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「ああ、頼む、頼む... 許してくれ...

ここまできて嘘なんかつかない お願いだ 頼む... 」


シェムハザが配ってくれるカップを受け取った

朋樹が「モルス?」と 黒い眼を道化ニバスに向けると

「それしか聞いてないんだ、本当だ 本当だよ」と

ロキの眼を見たまま、三日月鎌ハルパーの上で顎を震わせた。


「ラテン語で “死” のことだ」


mors... モルス、死。

モルスを喚ぶため”? 滅び と どう違うんだ?


「三層までの支配者に そう話して 催眠を掛けながら、妙な蝗を飲ませたんだ!

アバドンの体内から出ていて、影みたいだった。

俺は、地上のニュースを集めている。

あの蝗は シャドウピープルと同じやつだ と すぐに解った。靄でも霧でもない。あんなの見たことがない。頼む、怖い、こわいよ。許してくれ... 」


「それから?」と、コーヒーにメレンゲを浮かべながら ヴィシュヌが聞くと

「本当に それしか聞いてないんだ! 本当なんだ!

誓うよ、あんたたちにも 敷かれてる この円にも!

罪人として 天に引き渡されてもいい!」と

首を回せず、視線で ロキや ボティスに訴えた。


「悪魔達が 影蝗を飲まされて、地獄ゲエンナを隠す障壁にされたんだ。

アバドンの胸が中心から左右に割れて、肋骨が黒い根になって伸びて、他の悪魔達から生気を吸い取った。

根で生気を吸う毎に、どんどん力を増すんだ。

五層の復讐者アラストールまでが捕われた。

あれは もう、天使でも悪魔でもない。

あんなものに 誰も勝てるもんか!

障壁が取り除かれると、ウリエルと楽園の軍が乗り込んで来て、ひどい爆発が起こった。

地獄ゲエンナに居ても死んじまう。

でも、アバドンは “モルスを喚ぶ” と言っていた。

誰も 俺の生き死になんか 気にしない。

でも何とか、助かりたかったんだ。

別口から悪霊が噴き出す時に、どうにか 紛れて逃げて、あとは ボティスが言った通り... 」


肋骨が 根に?

アバドンは、影人と重なってはいる。けど もう

化けもん だな。


「それで、子供ガキどもを?」


ロキに問われた 道化ニバスは「ひいい... 」と泣き

「ごめんなさい」を 繰り返す。


「だけど、子供達に憑依した悪魔が抜けたのは

俺のせいじゃない! あんな事、俺には出来ないよ! それで重なられちまったんだろう?

きっと 悪霊や悪魔を受け入れたからだ と思った。人間だから自分がえらい と、聖霊を拒否する生き方をしていて、異教の神々の加護も与えられないような、そういう... 」


「“不遜なゴミ”?」


あの時に、道化ニバスが言った言葉を繰り返すと

「そう... 俺の ような... 」と、口を噤んだ。


「いいや。未熟なだけだ」


隣の教室に居た ミカエルが、ドアを開けて言った。ルカや 四郎、ジェイドも 一緒だ。


「子供に限らない。人間は まだ未熟なんだ。

だから愛が見えない。受け入れきれない。

まだ公判の時じゃない」


四郎と ジェイドは、後ろの方の席に着き

シェムハザに コーヒーを貰っている。

二人は 少し落ち着いたように見えるが、

ルカが オレの隣に 疲れた顔で座り

ジェイドや 四郎の方を見ようとした 朋樹は

途中で ミカエルに視線を戻した。


「朋樹、ニバスのヒトガタ」


ミカエルに言われ、カップを置いた朋樹が席を立つ。あんなヤツの人形ひとがたなんか作って どうするんだ?


仕事道具入れから 形代かたしろを取り出した朋樹が

「血がある方がいい」と 言うと

ヘルメスが 三日月鎌ハルパーをずらし、顎に傷をつけた。

ビクッ と 身体を揺らした道化ニバスを見て

「声は預かる」と、ボティスが術を掛ける。


道化ニバスの血が付いた形代を 朋樹が吹くと

道化ニバスの人形が ミカエルの目の前に立った。

ロキが 道化ニバスの頭を回して 人形を見させると

泣き腫らした 緑睫毛の眼を見開いた。


人形は『違うんだ。許してくれ 頼む 頼む... 』と

泣き続けているが、左手に秤を出した ミカエルが

それを向けると、秤は片側に傾いていく。

右手に握った剣で「罪だ」と 斬首した。

赤いフードの人形の首が、道化ニバスのすぐ隣に落ちる。


道化ニバスは、人形... 自分の首が落とされたところを見て、息も忘れたようだ。

声も出せず、ヒッ ヒッ と引き攣り掛けている。


「ヘルメス」


ミカエルが呼ぶと、ヘルメスが

「あー、ミカエルが量っちまったー」と

大きめの声で言い、三日月鎌ハルパー道化ニバスの顎の下から外した。


ボティスが「ロキ」と、道化ニバスの頭を掴む手を外させると

「お前も殺っちまってもいいんだけどな」と

道化ニバスの眼に言った ロキが立ち上がる。


天の言葉で呪文を唱えた ミカエルが

顕れた 両開きの巨大な石門の扉に手のひらをつけ

一面に彫られた文字を放射状に光らせた。

扉が消失し、奈落のゲートが開く。


ヘルメスと ボティスが、道化ニバスの腕を掴んで立たせ

ゴールドの蔓に巻かれたままの道化ニバスを 引き摺るように歩かせて、ミカエルに渡した。


扉の向こうに、三眼の天使リフェルと 天狗アポルオンが立った。

「アシュエルは?」と、奈落に降りている 自分の配下を喚ばせ、顕れた天使アシュエル

「枷を着けて、森の二人に引き渡すこと」と

道化ニバスを示す。


「あっ、待ってくれ。

そいつが地上に回してる噂が ヤバいんだ」


朋樹が引き止めると「すぐに正させとくよ」と

アシュエルが答え、天狗アポルオン

「今 森で、二人と ノジェラとも話してたんだ」と

言うと、道化ニバスは ようやく “森の二人” に意識が向き

何か ヤバい... と 察知した顔に変わっていく。


「ユーデクス、グラティア」


天狗アポルオンが喚ぶ名前を聞き、“まさか” と

ミカエルや ボティスたちを キョロキョロと見回したが

緩いウェイブの長いブロンドの髪に 黒水晶の眼、

白い翼の風切り羽の先は、艶消しのゴールド。

グレーがかった水色の長い天衣の肩に、白い薄絹の天衣を重ねた 六層の支配者 恩寵グラティアと、

癖のある ラベンダーベージュの髪に ブラウンの眼、風切り羽の先が黒い 銀白色の翼。

白く長い天衣の上に、縁や袖口には ゴールドの刺繍が入った 赤いフード付きのローブ。

四層の支配者 審判者ユーデクスが立った。


「ニバス... 」


ミカエルの蔓に巻かれた 道化ニバスを見て

支配者の二人は、“何か しでかしたな”... と

話を聞く前から、呆れ 疲れた顔になっている。

道化ニバスは 震え出した。

ボティスが「声を返す」と 術を解いたが

歯が鳴る音が微かにするだけだ。


「悪霊が憑いた未成年者等を扇動し、影人を重ねさせた。被害者の 一人は、あの祓魔の女だ」


胸がズキリとした。

ボティスの説明の後に、ヘルメスが

「で、祓魔ジェイドは、ルシファーのアレ」と 添えると

二人の顔色も変わったが、道化ニバスの腰が抜け

へなへなと座り込んだ。


「許可なく地上に出て、子供等や 皇帝ルシファーの情人の妻を、夜国とやらに売った と? 何という事を... 」

「詳しく話を聞こう。ニバス、来い」


だが 道化ニバスは、立ち上がることも出来なかったので、リフェルと アシュエルが支えて立たせ、

爪先がカールした赤いショートブーツの足を 引き摺らせながら、奈落のゲートを通過させた。


「そうだ。“ポエナ” が 死んだな?」


ポエナ地獄ゲエンナ 第一層の支配者だ。

審判者ユーデクスに「アバドンに殺られて」と

ヘルメスが頷いた。


「恐らくだが、二層の異端ゼノも殺られてる」


は... ? 胸に片手を置いた 恩寵グラティアが添えると

「解ったんなら 早く言えよ!」と ミカエルが怒り

「まだ報告は... 」と、ボティスが 眉をしかめた。


「つい先程、異端ゼノの死を感じたからな。

赦しの枝で報せようとしたところで、こうして喚ばれた」

「こちらには ポエナの死を報せず、何を。

同じ支配者である俺等には 報せずとも解る としても、報せるのが礼儀だ」


「そうだね」と ヴィシュヌが先に答えたので

ミカエルも「うん、ごめん」と謝っている。


少し微笑った 恩寵グラティア

地獄ゲエンナの状況が分からないが、三層の記憶メモリアについても 覚悟しておくべきだな。

復讐者アラストールは 何としても死なすな」と 表情を戻し

ロキやトールにも 視線を向けた。


影蝗を介してアバドンに操れる復讐者アラストールが、ロキを狙ってくるとしたら、難しいよな...

ミカエルの大いなる鎖くらいしか 手がないんじゃねぇのかな...


地獄ゲエンナや アバドンのことは、道化これにも まだ詳しく話を聞く。

何か有用な情報を得たら、森の木の枝を通して

そちらに回そう」


「ちょっと待って」


ヴィシュヌが、森に戻りかけた 恩寵グラティア審判者ユーデクス

呼び止め、「モルスって 何のこと?」と聞いた。


モルス?」と、審判者ユーデクスが聞き返す。

恩寵グラティアも “何だ?” という顔だ。


道化ニバスの話によると、アバドンは

モルスを喚ぶ” と言っていたようなんだ。

そのために 七層を開く って」


「七層自体が滅びの場所ではあるが... 」

「モルスという名の者も幾らかいるが、七層とは無関係だ。

尤も 七層と関係する者など、父か 俺等... 地獄ゲエンナの支配者等のみ だが。

関係 と言っても、七層の扉を開く鍵 ということであり、七層自体に関係する訳ではない」


七層は、永久とこしえの滅びの場所だ。


... “海は その中にいる死人を出し、死も黄泉も

その中にいる死人を出し、

そして、おのおの そのしわざに応じて、

さばきを受けた。

それから、死も黄泉も火の池に投げ込まれた。

この火の池が 第二の死である。

この いのちの書に名がしるされていない者は

みな、火の池に投げ込まれた”...


“死も黄泉も”... モルスは、七層に投げ入れられる側だ。

夜国から何かを喚ぶのか?

けど それなら、儀式の神殿を通せば良くねぇか?

恩寵グラティアたちや ミカエルたちですら見当が付かねぇんだし、オレらには さっぱりだ。


「... ひと みたいな言い方をしてた」


ボソっと 道化ニバスが言い、恩寵グラティア審判者ユーデクスの眼を避けて 俯いた。


モルスについては、アバドン派の悪魔に聞く方が早いかもしれないが、七層の扉を解錠させなければ、それも防げる」

「何か動きがあれば、また連絡を」


奈落の森へ戻る 恩寵グラティア審判者ユーデクスの後を

リフェルと アシュエルが、道化ニバスを連れて 続く。

天狗アポルオンと ノジェラが、ミカエルや ヴィシュヌと挨拶を済ませると、奈落のゲートが閉じられた。


「二人共、大丈夫?」


ヴィシュヌが ジェイドと四郎に 振り返り

「今 無理に、話し合いに出る事はないんだよ」と

蜂蜜入りのアムリタを取り寄せてくれた。


「そうだ。少し休んだら どうだ?」

「話は、後で まとめて聞けばいいだろ?」


トールや ロキも気にしている。ニナのことを。

オレですら、ニナ と、胸の中で名を呼ぶだけでも

ギリギリと胸を絞られる。

あの光景が浮かぶと 内臓が落ち込む。


「いや、大丈夫だよ」と、ジェイドが答えた。

何 言ってんだ?


「重なられたのは、ニナだけじゃない」


それは、そうだよな...

今までも見てきた、アケパロイになった人たちや

二人一体になった人たち。根になって沈んだ女の人たち。黒い鉱石のような木になった人、赦しの木に取り込まれた人。燃えてしまった人。

それぞれに人生があって、大切な人たちが居て

大切に思われていて... わかっては いる。頭では。

仕事の話に参加するにも、そう答えるしかない。


けど ニナのことは、やっぱり 特別に 痛い。


絶対、大丈夫なはず ねぇんだよ

ジェイドにしても、四郎にしても

“護れなかった” とか、“自分を護ろうとして身代わりになっちまった” って、自責の念にさいなまれているだろう。オレも、ニナの すぐ 傍にいた。


「もう よそうぜ」


疲れた顔で ルカが言う。

預言者として降ろされた リラちゃんが

光を発して灰になったことが過る。


次に、黒い根が伸びてきた時

ルカは 赤い雷を喚ぶんだろうか?


「私は、嫌です」


ジェイドの隣で 黙っていた四郎が言い

「この様な事は。もう」と 右眼から涙を零した。

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