親愛なるセルジュ・カスタニエ様。いかがお過ごしですか。

 わたくしはすこぶる体調もよく、素敵な毎日を過ごしています。

 おかげさまで先日、無事十八歳の誕生日を迎えることができました。

随分元気になったものだと、おじい様も、城の皆も、お医者の先生たちも喜んでいます。もちろんわたくしもとても嬉しいわ。

 だから去年より、目一杯大騒ぎをして楽しみましたよ。はじめて三日も続けて夜会を開いて、今まで会えなかった方にも大勢挨拶をしました。

 あなたも、たまにはジュネーヴにお運びくださればいいのに。

 だけど、そうですね。こうして長くお手紙を交わしているのに、実際お会いしたのが一度きりだなんていうのも、少し面白いですわね。だから、それもまた良しといたしましょうか。

 だけど本当に、いつかお会いできる機会を作りたいと思っていますから。どうぞ、忘れないでいてくださいね。

 ではまた、奥様と、お子様によろしく。

あなたの友、アーシュラ





 季節に一度は欠かさず届く帝都からの手紙が、セルジュの元へ届けられたのは、レーゼクネに初霜が降りた、初冬のある日の事だった。

 父フリートヘルムが早々に隠居を決めたため、セルジュ・カスタニエは若くして公爵位を受け継いでいた。皇女アーシュラに会ったのは、その報告のためにアヴァロンを訪れた、一度きりのことである。そして、彼女がセルジュに文通を申し込んだのも、その日のことであり――手紙のやりとりはそれ以来、ほとんど途切れること無く続けられていた。

 彼らが話題にするのは、日常のささやかな楽しみや、お互いの城の庭に訪れる季節のこと、面白かった本や映画のことなどで、重大なことは何もない。

 ただ、お互いの日常が平和で穏やかであることを確認しあうような、そんなやりとりだった。

 セルジュよりもずっと年下のアーシュラだったが、手紙から感じられる彼女はいつも思慮深く、しかし年頃の少女らしい大胆さも持ち合わせていて、平凡な内容の手紙なのに魅力があった。はじめは皇女の願いということで半分義務のようにはじめた文通であったが、セルジュはいつからか、彼女からの手紙を心から楽しみにするようになっていた。


「あなた、お仕事中かしら?」

 ふいに、開け放したドアの方から、高く透き通った声がする。

「いや、大丈夫だよ、リュシエンヌ」

 明るい廊下に、美しい女が佇んでいた。ふんわりと編み込まれた、長い銀糸のような髪に、透き通るような白い肌。妖精のようだと讃えられる美貌の持ち主は、彼の妻だった。

「だったら、居間にいらっしゃらない? ラッセルがお茶を入れてくれたの。ロディスもいい子でお父様を待っているのよ」

 のんびりとした、優しい調子で妻が言う。彼女との間に生まれた一人息子、ロディスも三歳になり、最近では利発さを発揮して、近頃では随分と色々な会話ができるようになっていた。

「分かった、じゃあ行こうか」

 セルジュは手紙を置いて立ち上がり、書斎を出て妻と共に家族用の居間へ向かう。香ばしい焼き菓子の香りと、注がれた紅茶の優しい湯気。子供用の椅子にちょこんと座っていた息子が、父の姿を見るとひょいと降りて、パタパタと走り寄る。

「ちちうえ! クッキー!」

 ロディスは、母に似た、美しい銀の髪をした少年だった。

「好物なのに待っていてくれたのだな、偉い子だ」

「はいっ」

「では、皆で食べようか。座りなさい」

 セルジュの言葉に、ロディスははいともう一度返事をして、ひとりで自分の椅子に戻る。こうして午後のひととき、ロディスの隣にリュシエンヌが座り、向かいの席にセルジュがつくと、家族の幸せなティータイムが始まるのだ。

「あなた、ロディスはもう、随分文字を覚えたのよ」

「ほう、それは偉いな」

「えへへ……」

「今度紙に書いて、父上に見せてあげましょうね」

「え……っ」

「あら、駄目なの?」

「ちちうえには……もうちょっと、れんしゅうしてから!」

「まあ、見栄を張りたいのね、この子ったら」

 絵に描いたような、幸せの風景。カスタニエ公爵家はこの時、完璧とも思える、穏やかな調和の真中にあった。

「はは、では、充分に練習をしてから見せに来なさい」

 しかしセルジュは時折、この幸せを苦しく思ってしまうことがある。

 理由は知っていた。ロディスのことだ。

 赤ん坊だった息子が日々成長し、やがて言葉を覚え、走り回るようになった頃、不意に思い出したのだ。ちょうどこのくらいの時分に突然別れることになった弟、エリンのことを。

 両親がエリンを連れて三人でアヴァロンを訪れ、そして、二人だけがレーゼクネに帰ってきたあの出来事のことは、時がたっても鮮明に思い出せる。冬生まれのエリンの誕生日が過ぎたすぐ後の、とても――とても寒い日だった。

「ちちうえ?」

「え?」

「うわのそら、です」

「……難しい言葉を憶えたな。少し……手紙の返事を考えていたのだよ」

「皇女殿下からのお手紙ですか?」

「そうだ。君とロディスにもよろしくと書いてあったよ」

「こうじょ……でんか……?」

「前に話したろう。アーシュラといって、私の……友人だよ」

「ゆーじん……」

 あどけない息子の表情が、かつての弟に重なる。

 ロディスが生まれるまでの長い時間、弟のことを忘れていたつもりは無い。けれど、愛らしく育ちゆく息子を目の当たりにすると、あの日の怒りや、後悔や、悲しみが生々しく蘇り、辛かった。

 可愛かった弟は、あれから、どんな風に育ったのだろう。今この同じ城で、ロディスは、生活の何もかもを妻や使用人たちに手厚く世話をされ、何の不幸も、不自由もなく、育っているのに。

 大切な我が子を前に、そのようなことを考えてしまうのは後ろめたく、妻や執事には言えなかった。

「そうだわ、あなた、殿下へのお返事に迷ってらっしゃるなら、近々、とても良いイベントがありますわよ」

 言って、リュシエンヌは花が咲くように笑った。


 長いやりとりの中で、アーシュラからの手紙に、エリンの名が上がることは無かった。何か気遣いがあってのことなのか、それともそんなものははじめから無いのか、セルジュには分からなかったけれど、彼もそれにならい、弟のことを皇女に尋ねることはしなかった。

 弟は自分たち家族を怨んだだろうか。エリンを隠さず城へ連れてゆくべきだと、繰り返し父に進言したのは他ならない自分だ。

 だから、ずっと後悔していた。詫びても詫びきれないことだと、自分を責めてもいた。

 手紙の中の皇女は、優しく善良な人間であり――時に明るく、時には病気に苦しみ、美しい四季を辿る平和なアヴァロンで、誰からも大切にされて生きていた。

 そんな彼女は幸せそうに思えた。だから、その傍らに居るであろうエリンも、きっと幸せなのだと、信じることがせめてもの救いだった。

 午後の光は白く明るいが、季節はもう冬、もうじきにクリスマスと――エリンの誕生日がやって来る。




 親愛なるアーシュラ様、お手紙ありがとうございます。

 お元気になさっていると聞いて、安心いたしました。

 ですが、くれぐれもお体を労り、ご無理の無いようにお過ごしください。

 じきにクリスマスですね。今年は妻が息子と一緒に大きなツリーを用意するのだといって張り切っています。

 ロディスも物心がついてきたようで、次々と言葉を憶え、子供の成長の早さに驚かされます。そろそろ思い出を残せる年頃になりますから、短い子供時代の間に、楽しい記憶を多く作ってやれるようにと思っています。

 ツリーの飾りはたぶん妻任せになってしまうので、今度、息子と星を見ようと思っています。こぐま座流星群という、一年の最後にやって来る流星群です。今年は月齢条件も良く、数多くの流れ星が見えることと思います。

 アヴァロンでも、晴れたらさぞかし美しく見えるはずですから、体調が良ければ空を見上げてみることをおすすめします。

 きっと、同じ空を見られることを祈りつつ。

セルジュ・カスタニエ






 十八歳になったアーシュラは、ますます輝くように美しくなっていた。長く体調が安定していることと、何より、初めての恋が彼女を魅力的にしていた。

 しかし、彼女は自分の想いをゲオルグに告げることはなかった。

 自分が、皇女という立場で愛を告白することが、少年を遠ざける、もしくは縛ってしまうことになりかねないことを、よく分かっていたからだ。

 けれど、恋愛経験の無い彼女は、ゲオルグもまた同じ気持ちでいるということについては、少しも気付いていないようだった。

 そんな、彼らの日常は穏やかだった。


 十二月に入り、外が寒くなってからも、ゲオルグは変わらず城を訪れていた。

 そして、ふとした会話から、ある日、奇妙な事実が判明することになる。

「二十日……!? お誕生日が?」

 誕生日の話だった。ゲオルグが、今月十七歳になるのだと、雑談のついでに話したのだ。アーシュラはもちろん、彼の誕生日を知りたがった。そして彼が答えたその日が、偶然――

「同じね」

「え?」

「エリンと」

 エリンのそれと、同じ日だったのだ。

「ええっ!?」

「そうよね? エリン」

「まぁ……」

 エリンは、どことなく居心地の悪そうな返事をする。

 別に、ゲオルグと一緒なのが嫌だというわけではない。今まで、誰にも自分の誕生日についてなど話す機会は無く、十二月二十日のことはアーシュラと二人だけで共有される、小さな秘密のようなものだったからだ。

 剣の誕生日が祝われることは無い。けれど、アーシュラはいつもその日の朝、おめでとうの言葉をくれるのだ。それが、子供の頃からずっと、エリンにとっての誕生日だった。

「ふふ、面白いわ。じゃあ今年は、二人分のお祝いをしましょう」

 アーシュラは、悪戯の計画でも思いついたように言う。ゲオルグはパッと嬉しそうな顔をしたけれど、エリンは戸惑ったように口を挟んだ。

「殿下、私の分は一緒にしていただかなくて結構です。祝われるなら、カルサス様のお誕生日を」

「どうして?」

「それは……その……」

 何とも説明のしづらい感情だった。返答に窮していると、そもそもエリンの意見など聞くつもりはなかったらしいアーシュラは、さっさと次の話題に移ってしまう。

「ねぇ、ゲオルグ、二十日ってここに来られる?」

「もちろん。来ますよ、何があっても!」

「ふふふふ、良かった。じゃあ、クヴェンにケーキを頼んでおかなくちゃ。リゼットも休ませて、皆でパーティにしましょう」

「殿下……!」

 まだ不満そうに口を開く従者を、アーシュラが怖い顔で睨む。

「エリン、ゲオルグのお祝いに水をさすなんて、許さないから」

 そう言われてしまうと、エリンには返す言葉は無いのだった。






 そして、皇女の予告どおり、その日はささやかなパーティが催された。

 クヴェンが城のパティシエに特別に指示をして作らせた二つのバースデーケーキを、四人で囲んだ。当然それは多すぎて、周りのメイド達にも声をかけて、分けて平らげた。

「ちょ……っ、エリン、君の反射神経ってどうなってるんだ!?」

 ケーキで満腹になった後は、客間に立体映像モニターを持ち込んでゲームに興じる。はるばるミラノから機械を持ち込んだのはゲオルグだった。

「……どうにもなっておりませんが」

「いや、絶対おかしいって! 今日はじめて触ったとか絶対ウソだ」

 自信があったらしい格闘ゲームで一度もエリンに勝てないゲオルグが、情けない声をあげる。

「操作ははじめにご説明頂きました」

 身体感覚を拡張して操作するゲームのため、一旦操作方法を覚えるとエリンは信じられないくらい上手にプレイしてみせた。

「僕、これ、やりこんでるのに……」

 アーシュラの前で少しもいいところが見せられないゲオルグは、負けを認めたくないようだったが、当の彼女は二人のやりとりを面白そうに眺めている。

「ふふふふ、こういうのでエリンに勝てるわけがないじゃない、ゲオルグ」

 笑いながらそう言う皇女に、今日は友人として参加しているリゼットが、そうだそうだと相づちを打つ。

「そうです。剣でエリン様に挑もうなどと思わないことです」

「……剣って。これ、ゲームだよ?」

「ねぇエリン、ツヴァイも呼んできなさいよ。師弟対決が見たいわ」

「せ、先生をですか? それは……」

「ちょ、何言ってるんだ、僕ともう一勝負だよ!」

「カルサス様は、弱いから嫌です」

「な……!!」

 結局ゲオルグが音を上げるまで勝負が続き、その後はアーシュラがツヴァイを引っ張ってきて、異様に華麗で見応えのある剣術戦が繰り広げられたのだった。


 客間での晩餐を終えると、リゼットは一足早く仕事に戻った。ゲームも堪能し尽くしたアーシュラが、ほんのりと疲れた目で外を見ると、いつの間にかすっかり暗くなった庭に、静かに舞うものが目に入る。

「雪……」

 アーシュラは窓辺に歩み寄ると、感嘆の声をあげた。ソファで休憩していたゲオルグも、隣に立って外を眺める。

「うわぁ、外、寒いんだろうなぁ……」

「明日の朝が楽しみね。積もっているといいわ」

 今まで、日暮れまでに帰路についていたゲオルグと、こうして夜の庭を眺めるのは初めてのことだ。彼は、今日は客人として城に滞在することになっていた。

「雪のアヴァロン城も、美しいでしょうね」

「そうなの。わたくしはあまり、外には出させてもらえないのだけど」

「それは、殿下は体調のことがあるんだから、エリンじゃなくて僕でもそう言いますよ」

「そうだけど……あーあ、来年は今よりもっと健康でいたいわね」

「きっとそうなりますよ。ああ、でも、今も充分元気だし、これ以上となるとちょっと大変かも」

「大変って何よ」

「あはは、大変は大変ですよ」

 二人のやりとりを、エリンは黙って眺めていた。陽気な性格のおかげか、ゲオルグの声はおそらく城内で一番明るく響く。アーシュラはこの、話しているだけで元気が出てくるような楽天的な声がとても好きだという。今も、この声が自分を健康にしてくれているのだと信じているのだ。

 それが本当でも、そうでなくても、エリンには関係ない。ただ、彼女が今日のように苦しみのない、幸せな時間を過ごしてくれれば良いと思った。


「あら……もう、こんな時間?」

 ゲオルグの腕時計に目を落としたアーシュラが、忘れていた時間を思い出す。いつの間にか、就寝の時間が近かった

「本当だ、なんか、早いですね」

「少し待っていてね、すぐお部屋に案内させるから」

「はい。殿下はもうお休みですか?」

「そうだけど、その前にお風呂ね。エリン、行きましょう」

「はい」

「ちょ……二人で!?」

 当然のようにエリンを連れて部屋を出ようとする皇女を、ゲオルグは思わず呼び止める。アーシュラはきょとんとして振り返った。

「どうしたの?」

「えっ、い、いや……その、殿下? お風呂に、その……そっちの、剣の人と、入るんですか?」

「エリンは入らないわよね」

「ですよね……」

「はい。私は、見ているだけです」

「はぁ!?」

 ゲオルグの困惑は無理からぬことであるが、アーシュラもエリンも、何を驚かれているのか今ひとつ理解していないようだ。

 おやすみなさいと名残惜しそうに挨拶をして部屋を出ていく皇女を、ゲオルグはショックを隠しきれない様相で見送るのだった。


 来賓用の寝室に案内され、就寝の準備を整えてからも、夜更かしが多いせいか、豪華過ぎる部屋のせいか、想い人が近くにいるせいか、とにかくゲオルグは眠れなかった。

 夜半過ぎまで広いベッドの上でジタバタしてから、絶望的に眠気が訪れないのに諦めて、仕方なく上着を羽織ってバルコニーに出る。

「寒っ……」

 雪はいつの間にか止んでおり、星あかりに照らされた中庭は銀世界。明日の朝アーシュラが目覚めたら、希望が叶えられていることにきっと大喜びするだろう。

「積もったなぁ……」

 このまま、明日の特急が止まって、もう一日ここに居ることは出来ないだろうか。そんなことに思いを巡らせてしまう。ここはゲオルグにとっては日常を遠く離れたおとぎの国で、大好きなお姫様が暮らしているのだ。

「ま……風呂まで一緒の騎士様がいらっしゃるんだけどさあ」

 先刻のことを根に持っているらしく、恨みがましい独り言を吐く。当然、誰にも聞かれていないことを前提とした言葉だったが――

「騎士ではありません」

 予想外の返事が真上から落ちてくる。ぎょっとして上を見ると、真上のバルコニーの手摺りに腰をかけているらしい、件の騎士様の姿が見えた。

「な……に、やってんの」

 驚いてしまってから、驚くだけ無駄だと思い至り、慣れてきたなと思った。

「庭を、見ておりました」

「もしかしてその上、殿下の部屋?」

「そうです」

 思っていたよりずっと近くて、心臓をギュッと掴まれるような心地がする。

「……もう、寝てる?」

「お休みです」

 そっけない返事に少しだけ落胆するけれど、こんな時間なのだから、当たり前だ。

「そっか……」

 吐いた息は白い。しんと冷えきった空気も、慣れると心地よかった。エリンは寝ないのか、と、尋ねようと思ったけれど、ぽんと頭に浮かんだのは別の話だった。

「あのさあ」

 見上げないと姿が見えない、微妙な距離が良かったのだろう。ゲオルグは覚悟も無いまま、ほとんど無意識に言葉を紡ぐ。

「僕、殿下のことが好きなんだ」

 雪景色の静寂に、ゲオルグの告白が沈む。エリンからの返事は無い。彼が何も言わない時は、言う必要の無い時だ、と、ゲオルグもそろそろ理解していたのだけれど、その時は、ぜひ彼の返事が欲しかった。

「ノーコメントなの? 冷たいなあ」

「すみません」

 言葉と同時に黒い影が舞い降りる。ゆらりと立ち上がったエリンとゲオルグの目線は、ちょうど同じくらい。

「ではお伺いします。アーシュラのどこが、どのくらい、なぜ、お好きなので?」

 エリンが苛立っているように思えたのは、たぶん、気のせいではないのだろう。その人間らしさに、ゲオルグは少し安堵をおぼえる。

「どこ……といわれると、難しいけど、可愛いでしょ」

「無論です」

「あと、前向きで……僕の話を喜んで聞いてくれるし……あと……どのくらい、っていうのは、うまく言えないけど、なぜ、っていうのは、分かるかも。それはねえ、きっと……」

 ゲオルグは、白い息を吐いて笑った。その瞳は、夜の中にあっても明るい。

「運命でしょ」

 あっけらかんとした宣言。けれど、ゲオルグは大真面目だ。

「偶然出会って、偶然仲良くなって、偶然好きになったんだから、これはもうさあ、偶然じゃないって思うんだ。そういうのって、運命でしょう。もう、最高だよね」

 運命という言葉は、エリンにとってそんな明るく好ましい意味で用いられるものではない。逃れられず、受け入れるしかないものを指す言葉のはず。だから当然、ゲオルグの言葉は理解できない。

「……殿下が、あなたのことを好きでなくても?」

 理解できない眩しさに嫉妬を憶え、意地悪をするつもりで言った。

「そうなの?」

「仮定の話です」

「それはショックだよ。失恋だね」

「それでも……最高だと?」

 エリンの問いに、ゲオルグは迷わなかった。

「もちろん」

 自信満々の回答だ。

「だって、好きになった気持ちは僕のものなんだよ。報われなかったからって後悔するようなものじゃない」

 彼は、少しも迷いの無い目で、エリンを見る。

「そんなのでは、好きになった意味も甲斐も無いって」

 この冷たい石の城に、彼の明るさはやはり異質だ。エリンは、うっかりアーシュラがこの少年に惹かれる理由を分かってしまいそうになって、焦った。

 ――認めたくない。

 アーシュラもこの少年が好きなのだ。彼女はそうとは言わないけれど、エリンはとっくに知っている。

 彼女の気持ちを彼が知ったら、二人はどうなるのだろう。

 主が遠い所へ行ってしまうような気がする。それがたまらなく怖い。

「で、君はどうなの?」

「は?」

 意識に入り込んでくる、少年の楽天的な言葉。


「君はどう思ってるの? アーシュラ様のこと」

「私……?」

「好き?」

「当たり前です」

「お役目抜きの、君個人として?」

 挑むような、試すような瞳を、エリンは見つめ返すことができなかった。

 その疑問への答えを、剣である自分が持ち得ないことを、問われるまでもなく知っているからだ。

「……その問いは無意味です。カルサス様」

 澄み渡っていたはずの夜空には、知らぬ間に雲がかかり、再び雪が舞い始めていた。エリンは冷たい息を吐いた。

 口にすべき答えは決まっているのに、なぜかとても苦しい。

「私は剣です。剣以外の私はありえない。だから……何もかも全て、アーシュラの意に従うまでです」

 たとえ二人が結ばれて、彼女が自分を必要としなくなったとしても。

 切ないその言葉はしかし、声にはならなかった。

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