9.執着


 仮にミエコちゃんが俺のふるまいでどれだけ傷ついていようと(どれだけ傷ついているかを俺が正確に知る事は永遠にできない)、それを俺が気にかける理由はない。

しかし論理的必然性とはまったく別のところで、俺が自分に対して認めなければならないのは、俺がミエコちゃんをひどく傷つけたとすれば、俺はそういう自分を許せないほどの罪のある人間だと感じているという事だ。

そしていわゆる良心の呵責というものから逃れるたった一つの方法として、ミエコちゃんに対して心からの謝罪を行い、許しを乞いたいという強い望みが俺にはある。

もちろんこれはまったく馬鹿げた行動だ。

謝るということは自分の立場を悪くする行いで、許しを乞うということは今後の俺の行動の幅を大きく制限する事になる。

そしてそのように一つの対象に対して大きな時間と労力を割くのは、流動性を失い破滅と死へと一歩近づく事を意味する。

そんなことをして何の意味が、そして何の価値が、俺にとってあるというのだろう。


 ミエコちゃんと一緒にいることによって、俺が何を得るのかについて、俺は正確な見通しを持つことができていない。

しかしミエコちゃんが俺に何を求めているかは、俺は正確に理解していると思う。

そして、それによって俺が何を失うかについても、俺は正確に理解している。

リスクだけが正確に見積もられていて、リターンがまるで見通せていない。

ミエコちゃんが俺に求めているのは、ミエコちゃんという存在(つまり一般にそれは「生活」だとか「人生」のことだ)の一部(しかも、俺の欲しい一部)だけを取るのではなく、取るのならすべてを取れ(all or nothing)、と求めているのだ。

彼女の両親だとか友人、悩み事だとか夢、過去だとか未来、そういうものを分け持てと要求している。

そして同時に、俺も同じように俺という存在をミエコちゃんに差し出すようにとも要求している。

その意味では、ミエコちゃんは別に不公平な要求をしているわけではなく、俺から何かを奪おうとしているわけではない。


 しかしそれによって俺が失うものは確かにある。

俺はそれを正確に理解している。

それらを分け持つ事によって俺が失うのは、たとえば俺の独立性(俺はどこに行く事も、何をする事もできる)、不在性(俺は自分自身がいないと言う事も、昨日と違う人間だと言う事もできる)、破壊性(俺は他人をかえりみない事も、自分をかえりみない事もできる)などだ。

もう俺は誰かの生活の中から俺の欲しいものだけを抜き出して他のすべてを拒絶したり、自分という存在に意味もなくまた跡形もないということに心地よく満足していたり、誰かの信じている法や約束事を平気で無視して行動した上で自分なりに書き換えて押し付けたりするわけにはいかなくなる。

これらは、俺がこれまで懸命に頭を使ってバランスを取りながら守ってきたものだ。

それなのに、これからそれを失う事になったとして、それによって俺が何を得るのかについては、俺はまだ十分に理解しているとは言えない。

その「理解していない」ということが、消えないわだかまりとして心にいつも残っている。

俺にはまだミエコちゃんとやりたい事、やるべき事が残っていると感じられる。

それが俺の心の真ん中にあるから、他の女と何をしたいだろうかと考えても、やりたい事など何も浮かんでこない。

そんな女が自分にとって、一人でもいる事がどれだけ珍しく得がたい事か、これまでの経験から俺は十分にわかっていると思う。

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