第17話
村人は昨日の出来事がなかったかのように黙々と作業を続けている。
きっとまた幼生のスレイプニルを捕まえ、家畜としてこきつかうのだろうとアラートンは思った。
俗悪な村長がいなくなった後も、さほど村の営みは変わらないに違いない。
「おおかた村長屋敷の跡には立派な教会を立てるのだろう。そちらの深遠なる思慮は、とうてい真似できないものがあるな」
アラートンは肩をすくめた。さびれた街の教会で初めて会った時は気づかなかったが、エイダの信仰心の篤さには、ついていけないところがある。
「しかし、考えてみれば教会というものは、そういうものか」
アラートンは思う。エイダが特別におかしいわけではない。
魔物に対して神話の名称が用いられる一因には、異教を好まない教会の意図もある。
単純に神話の獣に魔物が似ているためだけでも、神話に出てくる獣の正体が魔物と考えられているためだけでもない。
本当は、伝説に残されている怪物と魔物が同じなのかすらはっきりしていない。
魔物を分類して対策するため、教会は根拠の薄弱な資料であろうと広範に収集し、各地に残された神話の名前を当てはめた。
どの伝説にも当てはまらない魔物は、適当な造語で呼ばれたりもする。
エイダに問う。
「凶暴な怪物を魔物へ重ねあわせることで、異なる神話の権威を引きずりおろす。それが教会の考えだろう?」
スレイプニルのように加護術で魔物を家畜化することもあるため、なおさら教会は好んで神話の名詞を魔物に用いた。
人間の意図を知ってか知らずか、今では魔物まで人間の呼称を使うようになっている。
侵略した地域の言葉を侵略者が使うことは多い。
勇者という呼称を魔物が使っているのも、同様の経緯があったのかもしれないとアラートンは思った。
しかしエイダは不思議そうに首をかしげた。
「偶像を崇拝する異教に、最初から権威などありませんが……」
相手が冗談でいっているのではないことを表情から読み取って、アラートンは嘆息した。
「……凄いよな、教会のそういうところは」
「素直に尊崇の言葉と受け取りましょう。ですが……」
微笑を浮かべてうなずいたエイダは、いったん言葉を切った。
青い瞳がアラートンをにらみつける。
「そういうあなたは、なぜあのような卑劣な策略ばかり使うのです。酒場でくだをまく与太者が相手ならともかく、とても教会の説法としては使えません。私の立場も考えていただきたいものです」
「罠にかけて弱点をつく。俺に技量がないからしかたないさ」
腰にさしたナイフをアラートンが軽く叩く。エイダは鼻を鳴らした。
「真正面から戦って華々しく散れば、それで教会としては充分なのですよ」
「……俺に死ねっていうのか」
「そこまでは求めませんが、気持ちとしては」
「冗談はそこまでにしてくれよ」
「それくらい、勇者たろうとする自覚を持ってくださいということです」
「俺は伝説の勇者になるつもりはないよ。まだ死にたくはないし、物語になるような上等な人間でもない」
反抗心すらない素っ気ない回答に、エイダが深々とため息をつく。
会話がとぎれた瞬間、二人に対して少女の声がかけられた。
「あの……お二方とも、助けていただいたようで、ありがとうございます」
声に当惑の色を浮かべつつ、粗末な服を一枚だけはおった少女が、両手を合わせている。
朝日を背後からあびて顔は見えず、老婆のような白髪を胸もとまでたらしている。
エイダは間を置かず答えた。
「それが神聖なる教会のなすべき仕事ですから」
ふりかえりながら、エイダは笑顔で問い返す。
「体にすぐれないところはありませんか」
「それは大丈夫です。まるで生まれ変わったように軽くて。でも……」
少女が上目づかいで二人にうったえる。
「……襲われたところから、何もおぼえていないのです」
アラートンが目を細め、エイダがほほえんだ。
「恐ろしすぎること、悲しすぎることがあれば、記憶を失うこともあります。でも大丈夫ですよ、それは心が壊れないよう、神様が記憶の棚に鍵をかけてくださっているのです」
「ありがとうございます、僧侶様。でも、きっと大事なことなのです。絶対に忘れてはいけないことなのです」
せつせつと少女がうったえる。あふれてくる言葉が自分で止められないかのように。
「それだけじゃありません、なぜ私がここにいるのか、なぜ生きているのかもわからないのです。あの日、納屋で主人に襲われた時、暗い窓に……窓に、蜥蜴の目が……」
アラートンは、二人から目をそらすように、背後をふりかえった。うっそうとした樹木の影に、倒れた竜がまだいるかもしれない。
「神に祈りましょう、ジャニスさん」
女僧侶が指を組み、聖なる言葉を発する。そっくり同じような祈りを行った昨夜のことについては、おくびにも出さない。
「なぜ私の名前をご存知なのですか……」
息をのんだ少女と、そしらぬ顔で祈る僧侶を残して、アラートンは森の道を戻った。
死した者に復活の奇跡で命を与えれば人間へ戻り、リッチとして存在していた過去は消え去る。
そうエイダが先に説明したとおりの光景が昨夜、アラートンの眼前で確かに展開された。
詠唱とともに、青ざめた白い肌に血管が浮き出て赤みを増し、柔らかさと張りをとりもどす。
そのありさまは、奇跡の技であるはずなのに、禁忌を犯しているかのように感じられた。
致命傷を負った状態の死体は、復活させても即座に死ぬだけ。
しかしリッチは肉体の損傷を回復しているので、死体としては綺麗な状態だ。
だから復活させられる。
理屈としては理解できたが、実際に見るまでアラートンは半信半疑だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます