第44話


「こんな時間に何処へ行くつもりですか? 外は危険ですよ?」

「……」

「門から降りてください。そうすれば騒ぎにはしませんから」

「……」


 穏便に。穏便に。発狂者だとしたら、無闇に刺激してはならない。

携帯電話の細いライトを人影に向け、様子を窺う。

そして、統也がゴクリ……と喉を鳴らすと同時、人影は強行して門を飛び越え様とする。


「ま、待て!!」


 駆け出し、人影の足を掴む。


(捕まえた!!)


「何処へ行くのかって、聞いてるんだよ!!」

「!!」



 ビリリリリ!! ――ドサッ!!



 門に絡みついた有刺鉄線に洋服の裾を引っかけた様だ。

服が裂ける音と共に、2人は揃って背中から倒れ込む。


「イっ……」

「ッッ、」


 人影は地面に転がり落ちるも声を飲み込み、性懲りも無く逃亡しようと体を起こす。


「逃がすわけ無いだろ!」


 統也は人影を抱え込み、力任せに押し倒す。

そこに、騒ぎを聞きつけた巡回中の隊員等が駆け込む。


「何事だ!? 誰かいるのか!?」

「侵入者ならば武装を解除し、地面に伏せろ! こちらは発砲の準備が整っている!」

「いえ、違いますっ、違います! 水原です、水原統也! 不審者を捕まえました!」


 隊員の向ける懐中電灯が、統也とその人物を明るく照らす。

その瞬間、統也はギョッと目を丸めるのだ。


(ぉ、女!?)


「ぅ、うわぁ!」


 思い返してみれば、掴んだ足は随分と細く、抱え込んだ体も酷く華奢であった様な気がする。

だからこそ力でねじ伏せ、馬乗りになって捕らえる事が出来たのだが、組み敷いたその相手が若い女だとは思いもしない。統也は転がる様に女の上から退ける。

隊員等は動揺を露わに言う。


「ぉ、大川サンじゃありませんかっ、こんな所で何をしているんですっ?」

「え? 大川? ……大川、由月?」


 統也はマジマジと女を見やる。

夕食時には見なかった顔だが、隊員がそう証言するのだから間違いないのだろう。


「これは、ノートパソコン……こんな物を持ち出してどうする気だったんですか!?」

「脱サクして、大学の研究室に戻るつもりだったんじゃないでしょうね!?」


 【脱サク】とは駐屯地の柵を越えて脱走する事を言うが、由月は詰問する隊員等には一瞥を向けるでも無く立ち上がる。

そして、有刺鉄線に引っかけたロングスカートの裾が裂けてしまった事に溜息を零す。


「……私が私の居場所に戻ってはいけませんか?」

「大川サン、好い加減にしてくださいよ!」

「蘇えりの檻と、目と鼻の先にある大学に戻るのは危険だと、何度言ったら解かるんですか!?」


 やはり脱サク。

どうやら由月は持ち出されたノートパソコンと共に大学研究室に戻ろうと、この夜更けに強行に及んだ様だ。『人騒がせな!』と、隊員等は目鯨を立てる。

然し、由月の道理は他にある。隊員等をギロリと斜視し、口調は冷静を努めて言う。


「私も何度も言っています。こんな所では望む研究は出来ないと。

 結果を臨むなら、私を1人にしてください。

 情報は速やかに提供します。それで良いでしょう?」


 安全な避難所よりも、研究に適した危険な場所に、更なる危険を冒してまで戻ろうと言うのだから、由月の考えは常人を越えている。

雖も、組織にとっては有知識者である由月の主張を受け入れる事は出来ない。


「――仕方ありません。

 聞き分けが無いようなら多少手荒なマネをしても構わないと、松尾将補に言われております」

「ご理解いただけるまで拘束する事になりますが、宜しいですね?」


 隊員は腰ベルトにぶら下げたタイラップ手錠を取り出す。紐状の結束バンドだ。

これに統也は慌てて立ち上がり、仲裁に入る。


「ぁ、あの、そんな大袈裟なっ、」

「キミもキミだ! 一般人の夜間外出は禁じているだろう!

 協力には感謝するが、何かあったら直ぐに知らせてくれなければ困るよ!? 解かったね!?」

「さぁ、今日の所は見逃してあげるから、子供は早く部屋に戻って休みなさい!」


 隊員等からすれば、18才の統也は非力なお子様。

由月を引き止めた事には褒めてやれても、規律を破って建物の外に出た事は笑納できない。

厳しく叱責されれば、統也は怫然に顔を顰める。


「そ、そうゆう言い方は無いでしょうっ? いや、俺の事は兎も角……

 休まず警備してくれるのは本当に有り難いですけど、拘束は感じ悪いですよっ、

 ちゃんと話し合えば良いだけでっ、大人がそんなんじゃ、子供は安心して眠れません!」


 頭ごなしな命令口調では指示に従う気になれない。

子供扱いするなら子供としての見解で物を言わせて貰う迄だ。

そんな統也の主張に隊員等は押し黙る。


 こんな所で揉めても、自分達の警備責任を上から問われるだけだ。

タイラップ手錠を仕舞い、由月を見やる。


「分かったよ、……大川サン、貴女も今日の所は見逃します。

 どうか、ご自分の立場を良く理解して、今後は我々に協力してください」

「さぁ、2人とも中に戻って!」


 隊員等に背を押され、統也と由月は隊舎の正面玄関まで追いやられる。



「統也クン!」


 統也がロビーに戻れば、仁美は一目散に駆け寄る。

そして、その隣にいる由月を見るなり、口の両端に力が入る。


「……この人だったの? 外にいたの、」

「あぁ、ええ、何か……息抜きに散歩をしていただけだったみたいで、ハハハハハ、」

「ふーん……」


 由月は目を伏せた儘2人を見ようともしない。それ所か、怨言を零す。



「よくも邪魔をしてくれたわね? 後悔するわよ?」


「ぇ?」



 世界が変化してから、後悔のしっ放しだ。

これ以上どう後悔させられると言うのか、由月が踵を返すと統也は慌てて呼び止める。


「ま、待ってください! け、怪我は……ありませんでした、か?」


 由月を引き留めるも、気拙さの余り目を向けられない。

だが、全ては不可抗力なのであって、ただただ善意。他意は無かった事を伝えたい。


「えっと、すみません……そのm女性だと分かっていればもう少し……

 スカートも、すみません……」


(ここへ来てからも色々あったから、大川由月の事を岩屋サン達に聞きそびれていた。

 あんな研究をしているから、胆の据わった、ずっと年上の人だとばかり思っていたのに、

 まさかこんなに若い何て……)


 女性を押し倒したのは これが初めての事。

存外、真面目な統也の恐縮しきった様に、由月は溜息をつく。


「痛かったけれど、怪我はしていないわ。

 私も……申し訳なかったわね。あんな非生産的な説教に付き合わせてしまって」

「ぃ、いえ! 全部、俺の所為ですからっ」

「それから、お礼も言っておくべきね。

 アナタのお陰で拘束されずに済みました。ありがとう」


 由月は部屋へと戻って行く。

統也達の部屋とは真逆の廊下へ向かう事から、由月には特別室が宛がわれている様だ。

呆然と由月の背を見送る統也に、仁美は眉を顰める。


「ねぇッ、何なの!?」


 我に返る統也は瞬きを繰り返し、首を傾げる。


「な、何ですか? 平家サン」

「――別にッ……あぁもぉイイ! 何でもナイっ、私、寝るから!」


 顔を背け、仁美は統也を置いて部屋に戻ってしまう。

女心は難しい。



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