石を発射していた。

 ソードストールも岩と同じく、電気と磁気の力で崖下から城まで打ち上げられたのだった。


 しかし投石に城壁を越えるほどの力はないらしく、断続的な打撃音が城壁の下部を通して聞こえるばかり。

 いくつか城壁の切れ目を越えてきた石も小さく、さほどの威力はなかった。

「投石は援護の威嚇だ、目前の敵へ集中しろ」

 ジョンフォースの言葉を受け、次々に団員が武器をかまえていく。

 昨日の激戦を生き抜いただけあって、特に戦い慣れした者ばかりが残っている。

 その姿は緊張感にあふれ、酔いを残しているようには感じさせない。

 ソードストールは後ずさった。その背後に崖がある。

 投石を終えたアイアンサンドゴーレムは早々と姿を消していた。


 アラートンは弩を捨てて槍を握りしめ、見張り台を飛び出る。

 城壁上の回廊を走り、昨夕とは逆に、斜めに崩れた城壁を滑るように降りた。

 動きを止めているソードストールへ向かう。


「こいつ、どう見ても本調子ではないぞ!」

 一声叫び、一人の団員が長槍をふるった。

 横から叩きつけるように水平に回された槍の穂先をソードストールが避けて、そのまま城壁をそうように走り出した。向かうのは城壁の東側、食糧庫と城門がある場所。

 次々に弩から放たれる矢が城壁に当たり、はじかれて鈍い音を出す。三人の射手の背後に別の三人が控える。控えた者は、張りつめた弦が伸びきれば射手の代わりに全身を使って引き、撃ちつくすたびに矢を与えた。強力な弩をそろえていたので、何本かの矢は杭のように煉瓦壁を砕き、壁へ刺さった。

 ソードストールの本体にこそ命中しないが、背後へひるがえる菌糸が千切れていく。


 弩を交換して、かまえ直した射手が目をしばたたかせた。

「……おい、速くなっていないか」

 枯れ木のようであったソードストールの手足が、いつしか張りを取り戻し、徐々にふくらんでいるように見えた。

 最初は小走り程度であった動きも、今は疾駆と呼ぶにふさわしい速さとなっている。

 食糧庫前を通りすぎ、大回りするように尖塔へ向かう。


 しかしすぐにソードストールは足を止めた。

 眼前に、宴で使っていた椅子が乱雑に積まれ、即席の障壁となっていた。椅子の足や背もたれが不規則に飛び出て、ただの高い壁よりも越えづらい。

 弩を持たない団員達は槍をかまえ、遠まきに囲い、ソードストールに圧力をかける。その槍は穂に布を巻いて油をかけ、火を点けていた。そのような即席の火攻め武器でも、菌の魔物には効果的であった。

 南東へ押し込まれたソードストールに向かい、アラートンをふくむ四人が槍をかまえて突進した。槍ぶすまがソードストールを食糧庫の方へ追い込む。

 ソードストールは二本の穂先を根元から切り落とし、アラートンが突き出した槍の穂先を脇へはさみ、逆に引きこんだ。そのまま背後の食糧庫へ後ろ向きに跳ぶ。

 ソードストールは刺し違える相手としてアラートンを選んだ。


 木製の扉が破れ、アラートンとソードストールは互いにもつれるように食糧庫へ転がりこんだ。

 吊るされた干し肉や干し玉葱が体にぶつかり、床に薄く積もっていた小麦粉が舞い上がる。

 庫内は高く袋が積まれ、天井から道具や食糧が吊るされ、ソードストールが刀をふるうには狭すぎる。

 穂先を切り落とされた槍が床に落ちた。穂に巻いた布の火も消えている。食糧庫まで引きこんだ直後にソードストールが切り落としていた。

「どうだ……ここなら……」

 槍を手放して笑ったアラートンが口を閉じ、頬を破裂しそうなほどふくらませた。薄く開いた唇から新鮮な血が霧のように噴き出す。

 穂先を切った際、ソードストールは返す刀でアラートンの腹部も切り裂いていた。

 アラートンはたっぷりの血を吐き、あえぎながら膝をついた。

「つまらぬ」

 ソードストールは刀をふり、血を落とそうとした。

 何度も刀をふった後、いぶかしげにソードストールは刀を見やった。血と脂で濡れた刃に、舞い上がった小麦粉がこびりつき、鈍く重くしていた。


 血反吐を吐きながら、アラートンが小袋を投げつけた。ソードストールは無言で切りさばく。いくらか小麦粉がこびりついたくらいで、ソードストールの刀が鈍ることはない。

 宙で切られた小袋が破裂したかと思うと、内部から撒き散らされた粉が降った。

「……目潰しにもならぬ」

 さらに、いくつも小袋が投げつけられ、小麦粉が層をなすように刀身で固まり、分厚いころもを形作っていく。しかし剣先の勢いが衰えることはなかった。

 外から差し込む光に刃がきらめき、小袋だけでなく周囲に積まれた麻袋からも粉がこぼれだす。投げつけられる袋をさばくため、どうしても切っ先が袋を切り裂いていた。


 粉は刃だけでなく、菌糸マントかさにも降り、ソードストールへ積もっていく。

 袋の切り口から勢いよく粉を吐き出すのは、もちろんソードストールの周囲だけで、アラートンのいる位置にはほとんど降っていない。

 人間ならばマントを脱げば身軽になれるだろうが、本体である菌糸を茸の魔物が捨てられるはずもない。

「熱い……これは……」

 急にソードストールが動きをにぶらせた。降り積もった粉が水分を吸って熱を発し、小麦粉とは比べ物にならないほど重く大きな塊となって、魔物の強靭な肉体を拘束する。

「……石灰か」

 小麦粉をつめた小袋は、たしかに目潰しであったが、同時に真意を悟られないための陽動だった。

 ただでさえ薄暗い食糧庫に、様々な食糧の臭いがただよう。何が降り積もっているのか気づくことに遅れたのも無理はなかった。

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