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こぽこぽという 液体が熱されるような音がする。

『喰い尽くせるものか!』と笑う ソゾンの声。


防護の盾の中では、ビューレイストの 血の匂い。


「... 何か ないのか?!」


ジェイドが堪り兼ねたように 口を開いた。

「他に何か、方法が... 」


「... “わたしは ぶどうの木、

あなたがたは その枝である”... 」


ビューレイストだ。


「あれ? 違った かな?

気に入った たとえだったのに」


ビューレイストは、浅い息の合間に

「なぁ、頼む」と マリゼラを見て

視線で シェムハザを示すと

「“もし、わたしに”... だっけ?」と

オリーブの眼を ジェイドに戻して聞いた。

ビューレイストは、言葉を口にしても

焼かれていない。


マリゼラが、ビューレイストの前に しゃがみ

くちびるの端に滲む血を 指に付けて立ち上がると

その血を シェムハザの額に付けた。


「... “もし人が わたしに つながっており、

またわたしが その人と つながっておれば、

その人は 実を豊かに結ぶようになる”... 」


ジェイドが読むと

「そう、それだ。あと それから

“父が わたしを”... 」と

ビューレイストが好きな箇所の 続きを促す。


「... “父が わたしを愛されたように、

わたしも あなたがたを愛したのである。

わたしの愛のうちに いなさい”... 」


シェムハザの胸に 手を載せたマリゼラが

呪歌ガルドルのような呪文を唱え出すと、ボティスが

「抜け出しちまったら、魂を撃て」と

ゴールドの眼で、ビューレイストを示し

シェムハザに視線を戻した。

白いルーシーの小瓶を開けて、天使助力円を敷く。ビューレイストの下に...

なんだ... ? 見たことある印章だけど...


「あと、いましめ は... ? 聖子の... 」


ビューレイストの前に 膝を着いたジェイドが

血の気がひいた 力のない手を取る。


「... “わたしのいましめは、これである。

わたしが あなたがたを愛したように、

あなたがたも たがいに愛し合いなさい”... 」


ビューレイストは、満足したように

「ありがとう」と 微笑わらった。


この後に 続くのは

... “人が その友のために 自分の命を捨てること、

これよりも 大きな愛はない”...

あの時 ロキも、ミカエルの声で聞いてる。

オレは、オレを呼ぶリラの声を 胸で聞いた。


「最期に、誰かに 祈ってもらえる なんて... 」


「生きろよ」と、ビューレイストが 弟に言う。

ロキは ただ、涙を流して 立ち尽くしてる。


マリゼラが しゃがみ、ビューレイストの額に

手を置くと、ビューレイストは 瞼を閉じた。


ビューレイストの背中に回していた腕に、重みがかかる。膝に添っていた狐榊が クウ と 鼻を鳴らす。

盾の向こうに 炎の色。

腕を すり抜けて、白い影が浮き出てくる。

すぐ なんだよな...  胸ん中 キリキリする。


「シェムハザは?!」


ボティスが マリゼラに、詰め寄るように聞く。


「目覚めるはずだ! 術は移った!」


退け!」


ボティスが シェムハザの胸ぐらを掴んで

「起きろ! 今すぐだ!」と、身体を引き起こす。


「助力、バラキエル」


助力の天使名を言った ジェイドに眼がいって

ボティスの背中にも 視線が移る。


「“神の祝福”」


ビューレイストの下で、助力円が光った。

「ふざけるな!起きろ!」と

シェムハザを揺する ボティスの背中を見ながら

そっか、自分の助力は使えないんだよな... って

気付いたけど、特に 何も起こらない。


「何かが 目覚めの邪魔をしてるんだ!」と

マリゼラが ボティスを止める。キュベレか...


ビューレイストの白い影は、頭上で

ビューレイストのかたちに なりかけてた。


胸ん中のキリキリが、喉元や眼の裏に昇ってくる。熱い。泣きたくねーし

「おまえの助力、何なんだよ?!」って

ボティスに 当たったら

「うるせぇ!切羽詰まれ!」って 言いやがるし。


「ボティス!」と、朋樹が 炎の尾長鳥の式鬼を

シェムハザに追突させる。

「やめろ! シェムハザが死ぬ!」と

ジェイドが、次の式鬼札を 朋樹の指から取った。


「クソッ!... ロキ、泰河!」


ボティスに呼ばれた 泰河が、ガタガタ震える手で

ビューレイストの魂に 銃口を向けて

口を開くけど、なかなか 死神を喚べない。

涙で ぐしゃぐしゃに なってるし。

くそ やばい。オレまで、ボロボロ 涙出てきた。


「キュベレに取られるぞ! 死神ユダか獣を喚べ!」


いやだ こんなの

けど キュベレに 飲まれるのも...


ふいに、甘く爽やかな 花砂糖の匂いがした。

オレの背後に、白い煙が凝る。


『ルカ。俺の魂を... 』


背中の精霊が言うと、口から 青い炎が抜け出た。

オレが飲んだ シェムハザの魂だ。


『おまえに、必要は無かったからな』


飲んだ時は もう、腹の傷は塞がってたから

体内に残ってたのか...

青い炎の魂は、ビューレイストの 薄く開かれてる

くちびるの隙間に するりと入り込む。


背後から、ボティスを指差す手の 腕が出た。

『俺も抗っているところだ。雑に起こすな。

お前もだ、朋樹』と、精霊が消えた。


ビューレイストの白い影が 身体に戻る。

ガハッ と 空気を吐いて、ビューレイストが 瞼を開いた。 やった... もう、だくだく涙出てくるし...


「... 信じられない!」


マリゼラが、ビューレイストの手を強く握り

次に、翅だけ虫の上に ドサッと半身を戻された

シェムハザの手も握る。

ジェイドが短く感謝を祈ってて、オレも祈った。


「どうして... ?」


ビューレイストは、目の前で 立ち尽くしている

ロキを見て、自分の胸を見た。

イチイのルーン文字が消えてる。


「ロキ、お前には?!」と、ビューレイストが聞くと、ボティスが ロキの仕事着を引っ張って 中を見て「無い」と 返した。


「枝が 実を結んだのだ。いましめを守っておる故」


榊が ビューレイストに言う。

ビューレイストは、みるみると 満ち足りていく顔になって、涙を溢れさせると

「そばに 居てくれてただろう? ありがとう。

嬉しかったし、寒さが緩んでた」と

血が乾いた手で、狐榊の頭を撫でた。


「... 大変な時に、大騒ぎ させやがって」


ロキぃ...

袖で、眼ぇ ごしごし擦ってるけどさぁ。


「ボティスは知ってたのか?」と

ジェイドが聞くと

「ロキの姿で現れたが、“ビューレイストだ。

ロキと話したい” と 言ったからな」ってことで

ビューレイストを信用したようだ。


「トールは... 」と

朋樹が 盾の向こうに顔を向ける。

そうだ、円錐のトゲに...


平原には、どろりとした液状の炎が 渦巻いていた。マグマじゃないけど、水でも 気体でもない。

炎でもないんだろーけど、直感では “炎” だと感じた。


ゼリー状の炎は、生き物のように立ち上がり

蛇人や巨人の遺体に 覆いかぶさると

どろどろと 中で焼き、骨まで崩していく。

あれだけ 地面に突き刺さってた氷柱が 見当たらない。


「アフラスディンニ!」と 冷却術を掛ける

黒妖精デックアールヴたちの声。

炎は レイピアの先から、ぞろりと後退する。

でも、黒く冷えたり 凍ったりもしない。


「ベルゼの虫が喰っているのは、あの中の 巨人や蛇人の遺体だ」


ボティスが つり上がった眉をしかめた。


「この ワケの分からんモノは 熱くも冷たくもなく、これ自体には ベルゼの虫は反応していない。

だが 何かに取り憑くと、対象それに熱を発させている」


「熱くないのに、なんで焼けるんだ?」


泰河が聞いたけど

「さぁな。簡単に考えりゃあ、水分子を振動させる などだが、この場所の炎や氷は、灼熱ムスッペルスヘイム

極寒ニヴルヘイムのものが含まれる と考えられる」って

答えてる。


熔岩巨人... 灼熱巨人ムスッペルと アジ=ダハーカの子や

オーディンが喚んだ 極寒ニヴルヘイムの氷霧。

ソゾンが降らせた氷柱ツララ


赤い氷柱が 地面に落ちて、ゼリーの炎のようなものになった。

それまでは、炎は炎、氷は氷 だったのに。

熔岩巨人の熱と氷霧や氷柱が 空で合わさったものが、赤い氷柱... ってこと?

それ、新しい何か ってこと なんじゃねーの... ?


「あのゼリーの中で、遺体が熱されるから

それに、ベルゼの虫が?」


ゼリーは、ベルゼの虫に喰われてないけど

進化を促す要因にもなる ベルゼの虫を内包する...


「何とか した方がいい よな... ?

まだ 今みたいに、何とか出来そうな内に」


迷ったような顔で朋樹が言うと、ボティスも

「地上に出すべきじゃあないが... 」って

ちょっと惜しそうな顔したし。


まぁ、新しい生命なにかの発生かもしれねーし

分かるけど、ソゾンやキュベレが絡んでるから

ロクなものには ならねー 気ぃするんだよなぁ...


「長々 話してる場合じゃない。

俺は、トールの傍へ行く。ベリアルも 抱えられてるじゃないか!」


ロキが、ソゾンの方を指差す。


ゼリーの炎の向こう、ベルゼたちの前で

ソゾンの周囲には、黒い蔓が 何本も伸び上がって

ソゾンを絡め取ろうとしていた。

月夜見キミサマの蔓だ。

けど 蔓の先が、どうしても ソゾンに届かない。


「あっ!」「ベリアル、何が... 」


ソゾンの上には、ベリアルを抱えるハティ。

ベリアルは、ぐったりしているように見える。


「今、救出したばかりだ」と

盾を持つ兵士の 一人が 説明してくれる。


「ソゾンの片手で 首を掴まれ、持ち上げられていた。バアル・ヤアルは 翼を開いたが、その翼が

閉じて消えていったんだ」


「“翼が閉じた”?

ベリアルが自発的に閉じたんじゃあないのか?」


ボティスが確認すると

「それは、分からない。でも、見ている限りでは

そうは 見えなかった」と 答えてる。


「ヴィシュヌがチャクラムで ソゾンの注意を引いて、ハーゲンティと共に 救出へ向かったヘルメスが、ソゾンの手首を刈った。

ハーゲンティが、バアル・ヤアルを掴み

オージンがいる 空へ戻ったところだ」


オーディンの護衛もいるもんな...

兵士の話しを聞いている間に、神鳥の姿の師匠が

ハティの下に羽ばたいて行って、背中にベリアルを乗せる。師匠は そのまま、オレらの方へ

ベリアルを連れて来た。


ボティスが 師匠の背中から、ベリアルを抱えると

師匠は、久々に オカッパになった。


「半魂を取られそうになり、オージンが 術返しをした。術は ソゾンに返ったが、元々 ソゾンの術であるからな。術同士の反発の反動で、気を失うて おるようだ」


シェムハザの隣に 陽炎が揺らめいた。

ベルゼの翅だけ虫 みたいだし、ボティスが

ベリアルを寝かせる。


シェムハザは、自分の術で寝てるけど

「悪魔って、気ぃ失ったりすんの?」って

言ったら、ボティスが

「術の反動のショックで 一瞬、ということは

あるが... 」って ニガい顔になった。

キュベレの妨害かぁ... かなり 力ついてるよなぁ。


「師匠、この ゼリーみたいの 何なんすか?」


泰河が聞くと「知らん」って 返してるけど

シューニャ」とも 言ってみてる。


ゼリーの炎は、師匠のゴールドの炎の中で

赤い色を失って、見た目は 水になって落ちた。


「えっ?」「簡単?」


朋樹も、炎の尾長鳥の式鬼を飛ばすと

鳥が追突したゼリーは 色を失い、ぱしゃ っと

地面を濡らす。


「イケる。ルカ、風」って 言うけど

師匠が またシューニャしてくれて、ゴールドの炎が 平原中に立ち上がる。


「残っておるな... 」


そうなんだよなぁ... 全部は消えてねーし。


けど「よし!」って、ロキが駆け出す。

「おい!」って 泰河も走ったけど

ボティスと榊は 残るっぽい。

ベリアルとシェムハザを 眼で示して

「行って来い」って トールの方へ 視線を移した。


ビューレイストも「一緒に護ってるよ」って

言ってくれてるし

「俺は 空におる」と 師匠は神鳥で 空に戻る。

オレらも、トールの元へ向かった。

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