まほろば

泰河・ルカ

1 泰河


背の高い杉の木と羊歯シダの茂み。白い空。

あの森だ。夜国よるくにの。

昼や夜ではなく、時間が わからない。


司祭は、ここに居るはずだ。

司祭だけでなく、儀式で夜国へ入った人たちや

肉体を失った影人霊たちも。


けど、森の中は無人に見えた。

近くの杉の木の根元まで、オレの影だけが伸びている。


影は、あの光の人の形をしていた。


肩につく 癖のある髪。

恩寵グラティアのように 重ねた長い天衣。


足元から伸びていても、オレの影じゃないんじゃねぇか?... と、影が掛かった杉の木に近付き

赤茶の縦に裂ける樹皮に触れてみると、その影も

オレと同じように動き、樹皮の上で 手と手の影が重なった。


他に 影は無い。

地上のものと同じもののように見える 杉の木や羊歯にも。

ブーツの底が踏む土は、固くも柔らかくもなく

手で砂のように掘れる事も知っている。


森へ入ると、あの男のことを思い出した。

オレの顔をしていて、土の中に居た。

掘り返してしまった男を。


ただ、ここに 男の気配は無い。

あの時は、ケシュム島の神殿から入ったから

夜国の中の場所も違うのか...

まぁ、地上の場所とリンクしているとは限らねぇけど、とにかく今、近くにはいない。


あの時のように、地上側が見えなくなって

崩れ掛けていた神殿も 砂に崩れた。

それは後で考えるとして、司祭を探す。


“炎の先に神殿を開け!”


モルスは、司祭に そう言っていた。


炎の先... 入れ替わりの場所に開いた、地獄ゲエンナ七層から炎が噴き上がる穴だろう。

夜国と 地上や地獄ゲエンナが繋がることを阻止するには

司祭を殺ることだ。


影と共に 森の中を歩く。

オレの形ではない影と歩くことで 孤独感が薄れるのか、あの時とは違って 気分が落ち着いていた。

心強くも感じる。

あの光の人が聖子なのなら、夜国に居ても

こうして その光を受けていると思えるからだ。


しばらく歩くと、地面の土を 灰色の砂粒が覆いだし、杉の木と羊歯の森が途切れた。

灰色の砂漠が、白い空の下に広がっている。


砂丘もなく、風が作る波のような模様の風紋もない。夜国には、風が吹いていない。

真っ平らに灰色の砂が敷かれた、味気なく 嘘っぽくも見える、不自然な砂漠だ。

見える範囲には、人や動物の足跡もない。


影と共に、砂の上に踏み出す。

ひとり分の足跡をつけながら、しばらく歩くと

黒く見える程、砂の色がくらい場所が見えてきた。


そこは、溜まった水で 色が深みを増していた。

泉みたいだ。近付いてみる。

耳に届くのは、砂を踏む自分の微かな足音だけだ。


砂の中の円形の泉は、雲も何も無い白い空を映すこともなく、ただ そこに在った。


しゃがみ込んで 水面みなもを覗いたが、オレの顔も映らない。光の人の形の影だけか映る。光として。


手のひらを水面に つけると、手と水の境界に

何かが発生した。


泥濘に混ざった麦酒ビールのように、プツプツという音が重なり 大きくなっていく。

やがてそれが、手のひらの下から上がった。

熱された湯面に上がるような気泡が、指の間や 手の周りに ボコボコと上がってくる。


生まれては消える泡沫をみていると、記憶が浮かび上がってきた。


... “『光あれ』”...


内部から聞こえる とおくの声と、泉の底から上がる気泡の音とに、瞼を開いた記憶ことが。


泉の水の中が、最初の記憶だ。

この泡の中で生まれた。闇のような水の中で。


浮かび上がった その記憶とは別に、泉の底から発生する気泡を視る映像が流れ込んできた。


泉の底に立ち、水中で気泡の発生を視ているのは

この光の影だ。

遠い過去の記憶を視ていて、それが オレに流れ込んでくる。


黒い砂の底に発生した 指先程の気泡が、底を離れ

るえながら 水面へと浮き上がった。


底の同じ 一点から、また ひとつ、ふたつと上がり

数を増していく。

指先よりも小さなものや大きなもの。


底と水面を繋ぐように 際限なく上がり続け

ぼごりと音を立てる 拳大のものも上がり出すと

気泡の柱の中に、別の形のものが見えはじめた。

黒い砂の底から 白く湧き出す気泡の中に、透明にこごる何かが。


鼓動する それを、透明のものが覆い出し、

胸や腹の形を造りながら、首の上には 顎から耳、頭部が。肩からは腕が、腰からは腿が伸びる。


気泡の発生速度は緩まり、徐々に数を減らしている。

造られた踵や爪先が泉の底に着くと、最後に 指先程のものが上がり、気泡の発生は止んだ。


ゆるゆると振るえながら浮き上がった最後の気泡が 水面ではじけると、色の無いオレが 瞼を開いた。


水面につけた自分の手のひらに 意識が戻る。


泉では それ以外、何も生まれない。

それ以前にも。


水面に映る影が オレを見ている。

周囲に指の間に上がり弾ける気泡の音。

手のひらを上げると、泉の縁から立ち上がった。

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