第19話 僕と君にできること
紫の雷光を漏らすバイクを駆り、デリックとリリヤは高架上のハイウェイを駆け抜ける。
前方、赤いスポーツカーには、レイヤの身体を乗っ取ったペイルライダーが、銀髪を風に靡かせながらこちらを向いて立っていた。
その遙か背後――スポーツカーが向かう先には、現代的デザインの霊波塔エドセトア・タワーが聳え立つ。
「あいつにエドセトア・タワーに辿り着かれるとマズい……! 霊波塔の機能を使って世界中の魔力を集めたら、魔神の力が丸ごと復活する可能性がある!」
「そうなったら、被害はこの街だけじゃ済まないわ……。《
「わかってる! 一人一人が破滅級――それが魔神だ。復活させるわけにはいかねえ。現代には必要ねえんだよ、魔神なんてもんはッ!!」
ギュァンッ! とタイヤが唸りを上げた。赤いスポーツカーとの距離を詰めていく。
(スピードはこっちが上だ。すぐにケツを捕まえてやるッ!)
と――スポーツカーのシートに立つペイルライダーが、唐突に手を振り上げた。
白旗か? だとしたら挙げる手が一本足りない。
怪訝に思った直後に、デリックの耳朶をエンジン音が打つ。
ハイウェイ脇の防音フェンスを、巨大な車体がぶち破ってきた。
「どぉわあっ!?」
「きゃああっ!?」
慌ててハンドルを捌き、転がってくる瓦礫を躱す。
自ら撒き散らした瓦礫を踏み潰しながら滑り出してきたのは、暗い緑色の装甲車だ。
それがスリップするように停止して、デリックたちの行く手を塞いだ。
その全身からハリネズミのように生え出すのは、黒光りした冷たい銃身。
無数の銃口が狙いを揃えるや、デリックの総身がざわりと粟立った。
「おいおいおい! 人に向けるなそんなもん!」
「任せてっ!」
リリヤの《五衛精》がバイクの前に飛び出し、空中に幾何学式マギグラムを描いた。
直後、大量の銃声が耳をつんざく。
津波のごとく押し寄せた銃弾は、しかし一発としてデリックたちには当たらなかった。
自ら避ける。曲がる。
バイクを覆うようにして展開された風のヴェールが、銃弾の軌道を逸らしたのだ。
装甲車が迫る。
その頑強な車体はハイウェイを完全に塞いでいた。隙間は1メートルたりともない。あるとしたら――
「しっかり掴まれッ!」
「えっ――!?」
ハンドルを切りつつ全力で捻る。
ウウゥウンン――!! と遠雷にも似たエンジン音が唸りを上げ、一層の速度でアスファルトに焦げ跡を作った。
向かう先に、道はない。
あるのはひとつ――道路の外に突き出すように湾曲した、防音フェンスのみ。
「うそうそうそバカバカバカぁぁぁ―――っ!!」
後ろの同乗者の文句は無視し、全速力で防音フェンスに突っ込んだ。
乗り上げる。
駆け上る。
重力に対して垂直になりながら、装甲車の横を通り抜けた。
一瞬だけ忘れ去られた重力は、我を取り戻したように再びバイクを掴む。それに従って道路にタイヤを戻したときには、装甲車は遙か背後だった。
「はッ! あの程度でオレを阻めたつもりとはな!」
「死ね死ね死ね死ね死ね!」
後ろの許嫁がバシバシ背中を叩いてくるのには気付かない振りをして、前のスポーツカーに視線を向ける。
(少し距離を離されたか。だが――!)
辺りが急に暗くなった。
「は?」
「え?」
いくつもの巨大な影に後ろから追い抜かされる。その正体は、すぐに視界に入ってきた。
2機の攻撃無人ヘリ。それらは回頭してこちらを向くと、物騒な代物を見せつけた。
流線型のそれは、いわゆるミサイルと呼ばれるもの。
「ばッ――!?」
2機合わせて4発のミサイルが、白い煙と共に放たれた。
避けきれない。仮に避けられたとしても、ハイウェイのほうが壊れて高架の下に落ちる。つまり――
デリックはバイク側面のホルダーから魔術機剣・ヴォルトガ弐式を抜き放った。
「そのミサイルは確か、赤外線誘導――だろ!?」
撒き散った紫電が蛇のようにミサイルに殺到し、赤外線センサーを破壊する。迫る4発のうち3発がふらついて軌道を逸らすが、
「頭下げろ!」
残る1発。片手でハンドルを操りながら、最後のミサイルにヴォルトガ弐式を振り抜く。
迸った雷の斬撃が、ミサイルの流線型を縦に両断した。
デリックたちが通り抜けた直後、ミサイルは思い出したように爆発する。ハイウェイが砂のように崩れ落ちたが、その崩壊がデリックたちに追いつくことはなかった。
「ああもうっ! 静電気で髪めちゃくちゃなんだけど! このバチバチ男!」
「だったら自分でやれ!」
「言われなくて――もっ!」
攻撃ヘリの下を通り抜ける寸前、バイクからリリヤが跳び上がった。
イルカのジャンプにも似た優美な背面跳びは、しかし10メートル上空に滞空するヘリの頭上をも軽く越えている。
ゴオウンッ!! と局地的な嵐が荒れ狂った。
空に咲くは紅蓮の花。制動を失った2機の攻撃ヘリが互いに激突したのである。
金色の髪を夕日に煌めかせながら、リリヤはバイクに戻ってきた。やったことを除けば、その姿は天使のようでもあった。
「あのデカい鉄トンボ、強風に弱くて助かるわ」
「ったく、
赤いスポーツカーとの距離は少しずつだが縮まっていた。だがエドセトア・タワーの姿もまた大きくなっている。
デリックたちが追いつくか。ペイルライダーがタワーに辿り着くか。今の時点ではどちらとも言えない……!
「ギリギリ射程範囲だぜ。どうする!?」
「ダメよ! レイヤの身体に怪我させるわけにはいかない!」
「だよな……! くそっ! どうにかしてレイヤからペイルライダーを追い出せないか……!?」
「そもそも、ペイルライダーはどうやってレイヤの身体を使ってるの? 魂を情報化したからって、いきなり幽霊みたいに他人に取り憑いたりできるはずないわ!」
「魔術――人間を操作する魔術だな? だとしたら、そのマギグラムが手に入れば……?」
「ワクチンが作れる! レイヤを解放するワクチンが!」
「でもどうやって手に入れる!? 他にペイルライダーに身体を使われてた奴がいれば、そいつから採取できるかもだが……!」
デリックは顔を歪めながら考える。人間操作魔術のマギグラム――どうやって手に入れる?
「……くそっ! ダメだ。運転しながらじゃ思いつかねえ!」
「どちらにせよ私たちは手を離せない。採取も解読もワクチンの作成も、誰かに頼るしかないわ」
「誰か?」
「候補は何人もいないでしょ?」
「……だよな。頼るしかねえか……!」
早速連絡を取ろうと片手で
「……しまった」
「今、落ちてるわよね、霊子回線」
《
「――くそっ! 連絡さえ取れねえのか……!」
「ふふん。これだからダメなのよ。機械に頼り切った人間は」
リリヤが勝ち誇るように笑いながら、鳩のような姿の精霊を召喚する。
デリックは得心しつつも唖然とした。
「で、伝書精霊……! 時代遅れな……!」
「なんとでもいいなさい。今この瞬間は、その時代遅れな骨董品こそが最速の通信手段よ!」
リリヤは鳩型精霊に現況と指示内容を教え込んで空に飛ばす。
宛先はアンニカだ。《
「あとは……信じるだけ、か」
「ええ……そうね」
飛び去る鳩から視線を切り、スポーツカーに立つ少女を見やる。
今まで、レイヤを操る魔術を無効化することを考えてこなかったのは、ひとえにそれが困難だったからだ。
敵は《七天の魔神》が一柱。
現代における天才集団、ゼネラル・クリスタル・カンパニーの研究員たちを、ただ喋るだけで再起不能にしてしまった神代の賢者。
彼女が作り上げた魔術ならば、文字通り人智を超越したものであるはずだ。
対して、デリックとリリヤが頼ったのは、たった二人の少年と少女。
マーディー・ハスラーとアンニカ・エルッコ。
魔神ならざる、ただの人間でしかない彼らが、果たしてペイルライダーの魔術を打ち破れるのか?
神のみぞ知る――否。
※※※
倒れてから程なくして体調を立て直したアンニカは、エドセトア記念公園の医務室に残り、患者たちのケアを手伝っていた。
いつの間にかリリヤはいなくなっていたが、アンニカはおおよそ事情を察していた。
記念公園の惨憺たる有様を見れば瞭然だ。
ことごとくめくり上がった芝生や石畳。破壊された警備ロボや人型兵器。
そして、バイクのものらしきタイヤの痕跡が公園の外に続いていた。
おそらくはリリヤと何者かの間に戦闘が起こり、そこにデリックがバイクで駆けつけたのだろう。何者かが逃亡したので、リリヤはデリックのバイクに乗ってそれを追いかけた――
リリヤは一体誰を追いかけたのか?
それこそ考えずともわかることだ。この状況でリリヤが戦う相手。それは、この未曾有の事態を引き起こした魔術師以外にありえなかった。
(リリヤ様はいざとなればいつも、その才気を惜しみなく発揮される……人の上に立つべくして生まれてきたようなお方)
ならば、もはや心配の必要などない。アンニカは黙って、リリヤがやり残しただろうことを引き継いだ。
患者たちの症状は、かの悪名高き黒死病のそれ。感染拡大を防ぐべく、感染者たちをできる限り隔離する。
そして倒れた人々には体内魔力の調整法を教え、ウイルスに対抗する。
おかげでどうにか、混乱は治まりつつあった――
そこに、1匹の伝書精霊がやってきたのだ。
医務室の窓にやってきた鳩を見て、すぐにリリヤからだと確信した。急いでその翼に触れ、記録された情報を読み取る。
息を呑んだ。
これから起ころうとしていること。
レイヤに起こっていること。
すべてを解決するにはどうすればいいか。
どれひとつとっても当惑を禁じえない、不条理な事実の数々。
しかし、末尾に添えられた言葉が、アンニカからあらゆる躊躇いを振り払った。
『頼んだわよ』
主が、頼むと、言ったなら。
メイドはそれに、全身全霊でもって応えなければならない。
葛藤はあった。リリヤの指示を遂行するためには、いけ好かない少年に助力を乞わなければならない。
しかし、それもまたすぐに振り払う。
まさにその少年が言った言葉が、まだ頭の端に残っていたのだ。
※※※
マーディーは混乱していた。
突如として霊子回線が揃って沈黙し、何も情報が入ってこなくなったのだ。
オペラ劇場に入ったデリックがどうなったのかも、未だわからずじまいだった。第三のテロが行われたのかどうかすら、学院の機械魔術研究室にいる彼には情報が入ってこない。
「ああもうっ! どうなってんだよーっ!!」
ネットが使えない。どことも連絡が取れない。
この状況がこんなにも心細いなんて思わなかった。
普段、自分がどれだけの贅沢をしていたのかを痛感する。溢れる情報をジャンクに聞き流していくことが、一体どれほどの技術とエネルギーに支えられていたか――
「……仕方がないね……。どうにもならないときは、寝てしまうのが一番だ。それじゃ、何かあったら起こしてくれたまえ……」
この研究室の責任者であるチャス・ミノーグ准教授は、この危急の事態に対して呑気なものだった。
自作の猫型ロボットを抱えてさっさと仮眠室に引っ込んでいく教官の背中を見送り、マーディーは少し落ち着きを取り戻す。
(そうだ。焦ったって仕方がない。この状況でどうやって情報を集めるか――)
そのとき、ビリリリリリ!! というけたたましい音が、研究室に鳴り響いた。
え? と振り向いてみれば、発信源は壁に据えつけられた通話機だ。学院内の内線通話用だが、普段はみんなブラウニーを使うから無用の長物――
「――あっ、そうか! 災害時専用回線……!」
災害などで無線が飽和したり、
学校や公園のような緊急避難場所の間を繋ぐ形で、地中に人工霊子経のケーブルが張り巡らされている。エーテルネットが死んでいても使えるのだ。
「はい! もしもし!? デリックさん!?」
通話機に飛びついて叫ぶと、ひどく鬱陶しそうな女の子の声が返ってきた。
『……うるさい。通話機で喋ったことないんですか、あなた』
「え? あ……アンニカ?」
『一体わたしたちは、いつどうやってファーストネームで呼び合うような間柄になったんでしょうか、おんな男』
相変わらずの慇懃無礼。しかし、あまりに意外だったので苛つき損ねてしまった。
「一体何が起こってるの? 情報が全然入ってこないんだ。災害回線を使ってるってことは、まだ記念公園にいるんだろ?」
『全部説明しますから、わたしの話を静かに聞いてください。いいですね?』
「君、僕を8歳児くらいだと思ってない?」
そしてアンニカは、いま起こっていることと、デリックとリリヤから与えられた指示について、すべてを話した。
聞いているうちに、くらくらと目眩がしてくる。
(神代のAIが暴走? 即効性の黒死病がパンデミックになる? 止めるためには、魔術で操られたレイヤさんを助けなきゃいけない?)
現実にしてはあまりに荒唐無稽だ。だって、それは、まとめるとこういうことだろう。
――人類を滅亡から救うために、たった一人の少女を救い出せ。
『――リリヤ様とデリック様がわたしたちに与えた指示は、人体操作魔術の解読とワクチンの開発です』
「ま、待ってよ……。その人体操作魔術ってやつのマギグラム・コードは? それがないと解読もワクチン開発もないよ!」
『それをどうやって手に入れるか考えるのもわたしたちの仕事です。――時間はありませんよ。猶予はおそらく1時間と少し』
「いっ、1時間……!?」
目眩が強くなる。
瞼の裏に、病院で見たレポートが蘇った。正体不明の神代のAI。ゼネラル・クリスタルの研究員たちが揃って敵わなかったオーパーツ。それが作ったマギグラムを入手・解読するのにたった1時間?
無茶だ。時間がざっと1000倍は足りない。
だというのに、失敗は許されないという。
間に合わなければ、身体が炭みたいに黒くなる恐ろしい病が、世界中に蔓延するという。
『――自分にできることを』
耳に飛び込んできた言葉が、目眩を打ち破った。
『自分にできることをすればいい――でしょう?』
かつては敬愛する先輩から聞いた言葉を、今度は世界で最も馬の合わない少女から聞く。
……ああ、その通りだ。
無理だと。不可能だと。たとえ自分が叫んでいても。
やれ、とデリックが言ったのだ。
できる、とデリックは思ったのだ。
そして、通話の向こうにいる彼女もまた――マーディーならできると信じたから、こうして連絡を寄越したのだ。
「……わかってる。わかってるさ、言われなくても!」
荷が重い。分不相応だ。
こんなのはデリックのような、規格外の特別な人間がやることだ。
しかし、できると誰かが言うのなら――
「でも……僕一人じゃとても無理だ」
――やってやる。
恥を忍んで。身の程をわきまえず。誰の手を借りてでも!
「貸してくれ、アンニカ! 僕に、君にできることを!」
『ええ』
離れた場所にいる天敵は、力強い声でもって応えてくれた。
『あなたこそ、わたしに貸してください。あなたにできる限りのことを。――マーディー』
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