11.放浪する


 結局、イチはアルバイトに行かなかった。

バイト仲間に連絡し、代役を確保した上で、職場に電話して体調が悪いと伝えた。


 トシとイチはタワーレコーズに行き、いくつも並んだ試聴機を回っては、ヒップホップ、R&B、ロックの新譜や新人をチェックした。

次にブックスルーエという本屋に行き、古典文学の文庫が漫画風に装丁されて平積みになっているのを見たり、SFの棚をチェックした。

次にコピスに行き、ユナイテッドアローズグリーンレーベルから順に館内を回った。

そして特に何も買わず、何か面白いものやめぼしい情報を見つけたわけでもなく、気づけば五時半になっていた。


「どうします?」

 かつての伊勢丹前から線路に向かって伸びるレンガ敷きの道を歩きながら、イチはトシに尋ねた。

「んー、早めのメシでも食って帰る? 健康的な時間に家にたどり着きたい気分じゃない?」

「そうっすね。明日に向けて備えますか」

「今日は二人ともサボってしまったからな」

「アフターケア早めに」

「そう、綻びを繕うのは早いほうがいい」

「メシ、何にします?」

「どうしようかねえ」

 トシとイチは、またしても吉祥寺の地図を思い浮かべ、めぼしい場所を隅からさらっていった。

「とりあえず、東急方面が無難なんですかね」

「まあ、たしかに何かはあるよな」

「とりあえず便利ですよね」

「行ってみるか」


 駅前から東急百貨店に向けて、線路と平行して通るダイア街のアーケード下を歩き、吉祥寺通りを渡った。

その先には、今では巨大電器屋の上層階に移転してしまったタワーレコーズがかつて入っていた建物がある。

トシはかつて、移転前のそのタワーレコーズとパルコ下のHMVをはしごしては、CDを眺めてチェックするのが好きだった。

複合ビルの一角ではなく、ビルが丸ごとタワーレコーズだということが、音楽の広い世界への期待感をより盛り上げてくれたような気がした。

そのビルには今では服屋が入る。

ラグ・タグと同じような時期に、こちらにも古着を含むセレクトショップチェーンが入った。

しかしこちらは、なぜかその建物を仰々しく改装してしまったために、方向性の定まらない印象になってしまったとトシは思っている。

カジュアルウェアをセンス好く組み合わせて見せて売るはずの価格帯のセレクトショップが、なぜエーゲ海風の白壁にバラの花束の彫刻と大きな鏡を散りばめるような内装になってしまったのか、トシには理解しがたかった。


「さて、じゃあ適当に」

 東急の横にもぐりこむように入り始めた辺りから、トシとイチは店探しを始めた。

「タイ料理、どうでしょう」

 まずはトシが、知っているタイ料理屋を挙げた。

しかし以前にもこの店に二人で来たことがあったから、今回は芸がなかった。

「カレー屋は? 美味いと地味に評判の」

 イチが人気店を挙げた。

覗いてみると、女性比率の高い客層でたしかににぎわっていた。それでいて、二人ならまだ入れそうだった。

しかしトシとイチにとって、そのお店はあまりにも食事に特化しすぎるように感じられた。

食べることに集中するのではなく、もっとダイニング風にくつろぎたかったから。


「なんすか、このアメリカンダイナーみたいなのは?」

 二十年以上は時代がかった雰囲気のネオンが窓の外に出された、カフェともレストランともつかない店の前を通りかかった。

しかし中では大学生と思しき集団が嬌声を発していて、店の隅に設えられたダーツに興じているようだった。

「あのイタリアンカフェは?」

 カジュアルながら外れのない、イタリアンの人気店の名前をとりあえず挙げたが、今日の二人が行く店ではなかった。

 イチが見てみたいと言ったブランドのショップに寄りながら、いくつものフレンチやイタリアンや居酒屋やカフェを見て歩いてまわった。

「しっくりこないっすね」

「出会いというのは難しいな。我々はこうして何かを逃していくのかもしれん」

「はは、決められないまま過ぎ去っていきます?」

「ケチはつけるわりに気が小さいからな」

「タチわりい」

「エリアを替えるか」

「そうっすね、ここら辺じゃない気がしてきました」


 二人は再び、駅前から東急百貨店につながるダイア街のアーケード通りに戻った。

東急側から入ると、右手にすぐ安売りのドラッグストアがあり、左手にはトシやイチが中学生の頃にも買っていたほどカジュアルな服屋がある。

左手側のさらにすこし進んだところに総合安売り雑貨屋があり、そのすぐ手前の地下にはファミレス風のイタリアンレストランがあった。


 トシとイチは、その向かいにあるカフェの看板を見ていた。

「なんでカレーが千二百円超えるんだよ」

「知らないっすよ。スパイスに凝ったらそれぐらいになるんじゃないですか」

「看板のセンスは悪くはないんだけどな、お高いカフェは好きじゃないぜ」

「まあ、看板もよく見りゃ頑張りすぎてる感ありますけどね」

「ったく、どうしようもねえな。おっ!」

 看板から目を切り、振り向いたトシが声を上げた。

「なんすか」

「もうさ、ラ・パウザでよくね?」

「なんすか、それ」

「イタリアンのチェーン。ちょっといいサイゼリヤ?みたいな?」

「へー、よく知らないけど、いいんですか?」

「いいっていうか、まあ悪い思い出はないよ。フレッシュネス並みの安定感はある」

「ふーん。いいんじゃないですか。ぼくら別に、ピンポイントの何かを探してるわけでもないし」

「そうね。んじゃ決定で。よし。では参ろう」

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