後編

十一

 少年を乗せて、列車は西へと向かっていた。

「あるじ様、泣かないで」

「あるじ様、元気を出して」

 窓から差す陽光に暖められた特等車の柔らかい座席で、しくしくと泣き続けるベネディクトに、彼の双子は途方に暮れたように何度も声をかけた。

 二人の主は元々泣き虫だったが、いつもの彼ならば、双子のたどたどしい励ましに顔を上げ、無理にでも笑顔を作ってやせ我慢をする。泣き虫だけれど、強い少年なのだ。けれど、その日の彼は一向に泣き止む様子を見せなかった。大粒の涙が彼の顔を覆う柔らかい手を濡らし、次から次へと膝に落ちる。

 内気な双子は恐怖していた。このまま、泣き止んでくれなかったらどうしよう。小さな身体から溢れだす、大きすぎる悲しみが、大切な主人を壊してしまうのではないだろうか。

 コンパートメントに他の大人の姿はない。少年は使用人すらほとんど連れず、祖父から賜った新しい領地へと向かっているのだ。

 向かう先は帝都を遠く離れた西の土地で、これまで彼の父、エーベルハルトの領地の一部であった、農業の盛んな場所だという。

 十六の誕生日に祖父から分家を命じられた少年は、アヴァロンの名を捨て、明日からはそこで、ベネディクト=エイミス・ハミルトン――ハミルトン公爵として、暮らすことになる。足を踏み入れたことすらない土地の、見知らぬ城で。

「あるじ様……」

 生まれ育った城を離れることは辛く、また、不安なことであろう。けれど、ベネディクトがただそれを嘆いているわけではないのを、双子は知っていた。

 彼の分家をアドルフに進言したのが、他ならぬ彼の姉、アーシュラであったという事実が、ベネディクトの心を、深く深く、傷つけていたのだ。


 男のくせに、十六歳にもなってこんなに涙がでるなんて、情けない。そうは思ったけれど、止められなかった。たぶん、城を出て列車に乗り込むまで、人前では泣くまいと我慢し過ぎたせいだ。

 自分を気遣う双子の声が聞こえているのに、二人を安心させてやることができない。ただ、繰り返し、姉の言葉を思い出していた。

 アーシュラが、大好きな姉が、自分を城から追い出したのだ。

 分家を望んだ理由を問うた少年に、『あなたのため』と、姉は言った。けれど、その言葉をありがたく信じる気には到底なれなかった。

 アーシュラが、自分を遠ざけたいために、嘘をついたのだと思った。

(姉上はきっと、エリンとあの商人が居れば良いんだ。僕のことはもう……邪魔になったんだ!)

 アドルフから呼び出され、分家を言い渡された時は、正直なところ、安堵を感じた。城を出れば祖父から殴られることも無くなるだろうし、父も伯父もアヴァロンを出ている。姉が帝位を継ぐ以上、自分もいつか――大人になれば、家を出ることになるのだろうとは思っていた。こんなに早く出て行くことになるとは思っていなかったけれど、そのこと自体に不満は無かったのだ。それなのに。

(姉上……)

 出て行けと姉に望まれて家を出ることになったことが、ひたすらに悲しかった。


 たった二人きりの姉弟で、自身が辛い時もいつも周りに優しい姉のことはずっと尊敬していたし、大好きだった。物心ついてから、喧嘩らしい喧嘩もしたことがない。姉だって自分のことを大切に思っていてくれるに違いない。家族はバラバラだったけれど、姉と自分だけは。世の中の人にも胸を張って自慢の出来る、仲の良い姉弟なのだと、思っていたのに。


 姉上も――お祖父様のように、僕を疎んでいたのだろうか。

 紫を持たずに生まれた僕を?

 それとも、健康な身体で生まれた僕を?






「ベネディクトを?」

 私室を訪れ、突然弟の分家について進言をしたアーシュラに、アドルフは僅かに驚いた様子で顔を上げた。

「はい。お祖父様、なるべく早くに、この城を出て新しい領地に入れるよう、お願いしたいのです」

 こうして彼女が言い出さなくとも、いずれアドルフはベネディクトをアヴァロンの外に出したと思う。けれどそれはまだ先の、弟が成人した後の話になる。それでは遅いと、アーシュラは考えたのだ。

「なぜ急ぐ、あれはまだ幼い。成人してからでも遅くはないであろう」

「それでは遅いわ。お祖父様」

 弟を守るためには、今すぐ、彼をアヴァロンの外へ出さなければ。

「遅い?」

「ええ!」

 アーシュラは力を込めて言った。

「あの子は、この家を出て、新しい領地で、善き領主となる勉強をはじめなければいけません。他の家では、跡取りの子は幼い頃から領地と領民に親しんで育つのですから。だから……あの子も、分家させるならば、早いほうが良いのです」

 アーシュラは、ベネディクトの立場をこれ以上悪化させることなく彼を守ろうと決めていた。だから、弟の分家を望む本当の理由は語らなかった。

「自然の豊かな、気候の良い土地を与えてやってください、お祖父様。賢くて優しいわたくしの弟ならば、きっと、土地をさらに栄えさせ、民を幸せにしてくれることでしょう」

 嘘をついたつもりはない。ベネディクトはきっと、家を出たほうが幸せになる。確かにそう思っていた。

 断じて、嘘ではないのだ。


 孫の言葉にアドルフは黙って耳を傾け、そして、彼女の申し入れを受け入れた。

 ベネディクトが城を出る日はすぐに決められた。領地も、エーベルハルトが持て余していた広大なベイフェルト公爵領の一部を譲り渡す形で取り決められ、新しい居城も、そこで彼の世話をする使用人も、全てが新しい領地で手配された。

 だから、ベネディクトはほとんど訳もわからないうちに、双子だけを伴って、生家を出ることになったのだった。


 別れの日、アーシュラは弟を見送りに出た。

 少年を乗せる馬車はもう菫の紋章を掲げていない。皇子でなくなった彼を見送りに来た者は、彼女とエリン、それから、クヴェンと身の回りの世話をしていた少数の使用人のみ。それは、とても、寂しい旅立ちであった。

「姉上……」

 沈んだ心と正反対の、抜けるような青空を背負い、少年は口を開く。

「きょ……今日のことは、姉上がお決めになったと伺いました」

 不安からか、怒りからか、悲しみからか。ベネディクトの表情は硬く、その声は微かに上ずり、震えていた。

「どうして……僕に分家せよと?」

 気弱なベネディクトが、言いにくい言葉を必死で絞り出しているのが分かる。

「それは……」

 問われるだろうとは思っていたのだ。けれど、今は本当のことを話すつもりはない。向かい合ったアーシュラは目を細める。

「……あなたに必要だと思ったからよ。ベネディクト。よく勉強をして、善き領主となりなさい。あなたの務めです」

 それは彼女が自分で思っていたよりも、突き放すような冷たい言葉として響いた。もう少し優しい言葉を選ぶことも出来たのかもしれないと、言ってしまってから思ったけれど、発した言葉を取り消すことは出来ない。ベネディクトははっと目を見開いて、それから、色を失った唇をわなわなと震わせる。

「あ、姉上は……姉上も……僕のこと、疎ましいと……思っていらっしゃったのですか?」

 掠れた声が、突き刺さるようだった。

「そんな……!」

 皇女は思わず声を荒らげ、口をつぐむ。

 まだたった十六歳。小さい頃から家族思いの優しい弟なのだ。突然こんなことを言い渡され、準備に追われたせいで毎年欠かさなかった誕生日の晩餐会も今年は開けずじまい。アヴァロンから捨てられるような心細い気持ちになるのも無理は無いし、とても……とても可哀想だ。

 けれど今は、弟を平和に送り出したい。

 信じた相手に騙されているなんてことを知るよりは、自分を憎んでくれた方がましなのだ。そう、頭ではわかっているのだけれど。

「違う……違うわ、ベネディクト。そんなわけ無いでしょう。わたくしが、あなたのことを……」

「だったら! なぜ、僕に出て行けと仰るのですか!? お祖父様でなく、姉上が!」

「それは……」

「僕が嫌いになったのですか? 姉上、どうして……」

「違うわ!」

「では、なぜ!?」

「それは……」

 ごめんなさいと、言ってはいけない。

 それは、アヴァロンが彼を否定することを、認めてしまう言葉だ。

「……あなたのためなの。全部」

 それ以上はもう、何を言っても弟を傷つけてしまうような気がした。






 自室へ戻る渡り廊下が、何だかいつもよりやたらと長く感じられた。胃が引きつるような感覚に、吐き気がする。ドレスも妙に重くて苦しい。なぜだろう。今日は体調は悪くないと思ったのに。

 それが罪悪感であることに、アーシュラは気が付かなかった。

「……殿下」

 助けようとしたエリンの手を振り払い、青い顔で少女は言う。

「大丈夫、一人で歩けます。消えていて」

 アーシュラが人目のある場所で彼の助けを拒むのは、よくあることだ。けれど、今は誰も見てはいないのに。迷ったらしいエリンは瞳を揺らし、しかし言われたとおり、濃い午後の影に溶けるように姿を消す。

「でしたら、せめてお部屋に戻られたら、お休みください」

「……そうね、そうするわ」

 低く呟いた少女の声が、時間が止まったような真昼の渡り廊下に、独り言として落とされた。


「えええっ、寝込んでる?」

 皇女のひ弱な身体は、彼女の強い意志に振り回されると、しばしば癇癪を起こす。ベネディクトを見送った翌日、前々からの約束通り城を訪れたゲオルグは、門まで迎えに来たリゼットにアーシュラの体調が悪いのだと知らされ、落胆の悲鳴を上げる羽目になった。

「そうです。ですから、今日は……」

 お引き取りを、と、言いかけた言葉をのみこんだようだった。少女は少し困った顔をする。

 実は、アーシュラから何も命じられていなかったのだ。こういう時、訪れてしまった客人にどう対応すべきか、何か申し伝えがあっても良さそうなものなのに、朝から何一つ連絡が無い。自分の一存で追い返してしまって良いのだろうか。

「リゼット?」

「ええと……」

 彼が、遠い自宅から、半日かけてここに来ていることはよく知っている。せめてお茶くらい入れてやりたいと思うものの、彼を城に入れて良いかどうか、やはり彼女には判断ができない。

「殿下の具合……ずいぶん悪いの?」

 リゼットが言葉に詰まったのをそのように解釈したらしい、ゲオルグは心配そうに言った。

「えっ、と……その、殿下は……」

 今日は朝からアーシュラの姿を見ていないから、どのくらい悪いのかと言われてもわからない。律儀なリゼットは適当な返事が出来ずにやはり黙りこみ、ゲオルグはますます青くなる。フイとエリンが現れたのはそんな時のことだった。状況を説明してくれそうな者が現れたことを悟ったゲオルグは、助けてくれと言わんばかりに口を開く。

「エリン! 殿下は――」

「……お会いになりたいそうです」

 ゲオルグの台詞を遮って、どことなく不機嫌そうにエリンが言った。

「こちらへ」

 言って、さっさと歩き始める。呆気にとられた様子のリゼットにじゃあねと手を振って、ゲオルグはその背を追いかけた。ちゃんと付いていかないと、エリンのことだからどこかで消えてしまわれたら見つけられなくなる。

 ――もちろん、アーシュラに命じられてゲオルグを迎えに来たエリンがそんなことをするわけはないのだけれど、ゲオルグは何となく慌てて、想い人の守護者に駆け寄ったのだった。

「あのさあ、殿下、大丈夫なの?」

「お会いになればわかります」

「そりゃ、そうだけど……急に、倒れたとか?」

「…………」

「体、弱いとは言ってたけど、そんなに……」

「…………」

「エリン!」

 煩いとでも言いたいのだろう、エリンは隣で騒ぐゲオルグに冷たい視線を送る。

「え……っ?」

 ゲオルグは驚いた様子で言葉を途切れさせた。いつもより少しだけ近い距離に、ふとエリンの普段は隠れている左目が見えたのだ。

 特別に鮮やかな菫色。彼の、片方違う瞳の色。

 アーシュラと同じ、その紫色が何を意味するのかくらい、ゲオルグにだって分かる。

 尋ねたいことが増えてしまったせいで気持ちの整理がつかないまま、ゲオルグは、皇女の私室の前に立っていた。エリンは、ノックをせずに突然扉を開ける。

「殿下、お連れしました」

 ふわりと花の香りのする部屋だった。豪華な寝台が目に入り、どうすれば良いかわからなくなってしまう。つまりこの部屋は、彼女の寝室なのだ。案内されたはいいけれど、気軽に入って良い場所だとは思えない。

 戸惑うゲオルグの耳に、気だるげな声が届いた。

「ありがとう、エリン。下がっていて」

「……はい」

 言って、エリンは部屋の奥にある扉の向こうへと消えていく。どうしたものかと思いつつ見回すと、唐突に、ソファに座った皇女の姿が目に入った。

「殿下……」

 目に入ったというか、目に入っていなかったというか。

「……ゲオルグ、ごめんなさい。こんな所に呼んで。エリンがお部屋から出るのをどうしても許してくれなくって」

 普段通りのドレス姿で、お茶を飲んでいる。調子が悪いと告げられ散々悪い想像をして来たので、それから考えると存外元気そうに見えた。

 けれど、ゲオルグは鈍くないので分かる。声に、いつもの彼女のような、弾んだ輝きが無い。

「何かあったんですか?」

「えっ?」

 すました顔のアーシュラが、驚いた色を見せる。よく見ると。注がれた紅茶はほとんど口をつけられた様子が無いし、綺麗に並べられた菓子も見るからに供された状態のままだ。

「体調が悪いと聞きましたけど、それより、元気の方がないみたい」

 突然寝室に招かれて戸惑っていたことはあっさり忘れていた。思ったことをずばり口にしながら、皇女の傍に歩み寄り、ふかふかしたカーペットに膝をついた。そして、驚いたように目を丸くする少女の顔を心配そうに覗き込む。

「悲しいことでも?」

 少年のストレートな口調にはてらいがなく、単純にとても優しい。

 アーシュラは暫く何も言わず、その明るい緑の目を見つめていたが、やがて、大きな瞳にユラリと歪んだ光が浮かび……熱のせいで少し赤らんだ頬に、大粒の涙が落ちた。

「……ゲオルグ、わたくし……」

 この時、ゲオルグは知らなかった。本来、どんなに辛くても、この少女は他人に簡単に涙を見せることなど無い人間だったのだ。ほんの幼い頃から、おそらくはほとんど無意識に、そして、彼女自身心からそうだと信じ込める程に。偉大な祖父の跡継ぎとして、求められる皇女であり続けた。エリンにすら、そうそう泣き言なんて言わない。そんなアーシュラが、全く弱々しい普通の娘のように、ぽろぽろと涙を零して泣いていた。

「悲しい時は、人に話してしまうのが一番ですよ」

 そんなことを知らないゲオルグは、ごく当たり前に、親しい女の子を慰めるような調子で笑いかけた。

「僕でよければ」

 冗談っぽく、けれど少しだけ強く押すように。

「……」

 自分が泣いているのを見ても少年がちっとも驚かなかったのに、アーシュラはアーシュラで驚いたようだった。こぼれ落ちる涙を拭うのも忘れて、はるばるミラノから、いつでも訪ねて来てくれる、彼女の非日常の優しい顔を見つめていた。

 そして、やがて、

「…………弟に、嫌われてしまったわ」

 すすり上げながら、小さな声で言った。

「それは……」

 ゲオルグはベネディクトとはあまり話したことはなかったけれど、大人しそうな彼女の弟のことは知っていた。

「皇子と喧嘩でもなさったとか?」

「ちがうの……喧嘩なんてしないわ。そんなの……したこともないし」

「じゃあ――」

「わたくしが、酷いことをしたの」

 ティーカップを頼りなく掴んだままの白い指がカタカタ震えている。このままではカップを落としてしまいそうな気がしたので、ゲオルグはそっとそれを取り上げ、テーブルに置いた。

「そういうことなら、謝ればいいじゃない」

「無理よ!」

 穏やかな言葉に甘えるように、アーシュラは声を荒らげる。


「どうして?」

 あくまで静かに、ゲオルグは訊ねた。カップを手放したせいで行き場の無くなった少女の手に、少し戸惑ったけれど、そっと触れてみる。

 熱いな、と思った次の瞬間には、細い指がぎゅうっと彼の手を掴んだ。そして、

「……ベネディクトは分家させたわ。昨日、ここを出ていったの。わたくしが……この城から、追い出してしまったの。あの子を」

 絞りだすように言った。

「追い出した? 分家されたということなら、そういう訳じゃ……」

「追い出したの! あの子がアヴァロンにいると、良くない輩につけ込まれる。何か起こる前に家から出してしまうのが良いと思ったわ。守りたかったのよ! 弟だもの! そうでしょう?」

「それは……そうですね」

「だけど、そんなこと、言えないわ……」

「何故?」

「何故でもよ!」

 癇癪にまかせてそう喚くと、いよいよ彼女は嗚咽を漏らし、ソファの背もたれに突っ伏しておいおいと子供のように泣きはじめる。

 詳しい事情の分からないゲオルグには、それ以上どんな言葉をかければ良いのか分からず、ただしゃくりあげる背中をさすってやるしか出来なかった。






「……エリン、居るのかい?」

 暫くの後、エリンが消えていった続きの間へのドアを叩いて、ゲオルグが言った。素直に対応してもらえると思っていなかったのか、声は恐る恐るという風だったけれど、ドアはすぐに開いて、エリンが顔を出した。

「……何か」

「あのさ、殿下、熱があるみたいなんだけど……」

 ゲオルグの視線の先には、糸の切れた人形のようにソファに横たわるアーシュラの姿があった。それを見て、エリンは嘆息する。さっきまでゲオルグに散々泣き言を聞かせていたのは聞こえていたけれど、静かになったと思ったら、疲れて寝てしまったらしい。

「……いつも通りですね」

「何が?」

 きょとんとするゲオルグに答えず、さっさと皇女に歩み寄ると、慣れた様子で寝台に移動させる。

「泣き疲れて寝ちゃうのが? それとも、熱があるのが?」

「両方です」

 嘘を混ぜて答えながら奇妙な苛立ちを覚え、エリンは考える。

 彼にとっては、この部屋でゲオルグと話をするのは不自然なことに思われた。腹立たしく思えるのは、そのせいだろうか。いや、アーシュラが熱を押してでも会いたいと言い張ったからかもしれない。

 それとも、昨日からずっと我慢して気丈に振る舞っていた彼女が、ゲオルグに会った途端、子供のように泣いてすがったからか。

「ベネディクト皇子が分家されたって」

「……ええ」

「殿下がそうさせたって、どういうこと?」

「それは……」

 心配そうなゲオルグの表情に、エリンは迷う。そんなの、自分から話すことではない。けれどアーシュラは、誰にも話さなかった分家の経緯を彼に話した。事情を知っていてもらった方が、彼女の支えになるのかもしれない。けれど……

「……アーシュラが、陛下に進言して決まったことです」

「だから、それってどういう……」

「知りたいなら、殿下に直接聞いてください」

 突き放すように言った。本心では、詳しく聞くなと言いたかったのだけれど。

 苛立ちをみせるエリンに、ゲオルグは少し考えこむ。

「……あんまり、話を蒸し返してあげたくはないんだけど。とても落ち込んでるでしょう?」

「…………」

 そう言われてしまっては、返す言葉が無かった。

「……先日、コルティス家のことをお伺いしました」

「え? あー……そういえば、そんな話したね」

「あの商人は皇子を陥れようとしています。殿下が皇子をアヴァロンから分家させるよう手を打たれたのは、そのためです」

「え……」

 ゲオルグからすれば、話が突然意外な方向へ飛んだように思われた。帝室の分家なんて、貴族達の話だと思っていたのに、商家が絡むなんて。

 けれど、エリンの言葉は、その続きの方がもっと意外なものだった。

「ただし、弟君のお心やお立場を気遣われ、この経緯はあなた以外誰にもお話になっていません。皇子にも……皇帝陛下にもです」

 弟に酷いことをしたのだと言って、彼女は泣いた。あれは……彼女があんなに苦しそうに泣いたのは、誰にも話せなかったから?

「僕にしか……?」

「……アーシュラは今まで、どんな時も、人前で先ほどのように泣いたことは無い。あなたを、頼っているのです」

「殿下が……」

 何故自分にだけそのことを話してくれたのか、ただ単に部外者だから話しやすかったのか、エリンの言葉からは読み取れない。だけど、嬉しく思う気持ちは抑えられなかった。しかしその一方で、素直で明るく、我が儘でおおらかに見えていた皇女が、自分の気持ちを抑えて生きているのだということを知った。

 アーシュラは、美しい箱庭で暮らす、夢の世界のお姫様ではないのだ。

 今は静かに眠る彼女の、熱のせいで紅潮した頬を、エリンとゲオルグは、それぞれ、異なる想いを持って見つめていたのだった。

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