外の世界とは厳重に隔てられたアヴァロン城において、皇女アーシュラの存在は、太陽であるといえた。

 命と健康は、どんな者にでも理解のできる明快な財産だ。彼女に仕える者は皆、皇女がその尊い身分に釣り合わぬ弱い体を持って生まれ、苦痛に満ちた日々を送らなければならないことに同情した。だから、アーシュラは、そこに居るだけで、皆の好意を集めた。

 さらに、彼女は目下の者に決して弱音を吐かない。立場を傘に八つ当たりもしない。ほんの幼い少女であった時分から、大人も驚くような冷静さと賢さを持ち、優しく、苦しい時も出来る限り笑顔をみせた。そのことは、皆の驚嘆と、尊敬を集めた。

 エウロには、救国の英雄としての初代皇帝の伝説と偶像が未だ生きている。彼女がやがて素晴らしい皇帝になるであろうことを、疑うものはいなかった。

 しかし、太陽が神々しく照らす、アヴァロンの昼は短い。

 皇女は長い長い時間を部屋に篭もって過ごし、彼女の笑い声を失った城は、夜の日時計のように、正しい時を刻めなくなる。

 そして、その不安は、年を追うごとに深くなっていった。今度こそ、彼女が帰ってこないのではないかと、口には出来ずとも、誰もが思わずにいられなかったからだ。

 長い夜の中にある城において、唯一皇女の傍に居ることを許された剣の少年は、今年、雪の降る季節が来れば、十五になる。

 この城にやって来た当時のことは、もはや曖昧な幼い記憶の彼方にある。

 三歳で突然つきつけられた運命。それにただ従うことしか出来なかった彼は、しかし、今では己が何者であるかをはっきりと自覚していた。

 自分は剣なのだ。それ以外の自分は知らないし、いつか、彼女が言ったように、彼女以外に世界は無い。

 これが幸せな、美しいものであるかどうかは分からない。けれど、内側から身を焼くような高熱に息も絶え絶えな少女がはやく目をさまして、自分の方を見てほしいと、心から願った。

 もう一週間近くも、まともに会話の出来ない状態が続いていた。


「エリン」 

 彼を呼ぶ、掠れた音が空気を震わせる。声が聞けたことに心底安堵しながら、エリンは顔を上げた。

「ここにおります」

「暗いわ、明かりを点けて」

 夜明け前だった。そっと手を伸ばして、ベッドサイドのランプをつける。仄かな明かりが、生気のない主の顔を照らし出した。

 美しい瞳が大きく見開かれているのを確認してエリンは嬉しそうに微笑むが、少女が発した言葉は意外なものだった。

「エリン、居ないの……?」

 不安そうに瞬きをして、気だるげに起き上がる。

「ここです。アーシュラ」

慌ててその手を取ると、少女は驚いたように一瞬身を固くして、それから、握られた手にそろそろと手のひらを重ねた。

「エリン……?」

「どうなさったのです、医者を呼びましょうか」

「ここにいるのね。何か言っているのかしら?」

「アーシュラ……?」

「見えないの」

「え……」

「それに……聞こえない」

 少女の声は震えていた。恐れと怯えに溺れそうな響きに、ぎゅうっと首を絞められたような気がして――思わず、触れ合っていた手を引き寄せて、抱きしめた。

 必死に名を呼び、何か言おうとして、それを届かないことに気付いて、口をつぐんだ。どうすればいい? 隣に居て、声が届かないなんて。

「アーシュラ……」

 聞こえない呼びかけに、しかし彼女は気づいたのだろう。力の入らぬ腕を少年の背に回し、幼子をあやすように、何度も撫でた。

「驚かせてしまったのね、ごめんなさい」

 上辺だけの気丈な台詞。きっと、自分の声が震えていることに、彼女は気づいていないのだろう。

「わたくし、とうとう壊れてしまったのかしら」

 少しだけ体を離し、青ざめた顔を覗きこむと、ふたつの紫は、目の間に居るエリンを通り越して、どこか、遠い虚空を見つめていた。

 今、戸惑いと絶望に打ちのめされているのはアーシュラのはずだ。従者らしく、主人を助け、励まし、それから医者を呼んで……そういうことにはちゃんと思い至っていたのだけれど、雷に打たれたように、体が動かなかった。

 たぶん、恐ろしかったのだ。彼にとっては世界の全てであるところの、主君アーシュラの目に、自分の姿が映っていないのだ、という事実が。

「エリン、何か、言っている? お顔はどこ?」

「アーシュラ、少し、待っていてください。今、医者を……」

 怖じ気づく心をねじ伏せるようにし、エリンがベッドから離れ立ち上がろうとすると、

「エリン!!」

 何かがはじけたように、少女が叫んだ。

「どこへも行かないで頂戴!」

 恐怖に満ちた、悲鳴のような声だった。

「ねぇ、エリン、どこ? どこなの? 聞こえて――」

「アーシュラ……すぐに戻りますから……」

 一刻も早く医者を呼ばなければ。届かない言葉の代わりにそう伝えようと指先に触れると、アーシュラは彼の手を必死で捕まえて、しがみつく。

「お医者ならそのうち来るわ、だから、どこにも行かないで。嫌なの、とても、とても暗くて、静かで、自分の声だって、とても遠くて……」

 主が泣いていた。生まれて以来、数えきれないほどの苦しい夜を越えてきた、我慢強く、滅多なことで涙を流したりしない、あのアーシュラが。

「まだ……何もしてないわ。行ってみたい場所だってたくさんある。許せない。許せないわ! それに、怖いわ。怖いの! エリン。こんな……わたくし……ねぇ、こんなのは、死ぬよりもずっと辛い。絶対に嫌。お前に触れていないと気が変になってしまいそうなの。だから、だから……」

「――わ、かりました」

 掴んだ手を頼りに、もがくようにベッドから降りようとするのをどうにか止め、嗚咽と興奮で呼吸困難になりそうな身体を改めて強く抱いた。少女の身体は強張ったまま動かなかったが、彼女は流れる涙をそのままに、口を閉ざした。

 時間をかけて彼女をベッドに座らせる。サイドテーブルに置かれた水差しに手を伸ばした。氷は半ば溶けていたが、まだ冷たい。

 涙を拭って、背中をさすり、落ち着かせてから慎重にグラスを持たせ、その手を口元に導いてみる。アーシュラは、それが水であることを悟ると、オアシスを見つけた動物のように、喉を鳴らしてそれを飲んだ。

 見えないのと、あと、急ぎすぎたせいだろう、まるで初めて水を飲んだかのようにぎこちなく、透明な雫が唇から溢れ、ナイトドレスを濡らした。そういえば、長い時間眠っていて、ようやく目を覚ましたのだ。喉が渇いていないはずはない。

「……おいしい」

 一気に飲み干して、うっとりと言った。少し落ち着いたらしい。

「蜂蜜が欲しいわ」

 水差しの隣に、飴代わりに食べるために、大好きな蜂蜜が置いてあった。求めに応じて、難儀して蜂蜜を舐めさせた。

生まれたての鳥の雛に餌をやると、こんな感じだろうかと思う。これを零すと大変だなと思っていたら、案の定蜂蜜も口からこぼれ、さらに苦労して着替えもさせることになった。人を呼べば簡単なのだが、その夜、アーシュラはエリンが手を離すことを、結局最後まで許さなかった。

 そして、目が覚めても必ず手を握っていることまで何度も何度も約束してから、アーシュラは再び闇から闇へと、眠りについた。






 病と共に生きてきたアーシュラが、自分を襲う病難に対して、あんなにもはっきりと恐怖を口にしたのは、初めてのことだった。

 いつか、彼女は自分で世界を憎んでいると言ったけれど、本当は強く強く憧れ、求めていたのかもしれない。

 だから、突然やって来た暗闇と静寂に、アーシュラは、今度こそ本当に、世界から見放されてしまったと感じたのではなかったのだろうか。

 幸いなことに、皇女の視力と聴力は、その後しばらくして半分だけ(・・・・)回復した。

 つまり、彼女の右目と右耳は戻らず、永遠にその機能を失ってしまったのだ。






「エリン、こっちこっち、マスカットが実っていると庭師に聞いたの。とりにいきます!」

「あっ……あんまり急いではいけません。また転びますよ」

「ふふふ、大丈夫よ、随分慣れてきたのだから……っきゃあ!」

 言った端から足元の小石に躓く主人を、右側に立つエリンが手を伸ばし、助ける。

「全く……」

「ふふふふ、こんなではお散歩もひと苦労ね」

不思議なほど明るい声で、可笑しそうにアーシュラが言った。

 最初に受けた絶望が大きかったおかげか、彼女は【残り半分】が戻ってきたことをとても喜んだ。それで、体調が良くなってからは、見えるようになった片側を頼りに、今までより頻繁に庭や城内を散歩するようになっていたのだ。

「わたくし、庭に葡萄畑があるなんて、知らなかったのよ」

「大きな畑があるわけでもありませんし、ご存じなくても当たり前でしょう」

「食べられるのかしら」

「それは、食べられるでしょう。葡萄ですよ?」

「楽しみねえ」

 元々、身体が辛いからといって八つ当たりをするような少女ではなかったが、それでも奇妙に思えるほどの明るさである。

「わたくしねえ、前よりずっと、色々なものが見えるようになった気がするわ」

 言いながらアーシュラは屈みこんで、何かを見つめているようだった。木漏れ日の元で、動きやすいようにと、エリンの手によってきっちりと編まれた長い三つ編みが二本、薄い背に行儀よく並んでいる。

「おかしいわよね、両方見えているうちに、ちゃんと見つけられればよかったのに」 アヴァロン城の庭は美しい。城からほとんど外に出られずに育った皇女がいつでも飽きず、楽しく散策できるように、庭師が普通より多くの種類の植物を育て、隅々まで心を砕いて管理している。

 もちろん、そのことはアーシュラだって知っていた。散歩だって前から好きだった。けれど今は、見えているものが違うとでもいうのだろうか。

「ほら、このお花、毎年ここに咲いていた?」

「そうだと思いますけど……」

「しゃがまないと見えないお花なんて、観察したことが無かったわ。今まではねぇ、こう」

 ふふふと笑って、少女は立ち上がる。

「目線の高さに見えるお花しか、目に入っていなかったの。音だって。こんな静かなお庭でも、ちっとも静かじゃないのよ」

「騒々しいですか?」

「そうなの。風の音や、草を踏む音……噴水と……鳥の声でしょ」

「アーシュラ……」

「不思議ね。そのうち見られなくなるんだって、聞こえなくなるんだって思ったら、世界は思っていたよりずっと広くて、素敵だったってことに、気付いてしまったの。きっと、わたくしにも、ううん、誰だって。美しいものは全部、手の届く範囲の中にあるのね。ふふふふふ」

 彼女はいつも唐突だ。ひとりきりで死を乗り越える度、新しい歓びを知って、ひとりで強くなっていく。それは、彼女が周りの多くの者を驚かせ、魅了する所以でもあるのだけれど――エリンの目には、アーシュラの心が死を受け入れる準備をしているようで怖い。

 けれど、それは口には出来ないことだし、彼女は、笑うのだ。

「だから、だからね。喜びなさい、エリン。お前の世界も、きっと前より素晴らしいものになるわ」

 今は庭の果樹園で、葡萄が大きく重い実をつける、暖かで、豊かな季節。あと二週間もすれば、彼女は十七歳の誕生日を迎える。どうかこのまま、元気なままでその日を迎えて欲しいと、エリンだけでなく、彼女を知る全ての者が願っていた。




 そして、迎えた皇女の誕生日。その日は、皇帝から直々に、城内の全ての者に、仮装が申し付けられた。

 別に、ハロウィンが近いからというわけではない。最近しきりに色々なものを見たがる孫のために、大掛かりなプレゼントを用意させたのだ。

 世界中のあちこちの民族衣装を集めて、城中の者にそれを着て仕事をさせた。

 そして、自由に買い物などしたことの無い彼女のために、流行りのものから珍しい品まで、色々な商人を集めて、大広間に商店街を作らせた。

「まぁ……」

 好きに買い物をするようにと広間に案内されたアーシュラは、感嘆の声をあげた。いつもは荘厳で広い大広間に、まるで異国のバザールが現れたようだ。仮設のテントとはいえ趣向を凝らした店がところ狭しと立ち並び、たったひとりの買い物客のための街を作っていた。


「皇女殿下! こちらのサリーなどいかがですか? きっとようお似合いになりますよ」

 立派な髭を蓄えた商人が声をかける。見上げるような大男で、白目の美しい大きな目をしていた。アーシュラは、男の風体に少し驚いたようだったが、男が手にした美しい布を見て、パッと目を輝かせた。

「まぁ、さっきメイドがコレを着て掃除をしているのを見たわ、どこの服?」

「ガネイシアの伝統衣装でございますよ。それも、こちらは手織りシルクに金糸の刺繍が入った最高級品で――」

「着てみたい! ねぇ、エリン、どうかしら?」

「……どうでしょう?」

 どうと言われてもエリンに分かるはずがない。何を着てもアーシュラは美しいのだから、それで良いではないか。

「お前に尋ねたのが間違いだったわ」

 アーシュラはため息をついて、それから、気を取り直して男に他のも見せろと声をかけた。


 孔雀色のサリーを選び、木彫りの小人を何人かスカウトして、言葉をしゃべる鳥の前で随分と思案する。最新型のスニーカーに一目惚れしては、ドレスのままその場で履き替え、歩きやすいと大喜びで、テントの隙間の細い路地をすたすたと歩いていく。雑多に並ぶテントに、アーシュラはひょいと入ってしまうので、両手に荷物を抱えたエリンは見失わないようにするので必死だった。


「殿下!」

「エリン、見て!」

「ええっ!?」

 テントの中から、悪魔のような奇っ怪な仮面がこちらを見て、皇女の声で自分を呼ぶ。

「あ……アーシュラ……何を」

 もちろん、仮面が皇女の声を出したのではなくて、皇女が仮面を被っているのだ。

「うふふふふ、驚いた? 面白い顔よね」

 分厚い木彫りの面を外して、奇妙なその面相を覗き込みながら言う。どうやら、どこかの工芸品を扱う商人の店のようだ。

「変わった品物ですね……」

 壁にはズラリと、今アーシュラが手にしていたような奇妙な仮面が飾られてある。木彫りのものもあれば、金属で装飾の施されたものもあり、どれも実に奇妙な顔をしているけれど、生き生きとした表情には力強さがみなぎり、見ていると不思議と惹きこまれる。外の世界をあまり知らないエリンにも、これらがすぐれた美術品であり、エウロの品でないことには察しがついた。

 どこの地方の、どんな由来のある品なのか、アーシュラはぜひ店主に尋ねようと思っているようだったが、なぜか、テントには誰も居なかった。

「店番がおりませんね」

「不用心よね、泥棒に入られたらどうするつもりなのかしら」

「……殿下は、空き巣に入るおつもりなのですか?」

「まさか」

 そう言ってクスクス笑ったアーシュラの背後で、テントの白い布地がぐにゃりと曲がって、入り口では無い所からゴソゴソと人が入り込んできた。

「あれ……お客さまかな? 皇女さま?」

 顔を上げたのは、彼らと同じくらいの年ごろの少年だった。這いつくばるようにしてテントをくぐってきたせいでずり落ちた眼鏡を直し、予想外だったらしい客の方を見た。癖の強い赤い髪を無造作にひとつに括って、涼しそうなリネンのシャツを腕まくりして着て、はじめて目にする皇女に、まるで珍しい動物でも見るような不躾な眼差しを向けている。エリン達にしても、初めて目にするタイプだ。

「この仮面はなあに? あと、この店は子供がやっているの?」

 前置きなしにずいっと仮面を差し出して、アーシュラは少年に問う。少し面食らった様子の少年だったが、すぐにコホンと咳払いをして座り直す。


「これはね、アフリカ大陸の仮面だよ。部族によってデザインが違っていて、大昔から神聖な行事に使われていたんだ。でも、アートとしても面白いでしょう? あと、僕はもうあと二ヶ月で十六歳で、子供じゃないです」

「あら、わたくしは今日で十七歳だわ」

「じゃあ、昨日までは同い年だったんだね」

「まぁ、それっておかしいわ。わたくしは昨日も、あなたよりひとつお姉さんよ」

「あれ? そうだっけ? おかしいなぁ」

 皇女に対してこんな風に話す人間を、エリンは見たことがない。そして、それはアーシュラも同じはずだった。

「仮面は気に入りました?」

「店番はあなたひとりなの?」

「父が隣で別のを出してます。うち、色々扱ってるので」

「あの、上の方に吊ってある鳥みたいなのが気になるわ」

「ちょっと待って下さいね……下ろします」

 咬み合っていないようにみえる会話だが、不思議と意思は通じているようだ。少年は長いくちばしのついた、鳥のように見える仮面を外して渡し、被り方を説明している。アーシュラは、ひと目でそれを気に入ったようだった。

「これ、いただくわ!」

「ありがとうございます。まさか、売れるなんてビックリだな」

「品物に自信が無いの?」

「そうじゃないけど、今日はこんなに色々な店が出ているのに、お客様はお姫様一人だっていうから。確率的に」

「確かに、お客よりお店が多いのだから、そうなるわよね。ふふ、あなた、運が良いのよ」

「あはは、そうかもね」

 赤毛の少年は軽薄に笑って相づちを打つ。

「他になにか、面白いものはない? あなたのお勧めでいいわ」

「そうですねえ……これとかはどうですか? 楽器なんですけど」

 少年がアーシュラに手渡したのは、小さなノートほどの大きさの木片に、スプーンの柄のようなものが何本も取り付けられた、妙な形の品物だった。

「楽器……?」

「カリンバといいます。並んでいる棒を、親指ではじいてみてください。きれいな音がしますよ」

「こう……?」

 言われるとおりにぎこちなく弾いてみる。か細くて、けれど澄んだ音がした。

「そうそう、上手いですよ」

「音階が鳴るのね、ピアノみたい」

「いい音でしょう?」

「もっと大きな音が鳴ればいいのに」

「練習すれば通る音が鳴りますよ」

 言いながら少年は、同じ形をした倍以上大きいのをどこからか取り出して、何気なく奏で始める。

「まぁ……」

 器用な指先から、まるで大型のオルゴールのような、清々しくて深い音が流れ、思わず、アーシュラが声をあげた。

「素敵!」

「でしょう」

「その大きいのが欲しいわ」

 彼が手にしている方なら同じ音が出ると思ったのか、アーシュラは少年が手にした大振りなカリンバを指す。

「残念ながら、これは僕ので、売り物じゃないんです」

「えええ……」

 あからさまに不満そうな皇女に、少年は申し訳なさそうに瞳を揺らす。

「うちは楽器屋じゃないので、それみたいな小さいのとか、あと、向こうに飾ってある太鼓のようにインテリアに使えるようなのとかくらいしかなくて……ごめんなさい。これは、仕入れに行った時に、グラデーションズ教会領の楽器屋で買ったものなんです」

「……あなた、アフリカに行ったことが?」

「ええ、父と一緒に、仕入れであちこち旅をしているので」

「すごいわ!」

 口を尖らせていた少女が一転、目を輝かせ――

「あなた、名前は?」

 少年の名を問うた。

「え?」

「名前を聞いているのよ」

見える方の目で、少年の眼鏡の奥を覗きこむ。少年はきょとんとして、それから、皇女から名を問われることの意味を理解したらしい。今更のように緊張した様子で、僅かに後ずさって、口を開いた。

「……ゲオルグ・カルサスです。皇女殿下」

 薄暗いテントの中で、後にあらゆる運命を共にすることになる三人の、これは、出会いであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援した人

応援すると応援コメントも書けます