第11話
アラートンは蒸留酒の詰まった皮袋を手に、焚き火へ向かった。
かねてからいだいている仮説を、今こそシュナイ達へ語る時だと考えた。
「旦那様は、勇者って何だと思いますかね」
ジョッキに新たな蒸留酒を注ぎ足しながら、アラートンがつぶやいた。
眠っていたかに見えたシュナイが、目を伏せたまま応えた。
「急に……何の話だ」
「いえね、人の世界に勇者という職業が生まれたばかりのころは、ひとりさびしく王宮から送り出され、その世界の希望を一身に背負って、魔王の首を獲ったもんですよ。人間は魔王を倒すことを目標にして、戦死しても教会の加護術で蘇生させられ、前に進み続けた。見方によっちゃ、奴隷よりひどい。そうして勇者は伝説に残っているわけです」
魔物の侵略から二百年がたったころ、神の奇跡を体系化したという加護術が生まれた。
それにより権威を増した教会の力と合わせ、帝国は反攻を始めて、次々に失地を回復していった。
加護術は魔物やその呪術を打ち破るだけでなく、医や食の面でも行軍を大いに助けた。
教会においては、肉体が腐らずに充分に残っていれば、まれに戦死者を復活させることもあった。
しかし戦いを長く続ける間に、帝国と魔王は互いに力をすりへらしていった。
「今の帝国は、志願者に勇者という立場を認め、敵地へ向かう便宜をはかるくらいしかしていません。勝ったら儲けもの、負けても皇帝が困ることはない……」
「ふむ……だが、魔王城を攻略しようとして、人間は連合軍を作ってもいるではないか。その戦いにくわわるため、我らは西へ向かっている途中だぞ」
「その連合軍は、有力な領主や司教が協力して組織したものです」
「つまり、孤独に戦ったのは、はるか昔の話ということだろう。たしかに神話の勇者はたいてい一人で窮地を脱したが。しかしテセウスのように、現地の姫から助けられた勇者もいると聞く」
はるか昔、クレタ島を治めていたミノス王の宮廷は、迷宮をそなえていた。
迷宮の奥には
そしてミノタウロスの生贄として弱き人々が集められた時、勇者テセウスが名乗りをあげた。
テセウスは、迷宮へ入る前にミノス王の娘アリアドネから糸玉を渡されたおかげで、ミノタウロスを退治した後に脱出することができたという。
「囚われた現地で脱出の道具をもらっただけでしょう。しかもテセウスを助けたのは、いわば魔物の義兄弟なわけで、勇者の仲間とは意味が違うと思いますがね」
ミノス王が海神の怒りをかったため、王妃と雄牛の間に怪物が生まれたと神話にある。
それこそがミノタウロスだ。
殺されることなく迷宮へ封じられたのも、王の子であるがゆえだった。
「義兄弟……いわれてみればミノタウロスとアリアドネはそうか」
シュナイはいったんうなずいたが、すぐに反論した。
「とはいえ、一人で窮地を脱したわけでないことも確かだ。むしろ魔物と人の本格的な争いが始まって以降、たいていの勇者は仲間とともに旅を続けるようになった。仲間がいれば、それだけで心強い」
ジャニスがシュナイへ視線を向ける。焚き火のゆらめきがそれぞれの顔に光と影を落とす。
「勇者様が呪術師様と同道したのも、旅の中途からとは存じとります」
「……貴様に話したことがあったかな」
アラートンは目を閉じ、何も答えなかった。
シュナイと旅をはじめてすぐのこと。
森で食料を調達していたアラートンは、沼地で服を脱いでいるジャニスを見つけた。
一糸まとわぬ姿となったジャニスは、ほとりに生えている水草を採って肌をこすり、旅の汚れを落とし始めた。
ジャニスの肌は大理石のように白くて、肉は痩せぎすで痛々しく感じるほどだった。
いたいけという表現が最もふさわしいと思えた。
立ち去ろうとしたアラートンは、ふとジャニスの小さな尻に奇妙な印があることに気づいた。
そっと近寄って確かめると、その印は聖痕などではなかった。
ただの黒く焦げた火傷の傷だった。
焼印の様式と数字から、わずか二年ほど前にジャニスが奴隷となったこともわかった。
ならば、シュナイと旅を始めたのは、それ以降のことだろう……そうアラートンは推測した。
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