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桜や紅葉、松の木が ぶれて霞み

柔らかな青草に 土の地面と雑草が重なる。


皮膚の中で 背骨を撫で上げられられるような寒気が這い上がる。嫌悪感と恐怖心。


「天空霊の、解除狙い だったのか?」と

白いルーシーの小瓶を取り出す ジェイドに

「いや。皇帝か ロキだろ。

皇帝に ロキの術が解除されたから、出て来やがったんだ」と、朋樹が答えた。


森へ吹き飛ばされた甲冑の天使たちが起き上がり

神殿と、ミカエルと女の周囲を固めに戻る。

泉に落ちた ボティスとレミエルも無事のようだ。

ミョルニルがトールの手に戻った。

ミカエルが、剣で地中を炙っていなかったら

地面を割り走った何に、皇帝かロキか、どちら共か を取られていたかもしれない。


キシィ、キシィ... と、女の歯の隙間から洩れる音。顎の下の刺し傷からは 煙が上がっている。


「何と 恐ろしき... 」


皇帝とロキの前に立つ 榊の言葉尻が震えたが

幻惑の里を薄れさせまいと 再び宝珠を燃やしはじめた。


「榊... 」


止めようと 口は動かしたが、立っているだけで やっとだ。腕も上げられそうにない。


「神殿に、居るんだよな?」


朋樹が、指に挟んでいた式鬼札を吹き飛ばす。

トールの横を掠め、炎の尾長鳥になった式鬼は

ミカエルと女を越えると、神殿に着く前に解け消えた。


「あ?」と、朋樹が 目を疑っているが

オレらも同じだ。

式鬼が相手に通用しなかったことはあっても

朋樹が狙った対象に辿り着く前に消えたことはなかった。


ふうう... と 長い息を吐くロキを 片腕で支える皇帝が、朋樹の方へ片腕を伸ばした。

指先には血が付いている。


朋樹が 新しい式鬼札に皇帝の血を受けると

皇帝が息で式鬼札を吹いた。


どこかで 何かが追突した音がし、神殿の中が

ゴールドに光り輝いている。

式鬼札が朋樹の指を離れたところしか見えなかったが、式鬼がやったのか... ?


神殿の内部が輝いた 一瞬、背骨を這い上がる怖気や悪心が消えたが、またゾクゾクと気分が悪くなっていく。


大いなる鎖を引いた ミカエルが、女の首を落とそうと 地から剣を抜いた。

剣の刃を上げた時に 女の背後に天使が立ち、自分の腕を 女の首や胸を庇うように巻き付けた。


「蔓だ。管か? 色は赤いが」


泉の中に半身を起こした ボティスが神殿を指差した。

オレらが居る位置からは、赤い蔓は見えないが

神殿から伸びた赤い蔓が 天使に巻き付いて動かしているようだ。

ルカが 赤い雷を喚んだが、雷は打ち上がらない。


「なら、キュベレだろ」


隣に立ったレミエルに 手を差し出されたボティスは「俺は人間だ。守護はどうした?」と 文句を言いながら手を取っている。


「ヤザエル。離せ」


女を庇う天使に ミカエルが命じる声がしたが

朋樹が取り出した式鬼札に指の血を付けた皇帝が

また息で吹き飛ばすと、女を庇う天使の額に 光り輝く何かが追突し、天使を吹き飛ばした。

女の腹部が裂け、赤い根が噴き出した。


ミカエルが根を炙り切る間に、神殿の前を固めていた天使たちの二人三人が 何かに押され、麦酒で濡れた地面に腰を着いた。

盾で防護しながら 神殿の入口へ詰め寄ろうとした天使たちが、突風を受けたように踏ん張り、後退させられていく。


エデンの階段の上から 立てた人差し指の上に浮く

チャクラムを、神殿の中へ向かわせようと下を向いたヴィシュヌが、表情を止めた。


盾を持つ天使たちが後退し、神殿の前が開かれる。

入口から出て来たのは、両腕を前に伸ばした 頭部の無い人だった。

首の先が捻じれ、赤い血管のような蔓となって伸び、伸びた蔓の先は、皇帝が吹いた式鬼に飛ばされた 天使の足首に巻き付いている。


「白蔓が 伸びない」


朋樹が足元を見て言った。

神殿を出た時、すでに変形していたからか

赦しの蔓が伸びていない。

いや... さっき、ルカが喚んだ赤い雷も上がらなかった。この人には、影人が融合していないのか?


裂けた腹の赤い根を炙り斬られた女が、大いなる鎖に巻かれたまま 地面に座り込んだ。


「蔓が... 」


赤い蔓の先は、天使の足首から離れていた。

女とミカエルの方へ這い進んでいるが、今まで巻き付かれていた天使の足首から先が見当たらない。


倒れている天使の近くに、別の天使が顕れ

「溶かされている」と、膝の下から切断した。


「天使が溶かされる だと?」


トールが 赤い蔓を目掛けて、一気に帯電させたミョルニルを投げ付け、ヴィシュヌが チャクラムを神殿の入口へ直下させる。


女の背後で 地面にめり込んだミョルニルが 青白い雷光と共に 血管のような蔓を弾け散らせた。

頭部を蔓にして伸ばしていた人は、直下したチャクラムに 左肩から右の脇腹にかけてを斬られ、前に両腕を伸ばしたまま崩れ落ちた。


「離れろ!」と、戻ったチャクラムを操りながら

天使たちに ヴィシュヌが叫ぶ。


入口が見えた両腕を チャクラムが落とすが

首から捻じれ伸びる赤い蔓が、地を蹴り飛んだ天使の足首に巻き付いた。


トールが投げたミョルニルが 赤い蔓に当たり、雷光と共に弾け散ったが、巻かれていた天使の足首から爪先までが 炎となって燃え消えている。


「炎に戻している」


片腕にロキを抱き支えた皇帝が言った。

天使は、炎から生まれる。炎に...


目の前に落ちる桜の花片が ふつりと消えた。

「榊」「もう止そう」と、ジェイドと止めたが

「いいや、まだまだ... 」と、榊は宝珠を燃やす。


じりじりと炎に戻っていく天使の足を、他の天使が切断し、エデンへ連れ戻っている。

神殿からは 次々に赤い蔓が伸び出て、両腕を前に出した身体が歩いて来る。


「バラキエル!」


泉から ミカエルの方へ向かい出したボティスを

レミエルが止め、四郎の背後に居るザドキエルが

「ミカエルの前を固めろ!」と 天使たちを向かわせ、自らも 四郎の支えを他の天使と代わらせて出向こうとするが

「全員退避!」と、ミカエルが命じた。


「預言者と鍵を護れ!」


神殿から出て来る人を ヴィシュヌがチャクラムで刻み、トールが赤い蔓を弾き散らすが、どんどん出てくる。

赤い蔓を潰しても本体の胴体が無事なら 蔓はまた伸びる。どっちも潰さなければならない。


「泰河! 影人!」


ルカの声に振り返ると、皇帝とロキの背後に 影人が立っていた。甲冑を着けた復讐者アラストールの影が形を変えていく。


動くと、視界が ぐらりと揺れた。

どうにか 歩いて、消さねぇと...


「情けないわね。これだけ居て」


女の声だ。嘘のように身体が軽くなった。

とりあえず走り、皇帝の形になった影人に触れる。

金切り声の悲鳴に「リリー」という 皇帝の声が重なった。


肘を隠す黒いレースの袖と同じレースの胸元。

左腿から深いスリットが入った黒いロングドレス。

しっとりとしたウェーブの黒髪にモルダバイトの眼。リリトだ。隣にシェムハザを従えている。


「オフィエル」


シェムハザが喚ぶと、青い光の人が泉の向こうに立ち、杉の森の中や神殿の向こう側にも 同じ光の人たちが立ち上がる。天空霊たちだ。


「四方位の内側、地中に降ろしていた」と

微笑むシェムハザの隣で、リリトは 皇帝とロキを

凝視していた。


皇帝のフリルシャツを掴み、頬もつけ ぐったりしている女子ロキは、痛みの波がくる度に長い息を吐き、今それどころじゃない って感じだが

愛おしげに抱き支える皇帝の腕の下には、でかい腹を巻く白いシーツに皇帝の血の跡。

ついでに 空いている片手の指で、自分の胸に顔をうずめるロキの頬を撫でている。

なんか ヤバい気が...


「ふん... 」


いつものように鼻から息を抜き、リリトから眼を逸した皇帝は、ロキのブロンドの髪にキスをした。

「榊」と シェムハザが離れちまって、魂の青い炎を飲ませている。

桜や紅葉、柔らかな青草が色鮮やかに復元したが

リリトは何故か、ジェイドに冷たい眼を向けた。


「チガウ んだ... 」


“落ち着いて” 風に 片手を挙げて見せたジェイドも

何故か上擦りながら言い訳をしようとする。


「“違う”?」


ゆっくりと静かな声で聞き返すリリトに、ジェイドが喉を鳴らす間に「俺の子だ」と 皇帝が口を挟んだ。 また 余計なことを...


「いや、グルヴェイグの子っす! ロキと!」


絶句しているリリトに 正しく答えた朋樹も冷たい視線を浴び、大人しく黙っていたオレやルカ、

「のっ!」と 榊までもが同様に浴びる。


「あとで、ゆっくり、聞くわ」


おぉ やっべぇ...


「母が居るわね」


モルダバイトの眼が神殿に向く。

免れた って気になっちまったが、それどころじゃねぇんだよな。


ミョルニルを握るトールの隣に リリトが立った。

赤い蔓は... と オレも神殿の方へ眼を向けると

「あれ? ハティじゃん」と、向こう側から ルカも見ている。


本当にハティだ。

黒いスーツ姿で、神殿の入口に向いて立ち

両腕を前に出して歩いてくる人に息を吹き掛け

赤い蔓ごと 砂に錬金している。


「ハゲニトも 一緒に来たのよ。

すぐに向こうへ向かったけど」


そうだったのか。リリト登場のショックで気付かんかったぜ... とは、絶対 言えねぇけどさ。


「あれは、悪魔よ」


リリトは、ハティに砂にされる人たちを見ながら

のんびりと言い

「何故 わかる?」と聞く トールに

「だって、私の子たちだもの」と返している。


「つまり、“キュベレ系の悪魔” よ。一部だけど。

母に仕えたか 惹かれて行ったか して、ああやってオモチャにされた って事。バカな子たち。

母は、天使に対抗する手段は講じたようだけど

悪魔の事は考えていなかったようね。

自分ひとりで捩じ伏せられる と、絶対の自信があったのかしら?」


静かな声で、けど 可笑しそうに笑ったリリトは

「あれが私の妹?」と、ミカエルと女に向かって

歩いて行った。

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