第41話 わかれー2
どのくらい寝ていたのか。いや、本当に寝ていたのか、気を失っていたのかわからない。
はっと気が付いたら、なんと自分の身体が勝手に動いていた。
どうやら得体の知れない「何か」が自分の体内の奥深くに潜んでいたらしい。そして自分はそれに乗っ取られてしまったのだ、と山南はおのれの状況をゆるやかに理解した。
その「何か」とは、自分の心の根底にあるどろどろとしたもの――きっと、武士にあるまじき「負の感情」であろう。
化け物はきっと、それを餌にして育った。
「つまり、体内の化け物を育てたのは自分である……」
そう自覚した山南は、慄然とした。
山南が心の奥底で恐れていること。
それは、新選組で「要らない者」と判断されて粛清されること、である。
隊士は多かれ少なかれ皆がその恐怖を抱えているのだが、山南の場合は、伊東甲子太郎が入隊したことでその危機感が急激に膨れ上がってしまった。
その上、局長に意見をしたらそれなりに処罰されることも判明した。副長が見せしめのために葛山を切腹させたとは思っていないが、それでも迂闊なことは口に出来ないという空気が、屯所の中に確かに存在する。
「伊東さんが憎いわけでも、トシが憎いわけでも、近藤さんが憎いわけでもない」
要らぬと言われたら大人しく腹を切る覚悟とて、疾うに出来ていると言うのに。
「ああ、なんという不始末……情けない」
こうしている今も、自分の体が大切な仲間であり、新選組に欠かせない人物のトシを襲撃している。
「どうすれば……すまない……」
山南は化け物を排除しようと試みたが、疲労しただけで一向に効果はない。
「すまない……すまない、すまない、申し訳ない……」
次第に抵抗する気力も失せ、山南は精神を閉じてしまった。
がっくりと道端で気を失ってしまった山南を、どうにかこうにか屯所まで運び込んだ歳三は、眠る山南の枕元に座り込んだまま一人悶々と頭を悩ませた。
単なる体の病なのか、それとも心の方に異常を来たしてしまったのか。
隊務は決して楽なものではなく、過酷なものが多い。元来、優しくて大人しいサンナンさんの心が悲鳴を上げてもおかしくないと思う。
「俺と違って冷徹な鬼に成りきれなかったサンナンさん……それがわかっていながらこんなになるまで手を打たなかった、俺にも責任がある」
だが、もうひとつ考えられることがある。
「もしかして……雷微の仕業じゃねぇのか……?」
いつのまにか平助に妖種子とやらが埋められていたことを思い出す。
「そうだとしたら、俺の手には余る。専門の奴等に任せるに限るな」
すっくと立ち上がったものの、総司は巡察に出ているし、新八は非番で遊びに行っている。
「くそっ」
こうなれば、専門家中の専門家である篁を呼ぼうと思い、はたと呼び方を知らないことに思い当たる。
「ちっ」
鋭く舌打ちを洩らし、その場に手枕で横になった。今宵は、とても眠れそうにないが、自室に戻る気にもなれない。
魘される山南とそのたびに飛び起きる歳三。眠れぬまま、どのくらい時間が経っただろうか。
「……駄目でもともと……」
衣服をあらためて、下駄をつっかける。
「副長、こんな夜更けにお出かけですか?」
「ああ、斎藤か。ちょっとそこまで出かけてくる。篁さんが姿を見せたら、俺の部屋へご案内してくれ」
歳三が向かったのは、壬生寺の貫主のところだ。
「厄除けや祈祷、なんでもいいから頼みたい」
夜更けにたたき起こされた貫主だが、歳三の様子がただ事ではないことを察したのだろう。嫌な顔一つせず引き受けてくれた。
「……効果があると、良いのですがな……」
その効果があったのだろうか。山南は静かに眠り続けた。
翌朝、非番なのをいいことに、仔狐の姿に戻って壬生寺の境内の木の上で寛いでいた妖狐をみつけた歳三は、問答無用でその身体を掴み、懐に押し込んだ。
「むがっ、くるしっ……」
「急用だ、許せ」
「せっかくのお休みなのに!」
懐の中でじたばたと暴れる白銀の妖狐。どうやら殴っているつもりらしい。
人型のときに殴られればそれなりに痛いが、狐の小さな前足でぽかぽかとやられても痛くも痒くもない。
「おとなしくしろ、総司」
「むうう……」
あえて自室をさけ、前川邸の方へ回る。適当な空き部屋を見つけて入り込む。
「総司、サンナンさんのことだがな」
「へ?」
その言葉に、妖狐が懐から顔と前足を出した。耳がぴくぴくと動く。
「平助の二の舞じゃねぇかと思うんだ」
「え? どういう意味?」
「平助に……伸びてたんだ、サンナンさんにも、雷微の魔の手が伸びてても不思議はねぇだろ?」
「いくらなんでも、それだったらぼくや永倉さんや、篁が気が付いてると思うけど?」
「だよな……。しかし……平助のときより、もっともっと奥に巣食っているとか、能力の高いやつだったとしても、わかるのか?」
へ? と妖狐の動きが固まった。
「能力が高いってどういう意味? 何か、良くないことがあったの?」
「サンナンさんの性格が入れ替わったんだ。乗っ取られた、とか……。そこらをうろうろしている化け物とは、違うだろ?」
妖狐が歳三の懐から飛び降り、成獣の形をとった。
「サンナンさんはいまどこに?」
「自室で寝ている」
「篁と永倉さんを呼んでくる。トシさんは自分の部屋で待ってて!」
待つ、というのはこんなにも苦痛だっただろうか。
「トシさん、歳三さん! 入っても良い?」
酷く慌てた、半ば悲鳴のような総司の声を聞いたとき、歳三は手遅れだったことを、悟った。
「ああ、入れ」
襖を開けてやれば、沈痛な面持ちの新八と、其の腕にしがみ付いた仔狐がいた。白銀の尻尾が、だらりと力を失っている。
「土方さん、あれは雷微の放った妖怪じゃなかった……」
「どういうことだ、新八。説明しろ」
座布団の上に下ろしてもらった妖狐は器用に前足で顔を覆って悲痛な声を出した。
「トシさん……聞いて。ずっと前……芹沢さんたちを葬ったとき、あの人達が妖怪を呼び寄せていたのを、覚えてる?」
「ああ。お前が一人で大騒ぎしていたな」
「あれだよ、あのときの妖怪の残滓が、山南さんの中でずっと育ってたんだよ!」
そんなことがあるのか、と、歳三の目が大きく見開かれた。
「それに気が付いた雷微が、ちょっと手を出したんだろうな……畜生!」
新八も、悔しそうに畳を拳で打った。
「心優しい山南さんが育てた妖怪だから……妖気がなかったんだね……。だから……雷微がちょっかいかけて妖怪として覚醒するまで、篁もぼくも、気が付かなかったんだ……」
芹沢一派を討ったときの様子を、思い出す。確かに、山南・原田組はしばらく歳三と総司の視界から消えている。
「目を離したあの時に、妖怪の残滓がサンナンさんの内に入り込んじまったのか……!」
こくん、と妖狐が頷き、部屋に、重たい沈黙が降りた。
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