第70話

「余計に意味が解かんなくなったがぁ……

 松尾将補の声がデカ過ぎたってなら、あの時と同じじゃないか。

 投光機の光と銃声で、近くにいたゾンビが正門に群がったのと」


 岩屋が簡単に話を纏めるも、目撃者であった統也と吉沢には納得できるものでは無い。


「確かにあの晩は、近くにいた死者が光と音・血の臭いに反応しましたけど……

 今回は、数が異常すぎる。

 それに、アイツらは松尾将補の声に応えていたようにも見えました」

「ええ。それは私も感じた。一気に集まって来たのよ。松尾将補が呼び寄せたとしか……」

「それは有り得ない。彼等に意思疎通の機能は無いのだから」

「オ~イ、どっち何だよぉ?

 にしても、大川センセ、随分と意思疎通に関しては『無い』って言い張るよな?」

「脳構造に伴う根拠がありますので」

「脳ミソねぇ……ゾンビが頭使ってるようには見えねぇけどなぁ?」

「脳が動いてなければ体は動きません。意思疎通にも同じ事が言えます。

 必要なのは、脳のこの部分。前頭葉」


 由月は自分の額辺りを指差す。


「ここには言語・感情・判断を司る高次機能が備わっています。

 前頭葉が機能しているなら、彼等は我慢する事も出来れば、恐怖すら抱いて然るべき。

 では、彼等の持つ行動パターンに その兆候が見られるのか?」

「いいえ、アイツらに我慢や恐怖感情なんて、とてもあるようには……」

「私も同意です。つまり、前頭葉は機能していないち考えて良い。

 よって、意思疎通は不可能なのよ」


 生前の松尾は統也に銃口を突きつけられ、膝を付く程に驚愕したものだが、【例外】となった今、自身の食欲に従順に突き進んでいる。

何発撃たれようと諦めて引き返す判断力すら持たない。

ここに意思疎通する機能が残っていれば、計画的な行動を取り、経験測に基づいて撃たれるヘマもしなくなる筈だ。だからこそ、由月は異を唱える。


 雖も、如何に明解な説明であっても、目にした事実に当て嵌めるには いまいち。

仁美は眉間に皺を寄せ、頻りに首を傾げる。


「相手は【例外】なんでしょ? そうゆう力を たまたま持ってたんじゃないの?

 脳なんて、科学で解明されてる部分なんて僅かだってじゃん?」


 仁美の言う通りだ。脳機能は人類にとって未開の地。

そこを突かれては、由月も否定する事は出来ない。


「……何か他に【例外】について気づいた事はありませんか?」

「特には……」

「ごめんなさい、私もこれと言って何も」


 統也と吉沢は顔を見合わせ、首を捻る。

【例外】と対峙したとは言え、観察する程の余裕なぞ無い。

そうは言っても、【例外】の性能の目処を付けられないでは、脱出の算段も整えにくい。

岩屋は唸る。


「うーん。良く分かんねぇじゃぁ困んだけどなぁ……

 歩いて人を襲うってのに、考え方は欠落してるってのもなぁ。

 センセ、そこんトコの説明は出来るのか?」

「はい」

「それって、難しいのか?」

「個人の問題かと」

「念の為、お願いしたいんですが……」

「分かりました」


 後学の為にも耳に入れておく必要はあるだろう。

統也がペコリと頭を下げれば、由月はコホン、と小さく咳払い。

なるべく解かり易い言葉を選んで話を進める。


「脳は役割分担された、幾つもの組織の集合体です。話す事・覚える事・歩く事、

 その他諸々の活動を含み、別々の組織が行っています」

「そうなると、意思疎通が出来ないからって、歩けないわけじゃない、って事ですか?」

「ええ。歩行に対するバランス感覚は小脳や中脳が担っています。

 少なくとも彼等の脳は、その機能が僅かに残っている」

「だから歩けるのか……」

「由月サン、食欲も……別の部分なんですか?」

「空腹中枢を含む、本能の行動を担うのが視床下部。

 彼等の動きを見る限り、この組織が極端に活性化しているわ。

 この事から、視床下部の影響が中脳まで届き、小脳の付近で弱まっていると仮定できます。

 他にも彼等の持てる感覚から、視覚・聴覚・嗅覚、

 それと、生きた人間ばかりを襲う事から、味覚が無いとも言いきれ無い。

 美味しいと思って食べているかは謎ですが」


 敢えて言及されると気味が悪い。仁美は口を押さえる。


「これ等の感覚も総合して、前頭葉・頭頂葉は、ほぼ停止。

 側頭葉や後頭葉のみで活動する爬虫類の脳構造に非常に近いと言えます」

「へぇ。ってか、爬虫類の脳と同じとか余計にキモイんですけどぉ、」

「生物が人類に進化するまでの初期段階が爬虫類。そこから哺乳類、霊長類、人類」

「ゎ、私達のご先祖、爬虫類!?」

「脳の構造としては、の話です。その爬虫類脳は別名、反射脳とも呼ばれているの。

 餌があれば食べる。音を立てれば威嚇する。言ってみれば、条件反射。

 全てが反射的で極短期的なものだから、感情や思考を持たない。

 何であれ、その部分を失えば、彼等は存在の意味を消失する」


 脳を破壊する。そうする事で蘇える事は無いと言う事だ。


(残ったほんの僅かな脳機能……それだけでヤツらは動く。

 言い換えれば、ほんの僅か、脳の一部が生きている。だから、死んでいるとは言えない)


 肉体の極一部であっても動いているなら、それを生とするのか。

人として、意思の範囲で機能できなくなった時点を死とするのか。

統也の葛藤は、度々その部分に舞い戻ってしまう。


「あ~~頭イタ。もう駄目だ。なに言われても何も解かんねぇ、後は任せた。俺は寝るぞぉ」


 今日は普段使わない勇気と学習脳をフル稼働させた岩屋の疲労は言外だ。

運転席に戻ると、車を壁際に寄せて停車し直す。

万一、死者がシャッターを破って突入して来ても車を転がされないよう万端の気遣いで以って寝床を確保する様は、流石の安全主義者。


 岩屋が引っ込んでしまったのだ、脱出の算段は整わない儘だが、今は体を休めておくべきか知れない。

夫々が動き出せば、仁美はキョロキョロと車庫内を見回し、口を尖らせる。


「ってか、女子は何処で寝たらイイわけ?」


 車庫の床は固いコンクリート。岩屋と同じ車内で寝るのも女子として気が進まない。

そんな仁美に、吉沢はセダン車を指差す。


「私はセダンの運転席で休もうと思うけど、良ければ後部座席を使ったら?」

「……大川サンはどうすんの?」

「私の事はお構い無く、ご自由にお休みください。

 でも吉沢サン、アナタには用があるので、ここに残って貰えませんか?」

「……分かったわ」


 何と無く居場所が無い仁美は吉沢に言われたセダン車に向かうが、1人で先に休む気にもなれず、ワンボックスカーの前で日夏と話す統也の元へ駆け寄る。


「なに話してんの?」

「明日は朝一でここを出られるように、荷物の搬入を済ませておこうと思って」

「荷物って?」

「自衛隊車両に救急箱と工具、銃も何丁か積まれているんで、

 今の内にそれを岩屋サンの車に移しておきたくて。

 吉沢サンは怪我もしていますし、運転できるのは岩屋サンだけですから、

 この1台で ここを出る事になると思います」

「そっか。そんなら手伝う」

「そうですか? 助かります。

 それじゃ、使えそうな物があったら、後ろの座席に積んで貰えますか?

 日夏は俺と銃の移動な」

「はい、統也サン!」


 3人は手分けして荷物を搬入。

運転席で眠っているのを起こさないよう静かに静かに。

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