第53話 小さな歪みー3

 刻ばかりが過ぎていく。重いような早いような、不思議な時の流れだ。

「おれが死んだときには新選組の歪みは直ってると思うよ」

 そう笑う平助の顔はどこまでも穏やかで、歳三の胸を不安でいっぱいにする。

(これは、己の寿命を悟っている男の目だぞ……)

 切腹する直前のサンナンさんが、同じ目をしていた。それを嫌でも思い出してしまう。

「馬鹿、お前を殺す奴は俺らがゆるさねぇぞ」

 ようやく見慣れてきた平助の額の傷を撫でた。

「綺麗な顔に傷が残っちまったな」

「少しは男らしくなったでしょ」

「お前は誰より男だよ」

「鬼の副長に褒められた! ふふ、はやくみんなに知らせたいなぁ」

 平助の心は、すでに京へ飛んでいるらしい。そんな平助に、斎藤が静かに声を掛けた。

「京へ戻ったら、妖種子が動き出すかもしれないぞ。雷微を倒したという報告がないからな。怖くないのか?」

「怖いと言えば怖いよ? おれの魂はほとんど妖怪なんだもん。いつ封印が解けて妖怪が動き出すか、本当にわからない。そうなったら、自分が自分でいられなくなる。だから……少しでもみんなと一緒に居たいし、みんなの役に立ちたいんだ」

 内容の割に声は明るい。平助は本当に、そう思っているのだろう。

「解った。お前の好きにしろ、平助」

「へへっ、ありがと。トシさん」


***


 一方そのころ、西本願寺の屯所の一角では、ちっ、としきりに舌打ちを漏らす人がいた。

「何があったんだ、新八、篁さん……」

 部屋の中には布団が二つ敷かれ、二つともこんもりと膨らんでいる。

「総司はどこ行ったんだ……?」

 わからないことだらけだ、と二人の枕元についている近藤勇は呟いた。


 この日の明け方。

 裂傷だらけで乾いた血がこびりついている篁と、首筋に獣に噛まれたような傷があって息も絶え絶えの新八が発見された。怪我をして数日が経過しているようだが、手当てを受けた形跡はない。

 どうやら、境内に放り出されていたのを厠に行くために起きたお寺の人が見付けたらしい。新八の顔を知っていた彼は、大慌てで門主の部屋へ飛んで行った。

「新選組の永倉新八と、もう一人見知らぬ男が境内に打ち捨てられております」

 ただちに近藤勇の妾宅へ人が走り、近藤勇が血相を変えて西本願寺へと飛び込んできた。

 駆け付けた近藤は、まず平謝りに謝った。なにせ、この人達はものの怪に襲撃されたのだ、おれは化け狐を見た、などと上を下への大騒ぎだったのだ。

 だが、門主は有無を言わせず近藤を空き部屋に引っ張り込み、急いで告げた。

「化け狐に襲われたわけではありますまい。おそらくあの白銀の狐は、この方々をここまで運んできたのでしょう。けれど、屯所に運びたくとも近寄れなかった。なぜならば、妖避けの結界が張ってあるからです。あのお二人にも妖気がたっぷり纏わりついてるが妖怪ではない。強い妖力を浴び続けたのでしょうな。とにかく、結界があの二人を拒むことのないようお祓いをしておきました」

「かたじけない」

「新選組が憎くとも、怪我人を見捨てるほど冷血ではございません」

 立ち去る門主の背中に向かって深々と頭を下げた近藤は、ため息をついた。

 白銀の化け狐。ほぼ間違いなく総司のことだろう。

「総司、どこへ行った……?」

 見てみぬ振りをしているが、総司が連日連夜、篁とともに都を駆け巡っていたのを知っている。非番の幹部が出掛ける先――祇園や妾宅であっても――にこっそり現れて簡易な結界を張り、妖を狩っていく。

 本人たちは隠密に活動しているらしいが、勇の愛妾も気が付いているし、サンナンさんが愛した明里も松本医師もとっくに気が付いていた。

 だがここ数日は、その気配もない。

「あの子が一人で活動している……とは考えにくい」

 だいたい、怪我人を放り出すような子に育てた覚えはない。

 ううむ、と近藤は腕を組んでさらに考える。こんなとき歳三がいてくれたら瞬時に答えが弾き出されるのに、と彼の不在を心もとなく思う。だが、いつまでも頼りっぱなしではいけないと思い直して自問自答を再開する。

「放り出さざるを得なかった……だろうな」

 門主の言葉を信じるなら、新八と篁は妖力を浴び続けていた。怪我をした二人は、どこかへ連れて行かれて監禁されていたのだろう。そこから、総司が運び出した。

 本来の総司なら結界を潜ることが出来る。それをしなかったということは。

「総司の身にも、なにかが起こった……?」

 ふいに勇は、ぽつんとたった一人、残されたような気がした。歳三と総司がいない、両腕をもがれた気がした。

 平助が大変なことになり、サンナンさんがいなくなり、今また新八と篁が怪我をした。左之助や源さんがいてくれるが、彼らもいつ怪我をするかわからない。

むくむくと頭をもたげた不安はたちまち近藤を抱きすくめる。

「トシ、俺はいつか、一人になるのかもしれん……」


 「聞いたぜ、近藤さん。新八が怪我、総司は行方知れずだぁ?」

「おお、左之助!」

 ぐるぐると取り留めのない思考の波に呑まれていた近藤は、威勢のよい左之助の声で我に返った。

 いかんいかん、と軽く首を振る。歳三と伊東が江戸へ行ってからというもの、どうも暗い思考に沈みがちなのだ。

 そんな局長の変化を知ってか知らず家、左之助はどっかりと新八の枕元に腰を下ろすなり太く凛々しい眉を、思い切り跳ね上げた。

「あーあ、喉笛に一撃か。並外れた犬や猫に食い付かれたな。んで、篁さんは……こりゃ雷でも喰らったか?」

 勝手に布団を剥ぎ、着物を肌蹴るとさらに勝手に包帯を解き、診断を始めた。

「うわ、こんな怪しい怪我人二人も松本法眼に診てもらうのもなあ……つーか、こっから動かせねぇし。やっぱここは、まず篁さんをどうにかしないとな」

「左之助、どうして篁さんが先なんだ?」

「んあ? だって篁さんだけだろ、狐に戻っちまった総司を無理矢理にでも言うことを聞かせられるのは」

 新八の包帯を巻き直す手を止めた近藤が、不思議そうに眼をぱちぱちさせた。

「どういうことだ?」

「篁さん、妖怪を調伏したり思いのままに動かす術を身につけてるぜ? かなり霊力が高いから妖狐を探したり使役したりするぐらい、簡単なことらしい」

 そうだったのか、と近藤の目が輝いた。

「総司を探すのは専門家に任せればすぐというわけだ」

 そのとおり、と互いに頷きあい、知っている限りの手を尽くして篁の覚醒を促すが、血の気が失せた顔も、ぴたりと閉じた瞼も、動く気配が全くない。首筋や手首に触れるとなんとか生きているのがわかるが、そうでなければ死んでいるのかと思うほどだ。

「困ったな、左之助……」

「ああ、困った。篁さんどころか、新八もぴくりともしねぇや……」

 このまま二人が死んでいくのをだまって見ているしかないのだろうか。流石の左之助の顔にも、影が落ちた。

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