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巫女たちの墓は、エリューズニルの隣の森の中にあった。

ニレの木立の合間あいまに、長方形の白い墓石。


北欧神話では、神々が 男アスクと 女エンブラを

海辺で拾った流木から創造したんだけど

その木は、世界樹であるトネリコの木と、楡の木だった。


『墓もきれいだよな。

墓石も、自然物みたいに見えるしさ』


『柵で区画分けしてある墓と 違うよなー』


森と 一体化したかのような墓にも見惚れたけど、

日本の森に あの長細い墓石と卒塔婆とかがあっても、こういう風には見れねーよなぁ...

樹木葬とかは いと思うんだけどー。


『オージンが助言を得る巫女ヴォルヴァの墓は?』


『“ヘイズ” だ。名前は知ってるけど

墓が どれなのかは分からない』

冥界ニヴルヘルに自体、ほとんど入らんからな』


ってことで、みんなで 墓の名前を見て回るけど

『しかし、ラテン文字だけでは無いのです』って

四郎が言ってて、榊も

『むう... 難解であるのう』だし。

オレは ハナから、探す気 なくなったんだぜ。


『どう書くんだ?』って 泰河が聞いたら

朋樹もジェイドも『さぁ?』だったけど

トールが、近くの墓石の上に『“Heiðr”』って 指で書いた。他の人の墓なのにさぁ... 古ノルド語らしいけどー。


『漢字とヒラガナとカタカナ使ってるんだろ?』

『もっと難解なのに』


ロキやヘルメスが言うけど、ラテン文字だけで

単語の綴り覚えるのも 大変だよなぁ。

こーやって違う文字も混ざると、全然 オテアゲ。


けど、“予言の巫女”の霊 とは、別人なんだ。

予言の巫女は、オーディンに話すように言われて

世界樹ユグドラシルの創世から 最終戦争ラグナロクまでを語ると

“忘却に陥り、口を閉じた” って、読んだことがある。

予言の巫女は、アングルボザ だって話もあるし

何となく 聞きづらいけど。

ロキの奥さんとか、アングルボザの心臓を食べたロキが、三人の子を産んだ とも聞くし。


『“ヴォルヴァ” って

巫女や シャーマンのことだよな?』


泰河が聞いてて、トールやロキが頷いてる。


巫女は、シャーマンや魔女、預言者のような存在だ。幻視によって 未来予言もするけどさぁ。

北欧神話では “ヴォルヴァ” と よばれる。

サーミなら “ノアイデ”。


ヴォルヴァは、女性が ほとんどらしく

魔術を使ったり、霊や精霊と対話をし、

自分の魂を遠くへ飛ばすという、セイズ呪術の使い手で、ヴァン神族は日常的に行ってる。

女神にも人間にも ヴォルヴァは いる。


人間世界ミズガルズで ヴォルヴァに呪術に頼るのは

ヴァイキングの他、軍事指導者も多かった。

ヴォルヴァたちは 社会的な生活を、軍事指導者に頼ることになったと考えられる。


社会的な地位が高かったようで、ヴォルヴァの墓からは、遺体と一緒に埋葬された 杖や装飾品が見つかってる。

埋葬品の中には、大麻の種やヒヨスという植物もあった。

ヒヨスは 食べると死に至るけど、ごく少量を

他の植物と混ぜて、麻酔として使われることもあったようだし、これを燃やすと、幻覚を見たり

浮遊感を感じたりするようだ。

また、強力な媚薬にもなった っていう。

つまり、呪術によって 軍事指導者や権力がある人に 取り入ることも出来た... とも 考えられてる。


ヴァン神族との交換で、ヴァナヘイムからアースガルズに入った ニョルズの娘、愛と豊穣の女神フレイヤも ヴォルヴァ。

オーディンにセイズ呪術を教えたのも、この フレイヤ。

フレイヤは、ヴァン神族が そうだといわれるように、性的に奔放だった。

父ニョルズや、双子の兄フレイ、アース神族の神々に関わらず、巨人や小人族とも寝てる。


ヴォルヴァたちは、依頼によって オーディンやトールの神託を得ることもあったけど、本人たちが信仰していたのは、女神フレイヤのようだ。

キリスト教化されてくると、死者崇拝や予言、

あきらかに娼婦である者... は、民法で取り締まられて、ヴォルヴァたちは鳴りを潜めた。


『巫女たちは、エリューズニルの向こう側で暮らしたり

生まれ変わったりしないのか?』


あっ、そーじゃん。ミカエルが聞いてるけどー。


『ここで眠っている。

“眠らされている” が 正しいが』


巫女ヴォルヴァたちを信仰する人間もいるから』


人間世界ミズガルズから、巫女の霊を呼び出して

頼る人たちもいるらしい。

少数 残ってる、現代の巫女ヴォルヴァや魔女たち。


『あっちの建物は?』


ヴィシュヌが、森の奥を指差した。

館や墓から 横並びになる位置に、グレーの外壁の建物がある。


『志願による 死者たちの館だ。死者の軍。

普段は ヘルと冥界ニヴルヘルの護衛だけど、最終戦争ラグナロクでは

ヘルと一緒に、アースガルズへ侵攻する』って

ロキが 肩を竦めて答えた。


『あったぞ』『“Heiðr” 』


シェムハザとボティスが発見した。

グレーの外壁の建物、死者たちの館の近くだ。

ハティとベルゼ、ベリアルが向かう。


『喚び方は?』って トールやロキに聞いてるけど

トールは『知らん』だし、ロキは

『霊の喚び出し方でいいんじゃないか?

魔術で何か そういうのもあるだろ?』つってる。


ハティが、ヘイズの墓の前に

青いルーシーを吹いて 魔法円を描くと

『喚び出してから、催眠を?』

『霊に効くのか?』って 話になってて

『神隠しは?』って、師匠も月夜見キミサマに聞く。


『霊にも掛かるが、出てからが良かろうの』


『むっ... 』


ボティスの腕から降りていた 狐榊が

平原... 洞窟の方へ 耳を向けて、琉地も 一吠えした。


ヒズメの如き音よ』


『蹄?』


榊、よく聞こえるよなぁ...

オレには、何も聞こえねーけど

楡の木々の間から 平原の小道を見てみると

でかい白馬に乗った人が、館の方へ 向かってくる。


『あれ?』


隣に居た泰河が『あの馬さ... 』と 言った時に

『ハーゲンティ、魔法円を消してくれ!

みんな 下がれ!』と、ロキが慌て出した。

ハティが 魔法円の青いルーシーを、小瓶に戻す。

まさか...


『オージンだ』


トールが言うと、『うおおっ! 』『マジで?!』

『オーディン?!』『神隠し、効いてるよな?』って、近付いてくる白馬と人に 釘付けになっちまう。


『おお、御覧下さい! 本当に 八本脚の馬です!』


四郎も興奮中なんだぜ。

北欧神話の本も読んでたし。


『おお!!』『すげぇ... 』


『スレイプニルだ』って、ロキが言う。

牝馬になって産んだ、ロキの子なんだよなー。


白く輝く鬣と、白い睫毛のスレイプニルは

前脚四本に 後脚も四本。

人で例えると、片方の肩から 腕が二本 生えてる感じ。 きれいで 堂々としてる。


左手に手綱を握る、北欧神話の主神 オーディンは

幅広で湾曲した つばの 黒いマウンテンハットを

目深まぶかに被って、身体を包むようにした黒いマントを 左肩の肩当てで 留め付けてた。


寒い国だからなのか、身体の前にも マントが掛かるんだよな。カッコいいんだけどー。

マントの左側が空いているのは、剣を抜きやすいように らしいけど、トールはミョルニルだし

オーディンは、槍を提げてる。


『あの槍、“グングニル” かな?』


泰河が、そわそわして 聞くと

ロキが『そうだ。俺が作らせたんだ』って

得意げに なったけど

『お前、口を縫い付けられたらしいな』

『シフの髪を刈り上げた時だ』って

ボティスとトールに言われて 黙った。


オーディンのグングニルは、投槍っていわれるやつで

敵に投げると 命中して、オーディンの手に戻ってくるし、人間の戦では、オーディンが 槍の先を向けた軍が勝つ。


トールの奥さん シフの髪を、ロキが刈った時

トールの怒りは凄まじく、本気で殺られる危険を感じた ロキは、“髪を手に入れてくる” と

小人国スヴァルトアールヴヘイムへ行って、小人ドヴェルグの鍛冶屋に

シフの髪と 投槍グングニル、スキーズブラズニル... 使わない時は、畳んで布袋に入れて 持ち運べる帆船 を 作ってもらった。


その時に、何故かロキは、別の小人ドヴェルグの兄弟

ブロッグとシンドリの元へ行って、

“お前等、あんなに立派な宝物を作れるか?

ムリだ って方に、俺は 俺の首を賭けるぜ”... と

持ち掛けて、兄弟にも 宝物を作らせる。


ブロッグとシンドリの兄弟が 作ったのは

黄金の猪グリンブルスティと、腕輪ドラウプニル

トールと、ミョルニルだった。


小人の兄弟と、ロキの賭けの勝敗は

アース神族が 宝物を見て判定する。


ロキは、先に 鍛冶屋に作らせた

黄金の髪をシフに、投槍グングニルをオーディンに、

帆船スキーズブラズニルをフレイに差し出した。

兄弟の小人は、グリンブルスティをフレイに、腕輪ドラウプニルをオーディンに、ミョルニルをトールに。


けど アース神族の判定は、鍛冶屋が作った方の

ミョルニルが 一番”... だった。


ロキは、“首を賭けたんじゃない!頭だ” とか

よく分からねー ゴマカシ方して、怒った小人たちに、紐で 口を縫われちまった。

それで済んで 良かったけどさぁ。


『もっと下がれ』


『お? おう... 』


ロキに 腕 引っ張られて、だいぶ下がる。

後ろ向きで つまずきかけたし。


オーディンとスレイプニルは、もう ヘルの館の前。スレイプニル、でけぇ...

けど、こっちに進行方向を変えた。

やっぱり巫女の墓に来たっぽい。


『ロキの神隠しを?』


ヴィシュヌが言うと、ロキが息を飲んだ。


計画では、ロキが 場所の入れ替わりの影響で

洞窟を出たことをバラす。

ロキが、“世界樹ユグドラシルを出る” と 言って

“この異変は、キュベレの影響だ。

ロキは、それを見ている” と、ミカエルが介入して

ロキとシギュンの身柄を預かる。


『いや』


ベリアルが

『アジ=ダハーカの居場所を掴んでからだ。

巫女ヴォルヴァとの話を聞いた方がいい』と、止めた。


そうなんだよな。

アジ=ダハーカは ヴィシュヌが

キュベレは ミカエルが 預かって

証人に、ベルゼやベリアルを立てる って

ことだったし。


『だが、騒ぎを起こさずに ロキを解放するチャンスではある。今、オージンは ひとりだ。

ヴァルハラにいる戦死者霊エインヘリアルや、狂戦士ベルセルクたちを 冥界ここに呼ぶには、ヘルに許可を取る必要があるからな。

ヘルが許可を出さなければ、番人モーズグズ番犬ガルムにも

止められる』


アジ=ダハーカやキュベレが 居る場だと

戦闘になる気もするもんな...


トールが言うと、ベルゼが

『しかし まず、巫女ヴォルヴァとの話を。

その後 引き止めて、ロキを解放させ

“キュベレの件には、ミカエルが介入している” と

知らせておくことにする。

ルシファーの耳には入れんよう、話を通す方が良いが... 』と、話を纏めた。


スレイプニルに乗ったまま、オーディンは

巫女ヘイズの 墓の前へ向かう。


帽子の下は白髪。いかめしく刻まれたシワ。

白い口髭や顎髭。

初老なんだろうけど、好戦的であろう顔付きと

絶対 賢い っていうような眼差しのせいで

“老人” には 見えない。

帽子の影になっている眼の色は よく見えないけど

明るい色ではないと思う。

抉り出して失った 左眼の瞼を閉じてる。


『カッコいいよな... 』


つい言った泰河に 頷いちまうし。

“威風堂々” って 言葉が浮かぶ。

緊張した顔のロキの背に、トールが でかい手を添えた。


神隠しのハティやシェムハザ、月夜見の間を通り

ヘイズの墓の前に着くか って時に、オーディンは

手綱を軽く引いて、スレイプニルの足を止める。


「... 誰だ?」


低音で 深く渋い声なんだけど

これって、オレらのこと... ?


『見えて ないんだよな?』って、朋樹が聞くと

『見えんだろう。ミカエルや ヴィシュヌを

無視することは有り得ん』と 師匠が答えて

『俺等には、オージンの印を付けている。

神隠しで隠れていれば、尚更 見えん』って

トールも言う。ロキも、ジャタの魚を飲んでる。


巫女ヘイズの墓で、何をしている?」


オーディンが、投槍グングニルを右手に取った。

墓に向かって投げようとした時、墓の前に

陽炎が揺らぎ出した。

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