十八

「へぇ、お兄さんかぁ……」

 エリンをセルジュの元に置き去りにして、ゲオルグとアーシュラは近くの花畑で、セルジュの妻から差し入れられたピクニック用のティーセットを広げていた。

「話していなかったかしら?」

「初耳。ま、驚きはしないけどさ」

 クッキーをかじりながらゲオルグが言う。

「どうして?」

「彼は君の親戚なんだろうな、って、思ってはいたから。ほら、眼の色がさ」

「あら、気付いていたのね」

「まあね。でも、じゃあ……えーと、そうか。従弟ってことになるんだ。君とエリンって」

「ええ」

「そっかぁ」

「……どうして嬉しそうなの?」

「分からない?」

「全然」

 きょとんとして首を傾げる恋人の肩に、ゲオルグはホッとした様子で手を回した。

「それならそれでいいや」

 いくら頭ではただの従者なんだと思っていても、やっぱりエリンのことはどこかライバル視してしまうゲオルグだった。だからはやり、本当に近縁者なのだと知ると安心する。口に出すとたぶんアーシュラに笑われるので、言わないけれど。

「エリン、大丈夫かしら……」

 柄にもなく心配顔のアーシュラだ。

「離れていたといっても兄弟なんだし、大丈夫だよ」

「きょうだい……だったら、離れていても大丈夫なの?」

 アーシュラは何となく不安げに言った。それがエリンのことだけを指しての言葉でなくなっていることに、ゲオルグは気がつかない。だから気軽に、自信満々に頷いてみせた。

「平気に決まってる。僕のところなんかはさ、姉さんばっかりだからやたら騒々しいけど……二人兄弟なんでしょ。同じ両親の元に、運命を半分こして生まれてきたんだから」

「ほ……ほんとに?」

 アーシュラは、すがるような目を向ける。

「だって、たとえ行く道が違っても、血を分けた兄弟の幸せを祈らない者なんていないでしょ?」

「それは……それは、その通りだわ」

「だから、大丈夫」

 言いながらゲオルグは恋人を抱きよせ、フワフワした髪に顔を埋めた。

「カスタニエ卿はとっても良い方だったよ。心配ないって。だから……さ、しばらくは、彼のことは置いておいてよ。僕だって、今日をずうっと楽しみにしていたんだよ?」

「ゲオルグ……」

「ようやく……二人っきりになれたんだから」

 腕に込められた力は強く、少年の囁きは甘い。心地よい緑の空気を、アーシュラは胸いっぱいの幸せと一緒に吸い込んだ。




 眺めの良い草原に向かって作られた広いウッドデッキに、少し古びた木製のテーブルセット。運ばれてきたお茶やケーキが、自分をもてなすためのものであることが、全く奇妙なもののように感じられる。

「甘いものは、口に合わなかったか?」

 苺が隙間なく敷き詰められたタルトをしげしげと見つめていたエリンに、セルジュが心配そうに言った。

「えっ」

「苦手だったら、別のものを――」

「そんなことは!」

 思わず声が大きくなってしまった。全く、後で迎えに来るからと言い残してアーシュラはゲオルグと遊びに行ってしまったけれど、大丈夫だろうか。ここに来るまでに随分疲れていたはずだから心配だ。

 というかどうして自分がここで、まるで客人のように歓待を受けることになっているのだろう。そんな資格は無いのに。

 こんな時何かを言わなければならないのか、何を言えばいいのか、さっぱり分からない。エリンはただ座り慣れない椅子で縮こまって、途方に暮れるしか無かった。

「……すまないな」

「えっ……」

 勧められるまま椅子に座って、ほとんど微動だにせずじっと下を向いている弟の様子を見かねたらしい、セルジュの申し訳無さそうな声に、エリンはようやく兄の方を向いた。

「殿下はああ仰っていたけれど……迷惑だっただろう。本当にすまない。私と会うはめになるなんて」

「……そんな、ことは、ありません」

「エリン?」

 エリンはしどろもどろで続ける。

「その……私には、このようなもてなしは、過分のものです。あ……兄上が、私などを気にされることは、ありません」

 セルジュの罪悪感をエリンは知るよしもなかったけれど、目の前の兄が自分に詫びる必要がないことは明白だ。それを伝えたくて口を開いたが、セルジュはますます悲しそうな顔でエリンを見つめた。

「私が……私が、お前のことが気にならないはずがないのだよ、エリン」

 苦しげに言葉を選んで、セルジュは続ける。

「ずっと……気になっていたんだ。お前は本当に小さかったし、私は……」

 家族のことは記憶にあった。最初の頃は、母がいつ迎えに来ても分かるようにと、何度も何度も忘れないように思い返した。だから、幼かった割には色々なことを思い出すことができるのだ。母や乳母、父や――もちろん、兄のことも。

「兄上……は、私のことを、憶えておいでで?」

 意外そうに言うエリンに、セルジュは驚いたように首を振る。

「当たり前だろう。忘れたことはないし……私でなくても、カスタニエ家にお前を忘れた者なんて……いない」

「兄上……」

 もうずっとずっと長い間、会いたいなんて思ったことがなかったから、兄もそうなのだと思っていた。家族がいたことを忘れはしないけれど、あの城から居なくなった自分のことは、忘れてくれて良いのだと思っていた。

 最後に見た母の顔は泣き顔だった。母がずっとあのまま悲しんでいるような気がして怖かった。だから、忘れていてほしいと願ったのに。兄が自分のことを忘れていなかったということは、つまり――

「ちちうえ!」

 エリンの思考を遮るように、元気の良い、幼い声が響いた。

「!?」

 デッキを踏む軽い足音がして、見知らぬ子供がこちらへやって来る。セルジュは少し面食らった様子で、その子の頭に手を置く。

「ロディス、母上に本を読んでもらうのではなかったのか」

「おきゃくさまに、ごあいさつ……って……」


 言って、ロディスと呼ばれた少年はエリンを見た。まっすぐと、射るようにこちらを見る大きな瞳は、その幼さゆえハッととするほど瑞々しい。エリンには子供の年齢はよくわからないので、見ただけではこの子が何歳くらいなのかよくわからないけれど、兄のことを父と呼んだことには気付いた。

「……では、ご挨拶をしなさい」

「はい」

 きっと、父親のことが好きなのだろう。嬉しそうに返事をして、少し緊張した様子でエリンに向き直る。そして、大人のように胸に手をあて、頭を下げた。

「ロディス・カスタニエともうします。おめにかかれてこうえいです」

「騒がせてすまない。息子なんだ」

「いえ……」

 知らず、エリンは微笑んでいた。席を立って利発そうな甥の傍らに膝をつく。

「エリン・グレイと申します。ロディス様は、おいくつになられましたか?」

「ごさいです」

「……立派にご成長なさいました」

 いなくなった自分の存在がカスタニエ家の幸せに影を落としたことがあったかもしれないと考えるのは辛い。だから兄に子がいて、両親に孫がいるのだということは、喜ばしいことに思えた。

「エリン。その……ここにはいつまで滞在を?」

 遠慮するような兄の言葉に、エリンは振り返る。

「……六月の末までは、殿下がこちらにおられますので」

「そうか」

 セルジュは一瞬迷うように目を泳がせ、それからロディスを抱き上げながら言った。

「……もしお前さえ迷惑でなければ、いつでもいい。また……来てくれないか。私たちも、夏が終わるまでここに居るから」

 兄の言葉はどことなく切実な響きをはらんでいて、その心の内はわからないのに、なぜだか胸が痛む。エリンは断れずに黙り込んだ。

 兄に会いたくないわけではないけれど、会えることを嬉しく思ってしまうのは恐ろしい。けれど。

「……殿下のお許しがあれば」

 つい、そう答えてしまった。

 ――アーシュラは、許すに決まっているのに。






 気持ちのよい陽気に、のんびりと流れるくっきりとした雲。アーシュラの折れそうな身体を抱いたまま柔らかい地面に寝転がり、二人して特に何も話さないまま、長いこと空を見ていた。

「僕、アヴァロン城に就職できないかなぁ」

 そして唐突に、ゲオルグは突拍子もないことを口にする。

「就職?」

「そう。君の使用人だったらいいな。本当は、ジュネーヴで何か仕事を探そうかなって、思ってたんだけど……」

「だけど?」

「近いほうがいいから。君に」

 冗談なのだか、真面目なのだか。ゲオルグは微笑む。

「君からラントさんに頼んでみてよ」

「クヴェンに頼んでも駄目よ。家令ジェームズに言わないと」

「そうなの?」

「たぶん」

「そっかぁ……ラントさんだったら顔見知りだし、なんとかなるかなあって思ったのに……」

 残念そうにため息をつくゲオルグの腕の中でアーシュラはもがいて身を起こし、向きなおって彼の目を覗きこんだ。

「本当に、へんなことを言い出すのね」

「名案だと思ったんだよ」

「あなた、お家のお仕事を継ぐのではないの?」

「うーん、家の商売は好きだけど、別にそういうのは期待されてないかな。うちには姉さん達がいるしさ」

「だけど、別にわたくしの使用人になりたいわけじゃないでしょう?」

 間近で見開かれた大粒の菫色に、ゲオルグは眩しそうに目を細める。

「そうなんだけど、だんだん、欲張りになってしまってさ。前は君にたまに会えるだけで、充分すぎるくらい幸せだったのに。今は……」

「そんなに、わたくしに会いたい?」

「もちろん。君に、僕の時間を全部捧げたい」

 未熟な情熱には迷いがない。ゲオルグは、世界で一番尊い人の冷えた指を捕まえて、草のにおいのするそれに、恭しく口づけた。アーシュラは切なげに目を伏せて、暫く黙りこんでいたけれど、やがて顔を上げると、神妙な顔で言った。

「……本当に、ぜんぶくれる?」

「うん」

「後悔すると思うわよ?」

「構わないよ」

「向こう見ずなのね」

「君さえいれば」

「……分かったわ、ゲオルグ。だったら、わたくしの夫になって」

 ゲオルグはいつもどおりの軽い返事をしかけて、ハッとして口をつぐむ。少女が差し出した解決案は、途方も無いものだった。

「え……と……」

 彼女が、簡単に結婚相手を選べるような立場でないことは、ゲオルグだって分かっているのだ。

「駄目かしら?」

「えっ……と、いや、そうじゃなくて……そうじゃなくて……」

「まぁ、うふふふ、ゲオルグったら、びっくりしてるわ」

「当たり前だよ! 君ねえ、そういう冗談は心臓に悪い! 僕はね、本気なんだからね」

「わたくしだってそうよ」

「いや、だから……」

 すっかり混乱した様子で目を白黒させるゲオルグを見て、アーシュラは可笑しそうに笑った。

「あなたがそばに居てくれたら、わたくしはお祖父様よりも立派な皇帝になれると思うの。誰にも文句は言わせないし、あなたを生涯愛します。きっと幸せにするわ」

「アーシュラ……」

「けれど、不幸にもすると思う。わたくし、きっと長生きはしないと思うから。ごめん――」

「君ねえ!」

 少女の口上を遮って、ゲオルグは怒鳴った。

「ずるいよ!」

 きょとんとする恋人を柔らかく押し倒して、その唇を手折った花で塞ぐ。水仙(ナルサス)の甘い香りがふわりと二人の間に広がった。

「それ以上言っちゃだめ。僕の台詞が無くなっちゃう!」

 情けない顔でそんなことを言うゲオルグに、アーシュラは一瞬黙って、すぐにクスクスと笑い出した。落ちそうになった花を拾って、指先でクルクル回す。


「言葉は要らないわ」

「こんな大事なことをだね。そういうわけには……」

「じゃあ、キスして?」

「…………」

 正午過ぎの眩しい高原の太陽を、ちぎれた雲が一瞬隠す。満開の花畑に影が走るのに紛れ、二人は大切な約束の口づけを交わしたのだった。






 苦笑するアーシュラの周りを、エリンが落ち着かない様子でクルクル歩きまわる。

彼らが離宮にやって来て、暫くの時間が経っていた。

「エリン、大丈夫だと何度言ったらわかるの?」

「ですが……」

「約束はちゃんと守るわよ。お前が帰ってくるまで、離宮から出なければ良いのでしょ?」

 アーシュラは少し呆れつつも、優しい口調で繰り返す。

「本当に……」

「私を信じなさい」

 その後、エリンは何度も何度も離宮を出るなと言い含めて、ようやく、兄を訪ねるため一人で出かけたのだった。

 彼が、個人的な用事でアーシュラの元を離れるのは、初めてのことだ。

 アヴァロン家の離宮と隣り合う敷地に、カスタニエ公爵家の別荘はあった。もっとも、隣といっても、どちらの家の敷地も広いので、ちょっとしたハイキングくらいの距離がある。

 前はアーシュラに引っ張られて歩いた美しい遊歩道を、今日はひとりで辿る。

 彼女の体調や安全に気を配る必要が無いぶん気楽な筈なのに、どうしてだか頼りなく、心細い気持ちになってしまう。

 美しい景色も、気持ちのよい気候もちっとも楽しめなくて、目的が兄に会うのでなければ、外出なんか今すぐやめて彼女の元に帰りたいと思っていたことだろう。




 ぎこちない会話を交わす兄弟の間を、白い紙飛行機がすうっと通り抜け、そして、ふわりと風に煽られて高く舞い上がった。

「あっ!」

 と、同時に悲痛な叫びが響く。ロディスの声だった。エリンがぼんやり見ている横を、少年は必死に走って、飛ばされていった飛行機を追いかける。デッキの端まで走っていき――その小さな後ろ姿ががっくりとうなだれた。

「ロディス、どうした?」

 席を立って優しく声をかけたセルジュに、ロディスは振り返ると、大きな青い目を潤ませて屋根を指さす。

「じゅうさんごうが……」

「十三号?」

「ぼくの……」

「ロディ、お外に向けて投げてはいけないと言ったのに……」

 セルジュの妻、リュシエンヌが心配そうに居間から出てくると、少年は母に飛びついてしくしくと泣き始めてしまった。

「どうしたんだ?」

「十三号はロディスの自信作なんです。今まで作った中で、一番よく飛ぶのよね。お父様とエリン様にお見せするんだって、張り切っていたのですけれど……」

「それは少し、よく飛びすぎたようだな」

「ふえええ……」

「飛行機くらいまた作れば良いだろう?」

 セルジュが諭すが、ロディスは泣き止む様子がない。呆気にとられて親子のやりとりを見つめていたエリンだったが、ふと、風に飛ばされていった十三号の行方を目で追ってみる。どうやら別荘の大屋根の上に乗ってしまったようだ。白い鳩の羽のように軽やかなそれは高い屋根に着地して、次に強い風が吹けば、もっともっと遠くまで飛んでいってしまうように思われた。

 エリンは一瞬考えて、口を開く。

「……私がとって参りましょう。ロディス様」

「え……?」

 ロディスが顔を上げると、エリンが窓枠の高い飾りに、確かめるようにそっと手を触れていた。そして、突然軽業のようにヒョイと身体を持ち上げ、飾りにつま先をかけて登る。

「あ……!!」

 少年が驚きの声を上げた次の瞬間には、彼はさらにもう二段くらい高い場所に居て、あっという間に大屋根の上まで上がっていってしまった。そして、白い紙飛行機をそっと拾い上げると、屋根の端まで歩いて行って、そこから壁の一箇所を足場にし、ロディスの目の前にひらりと舞い降りる。

 エリンは小さく笑って、少年の前に膝をつき、目線を合わせた。

「十三号はとても高く飛べるようですので、どうぞお気をつけ下さい」

 そして、幸運にも折れたり傷ついたりしていなかった少年の自信作を、そっと小さな手に戻す。

「ありがとう……」

 けろりと涙の引っ込んだロディスは、泣いて汚れた顔をつやつやさせ、エリンを尊敬の眼差しで見つめて言った。

「礼には及びません。母君の仰るように、屋敷の中で飛ばされませ」

「あ……の……」

「?」

「エリンさま、ぼくのひこうき……」

 ロディスはエリンの袖を掴んで居間を指し、恥ずかしそうに俯く。

「……私に、見せてくださるのですか?」

 少年はコクリと頷いた。子供の相手なんて全く自信の無いことだったのだけれど、この些細な出来事によって、エリンはロディスに懐かれてしまったようだった。

 そして、これにより彼はこの夏の間、小さな甥のために何度も兄の屋敷を訪ねることとなった。


「ねぇ、今日はわたくしも一緒に行っていい?」

 長い髪をエリンに預けて朝の身支度をしつつ、アーシュラが言った。

「構いませんが、今日はお休みになったほうが良いのでは?」

 昨日の夕方、ゲオルグが一足先にミラノへと帰っていった。皇女と交わした例の約束について、家族に報告するためだ。

「大丈夫よ、今日もとっても気分がいいし」

 アーシュラは幸せそうに言う。

 二人が結婚を決めたことを聞かされたのは、ゲオルグが帰る前の日のことだ。

 主がいつかそれを言い出すだろう、ということは予想していた。彼女が望むなら、エリンに反対する道理は無い。実際、そのことに対して特に感慨めいたものは抱かなかった。

 けれど、実際に彼女が彼を伴侶とするためにはまず、アドルフの承認を得なければいけない。

 アドルフがそれを認めるだろうか。アーシュラは自信があるようだったけれど、エリンにはとても、心配なことに思えた。

「……カルサス様がお帰りになって、お暇なのですね」

 エリンが意地悪を言うと、アーシュラは小さく笑う。

「わたくし、そんなゆとりは無いのよ。アルプスを見に行きたいの。あと、リュシエンヌに会いたいし。彼女、お料理がとても上手で、羨ましいの。教えてもらう約束をしているのよ」

 彼女はいつの間にかセルジュだけでなく、その妻リュシエンヌとも大変な仲良しになっていた。

「あなたがそういった方面の才能が無いことは、もうカルサス様にもばれているでしょうに」

「うるさいわね。リュシエンヌに教えてもらえば、きっと見違えるほど上手になるわ。ゲオルグもびっくり仰天なのよ」

 彼女たちを一瞬で親友同然の間柄へと結びつけた共通点が、お互い癒えぬ病を養って生きているという事実であったことを、この時のエリンはまだ知らない。


「うわぁ、遠いのに本当に大きいわね」

 カスタニエの屋敷へ向かう道を少し遠回りして、見晴らしの良い遊歩道を通る。そこは切り立った断崖の脇を通る道で、小さな足で頼りなく歩くアーシュラの足取りは危なっかしい。

「山など毎日見ておられたではありませんか」

 思わず彼女の腕を掴んで、エリンが言う。

「ゲオルグとは毎日お花畑へ行っていたから、この辺りには来なかったんだもの」

「……なるほど」

「何が?」

「山よりも花に興味があるように見られたかったと」

「……悪い?」

「いいえ。確かにあのような山は、アヴァロン城に居ては見られないものですし」

「そうね。それに、もう二度と見られないかもしれないし」

 アーシュラは上機嫌のまま、歌うように不吉な言葉を口にする。悪い冗談だと、咎めるように睨むエリンに、少女は彼女らしい強気な笑顔を見せた

「本当に、人間なんて嫌ね、ひ弱で。わたくしは、千年でも、二千年でも、ずうっと未来まで生きて、もっと色々なものを見ていたいのに」

「……二千年も生きるなら、周囲の者はみんな先に死んでしまいますが」

「構わないわよ。わたくしは、あの山のように強く大きく、揺るぎないものになって、ゲオルグも、お前のことだって看取ってあげるわ」

「……無茶を仰らないで下さい」

「ふふふ、希望の話よ。本当のわたくしは、お花畑のナルサスよりもあっけなく死んでしまうの」

「アーシュラ。そういう冗談はやめてください!」

「怒らないでよ、例えばの話じゃない」

「あなたは死にません。私が守るのですから」

「……そうね」

 必死になる剣に、アーシュラは少し切なげに息をつく。輝く雪を戴く絶景のアルプスは、二人の居る場所からあまりに遠く見えた。

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