四幕 決意の朝

第48話 城

 まだ太陽は顔を出していないが、薄曇りの空は青みがかっている。

 宴に興じていた団員のほとんどは、中庭の卓上に汚れた食器や食べ残しを並べたまま、眠りこけていた。

 起きているのは二人だけ。周囲が騒いでいた時に目を閉じて休んでいたジョンフォースと、見張りを交代したワァフであった。


 蝋燭の光をたよりに日誌を書き終え、ジョンフォースが目頭めがしらをもんだ。

「……なあ、憶えているか。特別な聖痕、運命の印のことだ。あれが何に見えた」

 そう副団長に問いながら分厚い日誌を閉じる。

 日誌の表紙にふられた数字が二桁に達していることが、書きつづられた日々の長さをあらわしている。


 ジョンフォースの問いかけに、薄い麦酒を飲みながら、ワァフが答える。

「獣か花か、と聞いた通りに見えました。ですが、そういわれて初めてそう見えるという程度でしたな」

「魔物を倒す勇者の印が獣の形をしているだろうか。ならば、まだしも手向けの花、凱歌の花がふさわしい」

「そうかもしれませんな」

「しかし個人的な印象だが、あれは矢羽ではないかと思うよ」


 ワァフは首をかしげた。

「武器、ですか?」

「あのアラートンとやらが言っていたことも、あるいは正しいのかもしれん。勇者の証などではなく、どの勢力であれ戦いで最後に勝利者となる運命を示している。そう考えれば、魔物が持っていたことにも、少しは納得がいく」

 ワァフは白い顎髭をなで、考え込んだ。それを見てジョンフォースが微笑み、黒髭の間から白い歯をこぼれさせた。

「そう難しく考えずともいい。どちらにしても取り返せばいいのだ。マリヤウルフと村の守り手を全滅させれば、ゆっくり探せる」

「全滅……させられましょうか」

「敵の手の内は全てさらさせた。あの状況での奇襲ならば、まず全ての戦力を投入していたと考えていい。途中で襲ってきた魔物が、そのまま追撃して城の攻略に来たくらいだ」

「なるほど、他に戦力があれば、その魔物に城攻めを分担させたはずでしょうな。我らが帰還する前に城が攻撃されれば、ひとたまりもなかったでしょう」


「まず、すでにグローリーは倒した」

「ブロッケン山に出るという魔物の、イングランド語名とか。種が割れれば、さほどではありませんでしたな」

「ローブアーマーも亡霊の一種だ。動きも遅く、加護術さえあれば恐れる相手ではない」

「ソードストールとやらは、いささかやっかいです。客人の女僧侶に聞きましても、知らない様子でした。しかし剣の種類から、はるか東方から来たのではないかと」

「アラートンが茸の魔物と明かしてくれた。昨夕の戦いで、強力な弩であれば通用することも確かめられた。あの動きは身が軽かっただけのこと、おそらく力は見た目ほどではあるまい」

「見張り台で客人殿と言葉をかわした時、湿気がどうとか、小麦粉がどうとか、何やら語っておりました。問いただそうとすると煙に巻かれ、きちんと聞けませんでしたが……」

「思いつきの奇策など不要だ。難しく考えずとも、遠巻きにして炎で焼けば良かろう。正体が割れれば、いくらでも料理できる」

 夜の間ずっと中庭を照らしていたかがり火へジョンフォースは目をやった。

 かがり火はほとんど消え、城壁にかこまれた中庭は暗い。だが朝の冷たい空気に覚醒したのか、馬達の小さな鳴き声が聞こえてきた。

 厩舎に目をうつし、ジョンフォースが再び口を開いた。

「城に来なかった魔物で、まずはデュラハン。首がないという特徴ははっきりしているが、体は鎧騎士とも馬車に乗る女ともいわれている。見たところ中間の、馬車に乗る鎧騎士といったところだったが」

「川を越えてきませんでしたな。馬車を引く首なし馬、コシュタバワーが水を嫌うと伝承にありますが」

 たいていの魔物は、呼称の元となった伝承と、全く同じではないにしても、やはり似た特徴を持っていることが多い。伝承は魔物と遭遇した人間が残した記録の断片なのだ。

「弓で攻撃してきたが、その範囲も川を越えられないなら狭められる。むろん伝承を過信することも危険だがな。逆に水妖もいたが、川を越えてこなかった」

「メリュジーヌと報告されました。おそらくは川を容易に超えられるからこそ、守り手として残ったのでしょう。見たところ、他に水辺が得意な魔物は見当たりませんでしたから」

「人を愛するという珍しい魔物か」

「それは、あくまで伝説の話ですが……わかっている限りでは、手なずけることは可能なようです」

「目撃した者が美しさを称えていたな。鱗に覆われた肌は艶やかで、人魚の美しさに竜の気高さを持ち合わせている姿と聞いた。なれば欲しい」

「メリュジーヌは希少です。捕らえられれば高値で売れるでしょう」

 ワァフは淡々といった。アイアンサンドゴーレムの援護として戦っていただけであり、丈夫な鱗も全身を覆っているわけではない。倒すことは容易だと二人は判断した。

「アイアンサンドゴーレムは初めて見たが、ゴーレムの一種には変わりないだろう。額に刻まれた真理という単語を変えれば、土くれに返るはずだ」

 すでにゴーレムとの戦いは何度も経験していた。その度に伝承の正しさを確認している。

「ヘブライ語で真理と書かれていたのではなく、イングランド語で生存するという言葉……EXISTと刻まれていました。伝承の方法をそのまま適用はできませんな」

「ならば、Sの一文字を消せば、EXIT……出入りする、死ぬという言葉になる。あの強さと巨大さで文字を消すのはつらいが……いや、村の細い道へ入りこめば、逆に大きすぎて動けなくなるか。身動きがとれなくなった相手なら、わざわざ戦う必要すらない」


「残った団員は我々をふくめて十三名。馬はわずか八頭。客人の協力が得られれば、少しは助かりましょうが……」

「女僧侶は期待できるが、勇者は無償で協力するような男ではない」

 ワァフも嘆息した。

「若い冒険者でありながら、あれほど野望や夢を失っているような者は見たことがありません」

「せっかく持っている多少の賢しらさを、目先の益を求めて自ら捨てるような、つまらん小物だ」

 あっさりジョンフォースが切り捨て、しばし場に沈黙が降りた。


 ふいに背後から軋み音がして、ワァフが振り向いた。ジョンフォースもゆっくりと目をやる。

 扉を開けた女僧侶が尖塔から歩み出ていた。ジョンフォースとワァフ、そして眠りこけている団員に目もくれず、中庭を横切っていく。

 それを合図としたかのように、卓へ突っ伏していた団員たちが体を起こし、中庭に活気が満ち始めた。それぞれ、のびあがったり、目をこすったり、自らへ活を入れて、戦いの機運を盛り上げていく。


 周囲のざわめきをエイダは無視し、ゆっくりと歩いていった。

 杖が固い地面にふれ、土を軽く叩く音が鳴った。向かう先は崩れて切れ目のできた城壁。そこから冷たい風がゆるやかに吹き込んでくる。朝の空気を浴びて、エイダは目を細めた。

 どこか近く、城の外から、太鼓たいこ銅鑼どらのような音が鳴った。音は城壁の切れ目を通って、エイダの鼓膜をふるわせた。一瞬の間をおいて、崖下をのぞこうと身を乗り出した女僧侶の頭に、笠をかぶった魔物の影が落ちた。

 エイダの真正面で宙に静止するように、ソードストールが刀をかまえていた。

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