2-11「分岐」

 ……やっぱりそういうことだったか。「人間を狙うだけ」にしちゃあ、奴の面構えは反撃を警戒するかのように気合が入っていた。つまり、最初からクモ狙いだったんだ。人間で例えるなら蚊を叩くのと蜂を叩くくらいの違いだな。それに気付いたんで俺はひとまず静観することにした訳だ。


ムカデグモの顔のコガネ部分は、ヤリバケグモの体を引き裂いて中身を啜り、体の下半分を完全に喰うと、喰い跡の回りに四本の脚でしがみ付き、頭部をそこに押し付けた。

数秒すると、接触部分が融着してきた。コガネの脚だった部分は雑な縫い目みてぇに見える。実際に脚が糸の役目を果たしてんだろう。 更に数秒すると本体の動きにこの新しい頭部が連動し始めた。完全に合体したらしい。

奴は天井から再び下を見下ろす。バケグモ共が散っていくのに見向きもしていねぇ。面構えも人間で言うニヤニヤした表情になった。 ……今度こそ狙いは人間みてぇだ……!

生存者の声を押し殺した悲鳴が大きくなる。俺は……!


――――――――――――――――――

ムカデグモが、壁に張り付けられた男を狙って口から何かを吐き出した。

「うわぁあああ!」

悲鳴はその糸とも粘液ともつかねぇ何かに包まれてすぐにかき消えた。口から繋がったままのその塊をムカデグモが口に引き戻していく。凄まじい悲鳴と共に塊の体積が小さくなっていく……。

――――――――――――――――――

ムカデグモが、壁に張り付けられた男を狙って口から何かを吐き出した。

「うわぁあああ!」

粘液に包まれた人間は悲鳴と共にドロドロに溶けて、骨と粘液の塊になった。ムカデグモ本体がそこに突っ込んで塊を貪りだす。俺達は歯ぎしりしながらその様子を見守るしか無かった…。

――――――――――――――――――

ムカデグモが、壁に張り付けられた男を狙って飛び掛かった!

「うわぁあああ!」

その体を壁に叩きつける。鮮血と骨が砕ける音に周囲の生存者が絶叫する。ムカデグモは更に体を引き裂き血を啜っていく。俺は二人を振りほどいて走り出したが、もう手遅れだ!

――――――――――――――――――

ムカデグモが、壁に張り付けられた男に目標を定めた。

「うわぁあああ!」

悲痛な叫びを聞いた瞬間、俺は二人を振りほどいて走り出した。洞穴へ飛び込んだ瞬間、断末魔の絶叫が聞こえた。遅かった!

――――――――――――――――――

ムカデグモが、壁に張り付……。

――――――――――――――――――


 ……俺は二人を振りほどいて走り出した!


「すんません!」

「片桐くん!?」


虫の表情を読めない二人はどうしても俺より奴の行動に動揺しやすい。画面を注視するあまり拘束を緩めでいたのに気付いていなかった。「例の力」が発動しちまった反動で頭が痛ぇが構ってる暇はねぇ。


「ハル!」


 俺の後ろで恵里が走り出した。穴までの十メートルを俺は宙に飛ばした刃の上を跳んで追い離そうとしたが、恵里は俺が刃を退かす前にその上を跳んで追いついてきた。


「跳んで!」


 背後で恵里が鞘に触れた音を聞き、俺は大きく跳び上がる。


「せりゃああ!」


炎の斬撃が入口の糸を焼き払う。俺が今までいた場所ごとだ。危ねえな!?ここで手間取るわけにはいかねぇから助かるけどよ!恵里は勢いのついたまま、俺より先に洞穴に突っ込む。


「お前!」

「こうなったら仕方ないでしょ!ハルは私が守るから!」


 刃を蹴って位置エネルギーを殺し、地面に着地する。奴の居場所までは二十m。グラスを掛けて暗視モードで見ると、道中のバケグモはざっと二十、相手にしてる暇はねぇ。魔力消費度外視で刃を高く飛ばしまくり、その上を二人で飛び渡っていく。


「うわぁあああ!」


 絶叫が響く。まずい!『また』間に合わねぇ!俺は一瞬、恵里の顔を見る。恵里が頷く。俺は大きく息を吸う。


「おい!テメェらぁああああっ!!こっちだ!!」


 洞穴全体に響かせる勢いで叫んだ。すぐにデカい殺気が届いてきた。こっちへ近付いてくる。一応、虫に語りかける時の「声」を使ったが、普通の声で充分だったかも知れねぇ。

 この東の入り口から南の広場までは道幅が狭い。奴は体がデカいから動きにくいだろうが、俺たちも逃げ場がない。ここで戦うのは厄介だが、奴を生存者から引き離すのが優先だ。

 奴が慎重にゆっくり迫ってくる。少しでも有利な位置取りになるように、かつ距離を開けすぎねぇ様に注意して待つ。


 意外にも他のバケグモからの殺気や敵意は感じねぇ。奴にビビってるのか?好都合……と言いてぇが、俺たちを無視して生存者を襲われる可能性も有るからそうも言ってられねぇ。


 俺たちは手持ちのドローンを全部飛ばした。北半分の未探索エリアの生存者と敵の数を把握する為だ。厄介な糸を避けてゆっくり進むように指示した。その分調査に時間は掛かっちまうが、どうせ奴をどうにかしねぇと、北には行けねぇからな。一部は南にも回して、生存者が襲われた時の時間稼ぎにも備える。

 ノゾムたちクワガタ軍団も数匹残っているが、まだ出さねぇ。雑魚妖怪相手なら戦える精鋭揃いだが、糸に加えて小せぇ蜘蛛に襲われる危険もあるからダメだ。

 奴を待ち構えながら、近場の糸を切れるだけ切っておく。突っ込む時に刃を先行させて大体は切ったが、念を入れとく。準備が終わるかどうかのうちに、奴が曲がり角まで来た。物陰から様子を窺っている。


「恵里!」


 俺が声を掛けたのとどっちが早かったか、恵里は高さ二メートルの位置の壁に刺した刃へと跳び移る。俺も横っ飛びに反対の壁に張り付く。

 一瞬後、巨大な質量がミサイルみてぇに俺達のいた場所をぶち抜いた!

 洞穴全体が大きく揺れ石粒が俺達に当たる。

 ……野郎!物陰の岩ごとぶち抜いてきやがった!



 奴の体は、俺たちが入ってきた入口付近の岸壁に突き刺さった。クソ!近くにあった犠牲者の遺体が岩で押し潰れた。奴は体を引き抜き、こっちへ向き直る。不味いな……生存者の方へ合流したいが、南に向かう最中に今のが来たら巻き込んじまう。北側に逃げるのもマシだ。あっちに生存者がいねぇとも限らねぇ。


「お前ら…頼む!」


 俺はノゾムたちを南側へ飛ばした。知覚の鋭いエイジを先頭に三匹が飛んでいく。今なら奴が糸もクモも吹っ飛ばしたから、広場に出るまでは安全に飛べる筈だ。残った俺たちは3匹の進路を守るように構え直す。


「恵里……悪ぃ。暫くここで時間稼ぎだ」

「……え、倒すんじゃないの?」


 恵里は心底意外そうな声だった。俺は奴から目を離さず無いようにしているから横は見えねぇが、多分きょとんとした顔で言ってやがるぞコイツ。九割本気だろう。

 

「……お前が平常運転で安心したぜ」


 ……とにかく今やれることをやるだけだ!


――――――――――――――――――


 北里瑠梨は仮眠から目覚めた。見開いた目にまず映ったのは、彼女を膝枕で寝かせていた円の胸だった。顔は見えない。車の椅子を後ろに倒して自分も寝ているようだ。彼女を起こさぬよう、慎重に身を起こす。円の胸に頭をぶつけながらも起き上がると、瑠梨は何故目覚めたのかを思い出した。


「あれ、瑠梨ちゃん?起こしちゃったかい?」


 助手席の青年が振り返る。運転席の中年男性は椅子を遠慮がちに後ろに倒して仮眠している。二つの席の中央にあるデジタル時計の表示は2:48。恐らく正確な筈だ。


「ハル君たちが戦っています……今何人ですか?」

「二時……四十八分だよ?」

「違います。ハル君たちは今何人ですか?」

「え?」


 青年は面食らう。無理もない。瑠梨が寝呆けていると思うのが普通だ。

 今のを『片桐たちが戦っているが、今何人で行動しているのか?』という意味に理解しろというのは無理がある。戦っている事実を認識しながら、人数が分からないというのもおかしな話だ。


「いや佐祐里ちゃん達は待機中の筈だよ。途中で敵が出たせいで桐葉ちゃんたちとは合流出来てなくてさ……」


 寝ていた間の出来事を説明されても、瑠梨は確信を持って再度言った。


「でも、もう戦ってるんです!桐葉さんたちに急いでもらって下さい!」


 青年は迷った。瑠梨の発言を無視する気もないが、桐葉たちは今まさに強敵と交戦中である。連絡は付くが集中を妨げたくはない。逡巡している間に瑠梨が前へ身を乗り出し、通信機へ手を伸ばす。

 

「あ、ちょっと!」


 反射的に止めようと思った矢先に、更に横から伸びてきた手が通信機に触れる。


 桐葉たちへの通信が繋がる。


「あ、良いんですか…!?」


 運転席の男性が欠伸とともに体を伸ばす。


「ふああ…っと!良いんだよ。こんくらいで手元が狂うタマじゃねぇだろ。聞こえるか桐葉ちゃん」


 通信機の向こうからは剣戟や射撃の音が聞こえる。


『何だよ急に……今こっちは……瑠梨がなんか見たか?』

「察しが良いな。今、春坊達が戦っているそうだ。だな?瑠梨ちゃん?」

「はい……それも多分凄い数で……見たことがない変な妖怪も居るみたいなんです。攫われた人も何人かは生きてると思います……」

『あんのアホ……あれほど言ったのによ……』



『皆!聞いたな!とっととコイツぶっ倒して走るぞ!でもってハルの野郎を半殺しだ!』

「無理を言ってすみません!宜しくお願いします!……ついでに私の分も二割追加でお願いします」

『よし七割殺しとく。任せろ。そっちは援軍を出せるか聞いといてくれ』

「あいよ。多分大丈夫だろ」


 通信を終えると、前の二人は続けて司令部などへ連絡を取るべく、慌ただしく動き出した。待機中の援軍も動かせるようだ。戦闘に間に合うかは微妙だが、戦後処理や手当だけでも援軍は必要だ。一分程で通信を手早く終えたところで、瑠梨が声を掛けた。

 

「すみません。少しで良いので、前に出てもらえませんか?」


 そう言われた青年は咄嗟に、倒したままだった椅子を戻す。が、すぐに違う意味だと気付いた。


「車をか?」

「はい」


 元々、車が入れる限界まで入ったのが今の位置だ。この車で森の中には行けない。


「ほんの数メートルで良いんです。いざという時に、その距離で泣きを見たくないですから」


 ここで車を進むと林の間際になる。万一妖怪が不意打ちしてきた場合に備えての配置だが、少し考えてから10メートル進んだ。僅か一メートル先には大木があり、風が吹けば樹上の雪がガラスに落ちてくる。


「ありがとうございます」


 瑠梨は頭を下げてから、後髪の簪に両手で触れ、少ししてから離した。両手で頬を打つとミント菓子を食べて目を覚まし、事態の変化に備えた。

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