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『... “わたしは よみがえりであり、命である。

わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる。

また、生きていて、わたしを信じる者は、

いつまでも死なない。あなたは これを信じるか”... 』


ヨハネ 11章 25節と26節。

横に倒れたまま。目の前には 赤く濡れた草。

知らない眼じゃない。あの眼を 知ってる。

遠い遠い どこかから、眼差しの記憶が蘇る。


焼き付く肺の胸に添えられた手に触れて

どうにか頷くと

煙の呼気の先にいる その穏やかな信念の眼に

慈しみの色が加わった。


胸から昇る熱が 涙になって溢れ出る。

滲む視界と 煙の中でも、その眼差しが

オレに向けられているのが わかる。


「... “わたしは まことの ぶどうの木、

わたしの父は 農夫である”... 」


ヨハネ 15章

イエスのことばを読む ジェイドの声。


「... “わたしに つながっている枝で 実を結ばないものは、父がすべて これをとりのぞき、

実を結ぶものは、もっと豊かに実らせるために、手入れして これを きれいになさるのである”... 」


「マーナガルム、よせ!」


眼差しと ジェイドの背中の向こう。

赤い空の下に揺らめく 黒い炎に、投げ出された

黒い兵士が燃える。

その向こうで、ゴールドの炎が燃え上がった。


「... “あなたがたは、わたしが語った言葉によって

既に きよくされている”... 」


咆哮や絶叫が響く中、焼け石を詰められたような胸の熱に、堪らず身をよじる。

かはっ と、肺が空になるまで 煙を吐き出すと、

両耳の穴を 錐で突かれるような痛みが走り

頭の中に 火花が散った。


... 「俺を出してくれ! あの歌が聞こえないように

あいつの耳を突いてやる!」


ロキの声と、“ルカ” という 朋樹や泰河の思念。

“どうか... ” という 榊と

“マラナ タ” と祈る ボティスの思念。


「... “わたしに つながっていなさい。そうすれば、

わたしは あなたがたと つながっていよう”... 」


ジェイド。


「... “枝が ぶどうの木に つながっていなければ、

自分だけでは 実を結ぶことができないように、

あなたがたも わたしに つながっていなければ

実を結ぶことができない”... 」


声の中、ふつりと 闇に落ちる。

何の感覚もなくなって、空気もない場所に

投げ出されたようになる。


「... “わたしは ぶどうの木、

あなたがたは その枝である”... 」


真っ暗闇の中の 遠い声。

それ以外には もう、痛みも熱も、苦しみも、

頬に当たっていた草も、何も なにもない。


「... “もし人が わたしに つながっており、

またわたしが その人と つながっておれば、

その人は 実を豊かに結ぶようになる”... 」


...  カくん


「... “わたしから 離れては、

あなたがたは 何一つ できないからである”... 」


 “ わたしから 離れては ”


...  ルカくん


胸の なかからの声。

声の下で 鼓動が蘇り、冬の海と星空が拡がる。

プールの水面の花びら。

煙の向こうに見た 眼差しを感じて、瞼を開いた。


「ルカ!!」「ルカ、分かるか?!」


泰河と、朋樹だ。

四郎が オレの胸に添えた手を引くと、

腰を折って 覗き込んできた ボティスの影が掛かって、赤い空や黒炎を隠した。

見上げながら、呼吸を整える。


「ルーンが消えている」


つり上がった ゴールドの眼が緩む。

起き上がろうとすると

「あっ、おまえ... 」「ムリすんなって!」と

泰河と朋樹に止められたけど、とりあえず座る。

四郎が「きよくなれ」してくれて

だいぶ ラクになったし。


琉地が遠吠えを上げると、ヘルメスが立った。

ハルパーの三日月刃が 赤い空を映す。


「あれ? 変わってなくない?

狼も死者兵も、催眠 解けてないよね?

殺り合ってるし」


「印が付いただろ? 十字以外は要らん」


ボティスが答えると

「んー... ま、いいけど。手伝うよね?」って

聞きながら、翼のサンダル タラリアで跳んで

空中から マーナガルムを見下ろした。


「... “人が わたしにつながっていないならば、

枝のように 外に投げすてられて枯れる”... 」


「ヘルメス! マーナガルムは 俺が... 」と

言い掛けた ロキに、ヘルメスは

「分かってる! でも 十字あるし」と 答えて

空中から 急降下する。


「... “人々は それをかき集め、火に投げ入れて、

焼いてしまうのである”... 」


着地する前に ハルパーを振ると、三日月刃の外側の弧で、黒妖精デックアールヴの頭部が 二体分 跳ね飛んだ。

刃って、内側だけだった気ぃするけど...

着地しながら半回転して、ハルパーに引っ掛けた狼の頭も跳ね飛ばす。


「ボティス! 手伝えってば!」って

また跳んで、黒妖精デックアールヴの首を刈った。速いし 強ぇ...


「... “あなたがたが わたしに つながっており、

わたしの言葉が あなたがたに とどまっているならば、なんでも望むものを求めるがよい。

そうすれば、与えられるであろう”... 」


「お前もだろ?」って 朋樹に言った ボティスが

死者兵の槍を持って、黒炎の蔓の 向こう側へ向かう。朋樹も 式鬼札を飛ばし始めた。


「しかし、術は解けぬのう...

今 一度、聖油など撒いては どうか?」


ボティスを通すために、黒炎の蔓を 地面に下げた

月夜見キミサマが言うし、四郎が 聖油の小瓶を開ける。

風の精で、黒炎の向こうに 聖油を散らすと

闇靄と反応して、アルミ色の炎が上がった。


「熱いだろ?」「一言 断ってもらえる?!」


ボティスとヘルメスに怒鳴られて、笑ってるけど

榊が珍しく「月夜見尊きみさま」って 呼び掛けてるし。


「何だ? 火傷などは... 」って 言う月夜見キミサマ

「闇靄に反応し、銀の炎となってしもうては

聖油の清めも消えるのでは ありませぬでしょうか?」って言った。


「相殺?」「確かに... 」


ジェイドの詠唱すら 一瞬 間が空いたけど

「うむ... 」って 咳払いして

靄を 自分と榊の周囲だけに凝らせた 月夜見キミサマ

四郎に「今 一度」って、美麗に微笑むし

再び 風で、聖油を霧にして撒く。


「... “あなたがたが実を豊かに結び、

そして わたしの弟子となるならば、

それによって、わたしの父は 栄光を お受けになるであろう”... 」


胸や額に十字がある 兵士や狼たちが

その十字から 火を吹いて、叫び 苦しみ出した。

煙の呼気が上がる。


さっきのオレと、同じようになってるんなら

相当 苦しいだろうな...

悪魔祓いで、内から焼かれるのが

どんななのか分かったし。


苦しむ狼や兵士に 攻撃しようとする

十字の無い狼や兵士を、ヘルメスとボティスが

狩っていく。


「... “父が わたしを愛されたように、

わたしも あなたがたを愛したのである。

わたしの愛のうちに いなさい”... 」


四郎に見た、あの眼差しの気配がする。

平原中に。

泰河や朋樹からも、何かが蘇ったような 感覚の

思念が届く。


「霧... ? 雲か?」


ロキが、黒炎の向こうに眼をやって

呆気に取られた顔になって言った。

輝く雲が降りてる。


「... “もし わたしの いましめを守るならば、

あなたがたは わたしの愛のうちに おるのである。

それは わたしが わたしの父のいましめを守ったので、その愛のうちにおるのと同じである”... 」


「ほう... 」


月夜見が 目を見張って、四郎が 右手を胸に当てた。ヘルメスが「えっ?!」って 雲を見回す。


「... “わたしが これらのことを話したのは、

わたしの喜びが あなたがたのうちにも宿るため、

また、あなたがたの喜びが 満ちあふれるためである”... 」


兵士たちも マーナガルムも

輝く雲の中の影となる。


「... “わたしのいましめは、これである。

わたしが あなたがたを愛したように、

あなたがたも たがいに愛し合いなさい”... 」


雲の中に、翼がある 虹色の影が立った。

その影が

「“人が その友のために 自分の命を捨てること、これよりも 大きな愛はない”」と 続きを読むと

雲が晴れて、虹色の影は ミカエルになった。

ブロンド睫毛の碧眼を オレに向けていて

胸の中にある骨の欠片の上に 手のひらを載せる。


“わたしと つながっていなさい” という思念を

ジェイドに残して、気配は消えた。


「ヴィシュヌと ガルダが戻ったから

向こうを任せて来たけど。大丈夫か?」


ここで、ボティスも居る って 分かった時みたいに

身体から緊張が抜けた。

ミカエルが、マーナガルムを見上げて

黒毛の肩に触れると、マーナガルムは腰を落して

大人しく座った。狼たちも それに倣う。

額の十字も消えてる。


死者兵たちのサーコートの胸の 赤黒い十字も

青いイチイのルーン文字も、黒妖精デックアールヴの十字も。

黒炎の蔓の輪も、天空精霊も。

輝く雲は、すべてを取り払った。

誰も傷つけずに。


ロキと琉地が 歩いて来る。


槍を降ろした 死者兵たちは、その場に ぼんやりと佇み、「... ここは?」「冥界ニヴルヘルではない」

「何故 知らぬ場所に... 」と、口々に呟き出した。


「術が解けた!」


ロキが言った時、死者兵たちの姿が ざっ と 揺らぎ、赤い空を見上げ始めた。


「... 呼ばれている」


空を見上げる死者兵の 一人の足が

地面から離れ、浮き上がると

「ならぬ。大母神に取られるぞ」と

月夜見キミサマが白い蔓を、地面中に ザーッと拡げ

死者兵たちの足に絡ませていく。


「そんな... 」と、ジェイドが 愕然とし

「行くな! ヘルの元へ戻るんだ!」と

ロキが怒鳴る。


「イチイのルーン文字も消えたのに... 」


朋樹が言うと、厳しい表情の月夜見キミサマ

「いや。死者兵等の “支配権” は、まだ ソゾンにある。氷からヘルを解放せねば、支配権はヘルに戻らん。榊、扉を開け」と 命じた。


人化けして、番人の正装姿になった榊が

幽世の扉を開いて 死者兵たちを導く。

死者兵たちは それでも、足に蔓を絡ませたまま

ゆっくりと 空へ昇っていく。


「ミカエル、炙れ」


ステッキを片手に腕を組む ベルゼが立った。

眼鏡かけてるし、朋樹が “ほらな” って顔しやがったけど

「これ等を キュベレに渡す訳にはいかん。

人間を襲った悪霊として 始末するか、

私が 魂を奪い、地界に繋ぐか だ」と

ワイン色の眼で 死者兵たちを示す。


「いや。操られ 利用されていた挙げ句、

騙し取られそうになっている 人間の魂だ」


「だが、このままでは... 」


ボティスが 死者兵の腕を掴んでみても

腕は 手を擦り抜ける。


剣を消したミカエルが、幽世の扉の上に

右の手のひらを向けると、真珠色の光の十字架が

開いた扉の上に顕現した。

幽世の扉の中へ向かって

「ハサエル!」と、月に居る 天使の名を呼ぶ。


「カクリヨから 異教徒の魂を送る。

天には昇らせず、月で管理」


「そうか... ミカエルは、魂の導き手でもある」と

ジェイドが 眼を上げた。


ボティスに「もう 一度だ。ヨハネ 15章9節」と

言われた ジェイドが、また

「... “父が わたしを愛されたように、

わたしも あなたがたを愛したのである。

わたしの愛のうちにいなさい”... 」と 読むと

幽世の扉の上の 真珠色の光の十字架から

温かく 柔らかな光が拡がり、死者兵たちを包む。


倒れていた死者兵も、降りた光に包まれると

瞼を開き、立ち上がった。

淡い光に輝く死者兵たちの足が 地面に着き、

十字架の下の 幽世の扉へ向かって 歩き出すと

白い蔓も するりと解ける。


真珠の光に包まれた 死者兵全員が

幽世の扉の中へ 入ると、榊が扉を閉めた。

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