第23話 城

 三日前に市場でワァフと交渉してすぐ、アラートンはホーリー城へ案内された。


 森の道を抜けると、なだらかな岩山の頂上に小さな古城が見えた。

 ちょうど正面に東の城門があり、跳ね橋がおろされている。斜面を歩いていくと、真下に空堀が掘られていた。跳ね橋を上げれば敵は容易に近づけない。

 城門の真上では城壁が少しふくらみ、見張り台となっている。そこでふたりの戦士がアラートンを見おろしていた。


 アラートンは城門をくぐるさいに城壁の作りを観察した。

 平城に比べれば一重だけの簡素なものだが、最上部に人が歩ける回廊が存在するくらいには分厚い。


 城門から入って左手の南西部は、城壁が大きく崩れて欠けていた。はるか遠くの山並みが見える。

 馬上のワァフが説明した。

「あちらに、かつて二階建ての塔がありました。今では土台の跡が残るだけですが」

「守りが心配だな」

「案じる必要はありません。ここからは見えませんが、南西は急な崖になっておりますので」

 短い時間で造ったものは、短い時間で崩れるものだ。

 煉瓦を積み上げて石灰で固めただけの城壁は、年月がたつごとに崩れはじめている。

 森を切ったことも、山肌が崩れやすくなる要因になったらしい。

 篭城戦で助けとなっていた井戸にしても、地下水が山肌に染み出すことで城の崩壊を速めたようだ。


 右手、つまり北東部へ目を向けると、城壁の一角が円柱形にふくらみ、三階建ての尖塔となっていた。

 その三階から南と西に伸びる城壁の上へ出られることが推測できた。

「残っている右手の尖塔には、かつて城主も居住していましてな」

 ワァフの説明によると、城壁上の回廊へ出られる通路は尖塔の内にしかないという。

 いわば尖塔がホーリー城の要であり、中庭を囲う城壁そのものが城といえる。


 城壁と独立した建造物は、中庭の正面にある厩舎や、城門のすぐ左にある食糧庫くらい。

 どちらも木材で建てられている。黒ずみ具合から、厩舎や食糧庫が作られた年代は、城よりずっと後だと見てとれた。


 下馬したワァフを追って尖塔に入ると、二階の円卓でジョンフォースが日誌をつけていた。

 かつて吟遊詩人や僧侶を連れて旅をすることが普通だった勇者も、今では自ら日誌をつけることが多い。

 紙が普及した現在、文字の読み書きができる者が増えた。彫った板を使う印刷も広まりつつある。

 伝説を不完全な口承にまかせずとも、記録として正確に残しやすくなったのだ。


 アラートンは円卓の対面へ座り、その隣にワァフが座った。

 ジョンフォースは黒髭を整えて、歳相応の貫禄を感じさせる男だった。

 いかにも一団の長らしく、アラートンが竜の鱗を見せた時までは威厳を保っていた。

 しかし鱗を手にとって眺めまわした時、聖痕に気づいたジョンフォースの表情には、わずかに虚脱と羨望が入り混じっていた。

「これは聖痕だ……いやしかし、なぜ魔物の鱗に存在しているのだ。しかもこの形は勇者の証ではなかったのか」

 ジョンフォースの自問へ、肩をすくめたアラートンが答えた。

「いや、あの魔物は確かに勇者だったよ」

「どういう意味だ?」

「これから話すことは、あくまで私見と思って聞いてくれ」

 アラートンは森の道でシュナイへ語った考えを、より短く整理して伝えた。今回は話を引き延ばす必要がない。


「……信じられん。魔物の勇者など。いくら自称といえども……」

「あくまで一つの考えさ。しかし勇者なんて立場は、血統や資格とは関係ない、最初からあいまいなものだ。聖痕を持っていない勇者もたくさんいる。だから、この印が証立てているものが勇者そのものではない可能性は高い」

 隣にいるワァフがアラートンの説明をひきとった。

「それはつまり、人間の英雄になる運命を指しているのではなく、孤独な旅をしながら戦いに身を投じる運命を指しているのかもしれない。そして勇者とは、魔王を倒す人間ではなく、勇気をふるって孤独に敵種族と戦う存在全てを指す……そういうことだろうか」

「……なるほどな」

 腹心の解釈にジョンフォースは何度もうなずき、竜の鱗をふところにしまった。

 城へ逗留させ不足分の対価を後払いする契約が、互いにかわされたという合図だ。

 もう話すことは何もない。


 しかしアラートンは円卓へ身を乗り出した。その視線はジョンフォースのふところに向かっている。

 ジョンフォースとワァフが目をしばたたかせた。鱗をしまいかけた手を止めつつ、ジョンフォースが眉をひそめていった。

「どうした、提示した前金では不満か。それとも今さら惜しくなったか」

 ジョンフォースのふところを指し、アラートンは問いただす。

「……それはジャニスにやった地図だ。なぜ持っている」

 相手の表情を見て、自分が興奮していることに気づき、アラートンは座り直した。

 当惑した顔でワァフが答えた。

「団長の持っている地図は、昨日に街道で拾ったものだ。魔物の集落近く、何もない街道で、女物の旅具が散乱していた」

 なぜ魔物が多い危険な西へ向かったのかとアラートンは不思議に思い、すぐにジャニスと旅をした時のことを思い出した。


 ジャニスは兎肉を食べた時、過去を思い出しかけていた。

 魔物になる前、人間であったころに、よく食べていたのだろう。

 兎の肉は大陸の西でよく食べられる。

 ならば故郷へ帰ろうとして、アラートン達と同じく西へ向かう道を歩いたことに納得がいく。


 ワァフは逆にアラートンへたずねた。

「それで、そのジャニスとかいう者は、アラートン殿の知人だろうか」

「いや……先日に、魔物に魅入られていたところを助けた女だ。別れる時、この近辺の地図も渡した。それが、その写しの地図だ」

 アラートン自身が写したので、ふところから少しのぞいただけでも筆致から判断できた。

 写した地図は元はシュナイの持ち物だったが、くわしくは説明しない。そこまでジョンフォース団へ正直に明かす義理もない。

 魔物には飛べる種族がいる。高空から人間より正確かつ素早く測量して、精度の高い地図を作成する。

 そうして魔物のもつ地図は人間にとって貴重であり、高値で取引きされている。だからこそ入手する方法を隠すことが通例だった。


 ワァフが哀しげに首を振った。

「助けられた直後、また魔物に捕われるとは、哀れな……今では人狼の餌となっているでしょうな」

 アラートンは否定する。

「死んだと決まったわけではないだろう。人狼にも色々な種類がいる」

「もちろん、その可能性も高いがな。今度の戦いで救えれば救うつもりだ」

 そういってジョンフォースが顎をしゃくった。もう話は終わったという合図だ。


 立ち上がったアラートンは、ふと尖塔の窓から外を見やった。

「エイダの奴、何をしている……」

 中庭を見下ろすと、女僧侶の周囲にジョンフォース団の男達が集まっていた。

 おそらく人間の若い女が珍しいのだろう、質問攻めにしているかと思えば、果物を差し出したりもしている。

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