第36話 城

 アラートンは厩舎に隠れ、息をひそめて小窓から外をうかがっていた。

 視線の先では、中庭に入り込んできたローブアーマーが戦斧をふりまわし、団員を寄せ付けない。

 人間と比べて動きが緩慢なため、攻撃を受ける者こそいないが、城から排除することもできないでいる。


 団員も人間らしく疲れが足に来たのか、不用意に近づいた一人が尻餅をついた。

 その機会を逃さず、ローブアーマーが戦斧の峰で団員の頭を吹き飛ばす。南瓜を砕いたように破片が散った。


 一人の団員が城壁を背にして、オリーブの木陰に隠れるように、離れた場所からローブアーマーへ長弓をかまえた。鎧が薄い背後からなら、弩より威力の高い長弓ならば打ち抜ける。

 しかし、その頭上から小刀が高速で落ち、頭蓋骨をつらぬいた。頭頂部から小刀の柄を生やした団員は、弓矢を落として地面に崩れ落ちた。

 直後、オリーブの樹に人型の魔物が落ちてきた。落とされたのではなく、自ら飛び降りたのだ。すぐさま細かな葉を散らしながらソードストールは樹から飛び出て、切りかかってきた団員三人の刃を次々にかわし、その内の一人を縦一直線に切り裂いた。


 大振りで団員を遠ざけ、矢を防ぐ盾となるローブアーマー。

 跳躍と疾駆をくりかえして切り込むソードストール。

 大小二つのつむじ風が荒れ狂い、戦士達を枯れ葉のように舞わせる。


 その嵐に飛び込んだケンプは、ローブアーマーに相対した。

 力強い攻撃をうまく避けつつ、ナイフを関節に刺す機会をうかがう。ずっと城にいたため、村攻めに参加していた者と比べて疲労の色は少ない。

 しかし、致命的な攻撃を与えるには、両手のナイフでは力不足だ。


 厩舎の窓から離れ、アラートンは大きく息を吐き出した。壁にかけたピッチフォークを見て、一つうなずく。

「終わった後で出て行っても立場は悪くなるが……現状で、のこのこ出て行くのは馬鹿のすることだな……」

 薄っすら開いた厩舎の扉から、南西の城壁を見る。かつて塔が立っていたというそこは、大きく崩れ落ちて、夕日がさしこんでいる。最も低い場所は膝か腰ほどの高さしかない。そこから階段状に崩れた場所をのぼれば、城壁の上まで行けるかもしれない。

 崩れている外は崖になっている……のぼることこそ困難でも、下りること自体は容易なはずだ。


 踊るように矢を避け、刀で槍の穂先をはじいていたソードストールが、初めて大きく姿勢を崩した。

 足もとにからみついた長い棒を蹴り捨て、すぐに姿勢を正す。

 だが、その瞬間にマントの隙間を通ってきた矢が腹部へ刺さった。

 人や獣と違う肉体からは血の一滴すら流れないが、腰にさしていた小刀が鞘に納まったまま落ちた。

 ソードストールが蹴り捨てた棒を一瞬だけ見て、声をもらす。

「矛……いや農具か」

 そしてピッチフォークが投げられた方向を見やる。


 城壁が崩れて斜面となっている中腹あたり、厩舎の屋根より高い場所で、アラートンが投擲を終えた姿勢のまま固まっていた。

「……転びすらしないのか!」

 言い捨て、崩れかかった城壁を北へ、這うようにして登っていく。階段状なので容易に登れそうに下からは見えたが、崩れかけた城壁は体重をかけるだけで崩壊していく。

 右にソードストールがいて、左は切り立った崖。落ちれば間違いなく命を失う。想定していたより逃げ足が遅くなる。

「良い」

 一声つぶやいたソードストールが身をひるがえし、南西の城壁へ向かった。

 崩れた城壁の上に跳び上がり、アラートンを追いかけ始める。

「なぜこっちに来る!」

 意味のない文句を吐きつつ、アラートンは必死で城壁を登った。


 ソードストールは、下方の中庭から射られる矢を、刀を振るって落としていく。

 しかし、ほとんど一本道なのでかわすことができず、足もとの崩壊を完全に防ぐこともできず、目に見えて動きが遅くなる。

 それがアラートンにとって数少ない救いだった。


 ソードストールが矢を落とすために刀を振り下ろした瞬間を狙って、ふり返ったアラートンがナイフを投げた。

 ナイフはソードストールのかさの端を切り、右肩をかすめた。

 焦茶色の笠は断面が白く、見かけより厚い。切れ込みが入った隙間から、白濁した一つ目がアラートンを見返した。

 アラートンは鼻をひくつかせる。青黴あおかびに似ているが、必ずしも不快ではない臭いを感じた。

「茸か!」

 アラートンの叫びにソードストールが答える。

「名は、剣舞茸ソードストールという」

 獣でも草木でもない。つまりは菌が変じたもの。

 純白のマントも菌糸が重なって布状になったもの。

 血も出ないし傷も気にしない。何より菌は身が軽い。

 普通の魔物に対して使える策が通用する相手ではなかった。


 城壁の上に達したアラートンは尖塔へ続く回廊を進もうとはしない。

 眼下の様子を確認し、迷わず飛び降りた。

 二階の屋根くらいの高さだが、ちょうど真下に厩舎の屋根がある。落ちて死ぬような高さではない。


 ソードストールもアラートンを追い、一瞬のためらいもなく瓦屋根に向かって飛び降りる。

 そのまま猫のような四つんばいで屋根に落ち、手もと足もと割れた瓦が軽い音をたてた。

 すぐにソードストールは顔をあげ、アラートンが降りた方へ刀の切っ先を向ける。


 しかし厩舎の屋根にアラートンの姿はなかった。

 転がり落ちた音もなかったし、念のために中庭を見ても姿はない。

 ただ中庭からは次々に矢が飛んでくるだけだった。

「興味深い」

 一言つぶやいたソードストールの体へ矢が刺さる。首に、足に、左腕に。それもただの矢ではない。大型の弩からはなたれた、杭のように太く重い鉄製の矢だった。それは打撃と呼ぶべき威力をそなえており、ソードストールは耐え切ることができず屋根から転がり落ちた。


 今度ばかりはソードストールも体勢を立て直すまで、一瞬の間を要した。

 刀を引きずるように立ち上がったソードストールは、眼前いっぱいに馬の前半身が広がる光景を見た。

 尻を叩かれ突進してきた無人の馬だった。

 そのまま南西の崩れた城壁まで押し切られ、ソードストールは馬ごと外に追い落とされた。

 馬と魔物は土煙をあげ、夕陽が赤黒く照らす崖を転がり落ちていった。


 繋がれたままの馬が三頭、その身を所在なさげにゆらしている。

 厩舎の中で小山に埋もれて横たわるアラートンは、ぜいぜいと荒い息をもらした。背中の布越しに藁の暖かさが感じられる。

 見上げた先は屋根の穴。赤黒く染まった曇天の空。

 布で簡単に補修した屋根へアラートンは飛び降り、うまく布に包まれながら穴を抜け、厩舎内に身を隠すことができた。藁山の位置も、運んだ者として当然のように把握していた。


 しかし追うように敵が同じ場所へ飛び降りたり、穴の存在にすぐ気づかれていたりしたら、厩舎内で戦わなければならなかったかもしれない。ソードストールを相手にして一対一で勝てる自信は全くなかった。

 扉からのぞき見えた光景や、馬の鳴き声が小さくなっていった様子から、ワァフが指示通りやってくれたことはわかったが……

「助かったのは悪運にすぎんな」

 右の手に視線を向ける。農具を握りしめ、その先端を屋根の穴に向けている。穴から敵が飛び降りてきた時に待ちかまえておくため、もう一本のピッチフォークを用意していた。

 しかし相手が多少の傷をものともしない茸の魔物と知っていれば、もう少し違う策を用意していただろう。


 アラートンは藁山に寝転がったまま、静かに右手を下ろした。

 床にピッチフォークがころがり、気の抜けるような軽い音がした。

 左肩が奇妙に熱い。きっと屋根の穴を通る時に傷ついたのだ。


 外では、今なお戦いが続いていることを示す物音が続いている。

 だが、しばらくアラートンは動こうとしなかった。実力以上の技量を要求された戦いに疲れはてていたのだ。

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