第25話 城

 ホーリー城にアラートンが来てすぐ、ジョンフォースは団員を集めて宣言した。

 人狼の退治さえ終えれば、団の総力を上げて魔王の城へ侵攻する、と。聖痕のある逆鱗については口にしなかったが。


 勇者として旅を続け、三十名以上の団員を集めながら、ジョンフォースは足踏みを続けている。

 聖痕を目にした時の眼差しは、勇者として伝説に残したいという執着や未練を感じさせた。

 口髭と顎鬚を黒く伸ばして人相を隠した勇者は、傷痕だらけの肉体にどれほど深い闇をかかえているだろうか。

 あるいは、自身の闇を飲み込むほどの虚無しか残されていないのだろうか……


 ケンプがブラシがけを止め、馬が身震いした。入念に毛並みを整えてもらい、気分が良くなったようだ。

 やくたいのない回想を首を振ってやめ、アラートンはケンプに対する軽口を再開した。

「団を追い出されなくても、村に宝がなかったといって踏み倒されるかもしれんな」

「まさか。おそらく村に宝がないことは最初からわかっています」

 アラートンも本気で踏み倒されるとまでは考えていない。

 値切られはするだろうが、ジョンフォースは竜の鱗に相応の価値を認めていたように見えた。

 それも戦場で消耗品として扱われる鱗そのものではなく、勇者の証たる聖痕を欲しているようであった。

 興味のない者には汚い染みとしか見えないかもしれないが、勇者志願者にとっては高い価値がある。


 やがてジョンフォースは城の奥底に隠しているらしい財宝を換金し、いくらか路銀として渡してくるはずだとアラートンは考えている。

 その場合の問題は、渡してくる額が妥当であるか否か。ありえないほど低く値切られても、実力で威圧されればアラートンに抗議する手段はない。


 アラートンが城で仕事を見つけて手伝っている理由には、ジョンフォース団が隠している財宝や弱みを探す目的もある。

 弱味を知っていれば交渉を有利に運べるし、決裂した場合は財貨をいくらか盗み出してもいい。

 対価の差分を盗むだけなら、ジョンフォース団も追いかけたり訴えたりはしないだろう。


 アラートンの内心を知らないケンプは、無邪気に笑った。

「まだ魔王へ手が届かなくても、魔物を退治して人々に喜ばれる、そういう勇者がいていいはずです」

「……そうだな」

 無邪気な言葉に、アラートンは気の抜けた返事をした。

 アラートン自身も勇者と称しながら魔王を倒すつもりはないわけだが、ケンプのいっている意味は違う。

 ジョンフォース達は今、旅人に恐れられている人狼の村を攻めている。

 今度の攻撃で壊滅させると出立前の団員達が息巻いていた。

 確かにマリヤウルフが相手であれば簡単に終わる。


 狼乙女マリヤウルフは、人狼になぞらえて呼ばれる魔物では、最も脆弱な存在だ。

 人間の姿ではどれほど年月をへても少女の背丈のままで、極めて非力だ。

 全てが雌であり、狼の姿に変じるにはいくつかの条件を満たさなければならない。

 たとえ狼へ変じてさえ、強力な呪術を使えるわけでもない。


 そもそも、たいていの人狼は、新月か満月の時期、それも夜にしか変身できない。

 つまり新月が一週間前に終わっている今日の、月が出るはずもない正午に攻め込めば、敵の力は人間の女と大差ないと期待できた。

 人間の生き血もすすると思われて恐怖されているが、それが事実だとしても正体を知っていれば大きな脅威にはならない。


 旅人を襲うこと自体、マリヤウルフの場合は特殊な理由がある。

 雌しかいないマリヤウルフは人間の男と交わって初めて子孫を産める。財宝が目的で襲うわけではないのだ。

 マリヤウルフは人間という種族に依存し、時に男を騙して婚姻まで結ぶ。

 魔物らしく長命とはいえ、マリヤウルフは、村に人間がいなければ滅ぶ定めだ。


 もしホーリー城の周辺で襲われた旅人が金銭や高価な美術品を奪われているるなら、マリヤウルフ以外の仕業かもしれない。

 不必要に暴れて存在が知られ、人間が寄り付かなくなることは避けたいはず。

 そこまでアラートンは考えて、旅人の持っていた財貨をマリヤウルフから入手できる期待はあまり持っていなかった。


「しかし、いずれにせよ、こちらとしては差し引いた代金を早めに払ってほしいものだ」

 ケンプがアラートンの考えを読んだかのようにいった。

「皆の話では、城の地下に宝を置いているそうです。城を出る時にそれで支払ってもらえると思いますよ」

 この時代は、戦争で放棄された家や城の物品を、後から入ってきた者が奪うことに抵抗が少ない。特に教会を強く信じている者ほど、当然のように利用する傾向がある。

 現世にある物は、基本的に神から与えられたもの。逃げる時に持っていかなかったということは、神へ返したということ。現世で生きる者として多少の後ろめたさがありつつも、必要な者が借り受けても良いという観念があった。


 ただしホーリー城は放棄されて長い。

 軍資金を残して放棄する城主は滅多にいないし、美術品や骨董を置いておくような都市部の城郭でもない。

 ジョンフォース団が隠しているらしい財宝は、きっと全く別のものだとアラートンは確信している。

 そして隠している財宝の正体は、おそらく持ち運びにくい物と見当をつけていた。

 ならば作戦が終わって新たな旅へ出る前に、ワァフと会った市場で換金するだろう。


「ところで、何を団長に売ったのですか?」

 何度目かわからなくなるほど問われて、いいかげんわずらわしくなったアラートンは少しだけ答えることにした。

「未加工の、竜の鱗だ」

 ケンプは目を見開き、それは凄いと口の中でつぶやいた。


 聖痕について知らせずとも、驚くだけの価値が竜の鱗にはある。

 その頑強さから武器へ加工できる貴重な素材として、すぐ前線へ投入されては消費されていく。

 加工前の物は金銀や香辛料につぐ市場価値があるのだ。

「どこで入手したのですか。滅多に出回るものではないのに。それとも、やはりアラートンさんが竜退治したのですか」

「……鱗を一つ剥いだだけで、本体は取り逃がしたよ」

 ケンプが再び、それは凄いと評した。


 アラートンはケンプから顔をそむけるようにして、農具を手にした。

 柄の先端に鉄の三又がとりつけられ、矛のような形をしているピッチフォークだ。

 ピッチフォークを操って、アラートンは片隅に積まれた藁束を持ち上げた。

 そのまま厩舎を移動し、先ほどまで馬に餌をやっていた奥まで藁を運んでいく。

「戻ってくる前に、ここへ移しておこう。馬を入れる邪魔になる」

「わかりました。敷き藁の入れかえは後にしましょう」

 ケンプが鼻歌を歌い始める。それは旋律と呼ぶには調子が外れすぎていたが、アラートンは止めようとしなかった。

 小さくいななく馬を横目に、二人は会話を止めたまま作業を終えた。


「天気が少し心配だな」

「最近ずっと雨が降っていませんでしたからね」

 積み上げた藁山の前で、二人して天井を見上げる。


「わりと大きいですね」

「大きいな……」

 厩舎全体は朽ちておらず、その一箇所にだけ穴が開いている。

「城壁の一部が崩れて屋根に落ち、穴を開けたのかな。ケンプは知らないか?」

「僕達が来た時、すでに壊れていました。厩舎の内部は空っぽで、馬や敷き藁はもちろん、煉瓦や石も落ちていませんでしたよ」

「このあたりは雨が少ないからな。前の城主が壊れた屋根は放置していて、邪魔な壁の破片だけ片付けた。その後すぐに城を放棄した、といったところか」

「そうかもしれませんね。作戦さえ無事に終われば、ジョンフォース団も明日にでも城を出て行く予定です。皆が帰ってくるまで時間もありませんし、簡単にすませておきましょう」


 厩舎の扉を開け、まぶしさにケンプが目を細めた。

 厚い雲の隙間から太陽が光の筋を下ろし、城壁に囲まれた中庭の底まで照らしていた。

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