「え? コルティス家がどんな家かって?」

 珍しくエリンから話しかけてきたと思ったら、思いもよらない質問が飛んできたので、ゲオルグは驚いた。

「はい。バシリオ・コルティスなる人物がどのような人か、ご存知でしたら、教えていただければと……」

「そりゃ、コルティス家といえば南エウロの豪商だから、僕だって知ってるくらいは、知ってるよ? だけど、どうして君がそんな人に興味を?」

 ゲオルグの疑問はもっともである。エリンに、コルティス一家について探るよう命じたのは、アーシュラであった。

 ベネディクトがコルティス家当主に招かれて度々ジュネーヴの屋敷を訪れていると知った彼女は、その商人について――アドルフに悟られないように――探れと、エリンに申し付けたのだ。

「……昨年、殿下の誕生日祝いの際、コルティス様も呼ばれていたと伺いました」

「あー……確かに、そうだったね、居た居た。父さんが挨拶してたの見たよ」

 エリンの返事が答えになっていないことは気にしなかったのか、ゲオルグは思い出したように何度も頷く。

「カルサス様はお話されなかったのでしょうか」

「うん。まぁ、あの人、あんまり得意じゃないしね。何ていうか……怖いし、暑苦しいし」

「暑苦しい?」

「喋りに勢いがあって、大柄で威圧的な感じするからさぁ。どうも話すと疲れる感じのタイプなんだよね。確か、元フェンシングの選手で、現役時代は相当強かったとか。聞いた話だけど」

 その話を、エリンは神妙な面持ちで聞いていた。いつもこちらを相手にしないエリンが黙って自分の話に耳を傾けているのを、何となく気分が良いように感じたゲオルグは、だんだんと饒舌になっていく。

「コルティス家は、さっきも言ったけど南エウロでは有名な商家でね、商売はかなり手広く色々と扱っているみたいだよ。ワインなんて、リアデンス侯爵家とか、サンサール伯爵家とか、有力な貴族とがっちりつるんで、領内の畑を独占してるって話。景気が良くて、トリノにまるでお城みたいなお屋敷があるって聞いたことあるし。バシリオさんは……まぁ、僕があんまり本人について深く知ってるわけじゃないけど、彼の代になってから新しく始めた商売も色々あるし、野心的な人物だとは思うよ」

 それから、父さんは付き合いがあるから、何か知りたければ聞いてみるけど、と、少年は付け足して言った。

「……ありがとうございます。参考になりました」

 エリンがそう言ったのと、出来たての焼き菓子を満載したバスケットを抱えたアーシュラがリゼットを連れて姿を見せるのが、だいたい同時のことだった。


 翌日、夜。

「分かっているわ、朝までお部屋で大人しくしているから、安心しなさい」

「約束ですよ、殿下。絶対に――」

「くどい」

 心配が過ぎて何度も何度も念を押すエリンに、アーシュラはいい加減ムッとした様子で言った。

「エリン様、ご安心ください。私がちゃんとお側におりますから」

 見かねたリゼットが真面目な顔で言い添えると、エリンはしぶしぶ納得して口を閉ざす。

 今晩は、エリンは一人城を出て、コルティスの屋敷を探ることになっていた。そこまで疑ってかかる必要があるのかどうかエリンには疑問だったが、アーシュラが、何となく気になる、といって譲らなかったのだから、従わない理由はなかった。

「分かりました……リゼット、くれぐれもよろしく頼みます」

「お任せください」

 そして今夜はエリンの代わりに、リゼットがアーシュラの部屋に泊まりこむことになった。

 別に、アーシュラが一人で朝まで過ごしても問題はないはずなのだが、こちらはエリンがどうしてもと譲らなかったのだ。彼女の体調が急に変わるかもしれないのに、誰も傍に居ないのでは困る。

「夜の間は、先生も陛下のお部屋から出ていらっしゃらないと思いますから、部屋を出なければ、気付かれることは……たぶん、ないと思います」

「情けない子ね、断言出来ないの?」

「できません」

 ベネディクトの立場をこれ以上悪くしないために、この計画は三人だけの秘密であった。特に、アドルフに悟られることだけは、避けなければいけない。

 城内の誰にも気付かれず城を出ることは、今のエリンにはもう容易なことであったけれど、ツヴァイの目を盗むことだけは別である。

 三歳で城に入ってからずっと、あの人について学んできたのだ。自分だってもう未熟者ではないと自負してはいるが――それでも、こればかりはやってみないと分からない。

「とにかく……行ってまいります。くれぐれも、二人で朝まで大人しくしていてくださいますよう」

 二人に見送られ、バルコニーに出たエリンは、月明かりに光る金の髪を隠すように、黒いフードのついた外套を目深に被り、ヒラリと手すりを乗り越えると、そのまま、闇に溶けるように消えていった。


「行っちゃったわね」

 従者の姿が消えていった方を目を凝らして見つめたまま、アーシュラがどことなく寂しそうに言う。

「やはり、お心細いですか?」

 リゼットは、部屋を見回してマントを見つけると、主人の細い肩に着せかける。刹那、ざわと庭の木が揺れる音がして、ひんやりした夜風が二人の髪や衣服をはためかせた。春とはいえ、まだ夜は寒い。

「大丈夫よ、こういうことって、今まで無かったって、思ってただけ。今夜は……」

「わっ」

アーシュラは今リゼットが持ってきたばかりの上着をふわっと広げて、妹分を包み込むようにしてぎゅうと抱きつく。

「あなたがいるものね」

「で、殿下っ……!?」

 ふわふわして細い主人の身体をどう扱って良いか分からず、リゼットはおろおろと手を彷徨わせる。アーシュラはメイドの困惑などお構いなしに、暖かい胸に体を預けた。

「大きくなったわねえ、リゼット。もう、今月十四歳だものね」

 アーシュラがしみじみと呟く。年下のリゼットだが、背はもうアーシュラよりも高かった。

「……全部、殿下のおかげです」

「まぁ、そんなことは無いわよ、わたくしこそ、あなたには感謝しているの。だって、たった一人の、女の子のお友達だもの」

 皇女はニコニコと笑う。リゼットは恥ずかしそうに俯いた。

「もったいないお言葉です……皇女殿下」

「お友達なんだから、二人の時はそんなに畏まらないで、ゲオルグみたいに普通にお話してくれたら良いのに」

「なっ……」

 突然ゲオルグの名前が飛び出し、どうしてかリゼットは慌てた様子で顔を上げると、怒ったような顔で言った。

「あ、あんないい加減な方と……一緒にしないでください!」

「そう?」

「そうです……だ、だいたい、カルサス様は殿下の覚えが良いのをいい事に、殿下に対してとんでもなく無礼なこと、平気で言っちゃうし、城内でもいつも好き放題で、わ、私にだって……」

 リゼットの台詞は、だんだんボリュームを小さくしていく。本当はその時、彼女の健康そうな顔は耳まで赤くなっていたのだけれど――夜のおかげでそれは見えなかった。






「――おや?」

 夜半過ぎ。従者が落とした小さなつぶやきに、腰掛けたまま目を閉じていたアドルフは薄く目を開けた。

「何だ」

 低い問いに、ツヴァイは顔を上げる。

「いいえ、何でもありません。耳をひとつ、貸していたみたいで」

「……何だ、それは」

「ふふ、大丈夫です。すぐに戻ってくるでしょうから」

 そう言って、白の剣は微笑んだ。


 月夜のジュネーヴを、影が走る。

 込み入った路地も華やかな大通りも関係なく、ほんの煉瓦一本分の幅しか無い棟の上を、エリンは軽やかに駆けていく。高層ビルの無いこの街で、その夜彼の姿を目にしたものは居なかっただろう。いや、たとえ居たとしても、屋根の上を疾走する影など、それが人間だとは思わないのが道理である。とにかく、エリンは深夜の街を走りぬけ、目的の屋敷にたどり着いていた。高い壁や鋭い鉄柵などは、無論、彼の行動を微塵も阻みはしない。

(当主の部屋は……)

 屋敷の構造は分からないけれど、ここは要塞ではなくて普通の住宅だ。おそらく家人の部屋は、庭に面した眺めの良い場所の部屋だろうと推測される。外壁伝いに人の気配のある場所を探った。

 やがて、明かりのついた部屋の一つに、バシリオらしい大人の男の姿を見つける。客が居るのか、誰かと話しているようだった。

 都合の良いことに、庭に面した窓がいくつか開いている。エリンは、こっそり拝借してきたツヴァイの『耳』を取り出して身につけると、音の漏れる方へ調整して、微かな話し声に聞き耳を立てた。

 バシリオと、誰かもう一人。どうやら仕事仲間のようだ。

 コルティス家の主力商品であるワインの販売量や、販売先について、大きなテーブルに資料を広げて、延々と話をしている。エリンには専門的な内容はよく分からない。とりあえず彼らの商売がかなり順調らしい、ということくらいしか理解できなかった。

 その後、随分と遅い時間になってから彼らは酒を酌み交わしはじめ、今度は貴族たちの話をはじめた。こちらは、エリンも知っている名前がちょくちょく登場する。ゲオルグが話した通り、随分あちこちの貴族と取り引きをしているようだ。

「しかし、あの皇子、帝室の状況をみるに、賭けるにしては大穴ですよ?」

 ――そして深夜、唐突にその話題が登場した。

「それが良いのだよ。当たれば大きい」

「あっはっは、さすがに大胆ですなあ。恐れいります」

「そうでもない。よしんば殿下を帝位につけることが出来なかったとしても、アヴァロン直系の皇子なら、そこそこの領地を与えられて公爵位を授かるのが通例だ。それならばそれで、充分に良い客となるだろうさ」

「なるほど! どう転んでも損は無いと」

「それが正しい商人というものだろう」

(皇子を……帝位に……?)

 思わず耳を疑った。あまりに剣呑な話だ。アドルフが継承者の指名をやり直さない限り、ベネディクトが帝位に就くということは、アーシュラが死亡するということに他ならないからだ。

「幸い、クーロと趣味が合うようで、すっかり友人になって、遊びに来てくださるから、慌てずやっていくつもりさ」

「子供は子供同士が一番ですからな」

「全くそのとおりだ。今回は、子供も持ってみるものだとつくづく思ったよ」

 身体が冷えていくような嫌な感覚に身を固くして、その後も暫く男たちのやりとりを聞いていた。彼らの話を聞く限り、バシリオ・コルティスは己の野心のためにベネディクトに近づいたのだと、そう考えるしか無いようだった。

 ――つまり、アーシュラの予感は見事に当たったのだ。


「リゼット、あなた、ゲオルグが嫌いなの?」

「えっ……」

「だって、随分熱心に文句を言うんですもの」

「嫌い……というわけでは、ありませんけれど……」

 寝巻き姿でベッドに寝転んで、無邪気な顔で自分を見るアーシュラに、長椅子をアーシュラのベッドの隣に運んできて自分の寝る場所を作っていたリゼットは一瞬言葉を失うが、少し考え込んだ後、フッと真面目な顔に戻って、おもむろに口を開いた。

「悪い人ではないと思いますけれど、ああいう軽い感じの方、殿下の友人として相応しいとは思えません」

「ふぅん……軽いかぁ。そんな風には思ってなかったわね」

「軽いです! 口ばっかりです!」

「ムキになるわね、珍しいこと」

「それは……」

 悪戯っぽくニヤニヤと笑うアーシュラに、リゼットは困ったように口ごもった。確かに、ちょっとムキになってしまったかもしれない。

 別に、決して、嫌いではないのだ。自分は、むしろ――……

「そういえば、いつも見送りをお願いしているのよね。色々話す?」

 思考の深みにはまりかけたところを、アーシュラの言葉が引き戻す。リゼットはハッとして考えをかき消す。

「まぁ……少しは……」

「わたくしのこと、何か言って?」

「殿下のことは…………お姫様だ、って」

「……その通りね」

「その通りです」

「つまんないの……」

 興味津々といった風に寝台から身を乗り出していたアーシュラは、ガッカリした様子で脱力する。

 部屋のシャワーを借りるためにお仕着せを脱いでいる途中だったリゼットは、たたんだエプロンをグッと握りしめ、

「殿下には、やっぱり、あんなちゃらんぽらんな方ではなく、エリン様のように、見目麗しくって、気品があって、お喋りでなくて、きれいで、頼りになる方が……いいと、思いますっ!」

 そう、カーペットに座り込んで力説した。

「エリン?」

「そうです! 初めてお会いした時から、私、お二人はとってもお似合いだと」

「エリンねぇ……」

「父からは、歴代の皇帝の中には、剣を愛した方もいらっしゃったと聞いております」

「そりゃあ、剣を愛さない主は居ないわ?」

「そうではなく、個人的に……異性として愛していたというお話です」

「個人的……異性……」

「そうです。お二人は本当にいつでも一緒で、ご家族の皆様よりもずっとずっと近くにいらっしゃいますから。恋人同士、なんて生ぬるい言葉じゃ表現できないなって、思えちゃうんです」

「そうねぇ……」

 大真面目なリゼットに、腑に落ちない様子で考えこむアーシュラ。

「もちろん、あの子はわたくしの半身だもの。愛しているわよ。他の誰かと比べたりは出来ないくらい。だけど、わたくし――」

 皇女は、華奢な足をバタバタさせて、とろんと熱を帯びたような目で天井を見つめ、独り言のように呟いた。

「好きになっちゃったみたいなのよね。ゲオルグのこと」

 甘い秘密を囁いたその声に、リゼットは目を見開き、ただ、黙り込んだ。






 夜明け前、ようやく城に戻ってきたエリンが主の部屋のバルコニーを目指し、大屋根から外壁の飾りに降りた時のことだった。

「待っていましたよ」

 穏やかな声にギクリと背を固くする。ツヴァイがいつの間にか背後に立っていたことに、エリンは気付いていなかった。

「先生……」

 群青に染まる視界に、師の白い衣がゆったりと翻る。

「返してもらうものがありますね」

「……」

 師の持ち物を無断で持ちだした上に、その目を盗んで城を出ることができるなど、全く幼稚な思いあがりであったことを思い知る。

 幼い頃からツヴァイへの恐怖心が無意識に刻まれているエリンは咄嗟に後ずさるが、ツヴァイは弟子の行動を咎めるつもりは無いようだった。

「どこへ行っていたか、と尋ねるつもりはありません。あなたの主のご意思なのでしょうから。ですが……」

 ツヴァイは微かに目を細めた。

「私も、私の主にこれ以上苦しんで欲しくないのです。姫が弟君を気遣っておられるならば、私も手を貸しましょう。次からは話しなさい」

 深かった夜の青が、新しい太陽の気配に薄められていく。まもなく、アヴァロン城に朝が来る。

 師の優しい表情が徐々にくっきりと浮かび上がり、エリンは安堵した。そして、緊張が解けてゆくのと同時に、幼子のように素直に、不安げな言葉が口をついて出る。

「先生……私は、どうすれば良いのでしょうか。とても……とても、大変なことを聞いてしまいました」

「……大変なこと?」

 ツヴァイはあくまで穏やかに問い返す。

「バシリオ・コルティスは皇子を利用しようとしています。ベネディクト殿下が……帝位に就くことを、望んでいると」

 今夜見聞きしたことをアーシュラに報告せねばならないことが辛い。彼女はきっと悲しむから――いや、それだけではない。この苦しい感じは、何よりも、ベネディクトのこと思ってのことだ。胸が傷む。友人が出来たのだとあんなに喜んで、笑顔で過ごせるようになったのに。

「帝位……ですか。剣呑ですね」

 早朝の涼しい風を受けながら、ツヴァイが言う。

「それだけ、時間が経ったということでしょうか」

「先生……?」

「アドルフが全てを捨てて作り上げた安定も、永遠には続かないということなのでしょう。とても……悲しいことです」

 城の一番高い尖塔の先、最初の光が届く。

「さあ、姫が目を覚まされる前に部屋に戻りなさい。そして、見聞きしたことを全てお話しなさい。あなたが今感じている辛さと重さは、主人と分かち合うべきものなのですから」






 ――――時は遡り、数日前。

 旧市街、いつもの日暮れ時。

「いい加減道も分かってるし、毎回付き合ってくれなくても大丈夫だよ。特にこういう、馬車のいない時とかはさ」

 のんびりと坂道を下りながら、ゲオルグが言った。

「そういうわけには参りません。これも……仕事ですから」

「本当、律儀だね、リゼット」

「カルサス様がいい加減すぎるのです」

 いつもの如く冷たいリゼットに、ゲオルグはニコニコ笑ったまま返した。

「僕ってそんなにいい加減?」

「そうです! カルサ……」

「あー、ちょっと」

 そして、唐突に台詞を遮る。

「は?」

「僕がリゼット、なのに、君がカルサスさま、なんて、冷たくない?」

「何がですか?」

「友達なのに」

「ともっ……!?」

「驚くとか傷つく」

 眼鏡の奥の、人懐っこそうな瞳に覗きこまれ、少女はうろたえ、目を泳がせる。

「わ……私は、友達になった覚えはありません!」

「ええっ? そうなの?」

「当たり前です! だいたい、殿下からお出迎えとお見送りを仰せつかっているだけで、と……友達らしいことなんて、何も……」

 怒っているのか、困っているのか、それ以外なのか。リゼット自身、分かっていなかったのかもしれない。

「じゃあ、友達っぽい話をしながら帰ろうよ」

 ゲオルグは食い下がる。

「そ……そんなに、私と友達になりたいと?」

「そりゃあそうさ」

「どうして……」

「どうしてって、それは……その……」

 ゲオルグが見せた、少しだけ恥ずかしそうなその表情に、リゼットは心が浮き立つのを止められなかった。目の間のこの少年が、自分に興味を持っている。それがどうして嬉しいのだろう。嫌いなはずなのに。

 そこまで考えて、リゼットは唐突に思い知る。

 好きなのだ。この少年が。

 けれど――ゲオルグは何も知らず、残酷なその続きを口にした。

「せっかく知り合えたんだから、仲良く出来たほうが楽しいし、それに……これはちょっと個人的なことだけど、もっと色々な話も聞きたいしさ……アーシュラ様のこと」

「え……」

「だから、実はちょっと、自分でも大それたことをって、驚いてるんだけど」

 ゲオルグは一瞬言葉を区切って、少しだけ改まって続ける。

「僕、彼女のこと、好きになってしまったよ」

 自覚したばかりの恋心を、叩き潰すような告白だった。少女は息を呑んで、軋むように落胆に塗りつぶされていく心をやり過ごした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援した人

応援すると応援コメントも書けます