第39話

 研究室には一報が入る。

由月はパソコンのキーボードを叩く手を止め、受話器をとる。


「そちらは葉円成都大の研究室ですね?」


 研究室直通の番号を出発する前の岩屋と日夏に教えたが、受話器から聞こえるのは初めて聞く男の声。これに由月は推理を働かせ、表情を強張らせる。


「――はい。自衛隊の方ですか?」

「はい。Y市Y地区の自衛隊駐屯地の者です。

 2時間程前に、生存者である岩屋圭市サンと靖田日夏サンの2名を保護しました。

 話によると そちらの研究室に残り2名の生存者がいるとの事、

 直ちに救出に向いますので状況説明を願います。

 まず、蘇えりの者の大凡の数を教えてください」

「誤解が生じているようです。救援希望は男性1名のみです。私は希望しません」

「はい?」

「彼を救護してくださる事には感謝しますが、身柄の保証を約束して頂けますか?」

「勿論です。僅かですが、こちらには医療設備もあります」

「――そうですか、分かりました。

 私はここに残りますので、用が済み次第、速やかにお引き取り頂きます」


 研究室を離れるつもりは無い。

そんな由月の口振りに、電話口の応対が入れ替わる。


「もしもし。我々は専門知識を持った方の協力も求めています。

 聞けば貴方は、大学では研究員をなさっているとの事、1度こちらにてお話を聞きたい。

 それを条件に貴方がたの受け入れを承諾しています。

 お断りになられるようでしたら、現在こちらで保護している2名にも

 速やかに引き取って頂く事になりますが、宜しいですかな?」

「!」


 知識提供を要望している様に聞かせながら、最後には取り引きを持ち出すから、流石プロの話術。由月からすれば人質を取られた様なものだ。

由月は固く拳を握り、ベッドに横たわる田島に目を側む。

このまま寝かせておいても田島の死期は早まるばかりだ。

今は適切な医療を与える是非が迫られている。



*



 自衛隊駐屯地では部屋に閉じ込められた事に諦観し、寝転がる岩屋と、猛省に項垂れる日夏が言葉ない時間を過ごしている。

少なからず、この場所にいれば食事が提供され、徹底的に管理された組織での安全が約束される。

良識ある避難者である事をアピールする為にも、今は黙って過ごすのが得策だ。

だが、好い加減、無言でいるのも嫌気が差したのか、岩屋は隣りのベッドに腰かけて顔を伏せる日夏を見やる。


「なぁ、そうゆう鬱陶しいの、やめないか?」


 泣いて落ち込んで。そんな日夏のネガティブさが岩屋には煩わしくて堪らない。

雖も、言われて立ち直れる程、日夏は単純な男でも無い。


「こんな事になる何て……」

「まぁ、物は考えようだ。

 ここにはプロの兵隊がいて、監視体制もバッチリで、その辺全部押しつけて、

 俺らは寝て食ってりゃ良いんだから気楽なもんだろ?

 きっと今頃、大川サンと田島君も保護されて、大はしゃぎで戻って来るさ」

「由月サンは研究し続けるって言ったの、岩屋サンじゃないですか……」

「あぁ? 言ったから何だってんだよ?

 彼女がそうなんじゃないかってだけで、断言した覚えはねぇぞ!」


 岩屋は都合が良い。自分に限っては発言責任が発生しない。

日夏は余計に肩を落とす。16才にして、話にならない大人がいる事を悟った様だ。


「でも、大川サンの事を言ったのはマズかったか知れねぇなぁ……」

「え?」

「人の素性ってのは、他人が勝手に言うもんじゃないんだよ。個人情報ってヤツだから。

 それなのに、キミが騒ぎ立てるもんだからウッカリ……

 大川サンは頭良さそうには見えるけど、ここの人らが要求するだけの仕事が出来るか

 分からないだろ? 期待ハズレ何て事になったら、お互い顔を合わせにくい」

「由月サンは立派な専門家です! 僕の事だって、あんなに熱心に励ましてくれました!」

「そんなんで この状況が変えられるってなら、誰も行き詰って無いんだよッ、

 ああゆうのは机上の空論って言って、

 頭ん中だけで考えた事が実際 役に立つか何て分かんねんだから!」


 岩屋から言わせれば、由月の言う最もそうな主張は、現実性の薄い御託に過ぎない。

絵空事では組織が動かない事を、岩屋は社会人として良く知っているのだ。

それでも由月の言葉に強く胸を打たれた日夏にとっては、立証されていない空論にしろ真実。


「ぼ、僕は由月サンを信じてます!

 だって、僕達生存者の為に命懸けで研究してくれてる……たった1人で!!」


 統也にしろ由月にしろ、1人で立ち向かう勇気を持っている。

それだけでも日夏が羨望し、崇拝するには充分すぎる要素なのだ。

無論、そんな感情論を唱えても、岩屋には暖簾に腕押しでしか無いのだが。


 そんな言い合いをしている所にドアがノックされる。



「たった今、生存者2名が到着しました」


「「!」」



 2人が反応すると同時、開錠されたドアが開かれる。


「由月サンも来てくれたんですね!」

「はぁ、そりゃ何にせよ良かった。あの、田島君は?」

「折角ですから接見を。こちらです」


 正面玄関前のロビーに、由月とストレッチャーに乗せられた田島が現れる。

飛び跳ねて喜ぶ日夏が駆け込むも、由月は一瞥を向けるばかりで目を伏せる。

岩屋は木下に問う。


「田島君は治療して貰えるんですよね?」

「治療と言っても、ここには医療班の者が1名いる程度で大した設備も残っていません」

「えぇ!? それはちょっと、話が違うんじゃぁ……」

「最低限です。点滴パックが幾つか……それで暫く延命を図れる筈です。

 勿論、彼が目覚めるよう我々も最大限の努力はします」


 もう少し詳しく話を聞いておくべきだったか、

否、体に栄養を入れてやれる分、これ迄よりはずっとマシだ。

期待外れではあっても岩屋は頷き、ストレッチャーで運ばれて行く田島を見送る。



「ま。怖い思いもしねぇでここまで来れたんだ。感謝して貰いたいよ」



 さて、由月は浮かない顔をして松尾と握手を交わす。


「大川由月サンか。

 調べさせて貰ったが、若いのに随分と華々しい経歴の持ち主じゃないか。

 脳科学に心理学の博士号を持っているとは、実に頼もしい」


 松尾から聞かされる由月の経歴に、日夏の目は一層輝く。

まるで女神でも見る様だ。


「やっぱり由月サンは、すごい人だったんですね!」

「今は気象学を専攻する一介の研究生です。お役に立てる事があるとは思えません」

「部下が研究室の物を幾つか持ち帰ったが、

 蘇えりの経過観察がノートパソコンに集積されていて驚いたと言っていた。

 あぁ、許可なく持ち出したのは申し訳ないがね、ここの設備は多く破損している。

 あちらから持ち出さない事には、キミに研究を続けて貰う事が出来ないんだ。

 理解してくれたまえ」

「私は研究室に戻ります。パソコンを返してください」

「なにを言うんだ、有知識者のキミをあんな危険な場所に残しておく事は出来ない。

 ここからでも研究が出来るよう向こうの望遠鏡に小型カメラを付けて来させたから、

 モニタリングは可能だ。これで文句は無いかろう?」

「私は1人でいたい」

「困った子だ。ここの環境を整える為にもキミには尽力して貰いたいのだよ。

 1日でも早く、生存者を安全に迎え入れる為にも」

「――」


 生存者を引き合いに出されては、由月も是と頷くしか無い。

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