18 泰河


... “『あなたは何をしたのです。

あなたの弟の血の声が土の中から わたしに叫んでいます』”...


声だ...

色の着いた身体を埋めた場所... 泡立つ血が滲み出す場所から聞こえる。

手に土をつけたまま、後ずさりをする。


色が着いているのは、土の中のオレだ。

オレには、土なんか つかないはずなのに...

土だけじゃなく、血もついていた。


くらい 冥い...  冥くて、冷たい... ”


恨みに血を泡立たせる 色の着いた身体の思念。

血の土を塗った 色の無い人型の大気たちは、砂色の肌と 血のように赤い髪と眼をした 人のようになっていて、喜び、互いを抱きしめている。


“さぁ、出ていけ! 出ていけ!

失うものか! 水の中になど戻すものか!”


人のようになった大気たちの思念。

血の色の眼で オレを睨んでいる。


... “『今あなたは のろわれて

この土地を離れなければなりません』”...


思念から、声から 逃れるように走る。

杉と羊歯の森を抜けて、青い水の川を渡って。


... “『この土地が口をあけて、あなたの手から

弟の血を受けたからです』”...


声は まだ追ってくる。


いやだったんだ。もう。

痛みの中で ルアハほどけて、与えてばかりいるのは。

それを 皆が喜ぶのが。


あの実を食べて、甘さに痺れた。

新しい命を貰えた と 思ったのに。

オレは、オレを殺してしまった。


... “『あなたが土地を耕しても、土地は、もはや

あなたのために実を結びません。

あなたは地上の放浪者となるでしょう』”...


「わたしの罰は 重くて 負いきれません」


無花果と棗椰子。

二本の大樹の間の川沿い、無花果の木の下で

声に答えた。


オレが、冥い水の泡の中で 瞼を開かなければ

ここにはもう 新たなものは生まれない。

水の男は、与えるために 生まれるものだったのに。


「... いいえ。

あなたからは、もう 何も生まれません」


無花果の葉の裏から、血の色の蛇が顔を出した。

言葉と 色を得ている。


先の割れた 黒く細長い舌を ちらつかせ

「罪を犯したのですから」と オレを嘲笑った。


「ほら、ごらんなさい。

命は、あのように生まれるのです」


蛇の頭が 杉と羊歯の森へ向き、先の割れた舌を動かすと、目の前に、血の土を塗って 向こう側の人のようになった大気たちの幻が現れた。


大地の男と同じ顔をした大気の男が、血の土を練り、人を象った。

両手に掬った川の青い水を 土の人の口に注ぎ込むと、それは、砂色の肌に 赤紫の髪と眼をした人のようになり、地面から起き上がった。


血の土に根を浸している杉の幹に瘤が出来、そこからは、砂色の肌に 血の色の髪と眼の子が生まれている。


杉と羊歯の森の幻が消えると、濃灰の神殿の中に立つ 法則右の男... 司祭と、神殿の向こう側が見えた。


色の無い人型の大気と重なった 青銀に光る眼の女たちが 黒い根となり、地面に沈んでいく。


青銀の眼の男たちは 変形を始めた。

頭部が沈んでいき、腹に下りた口が開いた。

また 二人の頭部が融合するもの、身体同士が融合するものもある。


変形した男たちの鼻や口から 黒い根が入り込むと

男たちは 黒い鉱石のような木になり、こちら側の

白い大樹の大地の男と 祭壇の間に、黒い根が噴き出してきた。


大地の男の白い大樹の根が、祭壇の下から伸びて

噴き出した黒い根と 祭壇の上で絡み合う。


... “ルアハよ”


法則右の男の思念。

神殿の向こう側で、黒い鉱石のような木々が燃えだした。

神殿からの熱風が 大気左の男を撹拌する。


空から 水に落ちるインクのように揺らめきながら

白い焔が下り、祭壇の上で絡まる 白と黒の根を

大気左の男に融かしほどいていく。

祭壇の前には、色の無い人型の大気たちが立った。


「命は、あのように生まれるのです」


黒く細い舌をちらつかせる蛇は、さっきと同じ言葉を繰り返し、「おきなさい」と

二本の大樹の向こう側へと 顔を向けてみせた。


「川を下りなさい。

あなたには もう、ルアハが降りないのだから。

そのようにしか しようがないのです。

罪と共に下りなさい。

そうすれば、あなたの分は また、別のもので満たされる」


オレが 川を下れば、ここに 別の何かがもたらされるのだろうか... ?

蛇は、そう言っているように思える。


「下りなさい。罰が追いつく前に」


ぞくり とした。

感情のうかがい知れない 割れた黒い舌の上の 二つの眼。

けれど、甘い実を噛んだ時の 痺れにも似ている。


二本の大樹の間の 青い水の川を下ると

音のない 湿った冥闇くらやみになった。

見えるのは、先へ続く青い水の流れだけだ。


大樹の こちら側には、まだ何もなかったんだ...

青い川が 二分にぶんする左右には、闇が広がるばかり。

ここに隠れていれば、罰に見つからないんじゃないか... ?


川は、先の方で 二手に分かれている。

分かれた場所に差し掛かると、しっとりとした冥闇は 幽暗ほのぐらいものとなり、左右の闇の中に 何かが生えだすのが見えた。まだ、地面も無いのに。


... “『地は あなたのために、いばらと あざみとを生じ』”...


ダメだ。ここには居られない。

オレの罪が、触れれば傷になるものを、行く手を阻む障害を産み出している。


二手に分かれた川の どちらにも進まず、分かれ目に 上がると、しっとりとした幽暗くらやみに落ちた。


落ちているのか、浮いているのか...

狭間を漂う。


どれ程の間 そうしていたのかは わからない。

いつも、声と 冥い水の泡の中に目覚めると

祭壇に上がり、焔の獣ルアハに食われるだけだった。

何も無い空間に落ち浮いて、初めて “どれ程の間” と、“時” を意識した。


瞼は いつ閉じていたのか...

心地良い幽暗の中では、それも わからない。


白い光に気付いて、閉じていた 瞼を開くと

眩しさに 眉や瞼を、眼を しかめた。


逆立ち、白く揺らめく焔のような髪。

水の中にいるように、まばゆい白い衣の袖や裾を

光に揺らめかせている男が居た。


男を認めると、辺りも たちまち光に満ちた。

白い宮殿のテラス。

男の背後には、見渡す限りの花の園。

なんという場所だろう...


アジ


男が そう言った時、反射的に 首を横に振っていた。

違う。オレは蛇じゃない。悪いものでは...


『だが、罪を犯したな。さ迷う魂よ』


どくどくと 血が音を立てる。

どうして気づかなかったのだろう?

この男は、ルアハじゃないか。


男は、ふう と 息を吹いた。

輝く白い焔のように見えた それは、揺らめきながら渡り、オレの口から喉の奥へと吸い込まれ、胸の中に留まった。


『ほう。我が息を飲んでも残ったか。

アジではないようだ』


胸の中で 焔が罪を焼く。

口から出るのは白い煙。声が出ない。


『しかし、お前は 闇や悪ではないが、光や善でもない。我が宮には置けん。

降りて 自ら選べ。迷える魂よ。

は お前に、生命と運動をもたらす』


男が、自分の前に出した 右腕を横に払うと

白い袖が揺らめき、オレは光の中に投げ出された。胸の中には 罪を焼く焔が揺れる。


そうして また、白い光の中に落ち浮きながら

“時” を 意識する。

光は、白い闇にも思えた。



... “『父よ、時が来ました』”...


誰かの声。


... “『あなたの子が あなたの栄光を現すために、

子に栄光を現してください』”...


十字架が見えた時、意識は闇に落ちた。

闇ではなく、影だったのかもしれない。


でも、“影”...  影とは、何だろう... ?

神殿の向こうにしかないものだった。



「... 小碓ヲウスよ」


誰かが呼んでいる。

身体は重たく、色が着いていた。


眼を上げると、その人は

の妻となるはずであった娘を 横から取ってからというもの、食事の席に現れぬ。

大碓オホウスねんごろにさとせ」と、オレに命じた。

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