ミルクティーの魔法

雨倉咲樹

前編

 仕方ない。だって、後ろを振り向いたら私の二、三倍ある巨体を持った和俊かずとしくんが私を睨みつけて――見下ろしているんだもん。漏れた悲鳴は仕方の無いことだったのだ。身長の差の所為か、和俊くんの目つきの所為か、和俊くんが私を見下ろすと迫力が半端じゃない。私の短い悲鳴は私と和俊君くん以外に誰もいない放課後の教室に、思いの外響いた。ちらりと和俊くんの様子を窺うと案の定、和俊くんの眉間には皺が寄っている。眉間に皺が寄っているのはいつものことかも知れないが、これはさすがに怒っているんじゃないかと思う。

「ええっと、ごめんね。和俊くんがいるって気付いてなかったから驚いちゃって」

「いや、こっちこそ驚かせてしまってすまない」

 もごもごと歯切れ悪く謝罪と言い訳を言う私に、気まずそうな顔をする和俊くん。何だろう、この状況。気まずい。和俊くんは体が大きくていつも眉間に皺を寄せているから何だか怖い感じがするけれど、実は面倒見が良くて特に男の子に人気だ。いつも大勢の男の子の輪の真ん中で笑っているイメージが強い……のだけれど。私の前で笑ったことは無いように思う。和俊くんと話したことが多い訳じゃないけど、まったくないと言う訳でもない。クラスメイトとして数回は言葉を交わす機会があったし、他の子には笑いかけている所を何度か見かけたし……もしかしたら嫌われてしまっていたりするのかも知れない。今までもこの考えに至って何度か落ち込んだのだが、私はまた飽きもせずちょっと落ち込む。嫌われているかも知れない相手と放課後の教室に二人きりと言うのはとても気まずい。和俊くんが動く気配がなく、何か言いたげな顔をしているので私も動けない。

「えっと、和俊くんはどうしたの?」

 沈黙に耐え切れなくなったのは私の方だった。和俊くんを見上げると、目を逸らされた。いつも和俊くんとは目が合わない。やっぱり苦手意識を持たれているのだろうか。“苦手”はしょうがないかもだけど“嫌い”はやだな。

「いや、忘れ物を取りに来ただけだ。前園まえぞのは?」

「私? 私は先生が集めたノートとプリント教室に忘れちゃったから持って来てって言われて」

 と自分で言っておきながら、そう言えば私はノートを持っていく為に此処に来たのだと我に返る。教卓の上に置いてあるノートとプリントの存在を思い出して、面倒だなぁと思った。クラス全員分のノートとプリントを一人で持っていくのは骨が折れそうだ。本当はもう一人、私と一緒に運ぶのを頼まれたクラスメイトの男の子がいたんだけれど、急用を思い出したとかで何処かへ行ってしまった。単に押し付けられただけなのだろうけれど、男の子と二人きりで職員室までノートとプリントを運ぶなんて気まずいので一人でやった方が気が楽だ。その分、体力的に楽じゃ無くなってしまったけれど。

「手伝わせてくれ」

 そう言って私の方に――詳しく言うと私の後ろにある教卓の方に、なのだけれど私は放課後の教室で和俊くんと二人きりと言う状況に緊張していて和俊くんの言葉を上手く理解できていなかった――歩いて来る和俊くんに心臓が飛び跳ねる。和俊くんが私を通り過ぎて教卓の上に置いてあるノートを持ち上げた所で漸く我に返った私は慌てて和俊くんの方に振り返った。

「え、いいよ! 私が頼まれたのに、和俊くんに手伝ってもらっちゃうのは悪いし……」

「前園一人で一度にこの量を運べるのか?」

「う、それは……」

 答えはNOだ。と言うかノートすら一人であの道のりを運べるか不安だったのに、それにプリントも追加されたのだ。一人で運べる筈がない。でも、数回に分けて持っていくつもりだったし、忘れ物を取りに来ただけの和俊くんに頼んじゃうのは何だか気がひける。

「早く帰る用事もないし、ちょうど職員室に用事もあるし遠慮はしなくてもいいんだぞ」

「じゃあ、よろしく、お願いします」

 そう言ってから、さっき和俊くんが言いたげにしていたことはこれのことだったのかと納得が行く。別に仲が良い訳でも無い女子を手伝ってくれる和俊くんはやっぱり優しい。他のクラスメイトの男の子だったら絶対に手伝ってくれなかっただろう。手伝われても何となく困ったと思うけれど。

 和俊くんがノートを持ってドアに向かって行ってしまうので、慌てて私もプリントを持つ。ドアの一歩外で立ち止まってくれていた和俊くんの隣に並ぶと和俊くんを見上げた。

「あの、私もノート半分持つよ?」

「いや、大丈夫だ」

「でも、重くない?」

「前園だってプリントを持っているだろう」

 そっけない返事にちょっと悲しくなる。和俊くんはお話し下手って訳じゃ無いから、こんな会話が続かなくなるような返事は他の子にはしない、筈だ。私の予想だけど。もしかしたら、和俊くんは放っておけない性格なのかも知れない。だから、ちょっと苦手な私のことも助けてくれるのかも。

「ありがとうね、和俊くん」

 そう笑いかけてみたけれど、和俊くんはちらりと此方に視線を向けると「ああ、」とだけ言って前に向き直ってしまった。……ちょっと落ち込むな、露骨に他の人と態度が違うと。そう思うが、これ以上声を掛けても和俊くんが困ってしまうだろうと口を噤んだ。

 無事ノートとプリントを届け終わると、和俊くんは先生に用事があるとかで私だけで廊下に出た。職員室はストーブが付いていて暖かかったのに廊下は身が竦むほどに寒い。まだギリギリ11月だけれど、気温はもうすっかり冬だった。日が暮れるのも早くなって、外はもう薄暗い。このまま帰っても良かったのだが、ちゃんとお礼を言いたくて和俊くんを待っていることにした。苦手な奴が待ってたら嫌がるだろうけど、でも、手伝ってもらっちゃったんだし……待ってたらストーカーっぽいかな。気持ち悪いと思われて、もっと苦手意識もたれたらどうしよう。でも、……でも、もう少し和俊くんとお話ししてみたい気もする。今までは言葉を交わすと言っても二、三言で、和俊くんとあんなに長く一緒に居たことが無かったから、少し調子に乗ってるのかも知れない。うん、調子に乗ってるんだな。家に帰って我に返った時にとても後悔するかも知れないし、やめておこう。調子に乗らないでおこう。そう思って回れ右をしたのと同時に職員室のドアが開いた。その中から出てきた人に私は固まる。

「前園? まだ居たのか。どうした?」

「う、えっと、和俊くんに、ちゃんとお礼言いたくて」

 体の向きを和俊くんに戻しながら言うと、和俊くんは少し驚いたような顔をした。

「俺も職員室に用事があったんだから、気にするなと言っただろう」

「でも、手伝ってもらったことには変わりないんだし」

 後半は尻すぼみになって、取り敢えず誤魔化す為にへらりと笑ってみた。すると、和俊くんはまた気まずそうに目を逸らす。やっぱり苦手だと思われてるんだ。今まで長い時間一緒にいることが無かったから“苦手に思われてるのかも”だったけど、たった今確信に変わった。

「これが、言いたかっただけだから……行くね?」

 私は今、情けない顔になっているに違いない。相手が誰でも、苦手に思われたり嫌われたりするのはちょっとショックだ。和俊くんとは仲良くしたいなと思っていたから余計に。情けない顔を見られたくなくて、下手な笑顔のまま回れ右。外は深い藍色に染まっていて、あと数分もすればすっかり暗くなってしまうんだろう。職員室から漏れる明かりから顔を隠すように一歩踏み出す。

「前園!」

 少し大きめの声で呼ばれて驚く。何だろう。迷惑だから今後はあまり関わらないようにしてくれ、とか言われたらどうしよう。さすがの私も立ち直れないかも知れない。なんて、優しい和俊くんなら絶対に言わないであろうことを言われるんじゃないかとネガティブ思考を展開してしまう。恐る恐る、和俊くんの顔色を窺うように和俊くんの方へ視線を向けると薄暗い中で真剣な顔が見えて心臓が跳ねた。

「もう暗いし、送って行きたいんだが……」

「え?」

 上手く理解が出来なくて聞き返す。送るって、どの意味での送るなの。ちょっと期待してしまったけれど、勘違いだったら嫌だから、早とちりはしないようにする。

「嫌なら断ってくれて構わないんだ。ただ、女子がこんなに暗い中一人って言うのは俺も心配だからな」

「え、そんなの悪いよ! ノートも運ぶのも手伝ってもらっちゃったのに……」

 そう言葉を続けるうちに和俊くんの顔が徐々に曇って行くのが薄暗い中でも分かった。あ、そうか。いくら和俊くんだからって女の子に送って行くって言うのは、そりゃあ勇気が要っただろう。それを断られたら、良い気分にはならない。不快になるとかじゃなくて、何て言うか、気まずいって言うか、恥ずかしいって言うか……。

「そうか。すまん、余計なことを言ったな」

 そう言って誤魔化すように髪を掻く和俊くんは、このままだったらきっと私に別れの挨拶をして帰ってしまうのだろう。それは、何だか嫌だった。

「あ、の!」

 心臓がやけに大きな音を立てて動く。とても緊張する。和俊くんに話しかける時はいつもこうだった。

「えっと、お礼に、ジュースとか奢りたいから、そこのコンビニまで一緒に帰り、ませんか」

 何故か敬語になってしまって顔が燃え上がるように暑くなるのが感じた。これで断られたら恥ずかしすぎて死んでしまう。

「だから気にするなと…………いや、分かった。コンビニまでで良い」

 何が良いのか分からないが、了承してくれたらしい。良かった。

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