第6話 世界平和を懸けたデート


『もしかして、お前はアホなのか、デリック』


 翌日、情報端末ブラウニーの通話越しに、実の父親にアホ呼ばわりされた。


『俺は何度も何度も何度も何度も言ったはずなんだがな。学院で揉め事を起こすな。リリヤさんとは仲良くしろ。それをどうしてこうも頻繁に、しかも両方とも破ってみせるんだ? 俺への嫌がらせか? 反抗期か?』

「いや、まあ、その、親父。これにはふか~いワケがあって……」

『聞いている。リリヤさんにお前の名義で、違う人物からのメールが届いたそうだな。それが浮気相手へのメールを誤送信したのだと勘違いされた、と』


 あの大騒ぎのあと、メールの正体はあっさり特定された。

 昨日、たびたび困ったように、トークアプリに障害が起こっていたのだ。その影響でシステムにバグが起こり、違う人間のメッセージがデリック名義でリリヤに送られてしまったというわけらしい。

 どうやら誰かのクラッキングだったらしい、という噂も流れているが、今のところ犯人は捕まっていない。


『確かに情状酌量の余地はある。お前にも、リリヤさんにもな。……しかし、たまには俺の身にもなってくれんか。50を過ぎたオッサンが雁首揃えてだな、ティーンエイジャーの痴話喧嘩について、あっちが悪いこっちが悪いと大真面目に話し合わねばならんのだぞ。あの会議のいたたまれなさと言ったらない』

「なんかもうマジですいません」


 そこについてはマジ同情のデリックであった。

 デリックとリリヤの婚約は、長く続いているドワーフィアとエルフィアの不和を解消するための、いわば融和の象徴である。その二人が喧嘩をしたとなったら、本人たち以上に、融和を進めている両国の政治家たちがピリッとしてしまうのだ。


『とはいえ今回は少し分が悪い。校舎は半壊したしレイヤさんも危険に晒された。融和反対派を勢いづかせる可能性がある』

「……もしかして、ヤバい?」

『そこそこヤバい』


 威厳のある声で砕けた言い方をされると、逆にヤバさが際立つような気がした。


『奴らがデカい声を張り上げる前に、お前たちはきちんと仲直りをしたのだとはっきり宣言しておく必要がある。つまり……わかるな、デリック?』

「…………仲直りデート?」

『その通りだ』


 父は厳かに肯定した。


『リリヤさんをエスコートしてデートしろ。そしてできる限りイチャつけ。それがゆくゆくは世界平和に繋がるのだ』

「壮大なデートもあったもんだなあ……」

『冗談ではないことはわかっているだろう』


 もちろんである。

 前世ではまともに家族を持たなかったデリックにとって、通話口の向こうにいる父、ダリオ・バーネットは、真に父親と言えるただ一人の人物だった。

 彼はドワーフィア族領クラスタの伯爵として国政に関わる立場の人物だが、それと同時に、エルフィアとの長きに渡る不和を解き、世界から諍いをなくしたいと本気で願う超一級のお人好しでもあった。


 いつまでもリリヤを殺せないでいるのは、そうした父の在り方も関わっている。

 息子としてばかりではなく、一人の人間としても、父の願いをむげにはできない。

 かつてはデリックも、彼のような世界レベルのお人好しだったのだから……。


『いいか。わかったな。見ていられないくらいイチャついてみせろ。父はお前を信じている』

「できればもっと違うところを信じてほしいが、大船に乗ったつもりでいてくれ」

『本当だろうな……』

「全然信じてねえじゃねえか」


 そんなやりとりを最後に、父親との通話を切った。

 さて、とデリックは、寮の自室から窓の外を見やる。


「……とはいえ、貴族向けのお淑やかなデートじゃあ、つまんねえよなあ」




※※※




 結局、デリックは無実だったらしい。

 実の妹と二股をかけられたなんて汚名を被ることにはならず、ほっと一安心といったところだったが、こうなるとひとつ問題が発生してしまう。

 そう――昨日の大喧嘩は、自分の一方的な勘違いによるものだったのだ。

 謝るべきか否か……いや謝るべきなのだろうがあの男に頭を下げるなんて死んでもイヤ。

 そうしてすっきりしない気持ちをこじらせていたリリヤのところに、折良く(悪しく?)実家から仲直りデートの指令が下ったのだった。


「……できる限りイチャつけ、か……」


 学院の外。エドセトア第13番地区の、有名な待ち合わせ場所。

 涼やかな噴水の中央に建った犬の銅像が目印だった。セリオニア族領クラスタで有名な逸話を元にしたものだそうだが、詳しくは知らなかった。


(今回は一応、私にもほんのり多めに非があるわけだし、私がサービスすべきなのかしら……。い、いやでも、サービスってどうやって……?)


 もんもんと脳裏に浮かび上がるのは、愛読している耽美小説の挿絵だ。裸の美青年が絡み合っている絵を、自分とデリックに置き換えてみる。


(む……ムリムリムリ!! 絶対ムリ!!)


 考えただけで反吐が出そうだし、別に相手がデリックじゃなくても恥ずかしくてできる気がしなかった。

 そもそもデートは男のほうがエスコートするものだと聞く。つまり自分は何も考えなくていいのだ。うん、その通り。


(……あの男は、一体どうするつもりなのかしら。お手並み拝見ね)


 リリヤは全力の上から目線で婚約者の到着を待った。もし花束とか持ってきたら全身全霊で嘲笑ってやろう。

 穏やかな昼下がりに、噴水の音を聞きながら待つことおよそ3分。

 ヴヴウゥンン――という重低音が、噴水広場に近付いてきた。


「へ?」


 一個の鉄の塊が、石畳をガタガタと踏みつけながら、こっちに近付いてくる。

 それはキキッと音を立てて、リリヤの目の前で止まった。

 ヴヴヴヴヴ……と未だに低く唸り続ける鉄の塊の上には、よく見知った男が跨がっている。


「よう。ちょっと待たせたか?」


 リリヤは、その鉄の塊を知っていた。

 確か、ドワーフィアで馬の代わりに使われているという乗り物のひとつ――霊子結晶と機械魔術で動く鉄製の馬。

 バイクだった。


「あっ……あんた馬鹿じゃないのっ!? 知ってるでしょ、エルフィア人がこういうの嫌いだって! この期に及んで挑発してどうするのよ!?」

「馬で遠乗りってのがエルフィア流貴族デートの王道だろ? 馬だぜ、これも」


 デリックは、カンカン、と機巧馬バイクの表面を軽く叩いてみせた。


「異文化コミュニケーションだよ。オレたちは互いの国の文化に理解を示していかなきゃあならない。違うか?」

「……これが折衷案ってこと? エルフィアとドワーフィアの」

「あんまり渋ってると、覗き見してる連中に不審がられるぜ」


 広場に面したカフェのテラスや、待ち合わせ中に見える若者――エルフィアやドワーフィアの手の者が、必ずどこかから見ているはずだ。彼らが二人のデートを見届けて、その様子を逐一政治家たちに報告するのである。


(……し、仕方がない……)


 リリヤは不承不承ながら、にっこりと笑顔を作った。


「まあ、素敵な馬ね。これでどこに連れていってくださるの?」

「この世で最も楽園に近い場所さ。どうぞ、お姫様」


 よそ行きの声によそ行きの声が応え、デリックがバイクを降りて手を差し伸べてきた。

 その仕草がリリヤの好みに合ったものだったので、逆にイラッとする。


 デリックに手を引かれて、おっかなびっくりバイクの後ろに乗ると、頭にヘルメットを被せられた。

 それから、前にデリックが乗る。


「ちゃんと掴まっとけよ」

「え?」


 そんなことをしたら身体が密着して――


「まあ、して死にたいなら話は別だけどな。行くぞ!」

「えっ、ちょっ――きゃあっ!?」


 ブルンブルウン! と大きな音を立てて、鉄の馬が走り出した。

 予想以上のスピードだったので、リリヤは無意識にぎゅっとデリックの背中に抱きついてしまった。


「うおっ……!」

「な、なにっ!?」

「い……いや、別に?」


 判然としない会話を置き去りにして、鉄の馬が街の中を駆け抜けていく。




※※※




 バイクが機嫌良く峠道を駆け上っていた。

 後ろにはリリヤが座り、横ざまに広がる光景を眺めている。金色の髪が午後の光を反射しながら、風にふわふわと靡いていた。


(お姫様にはこれだけでも刺激的か)


 人生2周目のくせしてこれだけのことで感動できるなんて、素直に羨ましい。……まあ、かく言うデリックも、初めて懐中時計の中身を見たときには食事が喉を通らなくなるくらい感動したのだが。

 きっと、二人の前世には、いろいろなものが足りなさすぎたのだ。それをこうして、2回目の人生で補填している……。


「もうすぐ着くぜ」


 今の時点で感動できるなら、あそこに着いたらどんな顔を晒してくれるかな?

 少しだけ楽しみに思いながら、デリックはバイクを目的地に走らせた。


 小さな駐車場にバイクを駐める。

 エンジンを止めて降りると、リリヤがヘルメットを脱ぐのに苦戦していた。


「くっくくく。ほら、脱がしてやるからじっとしてろ?」

「い、いいわよ! あんたになんかお世話されたくない!」

「だからやってやるっつってんだよ」


 丁寧に丁寧に顎紐あごひもの留め具を外して、カポッとヘルメットを取ってやる。開放された金髪がふわりと膨らんだように見えた。


「う゛う~……!」


 屈辱的な表情で睨んでくるリリヤに満足して、デリックは笑う。


「ほら、こっちだぜお姫様」

「何よ。こんなひと気のないところまで連れてきて。……変なことをするつもりじゃないでしょうね?」

「そりゃあ開放的でナイスだな。今度レイヤと一緒に来よう」

「ぜ、絶対ダメよ!?」


 リリヤの手を引いて、木でできた欄干のほうまで歩いていく。

 そこは、展望台だった。

 小高い山の上。標高はそれほどでもない。あるいは、高層ビルに高さで負けるかもしれなかった。

 それでも、デリックはこの場所を気に入っていた。今、自分がいる場所がどこなのか、一目で確認できるからだ。


 風が吹き抜け、リリヤの髪が揺れた。


 彼女はそれをそっと押さえ、目前に広がる光景をぼうっと見渡した。

 この場所に来るたび、デリックはステンドグラスを連想する。

 細かい区画に色分けした極彩色――様々な色が入り乱れるカオスめいた秩序。


《五族融和都市エドセトア》。

 それが、どこどこまでも広がっているように見える、この街の名前だ。


 エルフィア、ドワーフィア、セリオニア、トーリア、そしてアンジェリア――いわゆる世界五大人種の頭文字を取って名付けられた、計画的国際都市。

 街は23の地区に区切られており、その地区においてどの種族の影響力が強いかが、地区のカラーとなって表れる。だから、こうしてエドセトア全体を一望すると、ステンドグラスのように色分けされているように見えるのだ。


 エルフの末裔エルフィアの影響が強い地区は、緑に満ちた公園が多い。

 ドワーフの末裔ドワーフィアの影響が強い地区は、鉄筋コンクリートのビルが多い。

 獣人の末裔セリオニアの影響が強い地区は、昼間からネオンが煌々と輝いている。

 小人・巨人の末裔トーリアの影響が強い地区は、家の大きさがバラバラで乱雑だ。

 天使の末裔アンジェリアの影響が強い地区は、無彩色で無機質だった。


「……ふふっ」


 唐突に、リリヤが口元を綻ばせた。


「どうした?」

「いや……ね。こうして見ると、この街、全然融和なんてしてないんだな、って思って」

「だよな」


 ふ、とデリックもまた笑みをこぼす。


「同じ街の中に押し込まれただけで、まだまだ境界線がこんなにもはっきりとしてる」

「……私たちは、あの境界線をなくして、この街の色をマーブル模様にすることを、期待されているのね」


 エドセトアの中の『色』で最も面積が多いのが、ドワーフィアとエルフィアのそれだ。

 これはそのまま、現在の世界情勢を意味していると言っていい。

 その二つがマーブルに溶け合えば――すべての色がひとつになるのも、時間の問題と言えるだろう。


「オレはさ、一度でいいから、ここから見えるエドセトアをお前に見せたかったんだよ」

「どうして?」

「オレを殺しにくくなるだろ?」


 リリヤが横目でじろりと睨んだ。


「……そういうこと。確かにね。レイヤっていう第二候補がいるあなたと違って、私はあなたを殺したら代わりがいないものね」

「そういうことだ。オレに一方的に有利なんだよ」

「私が他のドワーフィア人と結婚するって言ったらどうする?」

「その男を殺す」

「……ふう。これはなかなか不利になってしまったわ」


 二人の左手の薬指には、銀色の指輪が填まっている。

 それは12歳の頃、二人が両国要人の前で演じた婚約式で交換したものだ。

 当時はまだサイズが大きく、放っておくと指から抜け落ちてしまっていたが、今では特に意識しなくても抜け落ちることはなかった。

 この指輪が指にぴったりと合ったとき――二人は、結婚することになっている。


「……なあ、前から訊いてみたかったんだが」

「……なに?」


 訝しげに聞き返しながら、リリヤはさっと辺りに目を走らせた。

 政府の覗き魔たちは実のところ、とっくにバイクで置き去りにしている。


「お前さ……オレを殺したら、そのあとはどうするんだ?」


 前世――1000年前の、とある瞬間から。

 デリックも、リリヤも、お互いを殺すためだけに生きてきた。

 もし、それを達成することができたなら――そのあとは?


「……そう、ね」


 エドセトアの街並みを見やり、リリヤは独り言のように答えた。


「順当に、お父様の跡目を継ぐかもね……。前世では、ついぞできなかったことだから……」

「お貴族サマか。お似合いだな」

「あなたもでしょうが」


 ドワーフィアの貴族とエルフィアの貴族ではまったく違う。ドワーフィアの貴族はただの政治家で、民衆にはこれっぽっちも敬われていなかった。


「あなたは? 私を殺したらどうするの?」


 とリリヤが質問を返してきたので、「んー」と空を見上げた。


「思う存分機械をいじってたいな。宇宙船でも作ってさあ、空の上まで飛ばしてみたい」

「宇宙? そんなの、前世でちょくちょく行ってたじゃない」

「ああ……空の上なら何の邪魔も入らねえと思ったら、うっかり月の形が変わりかけてウラノスの奴に叱られたよな。『二度とお月見ができなくなったらどうする!』ってさ。あのときの跡、隕石の衝突の痕跡だとか言われてるらしいぜ。ウケる」

「ウケないわよ。ウラノスさんがあんなに怒ったの初めてで、トラウマなんだから。……あのときは、宇宙なんて暗いばっかりでつまらないって言ってなかったっけ?」

「見方が変わったんだよ。神代魔術が使えなくなって、魔神から人間に戻って、目指す場所があった頃のことを思い出した。……できないことがあって、知らないことがある。こんなに楽しいことってねえよ」


 きっと、つまらなかったのは宇宙ではなかったのだ。

 そこに簡単に行けてしまう、自分自身がつまらなかっただけなのだ……。


「まあ、叶わないけどね、その夢は。私があなたを殺すから」

「お前こそ、残念ながら親の跡目はレイヤが継ぐことになる。それとオレと結婚するのも」

「レイヤはあんたなんかには渡さないわよ!」

「嫌だね。もらうね。お前なんかよりよっぽど可愛いし」

「……ふんっ!」


 リリヤは不機嫌そうにそっぽを向く。それに笑っていると、


「…………ごめんなさい」


 ぽつりと、そんな声が聞こえた。


「は? 何が?」

「だ、だから、私の勘違いで――ああもう、これで終わり! 謝ったから! 謝ったからね、私は!」

「……ははーん?」


 ピンと来た。

 昨日の大喧嘩のことを謝っているらしい。まあ、そもそもこのデートは仲直りが趣旨だが、珍しいこともあるものだ。

 この機会を逃す理由はない。


「いやあ~、どうしようかなあ~。お前のせいで酷い風評被害を受けたしなあ~」

「いっ、いいじゃない、それは……! 間違いだったってちゃんと撤回したし!」

「何かお詫びをしてもらわないとなあ~」


 にやにや笑いながら視線を送ると、リリヤはハッとして自分の身体を抱き、デリックから距離を取った。


「……あ、あんた……な、なかなか殺せないからって……!」

「抜かせ、耳年増。……ほら」


 手を差し出すと、リリヤは警戒の眼差しでそれを見る。


「な、なによ……」

「今日はお前から言え。いつもオレからばっかじゃん」

「え、ええ~……!? は、恥ずかしいじゃない、あれ……!」

「それを毎回やらされてんだよ、オレは! 仲直りデートのたびに!」

「……まったく、もお……」


 リリヤはちらりと辺りに視線を巡らせた。

 ほんの数十秒前から、お目付役の覗き魔たちが追いついていた。ぶっちゃけタイムはおしまいである。仲のいい婚約者に戻らなければならない。

 そしてこういうとき、デリックとリリヤがやることは、いつも決まっていた。


「ベスト・タイミングだな」


 デリックは彼方を見やって言った。

 地平線に沈みかけた太陽が、赤く色づいている。いつの間にやら夕方だ。この赤い光は、どんなに仲の悪い男女でも美しい恋人のように見せてくれる。


「リリヤ」

「……わかったわよ」


 リリヤは不服そうに言うと、いったん胸に手を置いて深呼吸をした。

 それから、差し出されたデリックの手を、両手できゅっと握る。

 握った手は、穏やかに上下する胸の前に。

 そして、夕映えに染まった細面をあげて、淑やかに告げるのだ。


「愛してるわ、デリック――殺したいほど」


 デリックは握られた手をぐいっと引き、息のかかる距離から答えた。


「愛してるぜ、リリヤ――殺したいほど」


 末尾に付け加えた殺意だけは、お互いにしか聞こえない囁き声。

 ――しかし、その裏にあるべき憎悪や嫌悪が欠如していることに、このときの二人はまだ、気付いていなかった。





 学院までリリヤをバイクに乗せて、校門を抜けたところで別れた。


「今日は楽しかったわ、デリック。またいろんな場所に連れていってね?」

「君が望むならどこにでも、お姫様。いつか月の裏側にだって連れていくぜ」


 そんな白々しい会話を交わして、仲直りデートは終了となった。

 バイクに乗っている間はさんざっぱら密着して、今も背中にリリヤの胸の感触が残っているくらいだ。これでお偉方も納得してもらえることだろう。


(結構なボリュームになりやがったんだよな、あいつ……。どうせ将来は貧乳だろと思ってたのに)


 D? E? まあお付きのメイドであるアンニカのほうが、実は育っていたりするのだが――益体のないことを考えつつ、バイクを工房ガレージに入れた。

 それからドワーフィア男子寮――通称《穴蔵荘セラー》へ。

 日はとっくに沈んでいた。デートの一環で夕食はリリヤと済ませてきたから、あとは風呂に入って寝るだけだ。その前に、寮の男どもを誘ってゲーム大会でも開催しようか――


義兄にいさん」


 などと考えていると、寮の前で呼び止められた。

 入口の横の壁に、銀色の髪の少女がもたれかかっていた。彼女は壁から背中を離すと、デリックのほうに歩いてくる。


「レイヤ、待っててくれたのか? もう暗いぞ。……っつーか、リリヤを放置してオレのほう来てたら、あいつまた拗ねるぜ」


 あの女は妹を本当に溺愛しているのだ。前世で長いこと一人っ子をしていた反動かもしれない。


「ずいぶんと、ロマンチックなところに連れていったみたいですね、義兄さん?」


 レイヤは淡く微笑むと、会話の繋がりを無視してそう言った。

 もちろんデリックとリリヤのデートにプライベートなどないのだ。レイヤが内容を知っていてもおかしくない。


「いつかお前も連れてってやるさ。……でも、今日はもうダメな。暗いから天女の家ヴァルキリー・ハウスに帰れ」


 ポンとレイヤの肩を軽く叩いて、デリックは寮の入口に向かおうとした。


「――義兄さんは」


 陰を帯びた声が、不意にデリックの耳に突き刺さる。


「いつも、そうやって……気を持たせるだけ、持たせて」

「……え?」


 振り返った、その直後だった。

 レイヤがしなだれかかるようにして、デリックの身体を抱き締めた。

 腕を回して、自分の身体の感触を押しつけるように――


「レ……イ、ヤ?」


 デリックは戸惑って、レイヤの顔を見下ろす。

 彼女の身体は、燃えるように熱かった。

 顔は耳まで上気して、見上げる瞳は誘うように潤み――


「に……い……さん」


 熱い呼気が桜色の唇から零れ、デリックの唇に当たった。

 心臓が跳ねる。

 潤んだレイヤの瞳に、自分がぐんぐんと引きずり込まれていくように感じた。


(――――いや?)


 違う。

 これは……。

 何か、おかしい。



 ずるりと、レイヤの身体から力が抜けた。



「……レイヤ? おい、レイヤ!」


 支えた華奢な身体は、明らかに異常な熱を持っていた。

 閉じられた瞼は、いくら呼びかけても開かない。

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