103


嘘だ...


白い焔の右手を ニナに伸ばし、細い腕を掴む。

悪魔の指が外れ、振り返ったジェイドの眼が

ニナを捉えた。周囲には 無数に影人が立つ。


「姉様... ?」


愕然とした 四郎の顔。

いや、まだ重なり切っていないはずだ。

分離固定して 出した印を消せば...


「ルカ!」


校舎に向かって叫ぶが、こっちに向かって伸びてきた 水色の葉の白蔓に 言葉を失う。


ニナが、がくんと腰を着いた。

腕を掴んだ手が離れ、額の眼が 瞼に下りていく。


「ファシエル!」


ミカエルの声に、そうだ と 思いだした。

ゾイでも分離固定は出来る。


すぐに ゾイが立ち、ニナを見て

一瞬、動きも息も止めた。


しゃがんで ニナの額を掴み

「あなたの名前は?」と 問いかける。

唇を動かそうとする ニナから、声は出ない。


「ニナ... 」


ジェイドも しゃがみ、ニナの右手を取った。


「... どうして」という、背後からの声。

シイナだ。

隣に立つ 朋樹は、自分の足下から出る白蔓が

ニナの足首に絡んだのを見て、信じられないという風に「やめろ... 」と 呟いた。


「どうして 私じゃないのよ!?」


シイナは、「戻れ、出るな」と 止める悪魔の腕を払おうとしながら「どうして ニナなの?!

どうして いつも 私じゃないの?!」と 真っ赤な顔で身体を震わせた。


「名前を 言って。あなたの名前を... 」


ゾイが質問を繰り返すが、ニナは 唇を動かすだけだ。白蔓が巻き付く脚が 黒い根に変化し始めた。

肋骨の内で、心臓がバクバクと鳴り出す。


「ニナ! ニナ!! 離してよ!!

イヤよ! どうしてなのよ?!」


シイナの背後に シェムハザが立ち

背に触れて、シイナを寝かせた。

「泰河」と、明るいグリーンの視線を動かしてみせる。 そうだ、影人を...


バクバクと鳴る音を聞きながら、影人に触れ

遠くに金切り声を聞く。

分離固定して、印を出して消せば...

機械的に腕を動かし続けていると

いつの間にか来た ルカが隣を通り過ぎ

「ニナ?」と 小さな声で呼んだ。


「ニナ... 」


ジェイドの声。微かな ニナの声で

「... みないで」と 聞こえた。

もう、肩や腰までが根の形になっている。

黒い根の手足に絡み巻き付いていく白蔓が木になり、ニナを飲み込んでいく。


「何だ?」「ミカエル、これは... 」


アコや アリエルの声だ。まずい...

公園に集まっていた子達を連れて来たはずだ。


何人かの護衛の悪魔が消え、アコたちと戻った子に憑依した。

影人は、消しても消しても湧き出てくる。


「皆、見えるか?! 大天使ミカエル様だ!」


道化ニバスが叫ぶと、頬を上気させなから駆け寄る子たちが 悪魔に止められながらも 校門を出ようとしている。ミカエルの眼が 道化の口に向いた。

ドン! と、山が落ちてきたような衝撃が足裏から響き、辺りが青白に光る。トールの雷だ。


催眠が解け、皆 立ち止まったが

「あれ... 」と、視える誰かが 影人に気付いた。

すぐ隣にいた道化ニバスが ゴールドの蔓に巻かれたまま

「ギャアアッ」と叫んだ。

ミカエルの剣に太腿を貫かれ、転がり身を捩らせている。


「口を閉じろ ニバス」


蔓が巻く部分や太腿の傷から 煙と焦げ臭い匂いを上げはじめた道化ニバスは、端が下がった黒い唇の口をつぐんで頷いた。


「落ち着いて。大丈夫」


校門の中、校庭に出てきてしまった 皆に向き合うように、ヴィシュヌが立った。


「影人は、学校には入って来れないよ。

校舎に戻ろう」


「そうだ。中へ戻れ」と、アコの声。

アリエルと共に、アマイモンの配下憑きの子たちを連れて、無数に立つ影人たちの間を通ってくる。


四郎が立ち尽くしている。

ニナの白い木の傍に、ゾイとジェイドも

しゃがみ込んだまま。

何も言えず、黙々と 影人を消す。


動くのも 声を出すのも怖い といった雰囲気の中

「さぁ」と ヴィシュヌの声に押され

たくさんの足音が 静かに校舎へと動き出した。


「あ?」「アコ!」


校門に足を踏み入れようとした子から、憑依していた悪魔が抜け出た。


「解かれた!」

「何故だ? 何も... 」


憑依した子たちから、悪魔が抜けていく。

「空へ」と、アコが 二人の子を抱き上げ

背に黒い蝙蝠翼を広げた。

ミカエルや 移動したヴィシュヌ、アリエルも

それぞれ抱き上げようとしたが

地面から出た黒い蔓が、ミカエルたちや 皆の足に絡み付く。


「ルカ!」


ニナの白い木を見つめていた ルカを呼ぶと

ぼんやりと顔を上げたが、ミカエルたちに絡む黒い根に気づき「根だけ」と 赤い雷を喚んだ。


地面から音のない赤い雷光が立ち上がり

黒い根を消失させたが、ダメだ...

絡む根の巻き添えにしないよう、ミカエルたちが

手を離していたことで、アコが抱き上げた 二人以外は 重なられちまった...

朋樹の白蔓や、周囲に生えている赦しの木の根が

伸びてきて、重なった子たちに巻き付いていく。


「退け!」と 誰かに押されたが、ロキだ。

中年の女の人に変身すると、重なられた男の子の額を掴み「名前を」と質問を始めた。

男の子の母親の姿だろう。

ゾイも立ち上がり、一番近くに居た女の子の額を掴んで、分離固定を始める。


「名前を... 」


「四郎、何をしてる!?」


ミカエルに 一喝され、ニナの白い木から視線を外した 四郎は、ゾイの隣に立った。

名前を聞かれた女の子が 抑揚のない声で答える度に「いな」と否定を繰り返すが、声が震えている。

ゾイが掴む額の頭部が、肩の間に のめり込んでいく。アケパロイに変形し始めた。


ミカエルや アリエル、分離固定をしようとする 護衛の悪魔たちの前でも、頭部が沈み出した。

頭部同士が結合し、二人一体に変形していく人たちもいる。


金切り声を上げ、消えては顕れる影人たちを 消し続けていると、これに何の意味が... と 疑問が浮き上がってきた。

校門の外にいるのは もう、重なる心配がないオレらと ミカエルたちだけだ。


「... 悪霊や悪魔を受け入れたからだよ」


道化ニバスが、端の下がった黒い唇を開いた。


「根っこに信仰がある奴や、自分達 人間が 至上の存在じゃない と知る者には、悪霊や下級悪魔になんぞ憑かれない。憑いて 救える と思った奴も

憑かれる奴も 不遜なゴミだね」


なんだ こいつ? うるせぇんだよ...

お前が この状況を作り出したんだろ?

緑睫毛の中の眼と 視線が合うと、焦燥が 怒りに変わる。どうしても抑え切れず 蹴り飛ばした。


アケパロイや 二人一体になっちまった子たちが

ロキやゾイ、分離固定しようと掴んだ手を取り残して、白や赤、藍色にカーキの幹に包まれていく。

その木や オレらの周囲には、相変わらず 影人が出現し、外灯が照らす道路を暗く塞いだ。




********




「よう、道化ニバス


視聴覚室、天井から下がる 二台のテレビの間。

蔓に巻かれ、胡座をかいて俯く 道化ニバスの前に

ボティスが立ち

「久しぶりじゃあないか。

お前が皇帝の城を出されて以来か?」と

ゴールドの眼で見下ろしている。


道化ニバスは、緑睫毛の下の眼を 左右に動かし

「ああ、ボティス... シェムハザもいるじゃないか... 」と、笑顔を作ろうとして 頬を引き攣らせた。


ボティスの隣には、無言のロキ。

トールや ヴィシュヌ、ヘルメスや シェムハザが

バラバラに 長テーブルの席に座り、道化ニバスの横顔を

見つめている。


次々に色が移り変わる ステンドグラスを思わせるような虹の眼で、道化ニバスを蔑む ロキに

「こいつは、地獄ゲエンナの道化だ。

地上でも、上流階級の家庭に居たことがあっただろ?

最初は 皇帝を楽しませるために 城に居たんだが、

見ての通り、自分の利になる、自分の地位が上がる... と踏むと、すぐに寝返る。

皇帝が競売にかけ、他の悪魔や異教神の城に入ったこともあるが、どこからも放逐され

地獄ゲエンナに落ち着いた。

地獄ゲエンナで 下手な事をすりゃあ、すぐ 牢に繋げるからな」と 紹介した。


ニバス。地獄ゲエンナの第一宮殿... 主に外界との交流に使われる宮殿の道化師長 のようだ。

地獄ゲエンナの支配者たちや 客を楽しませ、話をスムーズに運ばせる役割があるらしいが、他の悪魔たちからは 軽んじられる存在だという。

一説には、人間にテレビを発明させた ともあり、

マスコミの情報を操作できる とも...

朋樹が、スマホの ニュースアプリを開き

内容のチェックをし出した。


何か おかしい噂が回ってないか、調べた方が いいよな... けど、スマホを取り出す気にもなれない。

ジェイドや 四郎は、ゾイや ルカ、ミカエルと

隣の教室に居る。


「さて、ニバス。

俺の前に出された事の意味 は 解るよな?」


道化ニバスは、ボティスや ロキに 眼を向けることが出来ず、言われた言葉に喉を鳴らした。


「勘違いしている者が多いが、俺は サディストじゃあない。

痛み苦しみ、“許してくれ” と 懇願する姿を見ても 嬉しくはないからな。

興奮するどころか萎えるばかりだ。

だらだらと それが長引けば、苛ついてもくる」


「... ボティス、頼む。聞いてくれ。

奈落から アバドンが降りて来やがったんだ!

相手は、上級天使だ。

三層までの支配者も捕われたんだぞ?

俺なんかが反抗なんて出来る訳がない!」


「何故、影蝗を憑けられていない?」


ボティスの 一言で、道化ニバスの口が止まった。


「ニバス。お前の考え方は熟知している。

悪魔だった頃の俺には、読み が出来たからな。

お前は、アバドンに使われている訳ではない。

地獄ゲエンナで 三層までの支配者が捕われたという状況を見て、アバドンに着いた方がいい と踏んだ。

だが、道化のお前に 声が掛かるはずもない。

アバドンに “使える奴” だと思わせるために、海底に開いた別口から逃げ出し、悪霊共が憑いた子供等に近寄り、“仕事を手伝う” と言った。

唯一、催眠にはけてるからな。そうだろ?」


また喉を鳴らした ニバスは、ボティスと ロキを

交互に見て

「それ以外に、俺が助かる道があったと思うか?」と聞いた。


「パイモンだけでなく、ウリエルや楽園マコノムの軍が

攻めて来たんだ。

外には、ベルゼブブやアガリアレプトも居た。

それに、四層や六層の支配者たちも逃げ出した」


「“逃げ出した”」と、ボティスが繰り返した。


「ニバス。何故そう嘘を混ぜる?

お前の言い方では、四層の審判者ユーデクスや 六層の恩寵グラティア

地獄ゲエンナを捨て、ただ逃げ出した... と取れる。

ここにいる ヴィシュヌやトール、ヘルメスを

お前などが 操作出来る とでも?」


「いや、まさか! ミカエルも出てきてる。

これだけの神々が出ているのを知っていれば... 」


リークする側に回った と 言うつもりか?

呆れるぜ。どっちにしろ 全く信用は出来ない。

その ミカエルも利用して、大勢の子を学校の外に出そうとしたじゃねぇか。


「それに... 」と、道化ニバスは 顔を横に動かし

ヘルメスに 緑睫毛の眼を向けて見せた。

“ヘルメスには 影蝗が”... と 匂わせて

自分が この情報を与えた とし、少しでも立場を

良くしたいのだろう。


もし、ヘルメスから影蝗が抜けておらず

こうしてオレらに接近していたとする。

それで オレらや 地上の状況が悪くなったとしても

道化こいつは何とも思わない。

案じるのは、ただただ 自分の身だけだ。


「何を言ってるんだ? 黙れよ。

今、俺を見ただろ?」


ヘルメスだ。席を立って、焦るフリを始めた。

「なんだ? 何かあるのか?」と

トールが赤眉をしかめて見せている。


「そういえば、戻ってから ずっと大人しいね。

さっきも校庭に出て来なかった」


ヘルメスが ヴィシュヌやトールに顔を向けないようにしているのを見て、道化ニバスは 下がった口の端を

つり上げた。


地獄ゲエンナで見たんだ」


とっておきの事 というように、声を抑えた道化ニバス

上目遣いに ヘルメスを見つめながら

「アバドンに捕まっていたところを」と言った。


「ヘルメス」

「本当なのか?」


ヴィシュヌやトールに聞かれた ヘルメスが

観念したように ため息をつき

「そうだよ。影蝗を憑けられた。アバドンには何もかも筒抜けだ。今、あいつが言った事も」と

肩を落とすと、道化ニバスの顔が凍りついた。


「俺の役目は、地上で アバドンを裏切る者を探す事だった。ヴィシュヌやミカエルが居る ここなら

勝手に情報は入って来るだろう... と思ってさ。

何食わぬ顔で戻って来ちゃって ごめんね。

裏切り者は処分するように言われてる」


腰に提げた三日月鎌ハルパーを手にした ヘルメスが

ボティスたちの方へ歩き

「バレちゃったけど、仕事は全うしなくちゃ」と

道化の後ろから 顎の下に、三日月鎌ハルパーの湾曲した刃を宛てがった。


「待ってくれ! お願いだ、頼む!」


ガタガタと震える 道化ニバスが懇願する。

今、こいつの首が胴体から離れても

何の感慨も無い気がする。

ざまぁみろ とも、殺すまでは... とも思わない。

まだどこか麻痺していた。


「俺が、許せねぇのは... 」


ロキが 道化ニバスの赤いフードの頭を掴んだ。


「お前のセコさや汚さじゃねぇ。

そんな奴は幾らでもいる。

子供ガキどもに影人を重ねさせた事だ」


校門の外には 無数の影人と、対照的な色をした赦しの木々。なかの 人々。

眼を向けられねぇのに、胸が絞られた。

麻痺していた何かが甦ってくる。


「うう... 頼む、頼む... お願いだ、待ってくれ...

アバドンの背後には、何かが居る。なに 何かが居るんだ 得体の知れない どでかいモノが!」


ヘルメスの三日月鎌ハルパーの刃が 首に当たった。

ロキが指に力を込めると

「痛い。痛いよ、怖い... 」と 道化ニバスが泣き出した。


「... “シャドウピープルや新種の植物、暗示による自殺。一連の騒動は 各宗教団体の目論見か?”」


朋樹が、ネットのニュース記事に関するコラムを読み上げる。


「“何故、宗教施設に避難を? 単純に疑問だ。

不安を煽り、宗教施設に人を集める事 が 真の目的なのではないのだろうか?

宗教施設に避難していた未成年者等は、洗脳のために精神に異常をきたし、『外の世界』で 悪魔狩りと称して 避難しない大人を捕まえさせ、傷害事件を起こし、その動画を配信した。

また避難先の宗教施設周辺には、シャドウピープルが集まるという。このシャドウピープルというものは、夜間であり、それなりの距離があれば

黒く塗った人型のベニヤ板を立てるだけでも

演出は可能であろう。恐怖感を与え、より一層

狂信させるのが目的ではないだろうか?”... 」


「なるほど。お得意の情報操作を

もう始めていた訳か」


ボティスが言い、頭を掴んだままの ロキが

道化ニバスの前にしゃがみ、眼を合わせた。


ボロボロと涙を零し

「いやだ、いやだ。ごめんなさい ごめんなさい」と 謝り続ける道化ニバスの下に、ボティスが白いルーシーで 天使助力円を敷く。何度か見たことがある。

ミカエルの助力円だ。


「なな 七層を開くのは、滅びのためじゃない」


ガタガタと震えながら、涙声で道化ニバスが言った。


「ほう。ニバス、何のためだ?

盗み聞きは お前の得意とするところだからな」


道化ニバスは、最後の賭けに出ている。

“殺られるなら教えるもんか” と ボロボロ涙を零しながら、端が下がった薄く黒い唇を噤んだ。


ずっと黙って見ている シェムハザに

「コーヒーある?」と 聞き、取り寄せてもらうと

「あのさ、もういいんじゃねぇの?」と

ボティスたちに言って、カップを受け取った。


「七層を開く気なのは、オレらの推測通りだったし、別に目新しい情報でもねぇしさ。

そいつ、それ以上の情報なんか持ってねぇって。

助かりたくて 嘘つくのがオチだろ」


「それもそうだな」と ボティスが道化ニバスから離れ

道化ニバスと眼を合わせたままの ロキが

「死ぬところを見ててやる」と 言うと

「モルスだ! モルスを喚ぶためなんだよ!」と

道化ニバスが叫んだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る