第28話 村
薄っすらと白煙に覆われた道を騎馬隊が進み、小さな広場に出た。
中央に石を積みあげた丸井戸。粗末な滑車がついている。周囲の地面には黒い泥が広がっている。
騎馬隊は井戸の左右にわかれて進み、それぞれジョンフォースとワァフを先頭にして、足をとられないよう泥を避けていった。
ふいに、どこからか涼やかな声がした。
「馬からは降りてもらおう」
男にしては高いが、重々しい響きがあった。
よく通る声のため、どこから聞こえてくるのか判然としない。
近いようであり、遠いようであり、大気そのものが震えて声を発しているようでもあった。
いずれにせよ、その一言と同時にジョンフォース団の後続が混乱に陥ったことは確かだった。
地面に広がっていた黒い泥がふくれあがる。左右に長々と触手がのび、巨大な鞭のようにふりまわされ、近くを走っていた馬の脚を叩き折っていく。
何人かの団員が手綱を放して飛び降り、地面を転がって衝撃を受け止める。足を折られて乗り手を失った馬が倒れ、口から泡を吹いて興奮し、無意味に首を振り回す。
それらを見捨てて、攻撃を逃れた騎馬が走り去っていく。
打ち身を作りながらも額を押さえて立ち上がった一人が、目前の黒く巨大な背中を見あげて、吐息をもらすようにつぶやいた。
「……ゴーレム」
伝説に残る、魂を吹き込まれた泥人形。
だがそのゴーレムは屋根に上らなければ額に届かないほど大きく、砂金をまぶしたように黒々とした体表を輝かせている。ただの泥でできているとは思えない。
そして体型を変化させながら暴れまわる。その拳は泥塊よりも重く、硬く、ざらついた表面がかすっただけで人の皮膚を削り取っていく。
その脅威を一瞬で見て取った団員は唇を引き結び、土を固めた住居壁に指をかけ、屋根へよじのぼろうとした。
ゴーレムは軒の上に頭が出るくらいの大きさ。額に弱点を持つと仮定するならば、屋根から攻撃するのが最善の策だ。
しかし、先ほど魔物の名を呼んだつぶやきを否定する声が頭上からかけられた。
「ただのゴーレムと呼ぶな。あの者は
顔を上げた団員は、屋根に這いつくばる剣士の姿を見た。
曇天を背にし、長剣を逆手でかまえた魔物が、団員を正面から見つめ返す。短めに切りそろえられた青い髪に、睫毛の長い大きな目。爪先から口もとまで細身の黒い服で包み、引き締まった体つきだと見てとれる。
顎が屋根にふれるほど頭を下げ、下半身に力を溜め込むように尻を上げ、針のように細い瞳で獲物との距離を測ろうとする。人間の女のような、あるいは猫のような、しなやかで優美な姿だった。
もちろん、どれだけ美しくても見とれはしない。
目が合った瞬間、さっと団員は土壁から離れながら腰のナイフに手をやった。
威嚇のため投げようと見あげ、頭から落ちてくる魔物と再び目が合う。
団員が振りかぶった右手の手首から先が切り飛ばされ、返す刀で胸を深く突き刺される。
そのまま団員は頭から地面へ落ちていった。
自らの血飛沫で視界が覆われながら団員は問うた。人の美女に似た水妖の名を。
「
喉から血があふれており、相手へ聞こえるよう発音できていたかはわからない。
だが唇の動きを読んだのか、魔物は空中で短く答えた。
「そうだ」
メリュジーヌのシュナイは団員の肉体を踏みしめ、落下の衝撃をやわらげた。反動で剣を抜き、頭を下げた姿勢のまま死体を降り、這うような姿勢で次の戦闘に備える。
見つめる先に後続の数騎。馬上で扱える小型の弩が、その狙いをメリュジーヌにつけた。
直後、横殴りの雨のように矢ぶすまがメリュジーヌを襲う。もろい土壁へ小さな矢が杭のように突き刺さり、身体を包む黒服を裂く。
しかしメリュジーヌに命中したかに見えた矢は金属音をたて、体表で止まるか、はじかれた。
裂けた服の下から鱗がのぞく。メリュジーヌの半身は、水辺に棲む蛇の鱗で覆われている。小型の弩がはなつ矢は、鱗の表面を滑るために傷つけることができない。
一方で、騎射した団員達も効果があるとは期待していなかった。威嚇の矢をはなった後は、見向きもせずに過ぎ去っていく。
そして先頭の団員が紐につながれた小袋をふりまわした。馬の上下動に合わせて回転させ、手の力だけ使うよりも速く、空気を切り裂く音が鳴る。
先頭の団員は、アイアンサンドゴーレムの背後から、不意をつくように後頭部に向かって投げ上げた。命中したとたん、袋が裂けて液体が飛び散る。
蒸留によって得られた高い濃度の酒が飛沫となって急速に気化し、袋にこめられた加護術の助けで爆発的に燃え上がる。アイアンサンドゴーレムは両手で自らの頭を叩き、消そうとする。
どこからともなく声が響いた。
「あわてるな。その炎はすぐ消える」
声と同時に、薄い炎は消え去った。
しかしその隙に、後続の騎馬も全て巨人の脇をすりぬけていた。
シュナイは井戸へ駆けより、体重を使ってつるべを引いた。
メリュジーヌは鱗の肌こそ強靭だが、力は鍛えた人間とほとんど変わりない。いくつかの呪術と、身のこなしだけで人間とわたりあう。
引き上げた桶をシュナイは地面に下ろし、のぞき込んだ。
桶には男の生首がつまっていた。
目を閉じて永遠の眠りについているような風情であったが、顔つきは柔和で、血色も良い。
メリュジーヌとアイアンサンドゴーレムの背後で、デュラハンの馬車が止まる。
首無しの馬が興奮した様子で地面にひづめを何度か打ちつけた。
「次の指示を願う」
シュナイの問いに生首が目を見開く。そして唇をふるわせ歌うように命じた。
「我々の策は始まったばかり。ローブアーマー、グローリー、次は君達の出番だ。マリヤウルフの村を襲う盗賊を、魂の故郷へ導いておくれ」
首から下がないのに腹の底から湧き出しているかのような、深い響きを持つ声であった。
その言葉が小さな村に広がっていく。
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