第24話 そしてラッパは吹き鳴らされる
……明かりの消え去った舞台に、少女が影のように佇んでいる。
彼女にはもはや何の役もなく、だからこの舞台も、もはや舞台ではなかった。
「――まったく、みっともないなあ……」
呟かれるのは、歌でも台詞でもないただの独白。
「勝手に運命を感じて、勝手に失恋をして、そのくせ300年もうじうじ引きずって――その果てに洒落にならない嫌がらせをして、好きな人に本気で怒られる。なーにをやってるんだか……」
ただ一人、わたしだけが、観客席でその独白を聞いていた。
「でも……でもね? 少しはわかってほしいの。だって――ヒロインになれないのなら、悪役にでもなるしかないじゃない? そのくらいしないと、彼と同じ舞台には立てないじゃない……」
わかる。……わたしにはわかる。
彼女は未来のわたしだ。
勝ち目のない恋をしてしまったわたしの未来の姿――いずれわたしも、彼女のような残骸になる。
「ごめんね、レイヤ……」
第四の壁を越えて、彼女の目がわたしを見た。
「巻き込んで、ごめん。あなたは本当にいい子だったのに……我が儘に付き合わせて、ごめん」
わたしは首を振る。
違う。
それは違う。
自分が一方的に悪いみたいに言わないで。
わたしだって、あなたみたいに思っていた。
姉さんはズルいって。
好かれる努力を何もしてないのに義兄さんと結婚できるなんて、そんなのズルいって。
「戦ってね、レイヤ」
彼女は柔らかな笑顔で言った。
「あなたは、ちゃんと戦ってね――きっと、あなたなら勝てるから。こんな負け犬にはならないから。お願いよ、レイヤ――」
「――あなたは、こんな風にならないで」
そのとき。
舞台の向こうから伸びた巨大な手が、彼女の身体を掴み取った。
あれは、何……!?
真っ黒な影でできた、彼女の身体を覆い尽くすほどの手……!
あんなの、まるで神の手だ。世界の彼方から、道理を外れた彼女に神罰を与えに来た――
彼女を掴んだまま、手は闇の中に引っ込んでいく。
わたしは追いかけた。
けれど、舞台に上がろうとしたところで、見えない壁にぶつかった。
そのまま、手は消える。
闇の中に溶けて、見えなくなる。
――待って!
わたしは叫んだ。
――もう少しだけ、待ってっ……!
――彼女を……ペイルライダーを、こんな風に終わらせないであげて……!!
答えはどこからもやってこない。
深い深い闇だけが、誰もいない舞台にわだかまっていた。
※※※
「……ペイルライダー」
胸の中に抱えた義妹を見下ろしながら、デリックはもういない少女に呼びかけた。
……これで、よかったのか。
泣きじゃくる女の子に、無慈悲に剣を振り下ろす――本当に、そんな方法しかなかったのか。
「……オレは……」
エドセトア・タワーを介して集めた魔力による人類滅亡のプランは阻止できた。
数十億という人間が、この手で救われた。
だけど、たった一人の旧知は救えなかった。
……こんなことばかりだ。
勇者なんて名乗って、世界を救うなんて言って、オチはいつもこんなことばかりだ。
すべてを掬い上げようと思っても、必ず何かが指の隙間からこぼれ落ちる。掬い上げられたものよりも、こぼれ落ちたもののほうを数えてしまう。
達成感なんてない。
虚しいばかりだ――英雄なんて。
「……デリック――」
リリヤが後ろから声をかけようとした、そのときだった。
足元が揺れた。
デリックは手を床に突いて自分を支え、リリヤは小さく悲鳴をあげてよろめいた。
「な、なんだ……!?」
「ちょ……ちょっと待って……この感覚……!」
全身の肌がざわりと粟立つ。
地震? ――違う。
倒壊? ――違う。
悪寒に衝き動かされて、二人は窓の外に視線を投げる。
妖精が乱舞していた。
群れを成して飛ぶ渡り鳥のように、色とりどりの妖精が、手に手を取って踊っているのだ。
これは……《フェアリー・パーティ》。
何らかの理由から尋常ならざる量の魔力が大気中に散布されたとき、その魔力と霊子が偶発的に妖精を形成するのだ。
「これほどの魔力――まさか……!?」
「ペイルライダーの術式がっ……!?」
この瞬間。
全世界で約5億人が、急性魔力欠乏症によって唐突に意識を失った。
デリックやリリヤの視点にも、それは目に見える形で表れる。
一望できるエドセトアの各所から、不穏な煙が幾条も立ち上ったのだ。
魔力回収魔術による被害は、気絶した当人だけに留まらないはずだ。むしろ、その周囲に撒き散らされる二次的被害のほうこそが深刻にして大量――車の運転手が気絶すれば事故が起こるし、手術中の医者が倒れれば患者は死ぬだろう。
多くの人々が黒死病に倒れている今のエドセトアですら、それは変わりがない。人間社会は常に火と共にあり、そして火を扱っている人間が不意に倒れれば、火災の発生は決して免れないのだ。
災禍は見る見るうちに広がる。
最初は数えられる程度だった煙は、いつしか無数としか呼べない数に変わった
まるでドミノ倒しだ。
たった一本の指が無数のドミノを倒すように、たった一度の魔術が連鎖的に破壊を拡大させる。……果たして今現在、被害者数がどれほどの桁に上るのか、デリックには想像もつかなかった……。
妖精たちは踊り狂う。
壊れゆく街を舞台に、けらけらと笑いながら。
それはまるで、何かを歓迎するかのような様子だった……。
「…………う…………」
腕の中のレイヤがかすかに瞼を開けて、デリックは我を取り戻した。
「レイヤ! 大丈夫か……!?」
「……にい、さん……」
最初は茫洋としていたレイヤの瞳は、デリックの顔を捉えるにつれ、焦点を結んでいく。
しかし、変化はそこで終わらなかった。
その表情が、恐怖とも焦燥ともつかないものに変わっていくのだ。
「……義兄さんっ……! た、助けて――助けてくださいっ!! 彼女が――ペイルライダーが……!!」
「なんだって? ペイルライダーがどうした!?」
「つ……連れていかれたんです……」
連れていかれた?
「アレに――とても深くて、眩しくて、大きな……!」
「「――――!!」」
要領を得ないレイヤの言葉に、デリックもリリヤも表情を変えた。
二人は、それを知っている。
1000年前。
二人の因縁が始まった、その瞬間。
――名を捧げよ。
タイミングを見計らったかのように現れた、その存在を……!
「――《来たれ》」
窓の外で踊る妖精たちが、猛然と一箇所に集まった。
妖精たちは自らの構成要素を、魔力を、霊子を、食肉のように解体して、新たな形を組み上げていく。
「――《アバター・クリエイション/開始》――」
現れたのは、足だった。
人ではない。青ざめた色の、馬の足。銀色の蹄鉄が嵌まったそれだけで、野球場ほどの巨大さだった。
「――《アバター・クリエイション/終了》――
――《アルゴリズム・ビルド/開始》――」
デリックたちは割れた窓からエドセトア・タワーの頂上を見上げる。
声を失った。
見えたのは、青ざめた馬の腹だけだ。
しかし、その上には誰かが乗っている。世界最大の人工建築物であるエドセトア・タワーがつまようじか何かに感じられるほどの巨馬の上に、人間らしき何かが騎乗しているのだ。その足だけが、かろうじて見えているのだ……!
「――《アルゴリズム・ビルド/終了》――」
どこかから――あるいは世界そのものから聞こえていた雷のような声が消えると、青ざめた馬が虚空を蹴った。
ただそれだけで、天望回廊のガラスがすべて割れ砕けた。
「ぐおっ……!?」
「きゃああっ!?」
地面が傾く。
違う。傾いているのはエドセトア・タワーだ。
666メートルのタワーが、風に吹かれた柳のようにしなっている……!
デリックは腕の中のレイヤを庇い、背中をしたたかに壁に打ちつけた。
痛みに顔をしかめながら頭上を仰ぐ。
そこにあるのは天井だ。その姿を見ることは叶わない。
しかし、気配は圧倒的だった。
この世界に、この星に生きる人間であれば、嫌でも知覚を強制される。
天に鳴る雷を無視できないように。
吹き荒ぶ嵐を躱せないように。
それはそういう、超然的な存在感だった。
「――《此なるはガイア第二の雫。母なる泉より零れし一滴の血潮》――」
脳髄に、落雷のような声が刺さり込む。
「――《通告する。通告する。一部権限委任者との契約に基づき、惑星全生命に壊滅的綻びの生ずる決定が下された》」
断定的、と呼ぶもおこがましい。
それはまさに通告だった。絶対的上位者から突きつけられる、事後承諾の宣言だった。
「――《諦念を要求する。挫折を要求する。此なるはガイア第二の雫。母なる泉より零れし一滴の血潮。その全権に基づき告げる。惑星に生きるすべての生命よ、その未来を諦めるべし》」
続いて響き渡ったのは、ラッパの音だった。
幾重にも重奏する世界終末のラッパが、すべての人間を頭の上から押さえつける。
ただ聞くだけで膝が屈しそうだった。なのに、心のどこかで安堵する。
ああ、やっと終われるのか――と。
これは暴虐ではない。圧制でもない。天よりもたらされる慈悲なのだと、心でなく魂が理解した。
だから声は言うのだ。無機質ながらも抱擁するように。慈悲深き宣告を、全世界に下知するのだ。
「――《綻びのままに病み眠れ。今ここに、終末を黙示する》――」
※※※
エドセトア・タワーの直上に出現したのは、巨大な騎馬兵だった。
青ざめた馬に騎乗する巨人の騎士が音高くラッパを吹き鳴らしたかと思うと、マーディーの意識がぐらりと揺れた。
「うっ……ぐっ……!?」
「あっ……!?」
落ちる、という感覚ではない。
引き剥がされる。
魂ごと、意識を、肉体から。
そんな中で、マーディーは目撃した。
西の空には未だ太陽が残り、東の空には白い月が昇っている。その両方が、姿を変えたのだ。
太陽は毛の粗い布のように暗くなる。
月は血のように赤くなる。
続いて、空そのものに異変があった。光と闇とが混じり合う黄昏の空がくるくると巻き取られるように消えて失せ、深い奈落のような漆黒に染まったのだ。
そして、黒い空の向こうに、何かが透けて見えた。
赤い、獣。
血のように赤く輝く、異形の獣―――
――《聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな。全能なる我らが主よ》――
どこからか歌が聞こえる。
世界すべてをステージに、見えない天使が笑うように。
――《聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな。慈しみ深くその腕に抱き》――
その歌声が、自我に入り込んでくる感覚があった。
データを上書きするように、マーディー・ハスラーという名のファイルが、別の何かに塗り潰されていくような感覚があった。
目でものを見る方法を忘れる。
耳で音を聞く方法を忘れる。
鼻で匂いを嗅ぐ方法を忘れる。
狂乱の縁が見えた。理性を手放しかけた。
だがその寸前で、
「……マー、ディー……」
左手で握りっぱなしだった、アンニカの手の感触を思い出した。
歌声で飽和した頭の中で、ただその感触だけがかろうじて生き残っている。
マーディーはそれに縋った。アンニカも同じようにした。
世界でただ二人になって、しかしそれを引き裂くように、第二のラッパが吹き鳴らされる。
※※※
「――ペイルライダぁあああっ……!!」
二度目のラッパの音に自我を吹き散らされそうになりながら、デリックは歯を剥いた。
憎々しげに叫ぶのは、旧知の少女ではない。
彼女に力の一部を預けていた上位存在。
神霊と呼ばれるモノ。
かつて魔神王が世界を放浪して契約したうちの一柱。
「もう終わっただろ……! そいつは! オレたちの知るペイルライダーは!! もう苦しむのをやめたんだっ!! なのに、まだそれを蒸し返そうってのか……!! 本人も望んでない絶望を!! 勝手に完遂しようってのかッ!!!」
レイヤの身体から追い出された、あるいは解放されたペイルライダーの魂が神霊によって乗っ取られた。そしてペイルライダーが今際の際に残した妄執を履行しようとしているのだ。
全人類を不幸に落とす。
平等で公平な不幸にすべてを導く。
愚直に。理不尽に。――人智を超えた、神霊の力でもって。
抗する方法などない。
魔神と呼ばれたデリックであればこそわかる。彼ら7人は、その力を一部借り受けただけの眷族に過ぎない。神霊の本来の力は、魔術という技術の範疇になど収まりはしないのだ。
神とはそういうものである。理解などできない。解釈などできない。ただ人間は、その奇跡にひれ伏すことしかできはしない――滅べと言われたなら、黙って滅びるしか他にない。
それが人と神の、何千年経とうと変わらない絶対的な関係性だった。
だとしても、とデリックは歯を食い縛る。
させるかよ、と心の中で獰猛に吼える。
そんな義理はないのかもしれない。
そんな資格はないのかもしれない。
それでも、胸の中で問いが止まらないのだ。
泣きじゃくる彼女を思い出し。
みじめでみっともない涙を思い出し。
あんな女の子に、世界の終わりを背負わせるのか、と。
あんな女の子に、全人類の命を背負わせるのか、と。
そしてそのたびに、デリックの心は吼えるように答えるのだ。
(――ふざけるなッ!!)
彼女に必要なのは、そっと涙を拭いてくれる指だ。優しく頭を撫でてくれる手だ。一緒に泣いてくれる誰かだ。
断じて、世界を終わらせた罪なんかじゃない……ッ!!
終末の歌声に押し潰されそうになりながら、それでもデリック・バーネットは顔を上げた。
彼女はまだ、きっとそこにいる。
そう信じて、もはや呼ぶことのできない名前を、それでも叫んだ。
「―――ッ×××××―――ッ!!!」
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